第三十一話 異形と修羅と盗賊 その一
黒猫の尻尾通り。朝。
都市警の巡察官であるニト・ペルオキシはタナカ邸の玄関を前に「うむぅ……」と真剣な表情で唸っていた。
空き巣と聞いて他の巡察官に紛れて煽りにきたというのに、あのペストマスク男が傍から見ても分かるくらいにしょぼくれていたのだ。煽りがいがない……ではなく、一般市民の安全を法と秩序に則って暴力で解決する都市警の一員としては放っておくことなどできない。
というわけで非番を利用してやって来たのだが、いざとなるとどうにも躊躇う。
勢いばかりで口実を何も考えていなかった。不覚である。何と言ってこのドアを叩けばよいのだろう。ザ・私服のため仕事関連の理由は使えない。軽い感じで様子を見に来たという風に行くべきか、最近墓荒らしが増えてるけどあんた何かやらかしてるんじゃないでしょうね!と冗談風に行くか。もしくはキャシーに会いに来た、で話を進めるべきか。
さてどうしたものか。
ニトはさらに首を傾げ、ドアノッカーに手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返している。通りがかった人が、くねくねしているニトを疑心に満ちた目で見ている。童があの人何してるのー?と指を差せば、見ちゃいけません!と母親が顔を背けさせる。まあ、もちろんニトはそんなことなどお構いなしだ。
そうとう長い間考え込んだのち、ニトの目に決意の色が浮かぶ。右手がドアノッカーをしっかりと掴んだ。
――ええい、ままよ!
コンコンコンと叩いて鳴らした。
永遠にも思える無音の時間が訪れた。
できる限りの平静を装いながら直立不動で待つ。どうして私がタナカの家に行くだけでこんなに悩まなければならないのか。こんな理不尽があってなるものか、と理不尽なことを思いながらニトは待つ。
扉が軋む急な音にニトは飛び上がりそうになった。
キャシーが応対するのなら足音なりなんなりでもっと賑やかなはずだ。無言で扉を開けるなんてことはまずない。ということはつまり今扉を開けようとしているのは……。
心の準備もほどほどに、ゆっくりとドアが開いていき――
ニトの目が点になった。
サーコートを着た長身の女が顔をのぞかせたからだ。もちろんキャシーではない。少なくともニトが知っている田中の交友関係の中でこんな三白眼の女は見たことがない。
「えっと……どちら様?」
思わずそんな言葉が口から転がり出る。
アヴェンジャーはあからさまに困惑した表情を浮かべた。
「まさか自分の家のドアを開けてお前は誰だ、なんて聞かれるとは思いもよりませんでした」
…………。
………………。
…………………え?
聞き間違えかしら?
「自分の……家?タナカの家が?」
思考回路がエマージェンシーでオーバーヒートで入ってくる情報を処理できない。
あからさまに様子がおかしい訪問者を猜疑的な目で見ていたアヴェンジャーだったが、合点がいったように何度か頷くと、
「うむ、つまりご客人は主殿に用でありますな?あいにく主殿は家庭内のごたごたで取り込んでおりまして」
「……え?主殿?ああ――」
ニトはようやく目の前の女がどういった人なのかに気が付いたようで――
まずは状況を整理することから始めるべきである。それも慌てず騒がずあくまでも冷静沈着に。
田中はゆっくりと息を吸い、吐いた。
んなこと無理である。
目を覚ますと真っ暗な闇の中にいるのだ。どうやって冷静になれと言うのだろうか。
それでも現状を把握するのに三秒とかからなかった。
魔力強化の光が壁際でちらちらと光っていることから、おそらく自分の家の地下室だ。そして部屋の真ん中で、なぜか椅子に括り付けられて身動きが取れずにいる。
監禁という言葉が頭の中にふつふつと湧き上がってきた。
自宅で監禁。
何を言ってるのかわからないだろうが自分でも言っている意味がわからないので仕方がない。とりあえずここから脱出せねば。田中はペストマスクの下で術を唱える。すぐ目の前の虚空に弱弱しい光の玉が浮かび、周囲を薄暗く照らす。
キャシーが対面に正座していた。
「うわああああああ!」
ガチでビビった。大の大人がみっともないくらいにビビった。
「人の顔を見て驚くのはスゴクシツレイですよ」
「むぅ、それはすまん……」
「わかってくれればいいんです」
「お、おう。で、時にキャシー。どうしてそんなゴツイ鉈を持っているのかな?」
座するキャシーの膝から握りこぶし一個分のところに武骨な鉈が鎮座している。魔力強化もされていないお値段控えめな業務用の鉈である。最近寒くなってきたし弾を取る用の薪を割ったりするのに便利だろうな―なんて思って買った鉈が、今まさに持ち主に牙を剥こうとしている感じがほのかにしてきた。
田中はちらりと周囲に視線を走らせる。ここは本当に自分の家の地下室なのかと目を疑った。ほんの少し前まではなかったはずの、妙に攻撃的な形をした道具や乗り物がそこかしこに置いてあった。神に誓ってハードなプレイをする趣味はなければ道具類にも興味はない。というかあんなぶっとい蝋なんて初めて見た。どこで買えるんだ?
「ご主人、やっぱり私は思うのです」
キャシーが再び口を開いた。
「いくら切迫した状況とはいえ、やはりご主人と私の愛の巣に他人を招き入れるのは如何なものかと。テキトーに外に小屋でも立ててそこで寝泊まりさせればいいのでは?四畳半くらいので」
普段の彼女から想像もできないほど抑揚のない心底不気味な声であった。
田中は背筋を震わせた。まさかこんな強硬手段にでるとは。
「アヴェンジャーのことか?それともリデルか?どちらにせよ、あれは不可抗力だ。たまたま術が上手くいったのが彼女たちなわけであって、別に他意もない。というか材料を持ってきたお前が言うんじゃない。あとさすがに小屋はどうかと思うぞ」
キャシーは初めて笑顔を浮かべた。
田中はわかってくれたものだとほっと息をつく。
つづく




