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第五話 その都市警、新米につき その三

 私たちは朝の早いうちから移動を開始した。よくよくキャシーに話を聞いてみれば、どうやらはぐれた際の集合ポイントとやらがあるらしい。ここからそれほど遠くない。西のほうに見える四角い塔が集合ポイントとのこと。


 なら、もちろん向かわねば。


 一日たっても私の足の痛みは引かず、仕方がなく槍を杖代わりにして四角い塔を目指して歩いていた。


「ニトさん、鎧とか置いて行ってよかったのですか?」


 キャシーは振り返るとそう尋ねた。


「大丈夫、大丈夫。どーせ一山いくらの支給品だし。咎められてもうまくいけば内勤に変えてくれるかもしれないしね」


 いやまぁ実際鎧を捨てたのがバレたら始末書ものという気がしないでもないが、今は不可抗力ということで。兜はかぶってるしへーきへーき。内勤への転属も……それはあり得ないか。


 後ろ向きな考えはさておき、私たちは廃墟街をずんずんと進んでいく。


 キャシーが先陣を切り、少し遅れて私が後ろを追いかける。


 申し訳ないが、私の歩くスピードに合わせてキャシーにはなるべくゆっくり歩いてもらっている。置いて行かれるのだけはご勘弁願いたい。


 そんなキャシーの足がはたと止まった。


「どうしたのよ?」


 キャシーは神妙な面持ちで周囲に視線を走らせている。


 やや間をおいて、


「妙です」


 と、一言だけ返した。


「……何が妙なのよ?」

「静かすぎます」


 そうかな……?


 廃墟街に足を踏み入れた時から静かなイメージはあったと思うけど。


 続けてキャシーは言う。


「鳥や虫の声がしません」

「声?」


 たしかに――言われてみれば私たちの靴音以外全く聞こえてこない。完全なる静寂である。ミュータントが超慮跋扈する廃墟街といえども、虫や取り小動物が一匹もいないというわけではない。明らかに何かがおかしい。


 キャシーが大剣の柄に手をかけた。


「備えてください何か嫌な予感がします」

「え、備えろっていったい何に――」


 全てを言い終える前にキャシーが私に向かってぶつかってきた。突然のことで対応ができず、そのまま尻もちをついてしまった。


「いたた……ちょっと何する……の……よ?」


 抗議の声はか細くなり、にじみ消えた。かわりに絶句。顔を上げたあたしの僅か数メートル離れたところにそれはいた。


「アラクネー……」


 声が震えているのが自分でもわかる。


 廃墟街にはアラクネーというミュータントが生息している。蠢く八脚、赤く爛々と輝く二列に並んだ八つの目。見た目は思いっきり蜘蛛である。問題は大きさが二メートルから三メートルほどあるという点か。目の前のは五メートルくらいありそうだが。


 ちなみによく見かける蜘蛛のように糸で巣を作らず、獲物を求めて陸上を徘徊するタイプである。特徴的なのは二対の鎌のような前脚である。歩くことではなく獲物にとどめを刺すことに特化した前脚は、伸縮性に富み、間合いが予想以上に遠い。そして術式が付与されていない鎧ならあっさり切断してしまう。獰猛な肉食性であることから危険な部類のモンスターで、動きも早く不意打ち、待ち伏せ、奇襲なんでもあり――と本に書いていた。実際目の当たりにするのは初めてである。


「キャシー、さすがにアラクネーを相手にするのは……。い、今は逃げましょう」

「いえ、ニトさんだけ逃げてください」


 自分の耳を疑ってしまった


 まず思ったのは、この子はいったい何を言っているのだ?


 次に思ったのは、あんなバケモノ蜘蛛と真正面から戦うつもりなの⁉


「馬鹿なこと言わないで!相手はあんな巨体なんだから逃げれば撒けるはずよ!それにキャシー一人を置いて私だけ逃げるなんてできるはずがないじゃない!」


 キャシーは首を横に振る。


「そういうわけにもいかないんです。ニトさんの足では逃げても追いつかれます。そしてニトさんは戦えないのですから必然的に私が相手をしなければなりません」

「だけど――」


 アラクネーがキャシーを貫かんと鎌脚を勢いよく伸ばした。キャシーは左手で握った大剣で容易くその攻撃を弾いた。


「だけど、じゃありません!これだから都市警を相手にするのは面倒なんですよ……状況判断くらいしてください」


 むかっ!


 好き放題言ってくれちゃって!何が状況判断よ!状況判断したから逃げるって選択肢を選んだのに!


 さすがに頭に来た。一言文句でも言ってやろう、と――


 その時になって初めて私は気が付いた。


 キャシーの右腕のひじから下がなくなっていた。視線をずらせば遠くに見覚えのある右腕が転がっている。


「キャシー……腕が……」


 あまりにもショッキングな光景を見てしまうと、人は悲鳴すら上げることができない。私は息を呑み、右腕をひたすら凝視していた。


 まさか初めに私に体当たりをしたときに斬り落とされたんじゃ……。


 アラクネーは再び鎌脚を刺突してきた。キャシーは鎌脚を刃で受けるとそのまま脚の節目がけて大剣を滑らせていく。散る火花。そして刃が節に到達したところで、一思いに脚を斬り落とした。アラクネーが痛みに悶え、わずかに後ろに下がった。


「言っておきますがこんな蜘蛛、勝てないというわけではありません。ですが、それは戦えない仲間を庇いながらだと話は変わります。私はニトさんを守り切る自信がありません。片腕ならなおさらです。先ほど言いましたよね、私一人を置いていけないと。結構。ですが自分の状況を理解してから言うべきです。貴女が残って何ができるのですか?行動には結果が伴います。ニトさんはもっと考えるべきです」


 キャシーの剣幕に私は何も言い返すことができない。


 大剣を向けるキャシーが一番の脅威と感じ取ったらしくアラクネーが標的を変えた。


 ――誰に?


 予備動作もなく私に向けて飛び掛かってきた。


 まさか自分に攻撃目標が向けられるなんて思ってもいなかった。悲鳴も上げられず、それどころか指の先一つ動かせない。


 そうなるとわかっていたのか、待ち構えていたようにキャシーが私とアラクネーの間に割って入った。そして渾身の力で大剣を横に振るう。


 アラクネーに残った鎌足が体液をまき散らしながら宙に舞った。


 同時にキャシーが片膝をついた。彼女の右ひざから下は――ない。


 キャシーが私を一瞥した。その眼光に私は息をすることすら忘れた。


「人を守るということはこういうことです。それができないならせめて役所に言われるがまま人を助けてください。今のニトさんは役所の犬にすらなれませんよ」


 まるであたしを諭しているかのような話し方であった。


 …………。


 一体何をしている?


 キャシーは手足を失ってでも戦っているというのに、私は一体何をしている?


 私は都市警だ。


 都市警の仕事は何だ?守られることか?


 違う。


 なら私がすることはただ一つ。


 槍の柄を握りしめた。


「ニトさん!」


 身動きが取れないキャシーを庇うように私は槍を構えて前に出た。右足が痛むが関係ない。十分動ける。


「ニトさん!邪魔をしないでください!」


 私が戦わねば誰が戦う?


 それに違うのだ。キャシーが言うことは百も承知している。しかし感情がそれを許さないのだ。


 よしんばキャシーがアラクネーを倒したとしても私自身が耐えられない。自己保身のためじゃないか、と罵ってくれても構わない。けれどもそれが私にとって何よりも耐え難いのだ。彼女を守るために、そして私自身を守るためには、今戦わなきゃならないんだ!


「役に立たないどころか、足を引っ張ってることくらいわかってるわよ!でも、貴女を見捨てることなんてできるわけがない!」


 こんな状況だというのに堪えきれずにキャシーが吹き出した。


「ほんと、人間ってのは身勝手で無責任で自分のことしか考えられない生き物ですね。自分の衣食住が一番ではなかったんですか?」

「ふん、追加項目ができただけよ」


 強がっては見せるが、背中を一筋の冷気が走るのを感じた。槍の穂先が小刻みに揺れる。それが、自分の足が震えているせいだと気づいたのはいつであったか。


 大丈夫、私ならやれる。私ならやれる……!


「大丈夫ですニトさん。貴女が戦う必要はありません」


 不意に聞こえたキャシーの声音は思いのほか落ち着いていた。


「あの人が何もしないはずがありません」


 あの人?


「はい。あの人は必ず来てくれます。必ず助けてくれますから。絶対、絶対、絶対に助けてくれますから――ね、ご主人ッ!」

「ああ――その通りだッ!」


 私の背後で知らない男の声がした。アラクネーを前にしていることも忘れて、私は振り返った。視線の先には瓦礫の上に立ち、小銃を構える一人の男の姿。都市迷彩柄のマントを風にたなびかせ、小銃側面の装填レバーを引くのは、ペストマスクをつけた魔術師であった。


 魔術師は引き金を引いた。銃声が一発。


 銃弾は狙い違わずアラクネーの頭部めがけて飛んでいき――命中寸前に紅蓮の炎の柱となってアラクネーを包み込んだ。それはまるで赤い竜が螺旋を描きながら飛翔しているかのよう。


 見惚れてしまった。


 それほどまでに初めて見る魔術の業火はとても美しかった。


 ほどなくして火炎の奔流が収まる。


 そして――巨体の隅々までを黒く焼き尽くされたアラクネーがそこにいた。

つづく

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