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第十話 狼憑きと神殿騎士 その六

 煙の中に浮かぶ人影が一つ。


 埃煙を切り裂き、雷光のごとく狼憑きが飛び出してきた。切っ先がキャシーの頬を掠める。先ほどより動きが格段に早くなっていることに驚きを隠せない。数回斬り結んだ後、キャシーはアミュレットの輝きが増していることに気が付いた。おそらくこの魔法装置がサクソンの体を乗っ取り動かしているのだろう。魔法装置がキャシーの動き等を分析し、それに勝る動きをサクソンにさせているようにも思えた。


 狼憑きの連撃をいなし続けるも、じりじりと押され始めたキャシー。


 田中も先ほどから小銃を構えてはいるが、鎧外の部分を狙えずにいた。もどかしい思いで照準器をのぞき込んでいる。


 そして決定的な一撃。


 ショートソードがへし折られ、破片が舞う。お返しとばかりに蹴りを叩きこまれ、キャシーの体が軽々と吹き飛ばされた。田中にキャシーを気遣う余裕はなかった。もうキャシーは脅威ではないと判断したのか狼憑きが田中目掛けて駆け出したからだ。


 さて、どうする。田中は自問した。


 接近戦は先ほどのキャシーとの戦いを見る限り、どうも自分の手に負えるようなレベルではない。真正面から剣で迎え撃とうものなら、すれ違いざまに首を刎ね飛ばされてもおかしくはない。となると武器の射程で勝負するしかなく、頼れるのは残り三発の小銃だけである。だが廃墟の特定危険生物とは違い相手は魔術強化された鎧を着こんでいる。それでもやるしかない。迷っている時間はない。


 田中は魔術強化された鎧を避け、狼憑きの頭に狙いを向ける。しかし狼憑きは照準が定まらないよう巧みに動きながら田中との距離を詰める。


 それでも田中は引き金を引く。弾丸は狼憑きの頬を掠め、壁に大穴を穿った。


 あと一歩で狼憑きの間合の中に入ってしまう。舌打ちする暇もない。


 ――ならば。


 田中は小さく唱えた。


 閃光。


 狼憑きの目の前で魔術の光が弾けた。廃墟街で犬面相手にも使った目くらましである。


 田中の狙い通り、視界が真っ白に染まり、狼憑きの動きが一瞬鈍った。


 隙と言えるかも怪しいほど僅かな、そして最期の隙であった。


 田中はブロードソードの刃をかいくぐり、渾身の力で狼憑きの腹部に銃剣を突き刺す。魔術強化された鎧をぶち抜いて、赤い糸を引きつつ切っ先が反対側から飛び出した。


 それから一拍遅れて、


「うわあああああっ!」


 グレートヘルムを脱ぎ捨てたエーミルが、横手から狼憑きをメイスで殴りつけた。


 固いものが砕ける音がして狼憑きの右腕があり得ない方向に曲がった。その手からブロードソードが落ちる。


 田中が銃剣を引き抜いても、狼憑きは身じろぎ一つせず突っ立ったままである。みるみるうちに腹部が真っ赤な色を帯びる。


 いつの間にかキャシーが狼憑きの後ろに立っていた。右手には狼憑きが落とした鉈が握られている。


 キャシーは笑みを浮かべる。


「ごめんなさいね冒険者さん。けど、悪く思わないでよね」


 その言葉には憐みが込められていた。


 こうするしかないのだ。


 大きく振りかぶるとキャシーは一思いにサクソンの首を刎ねた。頭が落ち、一拍遅れて体が倒れた。地面に赤い血だまりが広がっていく。


 キャシーは鉈を捨てると、少し離れたところに移動して腰を下ろし、大きく息を吐いた。


「はー……疲れました。久しぶりに命の危機を感じました。まあ私アンデッドなんですけどね。ご主人、今日は晩ご飯作りませんからね。ねー聞いてますか―?」

「あー、そうだなー」


 空返事に頬を膨らますキャシーに気づかず、田中は腰の剣を引き抜いた。剣が発する魔術の光が強みを増していき、魔力がどんどん食われているのを実感する。視線の先にはサクソンの首から落ちたのかアミュレットが転がっていた。頭を刎ねたというのに返り血一つついていないのが不気味である。


 田中は剣を両手で握るとアミュレットめがけて真っすぐ切っ先を落とした。切っ先が当たる瞬間、アミュレットの真上に紫の光の術式が展開した。それに阻まれて切っ先がアミュレットまで届かない。物珍しそうに田中は術式をのぞき込んだ。


「なるほど。大昔に失われた魔力防壁……だっけか。そりゃ組合も回収したがるわけだ」


 おそらく狼憑きにさせる能力なんて組合どうでもよいのだろう。本命はこの護法結界の術式の研究と解析といったところか。しかし、


「まあでも、こんなものは壊すのが一番だな」


 普通の魔術強化された剣ならば、鎧などに施す魔術的な防御よりもさらに強力な魔力防壁に阻まれて破壊するのは困難だろう。しかし、この剣はそこらの鈍らとは違う。切っ先は容易く術式を貫き、アミュレットを砕いた。術式の光が霧散し、虚空に消えていく。残ったのは魔術的な力を何も感じさせない粉々になったアミュレットであった。


 田中は魔力を全て食い切られる前に剣を鞘に戻した。それから先ほどからへたり込んでいるエーミルの元へ近寄った。


 エーミルは呆けた顔をして田中を見上げる。


 田中はおどけたように肩をすくめた。


「一人で先走られた時は肝を冷やしたけど、無事でよかったよ」

「ですが助けられました……」

「それはお互い様だ」


 田中はエーミルの肩を叩いてから言う。


「信仰は悪いとは言わないが、盲目的になりすぎだな。猪突猛進すぎる。神殿騎士ってのはみんなこうなのか?」

「どうでしょう……似たり寄ったりだとは思いますわ」

「別に悪く言うつもりはないんだが……面倒な集団なんだな神殿騎士ってのは。堅物というか生きにくそうというか。でも“元”なんだからもう少し柔軟になってもいいんじゃいか?まあ邪教徒のアドバイスなんぞ受けん、てのなら聞き流してもいいけれど」


 ちらっと盗み見た。


 エーミルは俯き加減で何度も一人で頷いていたが、やがて上げた面は妙にさっぱりとして明るい。


「いえ……少し考えてみますわ。異教徒のくせにありがとうございます」

「はいはいどういたしまして。立てるか?手、貸そうか?」


 エーミルは手を伸ばすが、田中がつかもうとした寸前で慌てて引っ込めた。そして困ったような顔をして田中の方を見る。視線が合わないと不思議に思い、田中は振り返った。


 そこには地獄の幽鬼ですら裸足で逃げ出してしまいそうな雰囲気で仁王立ちするキャシー。


 ……やってしまった。


 田中が何か言うよりも先に、


「私が一番頑張ったんですけど、頑張って戦ったんですけど!ねぎらいもご褒美もないとはどういうことなんでしょうか⁉」

「わかったわかった。すまない、謝るから」

「いいえ、今回は許しません!しかも私を放ってそこの神殿騎士といちゃいちゃしてキイイイイイイ!」

「ふふ」


 言いあう二人を見て、呆気にとられたような顔をしてからエーミルは自然と小さな笑いをこぼした。


 融通が利かなさそうなしかめっ面なんぞよりは、よっぽど似合っていると田中は思った。


「ほらまた見てるじゃないですか!」

「見てないって」


 キャシーが田中の胸をぽんぽんと叩き、胸部装甲鎧がミシミシと軋む。


 衝撃が半端ない。


 さらに返り血で真っ赤だというのに引っ付いて来ようとするキャシーを、田中は銃床でぐいぐいと押しやる。


「ほら、もうひと仕事だ。表で倒れている怪我人を助けにゃならん。そろそろ組合の人間が来るとは思うけど」

「え、なぜに組合がここへ?」


 エーミルは不思議そうに小首をかしげた。田中はすぐには答えられなかった。


「……そこは多少の根回しというか。いろいろとだ」


 何か起きた場合に備えて尻尾のない鼠通りに潜伏しているという情報をリークしておいたなんて言えない。はなっから狼憑きとまともに戦う気なんてなかったなんて言えない。信号弾などの手はずも整えて、合図とともに狼憑きを大人数で囲んで叩こうなんて考えていたなんてもっと言えない。


 未だ納得いかない顔をするエーミルだが、田中は強引に押し通すことにした。


「まあ、いろいろとだ」

「わかりましたわ。とにかく異教徒が何らかの手で、お仲間を呼んでくださったというわけですね。でしたら状況の説明などは私がいたしますわ」


 エーミルはグレートヘルムを左手にぶら下げて廃屋から出て行く。機嫌悪そうに頬を膨らませたままのキャシーがそのあとに続く。


 今夜はキャシーのご機嫌取りで忙しくなりそうだ。


 どうやら組合の依頼よりも一筋縄ではいかなさそうな問題に、田中は天を仰ぐと特大のため息をついた。


 ふと気づく。


「異教徒ね……邪教徒よりはましかな」

おわり

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