第十八話 舞台裏:鼠狩り
自由都市エンディミオンを一言で表すなら「散らかっている」が適切だろう。旧帝国時代の秩序ある街並みはどこへ行ってしまったのか。誰もかれもが好き勝手に建屋を建築、増築した結果、街路は入り組み景観は乱れ、そして今の無秩序極まりないエンディミオン市街が出来上がった。
とはいえ旧帝国時代の景観がすべて失われたというわけではない。
市街地の中心部から少し離れたところにある小高い丘には、新しい市街地を見下ろすようにして旧帝国の監獄跡があった。エンディミオン大監獄とよばれるそれは頑丈が故に取り壊す費用が下りず、ずっと放置されたままの石造りの建屋である。屋根に上がればエンディミオン市街を一望できるだろう。
そこに“鼠”はいた。
鼠は二人一組で潜る。他都市の間者であり、それこそ鼠のようにいつの間にか都市に入り込んでいる。その姿は様々だ。この鼠はエンディミオンになら掃いて捨てるほどにいる冒険者の出で立ちだ。ここで目立たないようにするには一番の恰好かもしれない。
彼らは今まさにエンディミオン市街のど真ん中で起こっている喧騒を見下ろしている。
遠目で見る限り冒険者や屑拾いなどが寄ってたかって何かを奪い合っている。復活祭のごとき騒々しさだが、そんな平和的なものではないことくらい彼らにもわかる。人が豆粒くらいに小さく見えるほど離れているというのに、声だけはここまで聞こえてくる。
それまで黙っていた鼠たちだが、不意に片方の鼠が苦笑した。
相棒が訝しげに見てくる。その視線に気が付いた鼠は眼下の喧騒を指差し、
「実にこの町らしい。品性もクソもない」
褒めていないのは声音でわかる。小ばかにしたような話し方だ。
「たしかにな。それにありゃなんだ?あいつらは町のど真ん中で何やってるんだ?」
「知らねーよ。なんか取り合ってるみたいだけど……お前も参加するか?」
相棒はあからさまに顔をしかめる。
「冗談はやめてくれ」
小さな爆発がどこかの民家の屋根を吹き飛ばした。どこかの馬鹿が都市で禁止されているはずの攻撃性魔術を使ったか、油に引火したか、あるいは神の御心かはわからない。
でも――と鼠は言葉を続ける。
「ああいうバカ騒ぎが好きな連中ばっかりだから俺たちの仕事も捗る」
「まあそう言うな。ああいうのがこの町の魅力なんだから」
途端に鼠は飛び退いた。今の返事、相棒の声ではない。
そこには自分たち以外の知らない男がいた。
フードを目深にかぶり、小手や胸当てなど身につけている物が全て真っ黒な男だ。アサシンのような黒装束というわけではなく、光の当たる向きによって時折蒼くも見える。不思議な色だ。
その男は右手で剣を逆手に持ち、声が漏れないよう左手で相棒の口を塞いでいる。切っ先は肩を抜け腹から飛び出していた。
苦しまなかったはずである。
鼠の頭に素朴な疑問が浮かんだ。
――この男、いつの間にここまで近づいた?
“鼠”という任務の特性上、特殊な訓練も受けてきたし、掻い潜った修羅場はいくつもある。手練れといっても過言ではないと自分でも思う。
が、そんな自分たちに気づかれず忍び寄り、あまつさえ始末までするとは。
男が相棒の体から紫色に輝く剣を引き抜いた。鼠の視線はかつて相棒だったものには向けられてはいない。
鼠は見た。その男は装束と同じ色をした面頬で目から下を覆い、人相が伺えない。ただ宵闇の如き瞳が自分を見据えているのはわかる。
面頬の男は剣を両手で握りなおすと鼠との間合いを図りながら構えた。一見無造作だと思うかもしれないが、ある一定の腕がある者にはその構えに隙が見いだせないことがわかる。鼠も構えを見ただけで相手の力量が相当なものであると気づいた。
「都市の犬め……」
鼠は忌々し気に吐き捨てると剣を引き抜いた。できれば戦いたくはないのだが……どう考えても見逃してはくれないだろう。戦って勝つ以外にエンディミオンから無事に脱出して都市に戻るすべはない。
面頬の男はふんっと鼻を鳴らす。
「ただの派遣社員だ」
その言葉が号令であるかのように鼠が斬りかかった。
よく訓練された奇麗でお手本のような太刀筋だ。面頬の男はやすやすとそれを受け流すと――受け流したにもかかわらず、返す鼠の刃が迫る。面頬の男は冷静に見極めてまたも弾く。鋼と鋼がぶつかり合い火花を散らすのと同時に魔術干渉の光が弾ける。
剣の重さを感じさせないほど鼠は振りが早く、だからこそ弾かれたとしてもすぐに攻勢に移ることができる。
鼠の流れるような剣撃を面頬の男は弾き、受け流し、かわし、丁寧にさばいてく。鼠の顔色が僅かにだが変わった。攻めているのはこちらだというのに、目の前の男をこのまま押し切るビジョンが見えない。あと何回剣を振れば奴に届くのだ?
鼠は渾身の力で頭上から振り下ろした。
さきほどまで攻撃を受け流していた面頬の男は、いきなり真正面から受けた。ひときわ大きな火花が散った。瞬間、鼠の背中を悪寒が走る。
鼠は慌てて距離を取ろうとするが面頬の男は足先を踏みつけ、強引に間合いを維持する。態勢が崩れた鼠の隙をついて、面頬の男はその顔面を柄で殴りつけた。
視界に星が散る。そして顔を押さえてよろめく鼠の腰からショートソードを抜くと、左の太ももを薙いだ。鼠のくぐもったうめき声とともにピシッと鮮血が飛ぶ。用済みと言わんばかりに面頬の男はショートソードを遠くへ放り投げた。
満身創痍であった。
特に左足がひどい。みるみるうちにズボンが赤く染まっていく。まだ立てるが、あとどれくらいもつだろうか。
鼠は面頬の男を見据えて腹をくくった。
裂帛の気合とともに鼠は斬りかかった。防御をかなぐり捨てた決死の一刀だ。だがその動きには先ほどまでのキレも早さもなく、面頬の男は最小限の動きで剣を弾いた。剣先が大きく跳ね上がり――無防備な鼠の体を男の剣が貫いた。
そこまでであった。
面頬の男はひねりを加えながら剣を引き抜く。
どろり――と血の塊が落ちた。
鼠は己の赤黒く染まった腹部に手を当てる。口元で血の泡が弾けて消えた。
「見事……」
その言葉を最後に、鼠は倒れた。
面頬の男は布切れで血をぬぐうと剣を鞘に納めた。そして先ほど鼠がしていたように、死体が転がる監獄跡の屋根から市街の喧騒を見降ろした。
色々なところへ飛び火しまくっているくだらないバカ騒ぎはまだ続いていた。が、そろそろ終わるだろう。詰所から都市警が幾人も飛び出してくるのが見えたからだ。
エンディミオンを一望できるここだからこその景色だ。
そこで初めて面頬の男の表情に変化があった。
唯一露わになっている目を細めて小さく嘆息した。愉快がっているのか、それともそれを通り越して呆れかえっているのか、目だけでは判別付かないが、とにかく面頬の男の雰囲気が和らいだ。
「……好き勝手暴れやがって」
何事もなかったかのように面頬の男はきびすを返した。まるで景色を見て思い耽るためだけに来たかのようにあっさりと、遠ざかっていく。
後には鉄さびにも似た湿った匂いを残すばかりであった
おわり




