第三話 廃墟街歩き その二
収穫はまあまあであった。悪くはないが大喜びするほどでもない。
銃床でガラスのケースを叩き割り、中から金色の器をいくつか取り出す。大きな持ち手に無駄な装飾で見た目は派手だが、さてこれを何に使うとなると途端に使い勝手が悪すぎる器である。こんな飾るためだけのものがなぜかエンディミオンでは高く取引されるのだから価値観とは不思議なものである。まぁ、作り方も理由も忘れてしまった世界で、しかも異邦人がとやかく言うのも野暮だが。
会議室めいた部屋になぜトロフィーなんてものがあるのかはさておき、田中はそれをバックパックに手際よく入れていく。小さめのものばかりで一つ一つはそれほど重くないのだが、何個も入れれば結構な重さである。特にこの第三回ゴルフ大会はひと際重い。これではあまり俊敏な動きはできそうにない。
「重い……一個くらい置いていこうかな」
「おお、それを捨てるなんてとんでもない!私のおやつが買えなくなってしまいます!おもに馬鈴薯の揚げもの」
「おやつって量じゃないだろ、毎回毎回馬鹿みたいに食いやがって。じゃあ、お前も持てよ。俺より力あるんだし」
「何を言いますか。前衛の動きが鈍くてどうします⁉私が軽快な動きで相手を血祭りにして、ご主人が後ろでどっかり構えて銃撃して援護。これが緊急時の完璧なフォーメーションです。どんな厄介ごともたちまち物理で解決です」
「……厄介ごとにならないよう注意してくれ」
「注意するだけでよいなら私はいくらでもしますよ」
下の階から小さな振動がした。天井から埃がぱらぱらと落ちてくる。
「ほら、厄介ごとは向こうから来るのですよ、ご主人」
なぜか得意げな顔をするキャシー。口調は軽いがすでに抜身の大剣を握り、この部屋へ入るための唯一の扉と田中の延長線上に立っている。
「あのな、キャシー。言霊って言ってな、言葉に魂が宿るんだよ。実際に口に出してしまうと本当に起こってしまうってやつ。特にお前は魂との距離が近いんだから変なこと言わないでくれ」
冗談半分本気半分といったところか。また振動がした。地震のように地面が震えるのではなく、何かが壊れるときの衝撃と言ったほうが適切である。そんな揺れである。
誰かが――いや、何かが下で暴れているな。しかも上に向かってきている。
そして悲鳴。
田中は安全装置を解除すると装填レバーを引いた。ガシャン……という音とともに一発目を薬室に送り込む。片膝をついて姿勢を安定させると、銃口を扉に向ける。手製の照準器をのぞき、引き金に指をかけた。
息を殺し神経を研ぎ澄ませる。
足音がいくつか、まっすぐこちらに近づいてくる。
扉が勢いよく開いた。
同時にキャシーが大剣を振り上げ――
「た、助けてくれっ!」
もう一瞬だけ声を上げるのが遅ければ出来立ての生首が転がっていただろう。
部屋の中に飛び込んできたのは一見して屑拾いの男が三人。先頭の男は灰色のフードをかぶり、そこから見える額にはうっすらと血を滲ませている。他二人もどこかしらに傷を負っている様子である。
「動くな。動くとこの全身凶器に頭と体がズンバラリンだぞ」
ふざけた口ぶりだが、銃口はぴったり屑拾いの男の額に合わせている。キャシーは、大剣は下ろしているものの屑拾いたちの退路を断つようにさり気なく位置取りをする。
屑拾いは銃を突きつける田中のペストマスクを見て気圧されたように息を呑むも、
「わかった!わかったからその物騒なものを下げてくれ!時間がないんだよ!」
屑拾いの顔には隠せないほどの焦りと恐怖が浮かび上がっていた。田中が向けている小銃にもその一因はあるのだが、それよりも差し迫ったものがあるようにも伺える。
「こちらの質問が先だ。ここで何をしている?さっきから騒がしいのはお前たちが原因か?」
「そんなこと言ってる暇は――」
声を上げた屑拾いの額すれすれに銃剣を突き付けた。
質問はこちらがしているのだと言外に宣告する。
「ラーカーだ!ラーカーがすぐそこまで来ているんだよ!なぁあんたらも屑拾いなんだろ、同業のよしみで助けてくれよ!このままだと俺ら全員殺されちまう!」
ラーカーとは廃墟街に生息する大型のミュータントである。
毛のないゴリラのような姿をしており、そこそこの知能と人より強力な腕力を持っている。そして残念なことに肉も食う。腕力など大した問題ではない。それよりも、決して高いとは言えないそこそこの知能、というのが曲者なのだ。野生の大型動物と思ってなめてかかると裏をかかれて返り討ちにされてしまう。それゆえに、屑拾いたちが廃墟街で出会いたくないミュータントでランキングをとるなら、上位にランクインすること間違いなしの厄介なバケモノである。
田中が銃剣を額から離した。そして、
「で、依頼料は?」
「へ?」
呆けたように田中を見る屑拾い。思わず出した声には当惑の調子がこもっている。
「いや、だから依頼料はいくら出すんだ?」
対して田中はいたって冷静に、それが当然であるかのように値段交渉を続ける。
屑拾いの表情から困惑がみるみるうちに消え去り、次第に大きな苛立ちとさらに大きな不安へと変化していく。
「お前この状況がわかってるのか⁉ラーカーだぞ、ラーカー!」
「わかってるから聞いてんだよ」
「ならどうして!あの音が聞こえないのか⁉すぐそこまで来てるんだぞ!」
吠える屑拾いに再び銃剣を突き付ける。屑拾いの心中を知ってか知らずか、田中はため息交じりで言う。
「出すの出さないの?それとも今すぐ蹴りだしてラーカーの餌にしてもいいんだぞ。言っとくが俺たちは腕に自信はある。しかも飯食ってるバケモンを後ろからぶっ殺すならなおさらだ。わかるか?普通ならお前らを囮にとんずらするところを金で解決してやるって言ってんだよ」
「いや、だが……しかし」
「命はたった一つのかけがえのない大切なものだぞ。それがはした金で助かるなら儲けもんじゃないか。さぁどうする?んんっ?」
「だ、出す!相場分は出す!だから!」
切羽詰まったような声を上げる屑拾いに、落ち着いた様子で田中は言う。
「――商談成立だな」
安堵のため息を漏らす屑拾いたち。そのうちの一人が壁のほうをチラッと見た。田中もそれにつられて視線を動かす。
同時にコンクリートの壁を粉砕して、巨腕で巨体の生物が獰猛なうなり声をあげながら、拳を振り上げて躍り込んできた。ラーカーだ。しかも、成人男性より体一つ分の全高はあるかという大物だ。
慌てて部屋の奥へと逃げ出す屑拾いたちとは違い、田中はすかさず引き金を引いた。とっさの銃撃かつ、ライフリングのない小銃とはいえ、弾丸はラーカーの右肩を撃ち抜いた。吹き出す血の色は赤。
田中は装填レバーを引き、次弾を装填。今度はわずかに余裕がある。銃撃。今度は分厚い胸板を撃ち抜いた。
が、ラーカーは倒れない。それどころかさらに大きく胸を膨らませ、
轟。
耳を塞がんばかりの咆哮が部屋全体をビリビリと震わせる。
廃墟街に巣食うミュータントとはいえ銃で撃てば死ぬし、剣で斬ればもちろん死ぬ。こいつらだって動物だ、普通なら発砲音と着弾の痛みに驚き戦わずに逃げる。普通の状態ならば。
瞬間、田中は見た。ラーカーの双眸が真っ赤に充血し、口からはだらだらとよだれが際限なく垂れていることを。とてもじゃないが正常な状態とは思えない。我を忘れるほどまで興奮しきっている。
咆哮をまともに聞いてしまったせいで、田中の周りがしばし無音の世界となる。頭がくらくらとし、照準が定まらない。
「キャシー!カバー!」
「わかってます!」
ラーカーの死角から飛び込んできたキャシーが、高く振り上げた大剣を振り下ろす。しかし、ラーカーは刃が届く寸前でわずかに身をひねった。野生の勘とでもいうものだろうか。必殺の一撃をかわされた切っ先はその皮膚を浅く裂くにとどまった。
――まだだ!
キャシーはさらに追撃をかけることを選んだ。着地と同時に右足を軸に踏ん張ると、ラーカーの巨体を両断すべく力任せに大剣を横に振るった。人間にはとうていまねできないアンデッド特有の反射神経と怪力に任せた強引かつ苛烈な攻撃である。
ラーカーはその追撃も察していたのだろうか。わずかに早いタイミングで地を蹴り、後ろへと跳ぶ。さすがにかわしきれなかったのか胸が浅いながら横一文字に裂けた。
一回目の交差では倒せなかった。しかし少なくないダメージは与えた。
「さすがに厄介ですね。こんなにでかいくせに素早いとか」
キャシーは大剣を構え直すとラーカーと対峙する。距離はかろうじて大剣が届かない程度。たった一回の交差で相手はこちらの間合いを読んでいるのだ。キャシーの口角が僅かに上がる。
「しかも妙に頭が回るとか」
ラーカーはいつの間に掴んでいたのか隠し持っていたつぶてをキャシーめがけて放り投げた。
優れた動体視力と反射神経がゆえに、とっさに柄を持たぬ左手で叩き落す。が、目前に迫るラーカーの拳。
投石を目くらましにして、一気にラーカーが距離を詰めたことに気付いたのは遅れること一瞬。
ラーカーは全身の運動量をすべて拳に込めてキャシーの頭を狙う。
時間が粘性を帯びた。
――大剣を盾にするか?キャシーは思わずそんな誘惑に駆られた。いや、そんなことをしてみろ、体格差に任せてそのまま大剣ごと押しつぶされてしまう。
どうする?
迷いは一瞬だった。
キャシーが咆えた。
姿勢を低くし紙一重でかわした拳と入れ違いに、体当たりをするかのような形で得物を渾身の力で突き出す。
魔術の赤光を放つ大剣がラーカーの分厚い胸板を心臓ごと刺し貫き、切っ先が反対側から飛び出した。
拳が頬をかすめ、眼帯が高く舞い上がる。
捨て身の一撃であった。
その殴打を受ければ自分は戦闘不能になるかもしれない。最悪また死んでいただろう。しかしこの一撃を与えられれば相手は死に、自分の主は生き残るだろう。
キャシーは迷わず捨て身の一撃を選んだ。
血が吹き出るのに合わせて、大きく体が痙攣した。ラーカーの瞳から光が消え、両腕が力なく垂れ下がった。キャシーが大剣を引き抜いた刹那、ラーカーの瞳が再び見開かれ――間髪入れず田中がキャシーの肩越しに額を撃ち抜いた。
今度こそ、その巨体が横倒しになった。
つづく