第十三話 狩猟権、持っていますか? その四
視界よりも先に嗅覚が反応した。
香ばしい香りであった。
肉。
小屋の真ん前でいかにも戦士といった格好の女が、先ほど仕留めたと思しき獲物の肉を焼いていた。
女戦士は目を丸くして田中たちを見ている。
田中たちも目を丸くして女戦士を見ている。
両者意味はそれぞれ違うのだが、同じことを同時に思った。
――まさか見つかるとは。
双方ともに一歩も動かず、沈黙に支配されたまま無意味に時間だけは過ぎていく。薪がパチパチと爆ぜて小さな火の粉をまき散らす。それが呼び水となったのか、女戦士は視線を肉へと戻すと焼き面をひっくり返した。
「いや、なに素知らぬ顔で肉焼いてんだよ!」
たまらず田中が声を上げた。
女戦士はびくっと肩を震わせ、手元の肉の塊と田中を交互に見る。そしてとてもきれいで透き通るようなソプラノヴォイスで小さく言った。
「だって焦げそうだったし……」
違うそうじゃない。気にするのはそこじゃない。
立ち入り禁止の森で、森番と武装した屑拾いが森の中から出てきたのだ。それを焼きかけの肉と同列に扱うのはおかしいだろう。
というか――
「先輩、あれは人?女性?ですよね……」
即座にキャシーがゴミでもみるかのような蔑んだ目でトレースを見た。しかしトレースが疑問符を言葉の端に付けてしまうのもわからないわけではない。
この肉を焼いている女戦士の体格がとにかく尋常でなかった。
冒険者組合でよく見る力自慢の蛮族スタイルな戦士よりも、なおも筋骨隆々とした肉体。隆起した筋肉質なその腕の太さだけでキャシーの頭ほどではなかろうか。
女戦士は焼き色が食欲をそそる肉の塊を傍に置いてある葉っぱの上に置くと、立ち上がり――板金鎧よりは軽いとはいえ所々を鉄板で補強しているチェインメイルを着ているのにその動作に重さによる澱みはない――ようやく彼女のその全貌が露になった。田中の視線が自然と上がる。目算でおよそ頭二つ分ほど自分より背が高い。小型のリザードとなら素手で殴り合いができるんじゃないかと思ってしまうほどの恵体で、失礼だということはもちろん理解してはいるがとてもじゃないが女性のそれには思えない。創作の世界でしか見たことがないまさにアマゾネスがそこにいた。
田中はたっぷり十秒ほど黙り込んでから答えた。
「たぶんそうだろ……生肉焼いてたんだし」
トレースが心底嫌そうな顔をした。本能でわかっているのだ。もし真正面からガチンコの叩きとなった時、どう考えても勝てる気がしないということが。
それでも森番という職務に無理やり動かされ、トレースは小銃を構えた。銃口は女戦士の胴体正面より少し左側に向けられている。
「貴様は最近この森を荒らしている犯人か?」
トレースは強張った顔で尋ねた。返事次第では即制圧する気だ。
「えー人違いですよー。偶然通りがかっただけです―」
女戦士の答えはとてもしらじらしく、だまそうとする気があるのかすら疑わしい。トレースは銃口を女戦士に向けたまま顔だけ振り返ると、
「先輩どうします?人違いですって」
銃口をぴったりトレースの頭に付けている田中がそこにいた。
「おい公務員、ちゃんと仕事しないと市民団体に告発文送り込むぞ」
とても冷たい声にトレースは肩を震わせた。前門のアマゾネス、後門のペストマスク。
仕切り直して、
「えー、この森が当市森林局の監督下にあると知りつつ、その資源の私的利用ならびに著しく利益を害する数多の狼藉、森番として見過ごすわけにはいかないんでね。できれば大人しく反論も反撃もなくお縄について下さ」
トレースが全てを言い終える前に田中の視界から消えた。それが女戦士の殴打によって後ろへと吹き飛ばされたからだと気が付くのに一瞬を要した。そしてその一瞬の間に女戦士は田中との距離も詰めてくる。図体からは想像できない――いや、その体だからこそ生まれる爆発的な速度を前に、キャシーも二人の間に割って入ることができない。
田中はとっさにしゃがみこんだ。その頭上を丸太のような剛腕が空気を裂いて掠めていった。
背中から汗が噴き出た。
殺気は感じられなかった。しかしあんな一撃をもらってはただじゃすまない。むしろ殺気がないほうが厄介であった。
ここまで至近距離に持ち込まれると小銃なんて何の役にも立たない。小銃に銃剣を付けていないことが悔やまれる。
心の中で毒つきながら田中は銃床を無防備な女戦士の腹に叩き込んだ。鉄板をぶっ叩いたような衝撃がびりびりと手から腕へと駆け巡ってきた。実際、鎧を着こんでいるのだろうが、それでいてこの速度で動けるとはいやはや。
涼しい顔をしている女戦士と目があった。
冗談じゃない!
田中は左手で腰に銃剣を引き抜き――その刃先を向ける前に女戦士のすくい上げるような蹴りで、抜いたばかりの銃剣が遠くへ弾き飛ばされた。
「ご主人、下がってください!」
そこでようやくキャシーが田中の助けに入った。
「ありがたわああああああ!」
キャシーは田中の首根っこを後ろからむんずとつかむと、力任せに引っ張った。いや、放り投げたと言うほうが正しいかもしれない。田中の周りの景色が地面に激突するまで走馬灯のように流れていく。
キャシーは大剣を抜こうとはせずファイティングポーズをとって女戦士と相対する。
大人と子供、いや巨人と子供といっても差し支えない。キャシーは身構えながら圧倒的なまでに体格差がある女戦士の上から下までを見る。
ふと眉をひそめた。
「どこかで見たことがあると思えば……以前に相まみえましたね。たしか司法局の特設リングで」
女戦士は何をいっているんだと険しい表情を始めはしていたが、キャシーの顔を数秒ほど凝視すると何やら合点がいったらしい。何度もうなずき、拳をさらに固く握りしめた。
「そんなこともありましたわね。あの時は後れを取ってしまいましたが今度はそうはいきませんわ。私には果たさなければならない使命があるのです。そのためには相手が誰であろうとも排除するまでです」
決闘裁判のときはキャシーが勝った。互角にも見える拳のぶつかり合いの末、キャシーがリング外に叩き落したのだ。言い方を変えればアンデッドと真正面から肉弾戦をしてもひけをとらないのだから、つまり常識の範囲外の住人なのだ、この女戦士は。
キャシーの眼帯に覆われていない瞳がきらりと光った。そして不敵に笑う。
「使命……ですか。それなら私も負けてられませんね。従者として、ご主人をあんな風にした人を放っておくことはできません!」
あんな風にというのは地面に大の字でぶっ倒れていることを指す。
誰のせいでこんなことになっているんだよ、とつぶやき田中は寝転がったままため息をもらした。起き上がるのも面倒だし、それに今さら自分が参戦したところで到底役に立つとも思えない。それほどの戦闘力の差を先の格闘で思い知らされた。キャシーに任せて傍観するのが一番理にかなっているだろう。
頬を赤く腫らして鼻血を垂らしたトレースが匍匐前進で田中の横まで這いずってきた。
「おもしろい態勢ですね」
「面白い顔してるな」
二人は同時に言った。
そして二人は同時に――片方はペストマスクの下で渋い顔を作った。
トレースはうつぶせのまま、田中は仰向けのままでキャシーと女戦士がにらみ合う姿を観戦している。
「俺やお前じゃ手も足も出なさそうだな」
「先輩、さっき思い出したんですけどね」
田中がどうしたんだという顔をする。
「罠も謀略も全て力業で踏みつぶす、辺境最強と言われる女戦士がいてですね」
視線を女戦士に向ける。たっぷり十秒見てから、
「あーたしかに、辺境最強感がすごいわ」
「うわ、その言い方、まったく信じてませんね」
トレースは鼻をぬぐうと力強く立ち上がった。
「とはいえ辺境最強だろうがアンデッドだろうが、この森にいる以上はやっぱりこのまま傍観ってわけにはいきませんね。森番としてやるべきことしなければ」
トレースは小銃の側面についている装弾レバーを引いた。ガシャコン――と金属音がして初弾が薬室に装填される。
指示に従わないのなら発砲も辞さないという決意が、彼の周りに漂う雰囲気から感じられた。
トレースは大きく息を吸い込むと、
「森林法違反だ!神妙にお縄につへぶらぁっ!」
再び吹き飛ばされるトレース。田中は前方へとピンボールめいて転がっていくトレースを見て、さすがに死んだかなと呟いた。呟いてからすぐさま体を強張らせた。
さて、ここで疑問に思うことがある。
トレースはいったい「誰に」吹き飛ばされたのだ?
つづく




