第十話 狼憑きと神殿騎士 その四
尻尾のない鼠地区は、エンディミオン内のはみ出し者や溝さらいといった脛に傷のあるものたちが集まる平穏非ざる区域である。用がないものは決して近づいてはならず、用があるものは早急に事を終わらせること、女子供は近づこうとするべからず。悪い噂しか流れない裏街である。無造作に立っている家屋もつぎはぎだらけのぼろで、あちらこちらに瓦礫や樽の残骸が転がっている。自由都市エンディミオンの暗い部分である。
田中たちはそんな地区にある暗がり通りの入口を前にしていた。名前の通り、まだ日が高いというのに奥へ行くにつれてどんどん薄暗くなっている薄気味悪い通りである。
エーミルはあたりを見渡して、
「あれですね……歓迎されていない感がすごいですね」
「そりゃ完全武装した三人組に、しかも一人は神殿騎士だからな。警戒するのは当たり前なこって」
半ば壊れかかった家屋の中からはこちらを見ている気配がする。しかも若干の敵意も混ざった気配が。
エーミルも気がついているらしく、ちらちらと家屋を見ている。
「そう……ですわね。しかし、いちいち気にしていたら日が暮れてしまいそうですわ」
「じゃあさっさと行くぞ」
田中は小銃を担ぎなおすと、先陣を切って暗がり通りへと足を踏み入れた。都市の一画だというのに長い間整備されていない石畳の道は足場が悪く、階段に至ってはちょっとした衝撃で崩れそうだ。しかし廃墟街の建物よりは全然ましなので、田中は気にせず歩く。
エーミルは小走りで田中に近寄ると、
「ちょっと邪教徒、住民に話を訊くのではないのですか?」
意識していないのに小声になっているのはこの通りの雰囲気がなせる業であろう。
「もちろん訊くぞ」
「でしたらなぜそことかそこの住居にいる住民の方に訊かないのですか?」
エーミルは入口が閉ざされている住居を指差し不思議そうに田中に尋ねた。たしかに住民が協力的な地域なら一軒ずつ回っても良いのだが、ここは尻尾のない鼠通りである。良識な住民が出てくるよりも盗賊の類が出るほうが確率は高そうである。
「どうせノックしても出てこないさ。大丈夫、そろそろ向こうから来てくれるから」
田中が言い終わるや否や建物の物陰から、いかにもゴロツキと言った風貌の男が三人ほど現れた。これ見よがしにナイフをちらつかせている。
「おいそこのお前ら。なんや討ち入りにでも来たんか?」
「ここから先に行きたきゃ通行料がいるぜ。あと武器は全部没収だ」
などと口々に好き放題言っている。
エーミルは自然な動作で田中の陰に隠れるよう立ち位置を変えた。腰のメイスに手を伸ばすが、ゴロツキ三人からは死角のためその動きは見えない。そして彼らに聞かれないよう声を落として、
「どうします?改宗してさしあげましょうか?」
「いや、エーミルは何もしなくていい。俺たちで平和的に解決しよう。キャシー」
はーい、と返事するとキャシーはごろつきの元へズンズンと近づいていく。ごろつきからしたら異様な光景であろう。武器も抜かず、少女が一人向かってくるのだから。いい気にならないのは確かだ。
「ああ?ここは嬢ちゃんが来るようなところじゃねーんだよ、さっさといねや」
リーダー格だろう真ん中の男がナイフを握ってキャシーの前に立ちはだかった。最大限のすごみを利かせているつもりなのだろう。実際善良な一市民なら有無を言わず逃げ出している。
しかし、悲しいかな。キャシーは善良な一市民などではない。
キャシーは立ち止まり、何も言い返さずリーダー格のゴロツキに顔を向けた。そして天真爛漫な笑顔を見せると、
「さて平和的に解決しましょうか」
キャシーが平和的に話し合った結果、顔面をパンパンに腫らしたゴロツキ達曰く、
「最近、三丁目のほうで人が消えたという話を耳にしたことがある」とのこと。
キャシーと田中は同じような手法で次から次と物陰から現れる住民数人に話を聞いて、その噂が確かなものであることを確信した。
「いやいやいや、確信したじゃありませんわこの邪教徒ども。あれのどこが平和的な解決なのですか!?物理で解決するのは平和的とは言いません。それにペストマスクのイカレ魔術師とか狂犬とか叫んで逃げていった方がいましたが、あなた方は以前にいったい何をしたのですか!?」
なぜこんなにもエーミルがエキサイトしているのか全く分からない。どうせ向こうから因縁付けてくるのだからそれを有効利用しないわけがない。少しやんちゃなのは田中も認めるが。それにイカレ魔術師とか狂犬とか呼ばれるのには真っ当な理由がある。それも法的にこちらに一切の非はない。
「前に廃墟街で溝さらいに襲われたんだがそれを返り討ちにしたんだよ……」
「ふんふん、それでそれで」
「ついでに報復で付近にいた溝さらいを皆殺しにした」
「うわー引くわー。やっぱ邪教徒だわー。マジ邪教徒野蛮だわー……」
エーミルは数歩後ずさり、グレートヘルムの下で冷ややかな視線を田中とキャシーに送る。
ちょっと待てよ、と。さすがにそこまで言われるのは心外だ。
「正当防衛と驚異の未然の排除は立派な権利だぞ」と田中。
「それのどこが正当防衛ですか!あーやだやだ、邪教徒はみーんな同じように過激なことを言うんですよ」
碌でもない犯罪者相手だし、それほど過激だなんて田中は思わないのだが、やはり邪教徒云々言うあたり神殿騎士の流儀的にはいけないことなのだろう。たまには聖書にでも目を通したほうがいいのかもしれない。気が向いたら、だけれども。
よそよそしい態度と距離が元に戻る気配は微塵も見えなかった。
そんなことを言い合いながら、件の三丁目へと向かった。
相も変わらず険呑な雰囲気がするところだ。
しばらく散策したところで田中の足が止まった。エーミルもキャシーも異様な雰囲気を感じ取っているらしく、いつでも抜けるように各々武器の柄に手を添えている。
風に乗って漂ってくるこの臭い……。
悪い予感がした。
鼻腔をつく微かな臭いに田中は顔をしかめると、いきなり走り出した。キャシーとエーミルもそれに続いて走り出す。
角を曲がったその先には凄惨な光景が広がっていた。武器を持った血まみれの男たちが三人倒れていた。身なりは冒険者風が二人に魔術師風が一人。盗賊にでも襲われたか⁉田中は一番近くの男に駆け寄って、傷の具合を見る。剣で斬られたのだろう、血まみれではあるが幸いにも見た目より傷は浅い。他の人たちもおそらく命に別状はないだろう。物騒なところで本当に物騒なことが起こってしまった。
「おい、大丈夫か?」
田中が声をかけると、ううっと今にも消えてしまいそうなうめき声をあげて、男がうっすらと目を開けた。血の気が引いて顔が真っ白である。
「どうした、何があった?」
「あんたも……組合の?」
まさか彼らも狼憑きを追っているグループだとは。となると犯人はおそらく……。
「ああそうだ。安心しろ、傷は深くない。すぐ医者を呼ぶ。それまで我慢してくれ。あとサクソンはどこへ?」
男は息も絶え絶えに田中を指差した。いや、正確には田中の後ろにある傾いた二階建ての廃屋を。
「ヤツはあそこに?」
男は返事する気力すらなくなってしまったのか、一度だけ頷くとそのまま意識を失った。遅れて駆けつけたキャシーがひどい有様に表情を曇らせる。
「ご主人、これはいったい……」
「おそらくヤツと交戦したんだろう。しかし魔術師も入れて三人がかりでここまでコテンパンにされるなんてなあ……」
サクソンは本当に発狂しているだけなのか?
発狂した人間が手練れの冒険者を一方的に倒せることなんてできるのか?
そんな考えが脳裏を過り、田中の胸はざわついた。
「これは……ちょっとまずいことになったな。エーミルとキャシーはここで待っていてくれ。俺は今から――」
田中が続きを言うよりも先にキャシーがおずおずと口を開いた。
「えーっとご主人、エーミルがいません……」
一瞬キャシーが言った言葉の意味が理解できなかった。
まさかあれほど釘を刺したというのにそんな馬鹿な。
嫌な予感に突き動かされて、田中は慌てて振り返った。
案の定である。
「あのバカ神殿騎士め……!」
田中はぶち破られた廃屋の扉を見て、悪態をついた。
相手は手練れの冒険者三人を返り討ちにするような奴だというのに!
負傷者三人に統制が利かない味方が一名。考えうる限り最悪の状況である。ただ、頭を抱えてばかりではいられない。まずは後先考えず敵の根城に突っ込んでしまった馬鹿をどうするか。いや、それよりも負傷者のほうが優先か。田中は廃屋と足元で倒れている冒険者たち、そしてキャシーと順に視線を移していく。
「ご主人、指示を」
キャシーが強い眼光で田中を見る。
悩むまでもなかった。
つづく




