第二話 魔術師と刺客 その一
自由都市エンディミオンは周囲を森と廃墟街に囲まれた城壁都市である。
もともとは旧帝国の帝都であったが、政変の折に焦土と化し見る影もなくなった。しかし旧世界の廃墟街に近いという地理上の都合もあってか、ほどなくして旧世界のアイテムを回収するくず拾いやそれの売り買いをする商人連中、都市から都市へと物資を運ぶトレーダー、商機と捉えた職人どもが集まってきた。そうなるとあとは簡単、人の増加に従い都市はどんどんその大きさを増していく。気が付けば自由都市エンディミオンは帝都の頃よりも巨大な、西方最大の城塞都市へと返り咲いたのであった。
そんな自由都市エンディミオンの中心部から少し外れた地区である野良猫の尻尾通りにその家はあった。家というよりはお屋敷と言ったほうが大きさ的にはしっくりくる。そんな門あり塀あり庭付きよくわからない怪しい蔦ありの木造二階建て住宅の玄関ドアを誰かが叩いた。
「はーい、今行きます。ったく、呼び鈴がついているんですからそっちを鳴らしてくださいよ」
ぼやきながら玄関へと向かったのは十代後半くらいの少女。血の気のない顔色に左目を覆う黒い眼帯、そして可愛らしい顔にアクセントを加えるがごとく斜めに大きな縫合痕。自我を持つアンデッドことキャシーその人である。無論、武装はしていない。都市の人々と同じような服装で、一見して普通の女の子である。顔色は悪いが。
ここは廃墟街でリザードに追われていた魔術師とキャシーの家である。近所に住む人達からは幽霊屋敷だとか噂されてはいるが、まったくもってそんなものはいない。アンデッドはいるが。
ドアを叩く音は止まらない。むしろ若干強くなってはないだろうか。
「今出ますからそんなに叩かないでくださいって。うち、ぼろいんですから壊れます」
ドアノブに手を伸ばし、ふと横に顔を向ける。玄関横に立てかけられている古びた血で汚れた大剣が目に入った。キャシーは数瞬だけ考えを巡らせると、大剣に布をかぶせてからドアノブをひねった。
開けると、目の前に一人の武装した男が立っていた。顔の半分を覆う兜、二十代前半ほどで中肉中背、魔術付与された胴当てを身に着け腰には一振りの剣を差している。おそらくこの剣も魔術付与されているだろう。というよりも魔術付与されていない武器防具など探すほうが難しいと思われる今日この頃。軽装備ではあるが一見して剣士だとわかる、そこそこ顔の整った青年であった。その表情は緊張感にあふれており、まるで決闘前の剣闘士かあるいは魔王を前にした勇者のようである。
なんだか嫌な予感がするなぁと思いつつもキャシーは普段通りの対応をする。
「どちら様でしょうか?そして我がご主人の邸宅に何用でしょうか?」
青年はキャシーが出てきたことにわずかながら驚いた素振りを見せるが、すぐに険しい顔を作り直した。そしてキッとキャシーに厳しい視線を向けてから口を開いた。
「私の名はルーカス。ルーカス・バン・ビッテンフェルト。勇者志望の冒険者だ。私の目的はただ一つ、ここに居を構える悪しきネクロマンサーを討伐しに来た!貴女は一見してこの屋敷に使える小間使いかなにかだろう。悪に手を貸すのは言語道断と言いたいところだが、もちろん男子たるもの婦女子に危害を加えるつもりなどない」
自分に酔ったとても鼻につくような話し方である。
「えーっと、確認してもよろしいでしょうか?」
何かね、と青年改めルーカスは続きを促した。キャシーが笑顔で挙手をしたからだ。
「つまり貴方はご主人を倒しに来たということで間違いないでしょうか?」
「何度も言わせるな。私は悪しきネクロマンサーと、彼によって作られた邪悪なアンデッドどもを倒さねばならん使命がある。さぁ、早く私をネクロマンサーの元へ案ないしぶおあ!」
ルーカスが話し終えるより先に、キャシーの右ストレートがうなりを上げた。
顔面に人間離れした一撃を受けたルーカスは、玄関から二メートルほど後方へと吹き飛ばされ、なおも慣性は死なず、ボールのように体が数回バウンドしてからやっと止まった。拳の形に凹んだ兜が遅れて地面に転がった。
「痛ッ!え、ちょ、今何がおきたんだ⁉」
「『何が起きた⁉』じゃねーよゴルァ!」
痛みに転がりながら混乱しているルーカス。その腹を踏みつけてキャシーは顔をグイっと近づけた。先ほどの笑顔はいったいどこへ消えたのか。今にもルーカスを取って食わんばかりの勢いである。そしてやっと気づく。自分が年端もいかない少女に殴り飛ばされたという事実に。
「おうおう、黙って聞いてたら好き勝手言いやがってよう。言ってええこととあかんことがあるんやで。わかってんのか?今ここでぶっ殺して臓物まき散らせてもええんやで!ああん?」
指の関節をバキバキと鳴らし、こめかみには青筋が浮かんでいる。ルーカスには仁王立ちで自分を見下ろしている少女が、先ほど応対をしてくれた少女と同一人物とは到底思えなかった。まるで悪鬼羅刹である。
「え、あ……すいません」
「なぁ兄ちゃん、すいませんで済んだら都市警はいらんねん」
キャシーはルーカスから足を退けると、そばで転がっている兜に向けて足を振り上げ――金属が粉砕される音とともに兜が踏み抜かれた。もちろん防御強化の魔術が付与されている兜である。
青ざめるルーカス。目の前で起きていることが信じられないのか、視線は兜から離すことができないでいる。
「ハイ、すいません。ゆるしてください」
「だからすいませんで済んだら都市警いらんねん。何回も言わせんなや」
「ハイ、すいません」
キャシーは大きくため息をついた。その場でしゃがみこむとルーカスの髪の毛をつかんで無理やり自分の目線に合わせる。
「まぁ人間ってのは間違いを犯す生き物やってご主人も言うてからなぁ。今回は許したるわ。せやけど次顔見せたらどうなるかわかるよな?兜だけやすまへんで」
「ハイ、すいません」
「ほら、さっさと失せろ。私の気が変わらんうちにな。さもないと兄ちゃんの首と体が物理的に離れるで」
「ハイ、すいません」
ルーカスは踏み抜かれて使い物にならなくなった兜を拾うと、脱兎のごとく敷地外へと走り去っていった。逃げ足の速さは相当なものである。
「カスめ、気分が悪い」
キャシーはペッとつばを吐くと、きびすを返して屋敷へと戻った。玄関のドアを開けるなりリザードも生存本能で逃げ出しそうな表情が一転、ニコニコとした柔らかいものに変わった。
玄関で待っていたのは件の魔術師である。当然と言えば当然なのだが廃墟街とは違い普通の服装である。ただ一つ、ペストマスクを家でもつけていることを除けば。
「おいキャシー、すごい物音したけど何かあったのか?」
「いえ、特にご主人に報告するようなことは何もありませんでした。ただ不審者がいたので極めて平和的な方法で帰っていただきました」
ふーん、と興味がなさそうに相槌をうつ魔術師。絶対になにかのっぴきならないことが起こったことに気づいてはいるのだが、あえてそれを隠して平然を装っている。たとえばドアが閉まる前、玄関になぜか血痕が見えたこととか。
「まぁいいか。そろそろお茶にしよう」
結局、触らぬ神になんとやら。魔術師はさっき見たものを忘れることにしたのであった。
次の日。時刻的にはそろそろ教会の鐘の音が鳴る頃。
「昨日はよくも不意打ちをしてくれたな!今日は卑怯な手には引っかかりはしないぞ!」
けたたましい来訪者がやってきたのはちょうど魔術師とキャシーがリビングでお茶をしている最中であった。
二十歳くらいの青年で中肉中背で――以下略――頭に包帯を巻いているところだけが昨日とは違っているが、勇者志望の冒険者にしてキャシーに殴り飛ばされたルーカス・バン・ビッテンフェルトその人であった。
魔術師は慌てることなくペストマスクに手を触れる。するとなんということだろう、ペストマスクのくちばし部分が上下に開閉したではないか。手に持ったティーカップをくちばしの中に入れると器用にも一気に飲み干した。ティーカップ片手に魔術師はキャシーに顔を向けた。
「ノックもなしに入ってくるとは無粋なヤツだな。キャシー、彼は誰だ?」
「昨日、襲撃してきた冒険者です。思いっきりぶっ飛ばして脅しつけたのですが、まさか昨日の今日でまたもや襲撃してくるとは思いませんでした。私の考えが甘かったようです、申し訳ございません。今すぐ掃除いたします」
言うや否やキャシーはゆらりと椅子から離れた。手にはいつの間に持ったのだろうか麺棒が握られていた。撲殺する気満々である。
それを見てルーカスも慌てて腰の剣を抜いた。刀身にはルーン文字が刻まれ、淡い光を放っている。やはり魔術付与されたロングソードであった。麺棒よりはよっぽど強そうではあるが、悲しいかな迫力という点においてはキャシーには一歩も二歩も及ばない。
しかし腕に自信があるのだろうかルーカスも臆した様子は微塵もない。それどころかその構えに隙がない。
「ふんっ、今度はそう甘くはないぞ。その少女みたいなアンデッドごと斬り伏せてくれるわ!」
魔術師はペストマスクの奥で、ほうっと小さく感嘆の声をもらした。一度会っているとはいえ、よくもアンデッドであると見抜いたものだ。
そもそもアンデッドとは何ぞや、という話である。
簡単に説明すれば、一般的なネクロマンサーが魔術の一種であるネクロマンシーで死体を操ると、一般的に良く知られるゾンビやスケルトンなどのリビングデッドだ。
そして、超一流のネクロマンサーが持てる技術の粋を結集して限りなく人間に近づけた、いわばリビングデッドの上位版をアンデッドと呼ぶ。見た目も生前と遜色ない状態であったり会話できたりある程度の思考ができたりと、リビングデッドとは一線を画す。ただ、リビングデッドのように単調な仕事をさせるものに、会話をしたり思考をしたりする機能なんて邪魔なだけで、役にも立たず理解もされない趣味枠というのが世間一般の考えである。おかげで需要もなければ供給もない、廃れた魔術なのだ。ネクロマンサーだけに。
よって基本的には好き勝手に動き、会話するキャシーを見てもアンデッドということに気が付かない人のほうが多いのだ。近くの広場でキャシーと一緒に徴収人ごっこをして遊んでいる子供たちなんて顔色の悪いネーちゃんと呼んでいるくらいである。
それなのに、である。このルーカスという冒険者はキャシーがアンデッドであることを早々と見抜いたのである。しかもゾンビとは断言していない。よほどこの手の手合いとやりあった経験があると考えるのが妥当であろう。
ただ――あくまでキャシーは便宜上、アンデッドと称しているだけなのだが。
キャシーは無闇に襲い掛かろうとはせず、魔術師に向けてそっと目配せをする。
――今ここで始末しますか?
魔術師は首を横に振った。相手は魔剣を抜いているのに対してこちらは手ぶらである。まぁキャシーならおそらくは何とかしてくれるだろう。しかし何よりも、
「部屋を血で汚すのは勘弁だ」
あと片付けもめんどくさい。
本音はさておき、ティーカップを置くと魔術師はルーカスに向き直る。
「まぁ落ち着けって。ルーカスだっけ?どうしてうちに殴り込みをかける?誰かに頼まれたのか?」
そもそも周囲に迷惑になることなどしていない、近所づきあいは良好なはずである。よって知り合いの誰かがこの男を雇い、自分を暗殺しに来たとは考えにくい。知らずに恨みでも買ってしまったか?とすればそこに話し合いの余地が生まれるのではなかろうか。魔術師たるもの弁論によって争いを回避しなくてはならない。もし逆恨みなどであったらあとで始末すればよいだけだ。