6 炊事兵との約束
入営してから一週間。
ある程度の知識と実技を叩きこまれたローズたち新兵は、そろそろ戦地へ投入される段階になっていた。
明日はいよいよ国境の向こうの敵地へと送られる。
入浴と夕食を終えたローズは、就寝を前にまたふらふらと兵営内を歩いていた。
ここともお別れだ。
ここはあくまでも、基礎をいろいろと学ぶところでしかないのだから。
あとは戦地で屍になるか、生きのびて地元へ戻るしか道はない。
「あの人とも、ここでお別れかな……」
ふと、あのはちみつ色の髪の青年を思い出した。
射撃部隊の仲間以外で顔見知りになったのは、あの青年ぐらいだった。
ローズはなんとなく炊事施設のある場所に足を向ける。
毎回ではなかったが、あれから夜に歩いているとエーミールと出くわすことがあった。
そのたびに、彼はおこぼれの果物や残り物をローズにくれる。
それだけだったが、ローズはこの殺伐としたこの場所にひとときの癒しを得ていた。
戦場ではきっと別々に行動するはず。
歩兵部隊と射撃部隊ではそもそも配置される場所が違う。
会うことももうほとんどないだろう。
そう思っていると、仕事を終えたエーミールがちょうど建物から出てきた。
「ローズ!」
彼は仲間たち数人と一緒にいたが、ローズの姿を見つけると一目散にやってきた。
後ろでは仲間たちが「なんだ女か~?」とからかうようなそぶりを見せている。
「もうっ、違う! いいからお前たちは先に行ってろ!」
「へいへい。上官には黙っててやるから、早く戻れよ~」
「おう」
仲間たちを見送るエーミール。
しばらくすると、ローズの存在を思い出したのかハッと振り返って謝罪してきた。
「す、すまなかった、ローズ。気を悪くしないでくれ」
「ああ、ううん。別に」
「なら良いんだけど。今夜も散歩してたのかい?」
「ええ」
「明日にはもうお互い戦場だね」
隣国のある方角の空を眺めて、エーミールは感慨深げに言う。
「君ともこうして話したりすることはもうないんだろうね」
「……そうね」
「ああ、そうだ。今日の。はいこれ」
ポケットから出されたのは、煎られたアーモンドだった。
ローズはそれを五粒ばかりもらう。
「ありがとう」
「こうして君に食べ物を渡すのも、もう最後だね。そう思うと、なんだか……」
「……」
ローズは言葉を失った。
自分も何と言っていいかわからない。これからお互い死んでしまうかもしれないのだ。あまり情を移したくない。だから、同じ射撃部隊の仲間ともあまり仲良くしないようにしていたのに。
「ねえ、エーミール」
「ん?」
ローズは思い切って言った。
「……あなたは、怖くないの?」
「え? 怖い? そりゃあ、怖いよ。死ぬかもしれないんだしね」
「あ、そっちじゃなくて……自分が人を殺すことになるかもしれないことが、よ」
「ああ。そっち。怖いよ? 君もじゃないかい」
「ええ。今まで鳥や獣の命は奪ってきた。でも人は……」
何を言っているんだろう。
こんなことを言っても相手を困らせるだけなのに。
そう思うが、ローズは今の気持ちをエーミールに打ち明けたくてたまらなかった。
「人を、殺したら……私は自分の中のなにかが変わってしまうかもしれない。そう思ったらとても、引き金を引ける気がしなくて」
「まあ、そうだとしても、戦うしかないよね」
「それは、そうなんだけど」
「君が後方で援護してくれなきゃ、歩兵の僕は困ってしまう」
「ええ。でも……でも……」
アーモンドを握りしめる。
これが弾薬だったら。ためらうことなく弾倉に詰め、構えることができるだろう。そこまではできる。
でも、人を狙って撃つことは? はたしてできるだろうか。
何度も何度も練習はしてきた。
でもあの的はあくまでも人形だ。実際の血の通った人間ではない。
「猟ならわかるの。命を奪っても、その命を最後まで無駄にすることはないから。ためらいなく殺せた。でも、戦争は……? 敵の命は? 無駄に、ならないかしら」
「そうだね。僕もちょうど同じことを考えていたよ。生きたニワトリを絞める度にね、これらは結局食べられるから無駄にならない。でも、食べられなくて残された鶏肉は無駄になる。戦争って……なんなんだろうね。自国のためになる、と思わなければやっていられないよ」
この度の戦争は、ローズたちの住むモデリア王国が、隣国のアバルタ公国の領地を侵略するためにはじまった。
地殻変動でモデリア首都の水源が極端に減り、隣国の水源を確保するのが急務となったのだ。
最初は水路を引かせてもらったり、お金を払って水を買うといった温厚な提案がなされていたが、隣国はどの案も即座に断ってきた。
いくら粘り強く交渉しても話が進まず、かといってこのまま待っていても自国の水不足は解消されない。
侵略戦争は、やむなくとられた策だった。
「私の故郷はね、小さな村だったけど、綺麗な泉があったから水に困ったことはなかったの。だけど、王都がこんなになってたなんて。来てみるまで信じられなかったわ。川があんなに干上がってるなんて」
「何万人も暮らしているからね。このままなら王都は人が住めなくなる」
「やるしか、ないのね……」
「ああ。王都近辺の別の水源といったら、隣国との国境付近しかないからね」
そこには大きな湖があった。しかし、その付近は完全に隣国の領土だった。
また、隣国はその湖によって栄えてきた歴史がある。
当然向こうも渡す気はない。
「じゃあ、エーミール、今までありがとう。会うたびにいろいろ食べ物をくれて嬉しかったわ。あなたの武運を祈ってる」
「うん、ありがとう。どうか君も無事で」
ローズは後ろ髪を引かれながらエーミールに背を向けた。
奇妙な出会いだった。でも、きっともうこれきり。二度と会うことはないだろう。
「ローズ!」
そう思っていると、背後から自分の名を呼ばれた。
振り返ると、エーミールが走ってくる。
「ど、どうしたの?」
「ああ、なんだかさ、やっぱりこのまま別れるのは、ダメだと思って」
「え?」
「あのさローズ。もし、もしもだよ? 戦争に勝ったら、生きのびられたら……僕の働いていた料理店に来てくれないか? 『ひだまり』ってレストランなんだけど」
「たしかこの王都にあるのよね?」
「うん、来てくれたらタダでおごってあげるよ。戦勝祝いにさ」
「ふふ。いいわね。じゃあ私も。もし生きのびられたら、私の故郷、ハンネ村の射撃大会に来て。そこで必ず優勝してみせるわ。優勝の副賞は毎年高級牛肉セットなの。そのお肉をごちそうするわ」
「いいね。じゃあ、約束だ」
「ええ、約束」
ローズとエーミールはどちらからともなく握手をした。
翌日、ふたりはそれぞれ軍用車に乗せられ、隣国との国境へと旅立っていった。