第三十一話 異形と修羅と盗賊 その三
「――で?」と、女は一言だけ。
社長は何も言わず、黒い女を見ることもできずにいる。表情がますます険しくなっていく。
女の、扇を開け閉じする手が止まった。
「誰が黙っていいと言ったのよこのダボハゼがっ!」
女の怒声と共に、デスクに叩きつけられた扇がバキィと音をたてて真っ二つに割れた。その衝撃は凄まじく、飛び散った細かい破片が天井を掠めるほどである。
「見つけられず……申し訳ありません」
烈火の如き剣幕を前に、ただそれだけを喉から絞り出すので精いっぱいであった。俯く顔には隠し切れない不満の色が見て取れ、それが今の社長にできる限りの抵抗である。
黒い女は持ち手しか残っていない扇を放り捨てた。
「まあいいわ。誰しも失敗はするものよ。たとえ誰もいない家から目的のブツを回収するなんて、子供のお使いみたいな内容だとしても。大事なのはそこからどうやって挽回するかよ」
打って変わって落ち着いた物言いである。ようやく社長は恐る恐ると顔を上げた。しかしそれは間違いだったと女の目を見て理解した。
「というわけで次こそ回収してきなさい」
これほどまでに冷たい言葉があるのかと瞠目した。
「そ、それは……もう一度同じところで仕事をするのは危険すぎる」
汗腺が開くのが自分でもわかる。一度仕事に入ったところに再び盗みに入るのは非常にリスキーである。もちろん相手だって二度目が無いよう警戒するに決まっているので失敗の確率が極端に高くなる。都市警のマークも入っているかもしれない。
この女の命じることとはいえ、さすがに盗賊団全体を危険にさらすことは承服しかねる。だが黒い女は心底どうでもいいと言う風に、
「へーそうなの。でもそんなこと知らないわ。だって危険かどうかなんて私に関係ないんですもの。あなたたちは私がやれと言ったら黙って言われたとおりにやるの。おわかり?」
ボスは何も言い返せなかった。確かにその通りなのだ。この女にとって自分たちはその程度の価値しかない。そして自分たちはこの女の言うことを無視することなどできない。絶対にできないのだ。
「わかった。なんとか……する。目的のブツはあんたに必ず渡す」
絞り出すような声でしぶしぶ社長は承諾した。承諾せざるを得なかった。
黒い女は「そう。それでいいのよ」と満足げに言い、デスクから腰を上げた。立ち上がることでなお黒い女のスタイルの良さが露になる。手足はすらりと長く、さらに顔も小さい。時と場所が違えば通りがかる男が全て振り返るだろう。
魔女め。社長は内心罵った。
「そうそう。いいこと教えてあげるわ」
黒い女は口元に微笑を浮かべた。
「ああいう手合いは隠し帳簿みたく地下室や隠し金庫なんて用意しているものよ。あなたたちは見つけ出せたのかしら?」
社長が壁際に視線を走らせた。顔色が青を通り越して紫色になっている者が二人ほどいた。情報では家主は長期不在と聞いていたので楽な仕事を引き受けたものだと思っていたが、もう少し手練れを送るべきだった。
そんな社長の内心を見透かしているかのように、黒い女は眉をひそめて言った。
「あなた何か勘違いしていないかしら?見つけられなかったのは部下の責任ではなくてよ。舐めてそんな人員しか寄こさなかった貴方が悪いのよ。私の言っている意味がわかるかしら?」
社長はもう何も答えなかった。
黒い女も端から返事など期待していない様子で、きびすを返して出口のほうへと歩いていく。扉の前まで来るとカチコミに備えて補強された扉がひとりでに開いた。外には黒い服を着た護衛と思しきガタイのいい男が二人ほど立っている。
「では、ベルヌコ盗賊団の皆さん、吉報を期待しているわ」
そう言い残して黒い女はアジトを後にした。口元に笑みが浮かんでいたが、それは嘲りの意味があったのか、それとももし失敗したらこの盗賊団がどうなるかを想像してだろうか。なんにせよ碌なものではないに違いない。
黒い女が去り、しばらくたってから社長はようやく体の緊張を解くと、長らく水の中に潜っていたかのように大きく息を吐いた。
「ボス、あの女の言う通りマジでもう一度仕事をするんですかい?」
デスクに一番近い位置に立っていた部下の一人が尋ねた。
「せざるを得ないだろ。あの女に逆らえる盗賊組織なんてこのエンディミオン界隈には一つも存在しねえんだからな。あとここではボスじゃなく社長と呼べ」
「すんません社長。それで、そもそもあの女はナニモンですか?色気が服着て歩いてるような見た目ですけど。まあ歳は割かしいってるみたいですが」
他の部下たちから下卑た笑い声が漏れる。
社長は一緒になって笑う余裕などなかった。いったい誰がその女と相対して話していたと思っているのだ。
「古美術商だよ……表の顔はな。裏の顔は俺たちみたいな盗賊組織の元締めみたいなもんさ。俺たちが奪ってきたブツを自分のルートで売買して金儲けをしてやがる。そんで俺たちには情報や武器を与えて、商売敵を打っ潰させたり目的の代物――今みたいな空き巣紛いのことをさせたりしている」
社長はデスクの引き出しから筒状に丸められた乾燥薬草を取り出した。すかさず部下が近寄り火種を当てて先端に火をつける。決して肺に入れず口の中で滞留させて味わったのち、吐き出した煙が天井まで昇っていく。肺の中に入れようものなら、事務所の外にいる脱法薬草中毒者どもと同じような末路になりかねない。
「まあなんにせよ。死の商人とかいう別名もあるくらいおそろしい女ってことだ。そしてなにより金持ちだ」
古今東西金持ちは強い。金の力を使って人を動かせるからだ。ちょうど今のように。
部下たちは互いに顔を見合わせてうんうんとうなずく。
「たしかにあのケツはおそろしいな……」
「わかる。あと足も」
実に碌でもない事だった。社長は、自分たちベルヌコ盗賊団がどういう状況に立たされているのか全く理解していない部下たちを前にため息をついた。
「しっかし、俺らが苦労してかっぱらって来たってのに、結局のところああいう手合いがぼろもうけするのは納得できねえな」
なおも文句を垂れる部下がいる。相当不満が溜まっていたらしく、ちょっとやそっとの事では収まりそうにない。元締めか何だか知らないが、女ごときにあそこまでコケにされてなるものか、という憤りが部下たちを焚き付かせている。
そんな部下たちを社長はなおも宥めようとする。
「そうは言うがな、ああいうのがいないと今時盗品売買なんて成り立たんぞ。ただでさえ当局の監視がきついご時世だ。あの女のルートがなければ俺らだってエンデで仕事なんぞできん。あっという間に摘発される」
実際その通りである。旧帝国時代ならまだしも役人組織が力を持ち、法と秩序で治安を正そうとするエンディミオンで、しかも市内で盗品売買なんてしのぎは足が付いてまずできない。素人がやろうものならすぐさま警吏がしょっ引きにやってくる。いや、都市警のカチコミかもしれない。
だからこそ安全に売買をするには専門の仲介業者が必要なのだ。そして黒い女は仲介業者の元締めであることから、彼女が持つ力と裏社会への影響力がどれほどのものかは推して知るべしである。
またそういう立場である以上、あの女とどれだけパイプを持てるかがエンディミオン界隈の盗賊団では一種の力関係を表す指標となる。女の子飼いの盗賊団なら優先的に情報や仕事の斡旋を受けることができるからだ。つまり儲けられるし、後ろ盾により他組織からも舐められなくなる。そしてベルヌコ盗賊団は直々に黒い女が訪れるほどである。
失敗など絶対にできようがない。
「参事会が言う法と秩序ですか?あれが嫌だからこういう商売してるのに、こっちの世界も結局法と秩序なんですねえ」
「それくらいにしておけ。もう少し長生きたかったらあの女のことは話さないほうがいい。どういうルートでアイツの耳に届くかわかったもんじゃない。俺たちは言われたことをやるまでだ。あの女に逆らうと……あの女の命令をしくじったら俺たちは終わりだ。お前らも覚えてるだろ、あの敵対してた盗賊団をぶっ潰した時に使った武具類、あれはあの女からの援助だぞ。おれたちはもう逆らえねーんだよ」
へらへら笑っていた部下たちが皆静まり返った。
「――ヘインツとデロット。今度はお前ら二人がいけ」
背の高い男と口周りが髭で覆われている男が頷いた。
「了解。ですが社長、二度目となるとカカシの一人や二人置いてるかもしれませんぜ。どうするんで?」
髭の男が聞いた。どっちがヘインツでどっちがデロットかわかりやしない。
社長は至極当たり前のように言う。
「生かしておくメリットなんてないだろ?どんな手段を使ってでもブツを持ってこい」
つづく




