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第二十七話 施療院の怪 その五

 大小無数の触手がうねり、自身の巨体を施療室から廊下へと押し出した。


「これは……なんともまあ見事なキングサイズのスライムなことで……」

「ダリルさん、評論している場合じゃないですよね」


 キャシーが服についた埃を叩き落としながらダリルの横へ戻った。


「とはいえ、こんなのをどうやって倒せばいいのか皆目見当がつかねえ」

「攻勢魔術は使えないんですか?」


 ダリルは肩をすくめる。


「俺は医師だぞ。患者を増やすような魔術が使えるわけがない」

「じゃあどうするんですか!」


 スライムが成人男性の腕三本分はあろう太さの触手をキャシーめがけて叩きつけた。


 キャシーは紙一重でかわし、お返しとばかりに手刀を振るった。あっさり触手は千切れるが、千切れたしりから触手が元通りに再生する。ゲル状生物だからできる芸当である。


 キャシーは舌打ちをし、再び触手を殴りつけた。触手が弾けるも、スライム本体にダメージはほとんどない。たとえ全力で殴りつけてもキャシーの腕の長さではスライムの核まで届かないだろう。


 ダリルとキャシーは無自覚なのか二人そろってじりじりと後ずさる。


 巨大スライムがうじゅるうじゅると触手を生み出した。先ほどキャシーが切断したものと同じ太さの触手を四本も。


 キャシーとダリルは身構え、


「そこの二人!これを使うんじゃ!」


 突然の声に振り返れば、そこにはどろどろじゅるじゅるしたゲル状の体組織でびちゃびちゃになったお爺さん――改め聖ローレンス施療院院長。院長は大きく振りかぶると老体を酷使して剣を投げつけた。


「院長!まだ生きてましたか!」

「まだって……そのぅ儂を勝手に殺さんでくれ……」


 そう言う院長は悲しそうな顔をする。しかしダリルは聞こえなかった振りをする。


 剣を受け取ったのはキャシー。振り返り、院長に向けてウインクを一つ。


「そんな些細なことはどうでもいいです!とにかくありがとうございます!」

「儂の生死は些細なことなのか……?」


 キャシーは聞こえなかった振りをして剣を鞘から引き抜いた。ブロードソードの幅広の刃が放つ青い光。魔力強化は最低ランクだが、スライム一匹を屠るには十分すぎる切れ味だろう。しかしスライムのゲル状の体は分厚く、ツーハンデッドソードならいざ知らずこの剣の刃は核まで届きそうにもない。


「これがあれば百人力です!」


 それでもキャシーはブロードソードを大きく振りかぶると、うねる触手の群れへと真正面から斬りかかる。ブロードソードの一振りで幾つもの触手が宙を舞う。所詮はモンスター、魔力強化した武器とアンデッドの戦闘能力の前ではたとえキングサイズであったとしても敵ではない。あっという間にすべての触手が斬り落とされた。


 触手の殴打では倒せないと察したスライムはその巨体で押しつぶすべく、キャシーに覆いかぶさろうと体を伸ばした。


 好機だった。キャシーは剣を低く構えると自らスライムの元へと飛び込んだ。スライムが体を伸ばしたおかげでようやく剣身が核へ届く。スライムがキャシーを圧し潰すよりも早く、ブロードソードの切っ先が露になった核を貫いた。キャシーはひねりを加えながらゆっくりと引き抜く。


 大きく穿った核から色が消え、やがてスライムの蠕動が止まる。


「まあ武器さえあればスライムなんてこんなもんです」


 キャシーはブロードソードを鞘へ戻すと、得意げな顔で振り返った。


 見事な剣捌きと一瞬で斃したスライムについて、ダリルたちの賞賛が聞こえてくるかと思いきやいつまでたっても無い。その代わり、血相を変えたダリルの声が聞こえた。


「上!上!」


 え?とキャシーは上を向いた。


 核を失ったスライムはゼリーと同義である。覆いかぶさろうとしていたため、キャシーの頭上にはゲル状の体組織だったものが影を作っていた。そして重力に引かれてゆっくりと傾いていき――キャシーの悲鳴が視界いっぱいのゲルに吸い込まれていった。



 聖ローレンス施療院に朝が来る。





「おそらくだが……掃除の際に脱走したスライムの仕業だろう」

「脱走?」


 体中にゲルをくっつけたキャシーが訝し気に訊き返した。


 スライムの襲撃から一夜明け、聖ローレンス施療院はひっくり返ったような忙しさで掃除と業務に追われていた。包帯でぐるぐる巻きになった院長は患者と同じベッドで寝ながらうなずいた。


「そうだ。たまーに解熱用のスライムが目を離したすきに逃げ出したとか、大きさがいつの間にか半分になっているとか報告があってのう。そういった輩が施療院のどこかで、例えば通気口とかそういったところで集まり巨大化し、数を増やしていったのだろう」


 にわかに信じられない。逃げ出すのはまあ有り得るとして、さすがにあれほどの数と大きさのスライムを見逃していたなどありえるのだろうか。ダリルとキャシーはそろって首をかしげるしかなかった。


「この施療院はもともと旧帝国の施設でな。使ってない地下室や掃除をしていない通気口なんてのはたくさんある。そこに点在しているスライムが集まり、あの場で融合したのなら十分あり得る」

「はあ。まあ俺にはよくわかりませんが……そういうこともあるんですね。とりあえずスライムの保管と院長が渡してくれたあの魔力剣――患者の忘れ物の管理は厳重にしないといけませんね」

「チェックシート以外の方法で厳格化してくれよ……」

「それは院長が考えてください。でだ……」


 ダリルはちらりと視線を横に向ける。


「彼が寝ていたベッドの代替はどうしましょうか?」


 食あたりで入院している田中だったが、今はさらに包帯を巻いている。


 キングサイズのスライムに襲撃されできた怪我のせいである。スライムをぶった切って施療室に入ってみれば、足が折れて潰れたベッドの上で、大量のゲルの中で目を回している田中がいたのだ。だからベッドも昨日と違う位置かつ簡易的なものに変わっている。食あたりかつ寝込みを襲われたため逃げられなかったのだろう、全身に打撲や打ち身ができていた。


「それも発注を掛けておいてくれ。ベッドを新調するくらいの予算は残っているだろう」

「かしこまりました。では院長はご安静に。残りは他の者に任せますので」

「うむ、よろしく頼むぞ」


 そう言って院長は目を閉じた。そしてダリルはキャシーの方を向いた。


「いい加減そのスライムの残骸をとったらどうだ?」

「掃除に使われてるからタオルがないんです」


 ダリルはため息をつくと院長用に用意したタオルをキャシーに渡した。もちろん未使用である。


「しかし――他の患者は無事だというのに、どうしてタナカだけ襲われたのだ?なぜ施療室にスライムたちは集まったんだ?偶然にしては重なりすぎているし、さっぱり訳が分からん。どう思う?」


 ……キャシーは思い出していた。


 以前、下水道に柵を取り付けに行ったとき、田中が何気なしに話していたことを。スライムがどうたらこうたらとかいう話だ。あの時は嘘だと思っていたのだが、こうしてみると、もしかしてあの話は本当だったのかもしれない。


 キャシーは渡されたタオルで顔をごしごしと拭いた。そして再び顔を上げるとそこには取り繕ったような微笑。


「さあ――?私にはわかりません」


 世の中知らないほうが幸せということはごまんとあるのだ。


 ダリルは肩をすくめると立ち上がった。結局、一睡もしていないせいで恐ろしく眠気がひどい。気を抜けば意識が持って行かれそうになる。しかし、それでも誰かが院内の掃除を手伝わなければならない。


 ダリルは田中を見て、次にキャシーを見てから「お大事に」と一言だけ言うと、ふらふらした足取りで施療室から出て行った。


 医師というのは本当に変わった人だなあ――そう思うキャシーの口元は自然とほころんでいた。


 ダリルと入れ違いに入って来た看護助手のタニスが、お盆にカップを乗せて田中の隣に立つ。


 緑色の湯気が立ち、明らかに生存本能が警鐘を鳴らしまくる臭いを放っている。


 少し離れたところにいるキャシーの元まで臭いが届いている。思わず眉間にしわが寄った。


 タニスは相変わらず憮然とした表情で、有無を言わせず田中にコップを握らせる。


「タナカさん、お薬の時間ですよ。食あたりプラス打撲にも効くお薬です。とてもまずいので安心して飲んでくださいね」

「いやそんなの安心して飲めるわけごぼっうぐっあー……」


 再入院が決定した田中が仕事に復帰できるのは、まだまだ先の話である。




 施療院の奥深く。


 立ち入り禁止の看板がかかった扉の向こう。


 明かりが一切ない小さな部屋の中には施錠された棚が一つ。


 それが、震えた。

おわり

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