第三話 廃墟街歩き その三
田中は足でつつき、ラーカーが完全に動かなくなったことを確かめると、小銃を構えたまま振り返る。銃口は屑拾いたちをしっかりと狙っていた。
「お、おいおい……どうしたんだよ、そんな怖い顔して。あと危ないものをこっちに向けるなよ……な?」
田中は銃剣を一番手前の屑拾いの鼻っ面に突き付けた。うっすらとその剣先が当たっている。
「臭い芝居は終わりにしろ。何が同業のよしみだ。お前ら溝さらいみたいな糞野郎と一緒にするな」
嫌悪感を隠そうとしない吐き捨てるような言い方であった。
屑拾いはたしかに喧嘩っ早いごろつきが多い。しかし彼らがやりたい放題に暴れまわるのは廃墟街だけであり、あくまでも屑拾いのルールにのっとった行動が根幹にある。好かれはしないが嫌われもしない。人としての道もぎりぎり外してはいない。そしてそのルールすらない忌み嫌われる本物の無法者どもも存在する。廃墟街や森などで屑拾いやトレーダーたちを襲い物資を奪ういわば野盗の類だ。その金目の物に目がない強欲さ、殺しも躊躇なく行う汚さ、そんな生活をしなければ生きていけない惨めさから人は嘲笑の意味を込めて「溝さらい」と呼ぶ。
「溝さらい?冗談きついぜ、旦那」
へらへらと笑って見せる屑拾い。しかし視線は頑なに田中に合わせようとはしない。
「あのなぁ……そういうことは手に持ってるもん隠してから言えよ。そんな暗器を持って廃墟を歩き回る屑拾いなんていねぇよ」
ゆっくりと屑拾いは自分の右手に視線を向けた。
その手には短剣が握られている。鍔がなく、刃の部分が黒塗りで可能な限り光の反射を抑えている代物だ。薄暗いところでは保護色となってしまって短剣自体が見えにくいだろう。背後から気取られずに突き立てるにはこれ以上もなく適している。
屑拾いは表情を変えず、されど額に汗が一筋流れた。
「いや、暗器だなんていいがかりは止めてくれよ。これはだなぁ……ラーカーに襲われているから援護をしようかと」
「あんなバケモノ相手にそんな短剣使うやつがいるか。しかも三人が三人とも同じ短剣抜いてるとか言い訳が苦しいぞ。度し難いなぁ、度し難い阿呆だなぁ。もう少し頭使え。首から上についてるのは南瓜か?赤茄子か?」
とっさに他二人の溝さらいは自分たちの得物を背に隠した。田中と話している屑拾い――溝さらいが持つ短剣と全く同じものを。
「ったく、おかしいとは思っていたんだよ。ブービートラップは比較的新しいし、お前らは迷わず最上階のこの部屋に逃げ込んでくるし。あれだろ、ラーカーも薬使って興奮状態にしてわざとけしかけたんだろ。だからラーカーがどこから――壁をぶち破って入ってくるのも分かってたんだろ?」
溝さらいたちは何も答えない。答えないばかりか黒塗りの短剣を仕舞おうともせず、田中の細かな動きすら見落とさないよう注視している。この期に及んでどう見てもやる気である。しかし田中はそんな溝さらいたちをせせら笑う。
「勘違いするなよ。こちとらお前らみたいな屑を始末することに何の躊躇もしないし、むしろラーカーを相手するよりよっぽど容易いぞ。なんせ引き金二回引いて銃剣突き刺すだけだからな。それとも何か、ラーカーを真正面から斬り殺す剣士と魔術師を相手に勝てるとでも思っているのか?」
溝さらいたちはお互いを見やり、そしてあっさりと一斉に短剣を手放した。金属の乾いた音が響いた。
「べ、別に悪気はなかったんだよ。ハハハ……そうだよな?な?」
とってつけたような笑い顔をして溝さらいたちは頷きあう。溝さらいは金目のものに目がない。しかし何よりも自分の身に危険が及ぶのを嫌がる。正真正銘の屑である。
田中は引き金に指をかけた。
「ほら……そう、魔が差したんだよ!な。人間誰しも間違いの一つや二つくらいするだろ旦那。だ、だから命だけは勘弁してくれよ」
先ほどまでの態度はいったい何だったのだろうか、芝居がかった仕草で溝さらいは懇願する。
田中はゆっくりと銃口を下げた。
「まぁ、たしかに人間は誰しも間違いを犯す。けれども間違いを許すことができるのもまた人間だな。だから――今回は特別に見逃してやる」
一番手前の溝さらいにグイっとペストマスクで隠した顔を近づけた。
「だが次はないぞ。次会ったら容赦なく始末するからな」
リベット付きのペストマスクの嘴が溝さらいの顔にめり込む。威圧感に気圧されてうめき声どころか身じろぎ一つできない。
こいつなら間違いなく殺す。たとえ都市の中で、人通りの多い通りで、夕飯の買い物帰りの道ですれ違ったとしても、この男は絶対自分たちの喉笛を掻っ切るだろう。溝さらいは直感的にそう思った。
「わ、わかったよ!俺らは消えるから!すぐに消えるから!」
今は自分たちを殺さないということがわかったからか、溝さらいたちは短剣も拾おうとはせずに我先にと部屋から逃げ出していく。後には机の残骸にラーカーの死骸と、田中とキャシーの姿だけとなるばかりであった。
「あら、許してあげるなんてお優しいんですね」
先に口を開いたのはキャシーであった。
「別に優しくなんてないさ。ただでさえ実入りが少ないのにこれ以上弾を使うのはもったいない、ってだけだ。言っとくが弾だってタダじゃないんだぞ」
ラーカーと戦っただけでも実際赤字だと嘆く田中。溝さらいたちに少しとはいえ騙されたのに、それに対する憤りが全く窺えない。
キャシーはそんな田中を見てクスクスと笑う。
「何がおかしいんだよ」
「いえ何も」
「変なアンデッドだなぁ」
「ご主人も十分変ですよ。スライムを凶暴化させる体質なんて聞いたことありません」
うるさい、と田中。そしてキャシーを見て怪訝な顔をする。
「それよりも、ここ、怪我でもしたのか?」
と言って左目のあたりを指差す。
田中が指摘する通りキャシーは先ほどから左手でずっと左目を覆っている。いつもの眼帯が見当たらない。
「いえ、どうやらさっきの戦闘で眼帯を紛失してしまいまして。さすがに眼孔を見られるのはご主人と言えど……その……恥ずかしい……ので」
田中はため息をつくと周囲を見回した。しかし眼帯は影も形も見当たらない。
仕方がないなぁ。
おもむろに小銃から銃剣を取り外した。そして自身のマントの裾をつかむと帯状に切り裂き、キャシーの左目を隠すようにくくってやる。これで即席の眼帯の出来上がりだ。
「これでいいか?」
「ありがとうございます。やっぱりご主人は優しいですね」
「まぁ左目を押さえたままじゃ満足に戦えないからな」
そうですね、とキャシーははにかむ。
「ではご主人、私は少々お花を摘みに行ってまいります」
「ん?トイレか?」
「ご主人っ!そういうことは思っても口に出してはいけません!デリカシーというやつです!」
「すまんすまん」
あまりの剣幕につい謝ってしまう。これではどちらの立場が上なのかわからなくなる。
キャシーは数歩進むと振り返る、
「絶対覗かないでくださいね」
「当たり前だ」
「終わるまでそこにいてくださいね」
「いいから早く行って、そして帰ってこい」
では行ってまいります、と言い残してキャシーは廃墟の会議室から飛び出していった。
扉が閉まり、小さな背中が見えなくなる。そして妙な静けさが部屋に残った。
田中はこの日何度目になるかわからないため息をついた。そして亀裂の入った天井を見上げ一人つぶやく。
「ほんと、どこが優しいのやら……」
どうしようもないほどの自己嫌悪が心を支配していた。
消えてなどいなかった。
円筒形の塔から少し離れた物陰に男が三人、先ほどの溝さらいたちである。三人で輪になり、時折塔をちらちらと見ながら小さな声で話している。こうしてみればなるほど、人間的に下品な野郎ばかりである。
「あの野郎……好き放題言いやがって。罠にもひっかからねぇし、ラーカーも殺すし、なにもんだよ。てか、お前があれを獲物にしようって言うからこんなことになったんだぞ」
「知らねぇよ。あんなに強い奴なんて思わなかったしよう。あんな意味わからん仮面付けて、絶対こけおどしだって思うだろ!」
責任の擦り付け合いであった。獲物にありつけたときは自分の手柄で、手痛い反撃を受けたときは自分以外の誰かの責任なのだ。つくづく溝さらいというものが自分中心主義であることがわかる会話である。
「まぁいい。終わったことは仕方がない……が、やられてばっかじゃ性にあわねぇし、何より金がねぇ。もう一度やるぞ。あのクチバシ男をぶっ殺してやる」
フード付きの溝さらいの言葉を聞き、他二人は狼狽しているのか不自然な瞬きをした。その反応は言外にコイツはいったい何を言っているんだ、と物語っている。
「ラーカーを倒してしまうやつだぞ!俺らが敵うかよ!てか今逃げてきたばかりじゃねぇか!」
フード付きの左側に立っている脂ぎった小太りの溝さらいが悲鳴にも似た声を上げた。よほど田中の脅しが効いたのか、今すぐにでもここから去りたがっているようだ。フード付きは不敵に笑って返す。
「そこだよそこ。考えてもみろよ、あれほどさんざん脅し付けたやつが、また襲い掛かってくると思うか?普通思わねぇだろ。むしろ今あいつらは俺らを追い払って気が緩んでるところだ。そこで出口とかで待ち伏せして、塔から出たところを後ろから襲えば絶対にぶっ殺せる。だろ?」
「たしかに……奇襲なら」
フード付きの右側に立つ痩せっぽちの溝さらいが、実に溝さらいらしい卑劣極まりない作戦に同調する。
どう考えても復讐なんて正気の沙汰ではない。目前の金と役に立たない自尊心のためにどうして崩れるとわかっている橋を渡らねばならないのか。そこまでこいつらは能無しだったのかと唖然とする小太り。
「お前も何言ってんだよ!馬鹿な気を起こすなよ!命あっての物種だバッ!」
「バ?」
フード付きと痩せっぽちはいきなり変な声をあげた仲間を訝しげに見た。
いや、それは半分だけ間違っていた。なぜなら彼らの視線の先には小太りの腹から下しかなかったからだ。
「うおわああああああああぁっ!」
間欠泉のように吹き出る夥しい血に、溝さらいたちは腰を抜かしてその場にしりもちを尽きた。同時に肉の塊がそれほど離れていないところに落ちた。誰かまでは言うまい。
「ご主人はほんとうにお優しいですね」
ぞっとするほど冷たい声がした。
糸が切れた操り人形のように小太りの半身が膝をついて崩れた。その向こう側に、血に濡れて赤く染めあげられた大剣を肩に担ぐ一人の少女が見える。血の気のない肌、顔にある大きな縫合痕、左目を覆う眼帯代わりの布。
「ですが、おかげで私が摘みに行く羽目になるのはご勘弁ねがいたいですね。ほんとうに」
――キャシーだ。
どうしようもなく美しい笑顔であった。
その紅い瞳は人のものではなく、光無きアンデッドのそれ。
先ほどまで唖然としていたフード付きがやっと仲間を惨殺したアンデッドに気づいた。
「て、てめぇはさっきの……!まさかずっと監視してやがったな⁉」
気づき、すぐさま立ち上がると腰の剣を抜いた。その手が僅かに震えていることに気が付いた者は本人も含めてこの場にいるのだろうか。
「ど、どういうことだよ!見逃してくれるんじゃねぇのかよ!」
未だ立つことができない痩せっぽちがキャシーに向かって言う。
「たしかに。たしかにご主人は、人は間違いを許すことができると言いましたね」
「じゃあどうして⁉」
口の端に泡を付ける痩せっぽちにキャシーはとても、とても穏やかに、諭すように答えた。
「私は人間ではありませんので、罪を許すなんてことはできません。だから見逃す道理などどこにもありません。それにあまつさえ見逃していただいたご主人の襲撃を企てるような卑劣漢を生かしておく義理もありません。もちろん命乞いも無意味ですし、慈悲もありません。これはただのゴミ掃除です。貴様ら溝の底にたまった汚い屑をこの世からきれいさっぱり掃除するただのゴミ掃除です。皆殺しです」
キャシーが一歩進んだ。
思わず後ずさる溝さらいたち。
フード付きが自分の剣を見た。
いつか罠でぶっ殺した獲物が持っていた逸品だ。
だが――
「狂ってやがる……」
目の前にいる人ならざるモノを相手に剣などいかほどの意味があるのだろうか。
拒否することすら認めず、迫るは濃厚な死の匂い。
キャシーが無造作に大剣を振り上げた。
影が重なる。
血が滴り落ちる。
口の端がニイと吊り上がり――
おわり