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日常からの転落 前編




季節は春。天候は晴れ。


生暖かい春風に、足取りも軽快になる。

衣替えも始まり、皆が気分を新たに入れ替えていく。

時折、吹き抜ける突風を煩わしいと思いながら通学路を進む。

髪が乱れようと、服が乱れようと構わないが、参考書のページを乱暴にめくるのはやめてほしい。


それから、もう一つ煩わしいことがあった。


「きゃ、スカートめくれちゃう!」

「大丈夫? 後ろ押さえててあげるよ」

「んもう、さりげなくお尻触らないでよね、えっち」

「ははは、ごめんごめん」


リア充なヤツらを活気づけるのもやめてほしい。


「……はぁ」


清々しい朝の起床時とは一変。気分を沈ませながら黙々と活字をなぞる孤独の高校一年生、新山奏太にいやまかなた

彼女いない歴=年齢。

祖父の教えを信じて勉学一筋に生きてきたものの、最近になってどこか虚しさを感じてきた。


「ねえ、今日泊まりに行ってもいいかな?」


またか。学生カップルの次は社会人カップルだ。


「ああ、構わないよ。なら、鍵渡しておくか」

「うふふ、おいしいご飯を作って待ってるね」


…………。


人類の半分は女だと言われている。

しかし、僕にはそういった色恋沙汰は皆無である。


「単純にモテないだけか……」


それとも運命の相手との出逢いが、まだ訪れていないだけなのだろうか?


できれば後者であってほしい。切実に――







その日の放課後、普段滅多に使用しない視聴覚室の扉を開けると、窓際にたたずむ女子生徒の姿が見えた。


窓の外を眺めていた彼女は、振り返ると、


「手紙、読んでくれたんだね……」

「……うん」


鋭い視線に白い肌。金色に染めた髪をサイドテールに纏めた、同じクラスメイトの沢村真衣さわむらまいだった。

教室を見回しても沢村さん以外の姿は無い。西日で茜色に染め上げられた室内には、今、僕と彼女の二人だけだった。

僕は今朝、下駄箱に入っていた差出人不明の手紙で、放課後この時間の教室に呼び出されていた。


「……それで、僕に伝えたいことって、なんですか?」

「うん……それなんだけどね……」


沢村さんは視線をさまよわせて、手を背にすると忙しなく動かす。西日のせいもあるだろうが、彼女の顔は耳まで真っ赤に染まって見えた。


「…………」

「…………」


しばしの沈黙の後、沢村さんは急にキッと姿勢を正すと、僕と視線を合わせてきた。そして、


「……あたしと付き合ってください」


沢村さんはうつむき、僕にそう告げる。

制服のスカートの端を握りしめて、ひたすらに僕の返事を待っている。


生まれて初めての、女子からの告白。

客観的にみれば嬉しいはずのシチュエーション。それなのに僕の手は僅かに震え、額には脂汗が滲んでいる。


正直な話……僕は彼女が苦手だった。


何故なら、沢村真衣――メイクはアイシャドウにマスカラ、ネイルアートといったもので派手に彩られていた彼女は見た目通りの、いわゆるギャルというやつであったからだ。


勉強がそこそこ出来るだけ。顔もイケメンとはほど遠い地味な僕とでは、あまりにも釣り合いが取れていないのは明白だった。


「……一つだけ聞いてもいいかな?」

「うん……」

「どうして、僕なの……?」


当然ともいえる疑問を僕は彼女に投げ掛けた。


「…………」


彼女はしばらく無言だった。

静まり返った春の校舎に響くのは吹奏楽部のピアノと、時折それに混じって聞こえる野球部員たちの球を打つ金属バットの乾いた音。


やがて沈黙を破るように彼女はゆっくりと口を開いた。


「……変わりたいから」

「……え?」

「あたしってほら、こういう見た目だから周りはチャラい男ばっかり集まって来るし、そろそろ真面目になろうかなって……」

「う、うん……」

「それで、新山くんってすごい真面目で優しいから……いいかなって……」

「そ、そうなんだ……」


僕の印象と数少ない友人から伝え聞く悪い噂は当てにならないな、と思った。

……きっと僕と同じで、沢村さんも変わろうとしているんだ。


「それで……どうかな……?」


沢村さんが上目遣いに僕を見つめてくる。


今朝のことを思い返す。

運命の出逢い。

今、頷くだけで、僕は彼女と付き合える。


正直、僕は沢村さんに対して何の恋愛感情も持っていなかったけど、彼女が変わろうとしているように、僕も変わらなければいけないのだ、と思った。


「よろしく……お願いします……」


僕は彼女から少しだけ視線を反らし、ぎこちない笑顔を浮かべながら言った。

今はまだ手探りだけれど、目の前にいる彼女となら、きっと僕も……


「…………」


ゆっくりと視線を沢村さんの方に戻すと、彼女は無言で僕との距離を詰め、そして密着するようにして僕の背中に腕を回した。

今の僕は茹で蛸のように顔を真っ赤にしているのかもしれない。そしてこれからキスをするんだ、と思った僕はぎゅっ目を瞑った。


「…………」


だけど、一向にその時は訪れない。僕はその沈黙に耐えかねてゆっくりと片目を開くと……。


「…………ふふっ、ごめんね?」

「…………えっ?」


目の前には、舌を出し、小悪魔のような薄ら笑いを浮かべた彼女がいた。

これはもしかして――と思った瞬間、教室のドアが勢いよく開かれ、ゲラゲラと笑いながら入ってくる四人組の男達。


やられた。


彼らを見て、ようやく自分が嵌められたことを理解した。 おそらくこれは嘘コクというやつで、僕が困惑している様子を見て楽しむためにわざわざ呼び出したのだ。


「オラ、早く沢村から離れろよ」

「あぐっ……」


彼らの一人が、強引に僕の襟首を掴んで彼女から引き剥がし、そして床に叩きつける。


「バーカ。沢村がお前みたいな地味な奴と付き合うワケねーだろ」


そう言ってリーダー格らしき男がポケットからスマホを取り出すと、尻餅をつく僕に向けて録画していた動画を再生する。 そこには、顔を真っ赤にしたままおろおろとしている僕と、その様子を小馬鹿にしたような顔で見つめる沢村さんの画が映し出されていた。


「あははっ、マジでウケるんだけど~!」


何が面白いのか。動画を確認した沢村さんは、彼らと一緒になって下卑た声で笑い合う。


「沢村の演技力まじっぱねえわ。んじゃ、これ賭け金な」


リーダー格らしき男が財布から千円札を数枚取り出すと、彼女に手渡した。そして「毎度~」と、語尾に音符が付いたような口調でお札を財布を収めると、彼らに背を向けて教室を後にしようとする。


「沢村さん……」

「うん?」


僕は彼女を呼び止めた。


「どうしてこんなこと……変わりたいって……嘘だったの……?」

「んー……」


僕の問い掛けに対し彼女は、一差し指を口に当てて考える仕草をした。やがて何か思いついたような表情になると、くすりと笑う。


「新山くんが真面目で優しいって思ってるのは本当だよ? でも、あたしの家って結構貧乏でさ、何かを変えるにもまずはお金が必要だからね~」

「…………そっか」


僕を見下ろす形で一瞥すると、今度こそ彼女は教室を後にした。

残ったのは僕と――


「さてと、そんじゃ俺らは賭け金の回収だな」

「えっ……?」

「オラ、この映像バラ撒かれたくなかったら金出せよ」


――彼らだった。


そしてこの日を境に、僕を取り巻く環境は一変した。

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