第二十八話 傭兵と少女 その一
男が初めてエンディミオンへ訪れた時、そこは戦場だった。
視界に入るすべての建物が崩れ、焼け、未だに市街のあちこちで煙がくすぶっている。
聞こえてくるのはうめき声かはたまた風の音か。
自由都市エンディミオンと呼ばれるよりずっと昔、まだ皇帝都市エンディミオンと呼ばれていた頃。
小銃を持った男が重い足を引きずりながら歩いていた。蒼い魔力の光を発するカーボン装甲鎧、その光を隠すように煤と返り血で汚れた膝丈まである防刃コートを着ている。また素顔を隠すように艶消しされた黒い面当てを付けている。もちろん旧帝国側の人間ではない。反体制派の、しかも悪名高き装甲傭兵団に所属する傭兵だ。
勝敗は決した。
皇帝は打ち取られ、旧帝国近衛騎士団も潰走し、エンディミオンは反体制派の手中に落ちた。たった今旧帝国は滅んだ。装甲傭兵団が反体制派に雇われてから幾年、ようやく訪れた時だった。
しかし、代償は大きかった。こちらもかけがえのない人達を失った。傭兵団すら失った。
だからこうして自分は目的もなく一人戦場跡をさ迷っている。
どうすればいいのかまるでわからなかった。この小銃を置いていいのかもわからない。
男はただ歩く。歩き続ける。
季節は冬に近づき、冷え込みは増していく。寒々とした空は地上と違って澄み渡り、美しかった。
男の足が不意に止まった。
焼け落ちた家々と散らばる瓦礫の合間に少女が一人蹲っていた。くすんだ金髪はぼさぼさで手入れはされておらず、横顔を煤で黒く汚している。着ている服も汚れきっている。
――まだ民間人がいたのか。
目の前の敵を倒すことに必死になっていて、エンディミオンに民間人が残っているかどうかなど気にかけてすらいなかった。ようやく周囲の景色が男の目に入ってきた。たしかここは激戦区だったはず。自分は違うルートから皇帝の居城へと向かっていたが、まさか市街地までもが焼け野原になっているとは考えもしなかった。
男は黙ってじっと少女を見つめる。特に理由はない。しかし、どうしてか足は一歩も前へと進んではくれなかった。
「おい、大丈夫か?」
結局、声をかけた。
少女はゆっくりと顔を上げ、男の方を向いた。少女の虚ろな目は次第に生気を宿し、やがて攻撃的なものへと変わった。
「とうぞくどもめ!」
開口一番罵ってきた。その剣幕に面食らう。
「おまえらが攻めてきたから町はこんなことになった!家族はばらばらになった!家もなくなった!」
男を貫く視線には紛れもない憎悪が込められていた。
相手は年端もいかない少女とはいえ、言われるがままというわけにもいかない。
男は少女を正面から見据える。
「そんなもん、俺が知るわけないだろ」
冷たく、突き放すような言い方だった。
少女は口をつぐんで顔を背けると、さっきまでのように焼け落ちた家を見つめる。
それっきり少女は口を開けようとはしない。男は黙る少女の少し後ろで瓦礫に腰掛けた。
双方無言で、ただただ緩やかに時間が過ぎていく。
陽が傾き始め、あたりの影が一段と濃くなり始めてきた。
結局男は口を開けぬまま立ち上がるとその場を後にした。少女はいつまでもしゃがみ込み、瓦礫を見つめる。誰かを待つように、ずっと見つめる。
次の日、男はまた同じところにいた。
あいかわらず小銃を持ち、しかし返り血に汚れた防刃コートは脱ぎ去り、カーボン装甲鎧も身に着けていなかった。
そして少女も同じところにいた。泣いていた。
声をかけようとは思わなかった……できなかった。なぜなら自分は当事者であり、張本人でもある。この小銃で旧帝国をひっくり返した男たちと同じ部隊であるからだ。
男の表情は面当てのせいで伺えない。ただ背中が静かに物語っていた。
嗚咽を漏らす少女の傍らに男はずっと立ち続けていた。
その次の日、涙は枯れていた。
赤く腫らした目と寝不足なのか落ちくぼんだ目の周りのせいで少女の横顔はひどいものになっていた。
男は袋を片手に少女の横に腰を下ろした。下したっきり何もしゃべろうとはしない。同じように焼け跡を眺めていた。それは少女も同じで、ただただ無言のまま――いや、腹は無言ではいられなかったようだ。
男は横を向いた。少女は先ほどよりもさらに俯いていた。煤で汚れた頬に僅かにだが朱が差しているのが見えた。
「腹減ってんのか?」
返事はない。
「いつから食べてない?」
ほどなくして、
「わすれた」と一言漏らした。
男は小さく息を吐くと袋の中に手を突っ込みごそごそと探る。取り出したのは握りこぶし半分くらいの大きさの馬鈴薯が二つ。そのうち片方を少女に差し出した。
「戦略物資だ。ありがたく受け取れ」
初めて少女が顔を上げた。
「いみわかんない」
そう言いつつも体は正直である。
少女は慌てて顔を背け、ためらいがちに馬鈴薯を受け取った。受け取ったのはいいもののどうしてよいかわからず、助けを求めるように男を見た。
「ゆでているからそのまま齧ればいい。まあ冷めてるから子供には少し硬いけどな」
「……はやく言ってよ」
恨めしそうに言う少女。馬鈴薯に歯形が付いている。大人なら問題なく食べられるが年端もいかない子供には少し酷だったか。
男は少女の手から馬鈴薯を取ると懐からナイフを取り出した。こなれた手つきで皮をむいていく。剥き終えた馬鈴薯を少女に返し、自分はそのまま馬鈴薯を齧った。固い。
少女は塩気も何もないただ茹でただけの馬鈴薯に貪りついた。こちらが息をしているのかと心配になるくらいひたすら齧り、咀嚼する。不意に動きが止まった。
目から涙が溢れ出ていた。とめどなくあふれる涙は頬を伝い、落ちていく。
「まずは食わないとな。食って腹を満たして、そこからどうするかを考えないと」
言い終わるころには馬鈴薯は全て少女の腹の中に納まっていた。よほど夢中になっていたらしく口の周りに芋の欠片がたくさん付いている。
「おじさん……見た目のわりにはいいひとね」
「ごちそうさまでしたくらい言えよ」
「あ、うん……ごちそうさま……でした」
「はいよ。二つ誤解があるようだが、いい人は偉いさんの食料を盗んできたりはしない。あとおじさんという歳でもない」
初めて少女の口元がほころんだ。
男は肩をすくめ、馬鈴薯をひと齧りした。固かった。
つづく




