第二十九話 蠢く影と彼の決意 その三
よそよそしい態度になったニトが都市警の詰所へと帰り、田中宅には田中とキャシーのみとなった。キャシーは割れた皿をテーブルの上に置いてから、キッチン兼リビングであるこの部屋の中を窺える位置にあるすべての窓を閉め始めた。外からの明かりが遮断されて薄暗くなる。
虚空にぼうっと光の玉が浮かび上がった。田中が唱えた魔術の明かりである。光の玉は田中が歩き出すと同時にそのすぐ後ろを付いてゆく。
「キャシー、この空き巣どう思う?」
不意に尋ねた。キャシーは間髪入れず応える。
「おそらく何か目的があって忍び込んだのでしょう」
だろうな、と返してから田中は壁に触れた。触れた箇所が容易く凹む。それに伴ってどこかでガシャコン――と何かが外れる音がした。
田中が購入する前、もともとここは魔術師が住んでいた邸宅で、趣味なのかは知らないが地下室や隠し引き出しといったギミックがいくつかある。田中が作動させたのはそのうちの一つであり、足元に小さな引き出しが現れた。その中には仮面が二つとショートソードが一振り入っていた。仮面はそれぞれ異なる意匠が施されており、片方は犬のような、もう片方は猫のようなデザインであった。
以前廃墟街で田中たちを襲ってきた二人組の刺客、猫面と犬面の遺品である。
「おそらくこれだろうな。隠し引き出しに入れてるブツなんかこれくらいしかないし」
田中が再び壁に触れると引き出しはスライドし、元の場所に収まった。壁と引き出し戸の境目はよほど注意深く見なければわからず、施工した職人の腕の確かさが見て取れる。
「ということは今回の空き巣もあの時の刺客の類でしょうか?」
「わからん。ネクロマンサーあるいはその息がかかった連中の仕業だとは思うが……いかんせん全貌が見えない。反社はどうして今頃物証を回収しようとしているんだ?もう半年も前だぞ」
キャシーはっとして顔を上げた。
「大変!お爺さまに渡してる武器も狙われるんじゃ……!」
だが、ひどく慌てた様子のキャシーとは対照的に、田中の反応は淡々としたものである。
「ああ、あれは大丈夫だろ。どうせじじいに壊されて原型なんて残ってないだろうしな」
「え、それってどういう――」
「キャシー、盗賊対策をするには何が必要だと思う!」
強引にキャシーの言葉を遮り、いきなり田中が問う。答えがわからないから聞いている、というわけではなく彼女自身の考えを聞こうとしているようだ。
キャシーは突然の質問に視線を泳がす。そしてやや間を空けてから、
「施錠?」とやや自信なさげに言った。
「それはもちろんだ。他には?」
田中は閉じられたばかりの窓を次々に開けていく。薄暗い部屋が次第に明るくなり、魔術の明りが周囲に溶け込むようにして消えた。最後の窓が開かれたと同じタイミングでキャシーは答えた。
「見張り……ですか?」
田中は振り返ると背中で陽の光を受けながら腕組みをし、そして大きくうなずいた。
「そうだ。その通りだ。しかし案山子ではだめだ。相手は鳥なんかじゃない。もっと頭を使い、もっと力が強く、そして何より金を使ってくる組織が相手だ。つまり――」
田中はそこで言葉を切ると、キャシーに告げると言うよりはまるで自分に言い聞かせるように続けた。
「人員補充がいる。新しいアンデッドを作るぞ」
キャシーの目が点になった。田中が何を言っているのか理解できないといった様子だ。しかし十秒二十秒と時間が過ぎていくに従い、キャシーの中でも田中の言葉の意味が嫌でも理解できてくる。そして完全に理解したとき、
「ええええええええええ⁉」
キャシーは顎を外さんばかりに大きく口を開けて驚きの声を上げた。
「絶対絶対絶対絶対絶対絶対ぜーーーーったいに反対です!」
キャシーがめちゃくちゃ反対してきた。しかも今までになく切羽詰まった様子で、それでいて眼帯に隠されていないほうの目には強固な意志が伺える。
内心、田中はたじろいだ。ここまで反対してくるとは思っていなかった。
「つまりこの家にご主人と私以外にもう一人住むということですよね?そんなこと許せるはずがありません。神やポデスタが認めようともこの私が認めません。認めてなるものですか!」
まるで演劇の主演であるかのように大げさな動作でキャシーは両手を広げると、反対理由を一方的に吐き出した。現状を鑑みない自身の欲望にとても忠実な理由であった。
……これは一筋縄ではいかないな、と思った田中はアプローチの方法を変えてみることにした。
「しかしだな、これは普通のコソ泥じゃないんだぞ。反社による宣戦布告と言っても過言ではない。相手は自分たちに繋がる証拠を消そうと躍起になっている。相手する分には構わないが、俺たちにも生活がある。そんな輩の相手を四六時中やっていたら先にこっちが破産する。俺は嫌だぞ、この歳になって路上生活するのは……」
キャシーは、むぅと唸るとさっきまでの口上が嘘のようにぴたりと口を閉ざした。彼女だって自分のわがままが許される状況下に無いということくらいわかっている。わかっているからこそ気持ちに折り合いがつけられないでいるのだ。
田中は諭すように柔らかい口調で話しを続ける。
「だから俺たちに変わってこの家を守るモノが必要なんだ。キャシー、お前ならわかるだろ?というかわかってくれないとマジで困る」
キャシーは視線を落とし、それでもなお諦めきれずに言葉を探したが――やがて深いため息をついた。
田中は心の内でほっと安堵した。術師とアンデッドという、どうしようもなく覆らない絶対的な立場の違いを使わなければならないかと冷や冷やしたものだ。二人の信頼関係に影を落とすようなことはしたくない。強引に話を終わらせずに済んで本当に良かった。
「わかりました。私のわがままということも十分わかりました。しかし、しかしですよご主人。現実的な話をすると生活費などは大丈夫なのですか?届け出費用もバカになりません」
今度は田中が言葉を詰まらせる番であった。
正直に言おう、必要経費については何も考えていなかった。払えるのか?もう一人のアンデッドの食費や生活費を自分は本当に払うことができるのか?
しょうもない考えを振り払うように田中はぶんぶんと首を横に振った。
いやいやいや何を悩む必要がある。払う払えないの問題ではない。そういう状況下ではもうないと言ったのは自分ではないか。
「たしかに食費とか考えると痛いのは確かだけど、それよりこんな風に荒らされたりするほうがダメージはでかい。これ以上食器を壊されてなるものか。そうだな、キャシーが廃墟街探索の間、留守番してくれるのなら構わないんけど……いやだろ?」
キャシーは露骨に顔をしかめた。
「……はい」
「じゃあ、おのずと答えは見えてくるはずさ。それに反社と事を構えるとなれば頭数が大事になる。特に戦闘も庭師もこなせそうなやつがいたら安心だ。それにもう一人増えたらキャシーの労力軽減にもつながるし、必要経費を差っ引いたとしてもいいこと尽くしのはず……たぶん」
自信はあまりない。
ふと思う。もしかして女性型のアンデッドを作るのが嫌なのだろうか。
「何をそんなに心配しているのかはわからないけど、作るとしたら対峙したときの威圧感を重視して屈強な男性型アンデッドとかにする予定だぞ」
一応付け足して言ってみる。すると男性型アンデッドと聞いてキャシーの表情が少しだけ和らいだように見えた。しかし実のところ、口ではああ言ったが男性型になるかどうかはわからない。田中のネクロマンシーは誰でもアンデッドにするというものではないからである。
大きなため息をつき、「仕方がありませんね」としぶしぶ承知したキャシーだが、やはり完璧に納得したわけではなく不満そうだ。いちいち相手していてはきりがないので田中はあえてそれに気が付かないふりをする。
それから窓の外を見た。エンディミオンの中央通りには遠く及ばないが、速足に何人もの通行人が通り過ぎている。もしかしたらこの通行人の中に犯人がいて、過ぎざまにこちらを注視しているのかもしれない。もしくは近くの空き家に潜伏して次の機会を窺っているかもしれない。いらぬ妄想が膨れ上がっていくことに忌々しさを感じる。ちんけな盗賊によるただの空き巣ならどれだけましだっただろうか。
田中はたまらず舌打ちした。そして腕を組んで仁王立ちになり、まっすぐキャシーを見据えて告げる。
「一度は穏便に済ませてやろうと思ったが、こうなれば徹底的にやってやる。どこの誰かはわからんが、売られた喧嘩は買わせてもらおう。そして数倍にして返してやる」
言葉からは怒りがありありと伝わってくる。隠そうともしていない。
ただ、その怒りをいったい誰に向ければよいのかは、田中にはまだわからない。
おわり




