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第四話 魔術師と欲望 その二

 自由都市エンディミオンには麦と命の鍋小路と呼ばれる通りがある。ここは飲食店や宿泊施設、酒場がひしめきあい、日が沈んでからその賑わいが本番を迎える。冒険者や屑拾い、職人や一般市民など職業を問わず様々な人々が集い、アルコールの誘惑に負けて騒いでいるどうしようもない区域だ。薄暗い路地を覗けば、組合所属なのか非合法なのか見分けがつかない乞食の姿もある。


 その一角にある『花と彩亭』は中でも特に繁盛している酒場であり、田中の行きつけの店でもある。入口に箒が突き刺さった酒場の扉を開けて、田中とキャシーは『花と彩亭』に足を踏み入れた。


「キャシーちゃあああああああああああああああああああああん!」


 弾丸のような勢いでキャシーに抱き着いたのはルアという『花と彩亭』のエールワイフにして女将である。女将というには若く、見た目は二十代の中頃から後半か。褪せたブラウンの髪をまとめ上げ、快活とした印象を周囲に与えるような容姿である。その細身の身体で荒くれどもが超慮跋扈する酒場を切り盛りできるとは到底思えない。それでも切り盛りできるというところから彼女の強さが伺える。ちなみに客曰く、美人ですハイ、とのこと。


「もうひさしぶりじゃないのいつにもましてかわいいわねほんとだきごこちもさいこうだしそうだなにたべるなにのむぺろぺろキャシーちゃんにならさーびすしまくっちゃうよあははは!」


 早口でしゃべりすぎて何を言っているのかが全く理解できない。


 他の客は皆一同に、またいつもの発作か、と一瞥しただけで各々の談笑や食事へと戻る。


「ルアさん、苦しいです……」


 あまり凹凸のない胸の中で呻くキャシーの声にルアはハッと我に返る。


「あ、つい……ごめんね、大丈夫?」


 キャシーの衣服についた埃を叩き落としながらルアは尋ねた。キャシーはボタン付きの白いシャツにサスペンダーを付けた短パンという普段着である。それがまたルアの表情を緩ませている。


「俺は大丈夫じゃないぞ」


 キャシーが答えるよりも早く横から恨めしそうな声がした。


 ルアがキャシーに抱き着いたときにぶつかって弾き飛ばされたのかして、田中が樽に突き刺さっていた。文字通りペストマスクのくちばし部分が、樽側面の板材の隙間に刺さっていた。


 ご主人今助けますぞー!と慌ててキャシーは田中を引っ張る。深くまでは刺さっていなかったらしくスポッと簡単に抜けた。


「あら、タナカも一緒なの。忙しいから早く注文をして頂戴」


 ルアは田中には一切の興味がないのかして、吐き捨てるように言う。ここは本当に酒場なのか疑わしく思えてきた。


「いやいや。毎度のことながら態度が違いすぎるだろ……」


 グイと引き寄せたキャシーに後ろから抱き着き、その頭をなでているルアはひどく胡散臭そうな顔をして田中に言う。


「いっつもクチバシのマスクつけて顔も分からない不審者と天使とでは扱い方が変わるのは当たり前でしょ」


 天使じゃないですアンデッドです。というキャシーの声はルアには届いていない様子だ。


「不審者はさすがに胸に突き刺さるからやめてくれ……」


 容赦ないルアの言葉の前にさすがの田中もがっくりと肩を落とした。キャシーに快方されながらよろよろとテーブルに近寄る。そうとう心をやられたのか席に着くなりぐったりと突っ伏している。


 隣の席でビールを飲んでいるおっさんがいたたまれなくなったのか合掌した。


 突っ伏す田中の頭をルアがメニュー表で叩いた。


「ほら、いつまでも寝てないでさっさと注文する!」


 田中はメニュー表を見ずに、一方キャシーは食い入るようにメニュー表をガン見してから言う。


「赤茄子と燻製ハムのパスタ。あとビール」

「肉とマカロニ。あと馬鈴薯を揚げたやつに蜂蜜かけたのを」


 ルアが復唱し、厨房の奥から景気のいい声が届いた。しかしまだルアは田中たちのテーブルから離れようとしない。


「タナカもそうだけど、キャシーちゃんもいっつも馬鈴薯頼むのね」


 キャシーはまだ来ぬ料理を思い浮かべたのか顔を綻ばせると、


「ルアさんとこの馬鈴薯を揚げたやつは私の知る限り一番おいしいですから!」


 途端にルアは口元を押さえてキャシーから顔をそむけた。そして少しの間プルプルと震えたのちに、キャシーの両手をガシッとつかむ。


「キャシーちゃん、アンデッドなら教会の言うところの自然に反する罪だとか同性愛に反しないわ。もううちに来なさい、そして身をゆだねなさい」


 この女、目が血走っている。本気の本気である。


「あ、ちょっとルアさんどこ触ってるんですか!」

「どこでしょうかねぇ。自分の口でいってごらんなさい」

「言えません!あっ、服の中に手を入れるのはちょっと!」

「ええんか、ここがええんかぐへへ」

「あっあっ……あっ……」


 ルアとキャシーのやり取りに周囲の男どもが若干腰を浮かせた。


「そこまでだ」


 田中は給仕が持っていた空のジョッキを勝手につかみ取り、ルアのどたまをコツンと叩く。


 痛ーいと頭を押さえてうずくまるルア。キャシーはそそくさとはだけた衣服を整える。


 周囲の男どもはまた何食わぬ顔で談笑と食事に戻った。どこか残念そうな顔をしているのはおそらく気のせいではないだろう。


「なにすんのよ鳥マスク!」

「エスカレートしすぎだ。時と場所と相手を考えろ」


 いい加減に呆れかえって田中は自身の欲望に忠実すぎる女将をたしなめる。これでアルコールの類が入っていないというのだから驚きである。


 我を忘れていたことにいまさら気が付いたのか、少しだけルアはバツが悪そうに身を縮こませた。あくまで少しだけ、である。キャシーもそれほど気にしている様子はなさそうなのでこれ以上は何も言わないでおく。


 そうこうしているうちに田中たちのテーブルに料理が運ばれてきた。給仕が女将の痴態や田中の風貌を前にして困ったような顔をしている。田中は苦笑しながら小声で謝っておいた。


 フォークを握る前に田中はペストマスクのクチバシに触った。クチバシの部分がパカッと上下に分かれた。田中の口元が若干ながら見える。


「妙にギミックが凝ってるわね、それ」とルア。

「こうでもしないと飯が食えん」


 いや、だから外しなさいよ。というルアのもっともな言い分など意に介せず、田中はパスタを食べる。ルアは小娘のように頬を膨らませた。


「もうひねくれちゃって。出会った頃はもっと可愛らしかったのに。ほら、いつだったか覚えてる?いっちょ前にあたしを舞台に誘ってくれたりとかしてくれたよね」


 田中が咽た。ペストマスクのクチバシからパスタが一本垂れている。同時に何かひんやりした気配を正面から感じ取った。


「ご主人……」


 キャシーのジト目が田中を貫く。肉にナイフが真っすぐ突き刺さっている。


「む、昔の……うん。昔のね……話ね……そう、昔の話」


 あらぬ方向を向く田中は妙に歯切れが悪い。

つづく

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