第十二話 史上最大の作戦 その一
田中家では給仕や掃除、客人の対応は従者であるキャシーが対応することになっている。初めの頃は田中も気を使って何かと手伝おうとしていたのだが、そのことごとくをきっぱりと拒否されたため今に至る。
コンコンコンと玄関の方からノックの音がした。もちろん「はーい」と返してキャシーは玄関へと向かう。
「どうして誰も呼び鈴を使わないんですかね。ほんと人間の考えることはわかりません。私、元人間ですけど」
今日は主が作り給うたなかでもっとも偉大ではないかとご近所で評判の安息日。一部を除く一切の労働を禁止ししている俗にいう休日である。田中も漏れなく今日は廃墟街には行かない。なぜなら安息日だから。
そんな素晴らしい日の午前中。キャシーが玄関の扉を開けるとそこには童が一人いた。ちょっと背伸びしたような服を着て、かわいそうなくらい顔をこわばらせている男の子だ。なるほど。呼び鈴を鳴らせないのも納得がいく。背丈が足りない。
キャシーはその少年を上から下まで眺めるとふふっと笑みを零した。
「やあ少年、今日はいつもとよりも大人びてますねえ」
キャシーは見た目こそ十も後半くらいの少女だが、どうにも町の童どもと波長が合うらしい。「眼帯のねーちゃん」とか呼ばれて、童どもと空き地や道端などでよく遊んでいる。この小さな来訪者もそんな一人である。
「キャシーさん、おはようございます」
童にしては丁寧な言葉遣いだ。
「うむ、おはよう。ひとりでこんな朝っぱらからどしたん?」
キャシーは少年の顔を覗き込んだ。
途端に少年は視線をあちらこちらに漂わせてしまう。そして「えーと」だとか「そのー」だとかぐにゃぐにゃした言葉が出てくるだけである。
――なんだかいつもと様子がおかしい。
キャシーは怪訝な表情を浮かべた。みんなで集まっているときはもっと快活で同い年の子より少しませたような感じの少年だったはずだが……。まさか前の戦争ごっこの続きでどこかの勇者志望の馬鹿みたく討ち入りしにきたのでは……いや、それはないか。
しばらくしてから少年は意を決したようにキャシーを見据えた。
「キャシーさん!」
力みすぎて少々声が裏返っている。
「なーに?」
「今日、ぼくと一緒にでかけてもらえませんか!」
思わずキャシーの目が点になってしまった。
ちょっと頭の中を整理したほうがいいのだろう。
えーっとつまりこれは。
「デートのお誘いなのかな?」
「あ、いや、決してそういうこと……じゃ……」
声がどんどん小さくなっていき――
キャシーは眼帯に隠れていないほうの目を細めると、
「少年は大胆だねえ」
つい意地悪してしまう。少年はひとしきりうろたえた後、俯いてしまった。
「キャシー、どうかしたか?」
奥から田中の声とこちらにやってくる足音。田中である。
家の中にも関わらずペストマスクを付けている田中はキャシーと少年を交互に見ると、
「え、なに、喧嘩か?」
どういう状況かまではわかっていないようだ。
「安心してください、違いますよ。私がちょっと意地悪しただけです」
少年は顔を上げ――その目には決意の色がみなぎっていた。
「お願いがあります!」
「お、おう……」
「今日一日キャシーさんとでかけてもいいですか?」
短いがとても強いコトバであった。握った年相応の手が小刻みに震えている。
ほぅ、と田中は小さな声を漏らした。次いでキャシーを見る。困ったような、しかしながら迷惑というわけではなさそうで、複雑な表情をしていた。
「あー……少年は大胆ですね。私は構わないですけど残念ながらまだお仕事が」
「いいぞ」
田中がキャシーの言葉を遮り言い切った。
『え?』と、大小二つの間抜けな声が同時に発せられた。
「出かけていいぞ。楽しんできなさい」
再び田中はそう言い切った。
少年の表情がみるみるうちに明るいものとなっていき、
「やったー!」
ガッツポーズをして飛び跳ねる少年とは対照的にキャシーはひどく慌てている。
頭の中でぐるぐると回っているのは、今日一日で終わらさなければならない家のことである。
「で、ですがほら、洗濯は先ほど終わらせましたけど掃除とかお昼ご飯の準備とか、今日カレーですしやらなきゃならない準備がいろいろと」
「問題ない。全部俺がやっておく」
「ええええええええ!ご主人が⁉明日は最後の審判か何かでしょうか?」
目玉が落っこちてしまうのではないかと心配するくらいキャシーは片目を見開いた。どうやら田中に全く家事スキルがないのだと思い込んでいたらしい。だからこそ驚きは瞬く間に疑いとなった。
「そんなに驚かないでくれよ。もともと一人で生活してたんだし……時間さえあれば一通りのことはできる。とにかく、童が頑張って振り絞った勇気をないがしろにするもんじゃないぞ」
と言ってから少年に向けてグッと親指を立てて見せた。
言われてみれば、である。たしかに自分が作られる前からご主人はこの家で暮らしていたし、暮らしていたのだから身の回りのことくらい自分でできるだろう。できるはず。たぶん。
キャシーは腕を組み、首をかしげて少しの間黙考し、やがて、
「わかりました。支度をしますのでしばしの間お待ちを」
キャシーはきびすを返すと部屋の奥へ引っ込んだ。
玄関には田中と少年の二人っきりである。居心地の悪い沈黙が玄関を満たしていた。
少年は何か言いたそうにちらちらと田中を見ている。始めは少年も気まずかろうと思い無視していたのだが、我慢できなくなったのか田中はかがみこむと目線の位置を少年と合わせた。
「少年、覚えとくんだな。デートに誘う時はいきなり当日に言うんじゃなくて何日か前にアポ取っとくのが正解だぞ」
「アポ?」
「予約って意味だよ。とにかくそこらの悪童と遊ぶんなら当日聞いてもいいけど、女の子相手は前もって誘う日を決めて、それに備えて作戦を練っとけということさ。さもないと飯食う店とか演劇とか満員で予約できないとか目も当てられないからな」
男のたしなみだぞ、と田中は付け加えた。
「わかりました!ありがとうございます鳥マスクのおじさん」
童の言葉というのは悪意がないからこそたちが悪い。
「お、おじ、おじさん⁉」
田中は素っ頓狂な声を上げるや否や、がっくりとうなだれる。心に受けたダメージは推して知るべしだ。
少年は不思議そうに田中を見ている。
ほどなくして支度を終えたキャシーが戻って来た。服も先ほどの物から変えており、小奇麗でなおかつ動きやすそうな服装である。
「お待たせいたしました……あれ?ご主人どうかしましたか?」
少年となんだか様子のおかしい田中とを交互に見比べながら訊いてきた。
おじさんと言われてショック受けてました、なんてかっこ悪いこと言えるわけもなく。
「いや、なんでもない……なんでもないんだ」
やはりペストマスクのせいかいや声がくぐもってしまうからかなあ。それとも……などとぶつぶつつぶやく田中を尻目にキャシーは少年の横に立った。少年の肩をぽんぽんと叩き、
「ふふ、少年、ちゃんとエスコートしてくださいね」
「がががんばります!」
見ているほうが思わずがんばれと声をかけたくなるほど、少年はガッチガチに緊張している。緊張しすぎてデート中に倒れてしまいそうで不安になってくる。
「ちなみにどこに連れて行ってくれるのかな?」
「は、はい。えーっと今日は馬鈴薯がやってきて十年目らしくて、市のほうでもよおしごとがやっているみたいですのでそれに行こうかと……」
馬鈴薯と聞いてキャシーの目の色が変わった。
馬鈴薯の祭りである。つまり多種多様な馬鈴薯料理が集まるキャシーにとって夢のような祭りであり、馬鈴薯好きにとってはまさに地上の楽園といっても過言ではない。
……あくまでもキャシーにとっては、である。
「な、なんですと……そんな夢のようなイベントが存在したとは⁉でかした少年、君はいい子だねえ!」
ばしばしと少年の背を叩くキャシーは本当に笑顔にあふれている。食い物で釣られている事実には目を伏せておこう。
「とすれば善は急げですね!ご主人、火には気を付けてくださいね!あと出かけるときは戸締りも」
「わーったわーった。ほら、行ってこい。あと少年、キャシーを頼むよ」
「はい、行ってきます」
少年の声は引き続き緊張のせいか固いものであった。
少年とキャシーが並んで歩いていき、田中は閉じ行く扉を見ながらぽつりとつぶやく。
「さて、俺も出かけるとするか」
今から起こるであろう楽しいことにうずうずしている、そんな声であった。
つづく




