第三十一話 異形と修羅と盗賊 その四
何事もなく日々は過ぎていく。そんな朝。
田中は玄関前で各種装備の最終点検をしていた。特に隠し弓を内蔵している籠手はギミックが複雑で要注意である。いざという時に使えないようでは奥の手である意味がない。
キャシーはまだ終わらないのかとうんざりしたような表情で待っている。不思議なことに買い物に行くとなると立場が逆になり、田中のほうがまだ終わらないのかとうんざりした顔をするのである。屑拾いの廃墟と女の市場は全く違うようで根っこは一緒のものなのかもしれない。
「ご主人、早くしないと日が暮れてしまいますよ」
いい加減しびれを切らしたのかキャシーが催促してきた。
「大丈夫、どうせ廃墟街に入る前に一泊するんだから慌てて出発しても大して変わらんよ」
それよりも準備に時間をかけるほうが絶対に良い。アンデッドとは違い人間は簡単に死んでしまうのだから。
「ご主人はそう簡単に死なないイメージです。それこそアンデッドよりしぶとく生きそうです」
「褒めてんのかそれ?」
もちろんとキャシーは大仰に頷いた。とても胡散臭い。
そうこうしているうちに田中の最終点検も終わった。右の弾薬ポーチには予備弾倉も十分あり、いざという時用の魔術付与弾もある。小銃の整備はオーケー、銃剣や吸魔の剣にも錆は一切ない。日頃の手入れのたまものだ。数日分の保存食も携帯しているし、よほどのことがない限り大事には至らないだろう。
キャシーは田中の準備が整ったことを確認すると、壁に立てかけてあったバルディッシュを担いだ。カーボン装甲胸部鎧は傷だらけで、そろそろ交換しなくてはならない。ちなみに眼帯は白地に赤茄子の模様である。いったいどこでこんなもの買って来たのかは不明だ。
お見送りと称してアヴェンジャーとリデルが並んで立っている。
田中とキャシーが廃墟街へ散策に行くということは、彼ら留守番組にとっては初の仕事ともいえる。期待通りの働きをしてくれるのだろうか。
「主殿、留守は私たちにお任せくだされ。しっかりとその任を果たしてみせますぞ」
言葉の節々に力を込め、アヴェンジャーは胸を張る。リデルもそんなアヴェンジャーを見てつられて同じように胸を張った。
田中は動きを止めるとアヴェンジャーの顔をじっと見る。
「むむ、主殿。私の言葉が信用できないとでも?」
「そういうわけじゃないんだが……個人的には日常生活のほうが心配だ」
何やら心当たりがあるらしくキャシーが「ああ」と頷いた。
アヴェンジャーは不服そうに田中のことをにらむ。
「それは主殿とはいえ聞き捨てなりません。いったい私のどこが――」
「え、だってオマエ、お金の判別付かないじゃん」
「…………」
アヴェンジャーは急にそっぽを向くと黙り込んだ。
「あとキャベツとレタスの区別も……」
「ああ!主殿!それ以上はいけません!それは言わないよう約束したではありませんか!」
アヴェンジャーの澄ました表情はどこへ行ったのか、面白いほど慌てふためく。
田中とキャシーは互いに顔をあわせ、再びアヴェンジャーを見た。
二人ともその目はどういう意味ですか?とアヴェンジャーは顔を真っ赤にして訊いた。もちろん田中とキャシーは答えようとしない。
「大丈夫です。僕がいますので何も問題ありません」と代わりにリデル。この子はお金の判別がつくし、キャベツとレタスも間違えない。それどころか砂糖と塩だって間違えたりしない。
「まあそれもそうだな。リデルなら大丈夫だな」
「いや、主殿。私の扱いが雑ではありませぬか?まさかポンコツキャラに仕立て上げようとしてはおりませんか?」
田中は所々に補強の痕が残る愛用のバックパックを担いだ。そしていくつものポーチが付いた剣帯に吸魔の剣を差し、小銃を右肩に掛けた。これで準備は万全だ。
「では行ってくるぞ」
「無視は如何なものかと思います……」
アヴェンジャーはしかめっ面で田中たちを見据える。それがどうにもおかしく思えて、田中の背に隠れてキャシーはくすくすと笑っている。
「すまんすまん。とにかく留守の間はこの家のことを頼んだぞ。後、リデルのことも」
アヴェンジャーはあまり納得がいかない様子だったが、こうも田中に言われればいつまでも不平を漏らすわけにはいかない。ゴホンと咳払いをすると急に真面目な顔になった。
「再びになりますが……私たちにお任せあれ。不届きものは一歩たりとも敷地内には入れませぬゆえ」
今度は田中も冗談めいたことは言わなかった。
「ああ、頼んだぞ」
その言葉を最後に、田中はきびす返すと玄関のドアを開けた。目もくらむ逆光に向かって一歩踏み出す。
――そもそも、だ。
自らの手で作り上げたアンデッドに不安など微塵もあるはずがなかった。
季節は秋を過ぎ冬に片足を入れている。既に吐く息は白く、温かかった。
幾日かの夜。ひんやりとした空気がゆるりとエンディミオンを包む。
薄い雲に覆われた月はその輪郭を朧げに映すのみ。
煮売り屋が軒を連ねる麦と命の鍋小路とは違い、黒猫の尻尾通りは実に静かであった。どこかで猫か何かの鳴き声がする。そんな薄暗い通りを影が二つ、速足で通り過ぎた。
二つの影は迷うことなく目的地へと向かう。体格から男のものだとはわかるが、黒っぽい服装でフードを目深にかぶっているため人相は伺えない。明日は安息日でもなく、深夜も回った今の時間、普通なら仕事に備えて床に就いている時間だ。その影たちはあからさまに善良な一般市民ではないのだ。
影はとある家の前で足を止めた。周りの家々とは雰囲気が異なり、二階建てで壁面には夜でもわかるほどたくさんの蔦が這っている。初めにここを幽霊屋敷と呼んだ人はなるほど、まさにそう形容するに他ならない。
周囲に人の気配はなく、ましてや明かりもない。仕事をするにはもってこいの状況だ。が、これほどまでやりにくい仕事は久しぶりだとも影は思った。
仕事を失敗した無能どものせいで、と恨めしくも思う。
この数日情報収集していて、案の定さらに状況が厄介なっていることがわかった。
屑拾いとアンデッドの二人に加えて、いつの間にか女と童が一人ずつ住み着いているのだ。
それだけでなく、どうやら都市警が近辺をちょろちょろと嗅ぎまわっている。若い女の都市警だ。ただ遠目で見た限り切れ者には思えない。暴力に自信があるタイプと影は推察する。つまりその女の独断というわけではなく、都市警本体が動いている可能性がある。さらに言えば自分たちとパトロンの存在に薄々気が付いているのかもしれない。そうでもなければ都市警がわざわざちんけな空き巣事件を探ろうとするはずがない。ボスは何も言わないがこの仕事は早く降りる必要がある。さもないと取り返しのつかないことが起こるやもしれない。
つづく




