第十九話 エンディミオン騒乱 その五
「お久しぶりですキャシーさん。また会えて心からうれしいです。嗚呼、エクスタシーすら感じてしまいますぅ!」
イシイの言葉を除いて、周囲の音が全て消えてしまった――そんな錯覚すら覚える。
「うひいいいいいいいい!思い出しました、貴方はあの時のセクハラ野郎ですね!」
全身に吹き出る鳥肌を掻きむしりながらキャシーは悶える。ただ純粋に不快感と嫌悪感がとめどなく内から溢れ出て、耳が全ての言葉を拒絶する。
「久しぶりだというのにそのリアクションは心にクるものがありますね」
イシイは悲しそうに眼を伏せるが今のキャシーにはその動作ですら致命傷となりうる。
現にキャシーは突っ伏して手がぴくぴくと痙攣している。直接手を下すことなくアンデッドをここまで追い込むとはこのイシイという男、勇者パーティの主戦力という肩書は伊達ではない。
「いや、何か違うような気が……とにかく、お主……さっきからキャシーのことをハニーだとか意味の分からんことを喚きおって。相手はアンデッドじゃぞ。とうとう頭でもイカれたのか?」
イシイは大仰にかぶりを振る。
「何を言うかと思えば、意味の分からないことを言っているのはマリオン嬢のほうですよ。アンデッドだろうがグールだろうがリビングデッドだろうが愛の前には関係ありません!というか愛し合う最中にどんどん体温がなくなっていくほうがむしろ興奮しません?」
ひいっ、とキャシーが小さく悲鳴を上げた。
「変態め……次におかしなことを言うたらその口氷漬けにするぞ」
怖い怖いとおどけたように笑うイシイだが、冗談で言っているようには見えない。
「仮にも勇者パーティのくせしてどうしてここにおるのじゃ?お主ほどの魔力があれば不朽体なんぞ荷物を圧迫するだけじゃろうて」
すでに戦闘不能状態となっているキャシーを庇うように立っているマリオンは、心底呆れたような表情で訊いた。その態度や話し方からどうやらマリオンとイシイは旧知であるようだ。とはいえマリオンの方はイシイのことを一方的に嫌っている節があるけれども。
イシイは芝居がかった仕草で立てた人差し指を左右に振った。
「マリオン嬢、僕はそんなマジックアイテムに興味など一切ないのです」
「ならそこをどくのじゃ」
「いくらマリオン嬢の頼みと言えどそれもできません。なぜなら僕はキャシーさんをぶべらぁ!」
突然のことだった。物凄い勢いで突っ込んできた大きな何かがイシイに直撃した。呆気にとられるマリオンとキャシー。吹き飛ばされたイシイは民家の横に置いてある樽に頭から突っ込んで派手な音とともにぶっ壊した。しばらく手足がぴくぴくと震えていたがほどなくして動きを止めた。
二人は互いに顔を見合わせて、
「あの変態はいったい何だったんでしょう……」
「ただの変質者じゃ、騒動が終わったら官憲に突き出すが良い。で――それよりもじゃ」
マリオンはロッドメイスを構えながらまっすぐ前を向く。キャシーもつられて顔を向けた。
「今はあやつの対処に意識を向けるんじゃ。イシイなんぞよりもよっぽど厄介な相手じゃぞ」
額を流れる汗を隠すようにマリオンは兜のバイザーを下げた。
彼女が放つプレッシャーのせいだろうか、実際の身長よりも幾分大きく見える。所々板金で補強したチェインメイルの上からでもわかるくらい筋骨隆々とした彼女の体は、常人の域を超えている。まさにアマゾネスと言わんばかりの、辺境最強の女戦士カロリーナが猛禽類の如き眼差しでキャシーを見据える。いや、違う。キャシーが抱える買い物袋を見ているのだ!
――殺す気で行かないと勝てない。
一度死んだキャシーの本能がそう囁く。
「カロリーナさん、穏便に済ませましょうよ。ね?」
同じ焚火で肉を焼いた仲である、もしかしたらこちら側に寝返ってくれるかも――と淡い期待を抱きつつキャシーはお願いしてみる。しかし現実は無常である。
「えーっとそれはできません。すみません」
カロリーナが跳躍。狙いは買い物袋。
マリオンはキャシーを蹴とばすと、自身も倒れ込むように横へと跳び回転してから姿勢を立て直す。
「あんなアマゾネスに説得が通じるわけないじゃろーが!」
カロリーナに向けて躊躇いなくマリオンは魔術を放った。先ほどの神殿騎士のように、一瞬にして彼女の足首から下が透明な氷で凍り付いた。
カロリーナは形の良い眉を寄せると、何事もなかったかのように一歩踏み出した。呆気なく砕かれる氷にバイザーの下でマリオンは小さく呻いた。辺境最強という名を舐めていたわけではない。しかし、こうもあっさりと突破されるとは思わなかった。
「そんな貧弱な氷で私を止められるとお思いで?さてキャシーさん。今度こそケリを付けましょう!」
どうやらカロリーナの視界の中にマリオンはいないも同然らしい。
マリオンは忌々し気に舌打ちし、
「あんのクソ教会め。こういう圧倒的な武力を持っとるくせに趣旨を理解していない奴を送り込むなど、ちょっとは頭を使えっての。しかも、その相手をせねばならんのが――私というのが一番面倒なんじゃ。これでも食らいおれ!」
マリオンを中心として魔力がうねる。そのうねりに耐えきれず空気が軋んだ。
危険を察知したカロリーナがその場から飛び退くよりも、魔術が発動するほうが早かった。マリオンが魔力全開で唱えた魔術は巨大な氷塊となって現れ、その中にカロリーナを閉じ込めた。人に向けて放つには過剰にも思える氷塊は、成体のリザードといえど脱出困難な分厚さである。
「廃墟街のバケモノども相手ならそのまま窒息死させるところじゃが、ちゃんと空気穴はつくったから安心せい。その特等席で乱痴気騒ぎが終わるのをゆっくり見るのじゃぞ」
「やりましたねマリィさん」
飛び跳ねて喜ぶキャシーにマリオンは力なくサムズアップで応える。
さすがに――今ので魔力はほぼ使い切った。魔力切れから来る猛烈な疲労感が体を襲う。深呼吸を繰り返して息を整え、ようやくマリオンは安堵の胸を撫で下した。
が、休む間もなくその瞳が驚きに見開かれた。
氷塊の奥、カロリーナの周りが白く濁っている。
――ヒビだ。
カロリーナは氷漬けにされてもなお脱出せんと内部より力を加えているのだ。
つづく




