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第六十四話 リデルのハードなおつかい その三

 リデルは改めて包囲された教会を見た。あの様子では猫の子一匹逃げることはできないだろう。盗賊にとっては絶望的な状況だ。やけを起こさないことを願うばかりである。


 ただ少し思うことがある。


「助けにはいかないんですか?」


 リデルの目から見てもセバスチャンはただの執事には見えない。


「あくまで世話係兼執事です。多少は腕に自信がありますが、事がこうも大っぴらになっていますがゆえ、私には何もできません。ですが、教会の中にはあの勇者パーティーの従軍司祭もいるそうです。そう事態は悪い方向へは行かないでしょう」


 勇者パーティーの従軍司祭と訊いてリデルはポケットの袋に触れた。ニコルという司祭はつまりその従軍司祭のことの気がする。なるほど、ややこしいのも頷ける。あれほど勇者に怨嗟を向けるのだから、田中も言葉を濁すわけだ。


「君も教会に用があるのかな?」

「ええ、ちょっと司祭様に届け物が……でもこの様子じゃ日を改めた方がよさそうですね」


 都市警と神殿騎士の包囲を蹴散らしてまで物を届けるなんて冗談でも言えない。ご主人には悪いがペンダントを持って一旦帰るべきだろう。だけど、このペンダントを持っているところをキャシーに見られるのはできれば避けたい。碌なことにならないから。


 ため息をつきつつ教会の方を見た。


 リデルの眉間にしわが寄る。


 これはまさか……。


「ではセバスチャンさん、僕はこれにて失礼します」

「あ、ああ。タナカ様とアヴェンジャー様によろしくと伝えておいてください」


 急にきびすを返したリデルにセバスチャンは戸惑った様子だ。しかし留める理由もない。


 リデルは手を振りつつやじ馬たちから離れていく。


 そのまま帰路につく――のではない。


 ある程度教会から離れると、大きく横周りに歩く。視線は一ヶ所、教会の尖塔に向けられている。


「やっぱりね」


 リデルの足が止まった。ニヤリと笑って教会の屋根を見た。


 自分が見たものに間違いはなかったらしい。


 屋根に付けられた窓が開いている。換気のために開けていたのだろうが、盗賊を含め誰も閉めることに気が向いていないようだ。


 まあ普通の人間なら壁よじ登って侵入するなんてできないだろう。


 しかし、他の家の屋根を伝って行けば、リデルなら容易にあそこから教会内に侵入することができる。屋根を伝って移動するのは盗賊狩りをしていた時に使っていた常套手段である。誰にも見られずに事を成すのは朝飯前だ。


 鼻歌混じりでリデルは登るのにちょうどいい建物を探し始めた。




 リデルは屋根から屋根へと次々に飛び移っていく。アンデッドとしての身体能力をフルに使った人間離れした動きである。


 小教区という特性上、教会より背が高い建物が無いおかげであっという間に教会のすぐ近くまで来れた。都市警も神殿騎士も、ましてややじ馬の誰も自分のことに気が付いていない。


 人の意識は上には向きにくいのだ。


 リデルは下半身に力を込めると最後の大ジャンプを行った。猫のように物音一つ立てず、難なく教会の屋根へと飛び移った。


 そろりそろりと窓へと近づいていく。


 ひょいと覗き込んだ。窓から見える範囲には誰もいない。リデルは体を滑り込ませる。もちろん着地したときの軋む音もない。暗殺者も真っ青な侵入の手口である。


 セバスチャンとの会話の中、開いている窓を見つけるなり、リデルの頭の中から出直すという考えはきれいさっぱり吹き飛んでいた。別に田中のお願いを完遂させるためと言うわけではない。それこそ都市警が鎮圧してからで十分だ。


 お使いをこなしつつ、ついでに盗賊をぶっ叩くつもりであった。


 心を入れ替えたなどと周りに言ってはいたが、根っこの部分は変わらない。彼の好戦的な性格が闘争を求める。魔術師相手だったとはいえ盗賊組織にいいようにやられてしまったのだ。その借りは返させてもらう。


「さてさて目標はどこにいるのかな?」


 リデルが侵入した最上階には椅子とテーブル、あとベッドがいくつか並んでいるだけだ。となると、一番下の階で人質と一緒にいると考えるのが妥当か。


 薄暗いなか、樽や椅子に当たらないよう足音を殺しながらリデルは部屋の奥へと進んで行く。扉に片耳を当てたのち、ゆっくりと開けた。


 無人の廊下を抜け、慎重な足取りで階段を下りていく。今いる階、二階、一階へと。


 すると、何やら下の方が騒がしい。人の声が聞こえてきた。一人ではない。何人かが言い争っているような雰囲気だ。


 階段上で這いつくばるような恰好をしてリデルは覗き見た。


 いかにも教会といった聖堂で、その内陣の奥の方には幾人もの人が肩を寄せ合っていた。おそらく礼拝に来ていた市民たちだ。


 奇妙なことに、市民たちの体の周りには超自然的な光の輪ができていた。その輪はまるで拘束具のように彼らの身動きを止めていた。紛れもなく人質となっている。


 さらに一まとめにされている人質の中でも二つのグループに分けることができる。片方は善良な一般市民で、遠目からでもわかるくらい怯えた表情を浮かべてる。フードを目深に被って俯き、縮こまっている女性もいるほどだ。もう片方は正反対に、敵意のこもった眼差しを向けている。


 具体的に挙げるなら司祭の恰好をした女と動きやすそうな服装の女だ。


 一人はすぐに誰なのかが分かった。自由都市エンディミオン治安局局長の娘であるリザ・キッドマンだ。市民と同じように光の拘束を受けているが、それが解けることがあるなら今にも噛みつかんばかりの姿勢である。


 もう一人は表情が良く読み取れない。小柄な司祭で青空のような瞳が印象的だ。


 おそらく彼女がニコルだろう。市民の方にも一人司祭がいるがこちらは性別が男である。あたりを付けると、リデルはさらに視線を走らせる。


 一方、内陣の真ん中には人質たちとは別のグループが陣取っていた。明らかに堅気の人間ではない。大きく膨らんだバックパックを背負い武装した盗賊たちと、


「ん?」


 リデルは眉を寄せた。盗賊たちに紛れるようにして違うタイプの人間がいた。長い髪の女だ。そしていかにも魔術師といったとんがり帽子をかぶり、黒いローブを羽織り、宝石が埋め込まれた杖を持っている。


「魔術師ですか……めんどうな輩もいますね」


 苦い記憶が蘇る。


 人質の数は十人を超えるというのに、その全員を魔術で拘束している。手練れの魔術師なのは間違いない。


 このままでは手出しできない。正直人間の一人や二人ケガするくらいリデルにとっては些細な問題なのだが、些細な問題とはいえやはり寝覚めが良くない。それにニコル司祭に万が一の事があっては田中からのお使いが完遂できない。


「さて、どうする?」


 息を潜めるリデルは、しかし面白そうに口端を歪めた。

つづく

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