第四話 魔術師と欲望 その三
そんな田中の頭をルアがぽんぽんと叩いた。まるで弟に接するがごとくである。
「ほんとこんな奴のどこがいいのかしら。ねぇキャシーちゃん、コイツの従者なんかやめてうちで給仕として働かない?危ない仕事もやめてさ。あのね。うち、給仕をもう一人増やそうかと考えてたところなの。今なら賄い付き住み込みでOKよ」
むぅ、とキャシーはうなると少し考えこむ。そして、ルアを真っすぐ見つめると、
「お誘いはうれしいのですが、遠慮させていただきます」ときっぱり断った。
対してルアは唇を尖らせて、とても不満そうだ。
「えぇー、どうしてよー?」
「たしかにご主人にはいろいろと残念なところがあります」
また田中が咽た。まさか背中から撃たれるとは思ってもみなかった。
「家事は苦手ですし。お金はあまりないですし。勤労精神とはかけ離れた人です」
最低だな、最低ですね、などと周囲からひそひそ声が聞こえてくる。
田中は気にせずパスタを巻く。
「ですが、そんなご主人だからこそ私は傍にいたいのです。ご主人の力になりたいのです。あと、私がいなければもっとひどい生活になりそうですし」
周りの景色が明るくなるような、そんな微笑みがキャシーの顔に広がっていく。幸福と満足がまじりあった笑顔だった。
この時、客の思いは皆一つであった。すなわち、これぞまさに――健気。
そしてルアの完全敗北であった。よほど残念だったのか重いため息を一つ。
「もう、こんな鳥マスクに負けちゃうなんてほんとショックだわ。でも、やっぱりキャシーちゃんはいい子ね……お姉さんますます好きになっちゃた」
音もなく近寄ったルアはキャシーによりかかる。
「あの、ルアさん、ちょっと何を、え、え、えっ?あ、そこは――」
ガタンッ――と、キャシーのあられもない声をかき消すように、椅子が倒された。
ルアの手が止まる。そのけたたましい音は田中たちから少し離れたところのテーブルからであった。
「ええい!さっきから聞いてれば同性同士で乱痴気騒ぎをしおって!神の名のもとにその罪を正してくれようかっ!」
物騒な発言とともに立ち上がったのは、メイルの上にサーコート羽織った神殿騎士と思わしき女性。いや、神殿騎士がこんな酒場にいるわけがないから元が付く神殿騎士だろうか。金髪をアップにまとめた奇麗な顔立ちながら、いかにも融通の利かなさそうな雰囲気だ。ただ酒が入っているのか頬がうっすらと赤い。神殿騎士はジョッキを持ったまま、つかつかとルアに詰め寄っていく。
「おおん!?ここはあたしの店だ!全ステータス大UPしたビール妻にかてるっつーんならかかってこいや!」
売り言葉に買い言葉、ルアは田中の手からフォークを奪い取ると神殿騎士の鼻っ面に突き付ける。
給仕がそそくさと厨房に逃げ、どこからともなく賭博師が現れた。キャシーはおろおろと二人を交互に見る。田中は我関せずといった風に隣のテーブルからフォークをくすねると黙々とパスタを頬張る。
まさにルアと酔っ払いの神殿騎士との戦いが始まろうとした瞬間、『花と彩亭』に新たな来訪者がやってきた。
「おっと、タイミングが悪そうですね……取込み中ですか?」
あれほどうるさかった酒場が一瞬にして静まり返り、視線が全てその男に集まった。
フード付きのローブを身に纏い、オーク材でできた杖を持っている典型的な魔術師スタイルの若者だ。黒い髪を後ろになでつけ、鼻筋が通り目元もはっきりとして整った顔立ちだが、どこか平たい印象を与える。
誰かがぽつりとつぶやいた。
――あいつ……勇者パーティの魔術師だ。
突然の有名人の登場にルアや神殿騎士を含め、酒場にいる人皆が固唾を呑んで魔術師を見る。
魔術師はまっすぐ進んでいくと、田中のテーブルの横に立った。そして杖を持っていないほうの手を田中に差し出した。
「勇者パーティで魔術師を努めていますイシイです。以後お見知りおきを」
田中はイシイを一瞥すると、握手を返すことなくパスタを食べることに専念する。
「つれないですね……同郷同士もっと友好的にしましょうよ」
田中の手が止まった。
「別にあなたをどうこうするつもりはありません。久しぶりに同郷の人と出会って懐かしくなったものですから、少しばかり話したくなっただけですよ」
イシイは屈託のない笑顔を見せる。勇者パーティの一員でなくともそんじょそこらの町娘ならば一発で落ちているだろう。田中がペストマスクの先端をイシイに向けた。
「同郷?はて、なんのことでしょうか?俺とあんたは今初めて顔を合わしただけだ」
「ほんとつれないですね。昼間にあの子と目があいました。ですよね?」
やっぱり気のせいじゃなかったのか。キャシーは少しこの男が不気味に思えた。同時に昼間に田中が言った言葉を思い出す。やはり、関わり合いにならないほうが良い手合いに違いない。
イシイは肩をすくめてため息をついた。そして田中にしか聞こえないように声を潜めると、
「アンデッドを連れて歩くとか、いい趣味してる面白い方だとおもったんですけどねぇ。それにしてもよくできたアンデッドです。限りなく人間に近い。魔術では作れない美しさがあります。まさにビューティフォウ!これが貴方の能力なのですね」
田中は何も答えない。
イシイは田中の横からキャシーのほうへと移動する。
「お嬢さん、お名前は?」
警戒心露にキャシーは答えた。
「キャシーです」
「イシイです、今後ともよろしくお願いします」
イシイその場で膝をつくとキャシーの手を取り、その甲に軽く接吻をした。
「どひゃあああああっ!」
ぞわっと背中に広がる悪寒にキャシーは思わず体を震わせた。イシイの手を強引に振りほどくと飛び上がるように立ち上がり、一瞬のうちに田中の陰に隠れた。所要時間一秒足らずの早業である。しかもどさくさにまぎれて田中の服の裾で手を拭いている。そして柳眉を逆立てて拳を握りしめると、
「ごごごごごっごご主人!あいつ殺してよいですか!」
「ルアの店が汚れるからそれはやめなさい。そしてイシイさんや、うちの子の情操教育に悪いからああいう悪戯はやめてくれ」
田中とイシイはしばしの間無言でにらみ合う。
先に口を開いたのはイシイのほうだった。
「それはそれは申し訳ありません。今度から控えさせていただきます。あと、この酒場にこれ以上いるのはあまりよろしくなさそうですね。今夜はこれにてお暇させていただきます。またどこかで会いましょう」
イシイは軽くお辞儀をするときびすを返した。そのまま出口へと向かい、途中でぴたりと足を止めた。
振り返りもせず小さな声で言う。
「異邦人同士、今後とも仲良く助け合っていきましょう」
「まっぴらごめんだ」
「つれないですねぇ」
田中はジョッキに口を付けながら店内を見渡した。
突然の来訪者は『花と彩亭』からやっと立ち去って行った。
ほどなくして『花と彩亭』に元の喧騒が戻っていく。話題はもっぱら間近で見た勇者パーティの一員についてばかりだが。
「いやー、キャシーちゃんをめぐって男が二人対立とはいろいろとはかどりますなぁ」などと面白おかしくしゃべる酔っ払いもちらほらいる。いやむしろイシイとタナカとの絡みのほうが――などと遠慮なく好き放題だ。
「あの野郎あたしのキャシーちゃんを汚しやがって。勇者パーティかなんだかは知らないけど次見かけたら泣かしてやる!」
などと物騒な物言いのルアを、なぜか神殿騎士が宥めているのはいったいどういう成り行きなのだろうか。
そんな混沌とした店内を見ながら田中は再びジョッキに口を付けた。ここのビールは苦い。向こうの世界で正月のときだったか、酔っ払いの親戚に無理やり飲まされたビールよりも苦く感じる。しかしこちらのほうが旨い。
「異邦人同士……か」
ジョッキの中の泡が弾けて消えた。
キャシーはムスッとした顔で揚げた馬鈴薯の蜂蜜がけを食べている。田中はそんなキャシーの髪をくしゃくしゃと撫でた。
『花と彩亭』は今日も夜遅くまで賑わう。
おわり