寝取られ侯爵令嬢は竜人の姫になる事を誓います【短編版】
仄暗い洞窟の奥、桃色の天蓋に覆われたベッド。私の身につけていた衣服ローブは引き裂かれ、私はベッドの上に寝かされていた。しかし、私には抵抗する気力も残っていなかった。眼前には背中に漆黒の翼を携えた紅い双眸そうぼうの男。彼が竜人と呼ばれる竜の魂と力を持った亜人である事は、私を攫いに現れた時から疑う余地はなかった。
彼の名はトゥルース。竜人の国――バハムーティアの皇子。私を抱き寄せたまま高速飛行している間に聞いた。手荒な真似はしたくはないが、抵抗するなら手段を選ばないとも。彼はまさか私は少しも抵抗することなく、衣服が引き裂かれ、金色の髪が乱れようとも、ベッドに投げられても黙って誘拐犯を受け容れようとするとは思っていなかったのだろう。
開はだけた衣服から一部露わになった二つの果実を鋭い爪がついた竜人の腕で鷲掴みしようとした態勢のまま、トゥルースは目を見開き、私へひとこと告げた。
「なぜ……抵抗しない」
「もういいんです。私のことは好きにしてください」
「なぜだ」
「私は捨てられた身ですので」
それまでの勢いが嘘のように、トゥルースはゆっくりとした動きで、私の右胸へ左の掌をそっとあてがう。
「ん……」
しかし、トゥルースはそのまま私を犯すことなく、寝かせられた私の横へ腰掛ける。
「話せ。何があった。余はお前を攫った身。信用など欠片もしていないだろうが、他人だからこそ話せる話もあるだろう」
「私を攫っておいて、おかしな人ですね」
私はゆっくりと起き上がる。真っ直ぐな瞳で私の事を見つめる竜人は、不思議と悪い人物には見えなかった。そして、私は、私を攫った竜人に、今日起きた出来事を話し始めるのだった。
「許嫁である王子を寝取られたんです。むしろ王子も私の事をなんとも思っていなかったみたい」
★
ブルーフォンセ王国は、四方を雄大な自然に囲まれた優雅な国家だ。
そんなブルーフォンセの有力貴族が一つ、クーヘン家の侯爵令嬢である私――アランダ・レビ・バームクーヘンは、領主としては厳しいが、根は優しい父ソロモンと、聖母のような眼差しで愛することを教えてくれた母マリナの手によって育てられた。
「今日も一段と綺麗だな、アランダ」
「朝から褒めても何も出ないわよ、ウェル」
この日はブルーフォンセのお城に呼ばれていたため、父であるクーヘン卿と、侍女と共にドレス姿で出向いていたのだが、私を出迎えた銀髪翠眼ぎんぱつすいがんの王子――ウェル・シルバ・ブルーフォンセは、馬車から降りた私の下へ駆け寄るなり、片膝をつき、私の手の甲へ口づけを添える。
「娘と王子は積もる話もあるだろう。儂は王と話をして来るわい」
そう言うと、侍女と父は私と王子を置いて、さっさと城の中へと行ってしまわれた。許嫁である王子と私を二人きりにしたかったのだろう。そんな気遣い、別にして貰わなくてもよかったのだが。せっかくなのでと、王子の部屋へとお呼ばれする事になった。
「さて、と。今日は泊まってくれるんだろう? 時間はたっぷりある。何から始めようか」
「え? そんなの聞いてないわよ?」
「君のお父さんはそのつもりみたいだよ? 今頃改めて父上に娘をよろしく頼むと話しているんじゃないかな?」
「もう……親バカなんだから……」
私の事を溺愛しているのはいいが、実の娘の交際くらい好きにさせてもらいたいものである。別に眼前の王子が嫌いと言う訳ではないし、幼い頃から一緒に居る事も多かったし、彼が許嫁である事を否定するつもりはないけれど、物事には順序ってものがあるのだ。
結局国王と王妃を交え、緊張の中、晩御飯を一緒に食べ、宮廷の巨大なお風呂に入り、王子の部屋へとお呼ばれする。今日は王子の部屋近くの客間も用意してくれているらしい。
「来てくれたんだね、アランダ」
「別に……今更断る理由はないでしょう」
いつものドレスではなく、バスローブに身を包んだ私。ストレートにおろした金髪は先程侍女が整えてくれた。私の碧眼へきがんが、王子の翠眼すいがんに吸い寄せられる。真っ直ぐな瞳で見つめられると、いつも見慣れている彼の顔でも緊張してしまう。
「愛しているよ。アランダ。俺と結婚して欲しい」
「……ええ……っと」
きっと、今私の両頬は林檎のように真っ赤に染まっている事だろう。
もう羞恥で身体が蒸発してしまいそう。告白ってこんなにも恥ずかしいものなの!? そんなこと、母も侍女も、誰も教えてくれなかった。ウェルの事を私はどう思っているんだろう? いざ、言葉にしようとすると出て来なかった。でも、とても熱くて、身体は火照っていて、何か宙に浮いているような、そんな気持ちになって。
「アランダ……返事は……?」
「よろしく……お願い……します」
もう、最後はウェルを直視出来なかった。でも目を逸らそうとする私の両肩へ手を置き、彼は私の顔の柔らかい部分に自身の柔らかい部分を重ねて来た。目を見開いて驚く私。そのまま甘い蜜が脳内を満たしていき、だんだんと緊張していた私の身体は溶かされていき……。
ベッドにそのまま倒れ込むようにして、身体を重ね合うウェルと私。
この日……私とウェルは確かに愛を確かめ合い、ひとつになったのだ――
★
「昨夜はお楽しみでしたね」
「もう、ミア。言わないでよ」
翌朝、私が客間で休んでいない事を知り、護衛役としてお城へ泊まっていた私の侍女ミアは、朝方客間へそっと戻って来た私を笑顔で出迎えてくれた。彼女は幼い頃から私の傍に仕えてくれている臙脂えんじ色の髪をしたメイドだ。私の髪を整えつつ、彼女は私へ優しく話し掛けてくれる。
「お嬢様にもようやく心を許せる相手が出来たんですね」
「ええ、まぁ……ね」
「で、王子との夜はどうだったんですか?」
「もう……聞かないでよ」
耳元で揶揄い気味に囁く侍女の質問に、私は両手で顔を覆い、悶えるのだった。
翌朝の朝食会場では、何事もなかったかのように振る舞う私と王子。この様子だと、王と王妃にもバレてしまっているような気もするが、仕方ない。この日飲んだ玉蜀黍とうもろこしのスープは、いつものスープよりもずっと甘く感じた。
数日お城へ滞在する事になったため、侍女のミアと市場へ買い物に行く事となった私。お城の傍にあるメイン通りには、市場があり、私の住んでいる領にはない、珍しい装飾品や食材もたくさん売ってあるのだ。
「今日はちょっと市場へ買い物に出掛けて来るわね。夕方までには戻るわ」
「嗚呼、行ってらっしゃい、アランダ」
私へ軽く口づけをするウェル。昨日の事を思い出し、彼の顔を見るだけで幸せな気持ちになってしまう。彼はこのあと執務があるという事で、自室の前で私を見送る。
広いお城の回廊を歩き、城の門まで来たところで、私はお金や香水の入った貴重品袋インディスペンサブルを部屋へ忘れた事に気づく。
「此処で待っててミア。すぐ戻るわ」
「いえ、お嬢様。ワタクシが取りに参ります」
「大丈夫よ、それくらい私がやるから」
侍女を残して部屋へ取りに戻る私。昨晩の事もあってきっと忘れてしまったのだろう。客室にて貴重品袋を手に取り、部屋を出ると、回廊の一番奥に位置しているウェルの部屋の扉が少し空いている事に気づいた。
(あれ? 執務室で執務をしているんじゃないのだろうか? ただの閉め忘れ?)
なんだか胸騒ぎがした私は、そっと、王子の部屋へと近づいた。開いている部屋の隙間から、何やら誰かの声がする。王子と……もう一人は誰?
「あん……ウェル……そんな急かさなくても、ワタクシは逃げませんわよ」
「もう、待てないよ。早く。誰も来ない内に……」
(え……あれは……嘘でしょ!?)
女が王子と口づけを交わしていた。桃色のツインテールを揺らし、背伸びをした状態でウェルへニ、三回と口づけをする彼女。その女は、クーヘン家とライバル関係にあるフランソワーズ家の侯爵令嬢――ミルフィーユ・クレア・フランソワーズだった。
「初めに誘ったのはワタクシですが……いいの? あの女のことは?」
「アランダの事か? 知っているだろ? クーヘン家の秘宝。俺や王が欲しいのは秘宝だけ。あの女の事なんか何とも思っていないさ」
一瞬、何が起きたのか全く分からなかった。扉を隔てた向こうで、昨晩私と愛を誓った男と、女が口づけを交わしている。そして、私へ愛していると昨晩誓った筈の王子は、そのまま女に押されるがままベッドへ倒れ込んでいた。
「ふふふ。じゃあウェルの本命はワタクシで、あの女は遊び。という事ですわね」
「何度も言わせるなよ。俺が愛しているのはお前だけだ。ミルフィーユ」
何? 何なの? この仕打ちは。それまで幸せの絶頂だった私は、雷に撃たれ、断崖絶壁から落とされたような気持ちになっていた。身体を重ね合う男と女。女は自ら服を脱ぎ捨て、男の上で馬乗りになる。
扉の向こうで聞こえる声も、ずっと遠くで反響しているかのように感じる。私は今、何をしているんだろうか? そうか、私は忘れ物を取りに戻っただけだ。ウェルは私を愛してくれている。そう言ってくれたんだ。
「ウェル……ウェル……あの女よりも……ワタクシの方がいいって言って!」
「勿論だ、ミルフィーユ、愛しているよ」
私の眼前で硝子が割れた。何かが音を立てて崩れていくかのようだった。扉の前でそのまま崩れ落ちる私。このとき、回廊の横の窓硝子が本当に割れており、そこに漆黒の翼を羽搏かせ、突如城へと侵入した竜人が立っている事に私は気づいていなかった。
「此処に居たか。姫・よ。迎えに来たぞ。余はお前を今から攫う」
「え? 私?」
思考が追いつかない状況のまま、私は竜人に抱き抱えられる形となった。そのまま割られた窓硝子の前へと立つ竜人。
「お嬢様~~。あまりに遅いので、迎えに来まし……えっ! お嬢様!」
「何だ今の音は……貴様、何者だ! ん……なっ、アランダ!?」
王子の部屋から急いで服を着たであろうウェルと、回廊の向こうからは私を心配してやって来た侍女のミラ。二人の顔を虚ろな表情のまま交互に見る私。
「あれ? 私……何をやってたんだっけ?」
「行くぞ、姫」
竜人はそのまま窓の外へ羽搏き、そのまま私を攫っていったのだ。
そして、冒頭のシーンへと戻る――
★
彼がなぜ、私を攫ったのか。
それは私――クーヘン家に伝わる秘宝が関係していた。かつて、クーヘン家の女性は竜人と契約を結び、人間で言う婚姻の儀――〝血の契り〟を結んだ竜人の力を自在に操る力を持っていたのだと言う。私――アランダは、トゥルースと一夜を共にする事で竜人を操る力を得る事が出来る継承者であったのだ。
全てを話した私の言葉を最後まで聞いていたトゥルースは、暫く目を閉じていた。もう何もかもがどうでもよくなっていた私は、彼の前で自らの身体を投げ出す。
「あなたも王子と同じ、私の秘宝と身体だけが目的なんですよね。どうぞ、お好きになさってくださいませ」
その言葉を聞いたトゥルースはゆっくりと瞳を開く。竜人の掌。鋭い爪で傷をつけないよう、私の頬をゆっくりと撫でる。
「姫よ……いや、アランダよ。お前はお前を大切にするがよい。余もお前を丁重に扱う事にしよう」
そして、トゥルースは私を慰めるかのように唇を重ねる。
竜人の口づけは、とても暖かく、全ての哀しみを洗い流してくれるかのようだった――
数あるネット上の作品より、お読みいただきありがとうございました。異世界ファンタジー作品を中心に長編を書いているのですが、この度、女性もの異世界恋愛長編へチャレンジする事となり、こちらの作品は以前コンテスト用に冒頭を書いた作品を書きおろしたものになりますが、お試しで投稿させていただいた次第です。作品面白いなと思って貰えましたら、広告下の評価欄の☆を★へ変えていただけると今後の励みなりますので、よろしくお願いします。近日中に悪役令嬢ものの別異世界恋愛長編作品を出す予定ですので、ご興味ありましたら、良ければお気に入りユーザー登録をしていただけると嬉しいです。今後ともよろしくお願い致します。
とんこつ毬藻