第二十七話 施療院の怪 その三
その日の夜。
施療院は暗闇と静寂に包まれていた。しかし施療院はまだ寝静まりはしない。
聖ローレンス施療院は夜勤制度を導入しているのだ。本当ならば市当局により禁止されている夜間労働であるが、施療院という特殊な現場故に夜間労働許可書が発行されている。とはいえ特段仕事という仕事もなく、現場を無人にしないという意味合いが濃い。
そして医療魔術師であるダリルは本日出勤予定であった介護助手の代わりとして、聖ローレンス施療院に泊まっていた。医療魔術師とはいえ医療従事者である。医者のサポートくらいなら十分こなせる。とはいえそういう緊急事態になるような患者は今のところいない。全身やけどの患者も彼の医療魔術により安定した容体である。あの様子だと包帯が取れるまで、そう日はかからないはずである。
コツ……コツ……と靴音が誰もいない廊下に反響する。
粗末なランタンを手にダリルは施療院内を巡回していた。患者がベッドで寝ながら医者を呼ぶ方法がないため、夜間の定期巡回は必須業務である。とはいえ今は巡回なんぞどうでもよくトイレに行きたいのだが。
一直線に伸びている廊下の先、トイレのすぐ横の壁に掛けられたランプには絞られた芯に灯った小さな火がゆらゆらと揺らめいている。頼りない明かりのせいで暗い所がより一層際立っている。
ダリルがその手前まで来た時、不意に影が揺らいだ。
「うおっ、びっくりした……ダリル君かね」
「あー、院長どーもっす」
聖ローレンス施療院院長の院長が手をぬぐいながらトイレから出てきた。頭は禿げ上がり、しかし白くなってもなお髭は剛毛という院長は、ダリルが生まれるよりも前から医者をしている元気なおじーちゃんである。そして今もなお現役の医者である。
今日の夜勤は院長とダリルの二人だ。院長と二人で夜勤。字面だととてもめんどくさく感じるが、院長は院長室に籠っているので実は結構気楽なものである。
院長は目をにゅうと細めた。
「巡回ご苦労。それが終わったら仮眠しなさい。いざという時に魔術を唱えられなくなるからね。あとはわしが見ておくから」
「ありがとうございます」
今日は冷えるなあ……と呟きながら去っていく院長。ダリルは心の中でガッツポーズをしながらトイレへと入った。
うづわああああああああああああああっ!
聞き覚えのある男の悲鳴が聞こえたのはその時だった。
出すものも満足に出し終えぬまま、ダリルはトイレを飛び出していた。
ダリルが駆けつけた時には、すべてが終わった後であった。
暗い廊下には誰もいない。ただ一人、暗闇に浮かぶように倒れ伏している白衣の老人を除いて――
「院長、大丈夫ですか⁉」
ダリルは血相を変えて駆け寄り、院長を抱き起した。
「おお……その声はダリル君かね……」
意識はあるようだがその目はうつろである。目立った外傷はないが……今のうちに何が起こったのかを聞き出さねば!
「院長いったいどうしました?」
「いきなり……何かに襲われて……うぅっ」
うめき声を漏らすや否や院長は意識を失った。
「まさか強盗か……?」
自分で言っておいてなんだがすぐさまそれはあり得ないと思った。
施療院に強盗が欲しがるような金目の物などない。あって市場では少し手に入りにくい薬草くらいなものである。しかし、そんなものを盗むなら別の市街で仕事をするほうが収穫は大きいと思うのだが。ではいったい……。
ダリルは周囲を窺うが人影の類はない。
――と、廊下の向こう側から近寄ってくる気配が一つ。
暗くてよく見えないが、うすぼんやりと浮かぶシルエットは小柄な人かあるいは……。
「さっき悲鳴が聞こえましたがどうかしましたか?」
ようやく姿が見えた。色褪せた金髪をミディアムショートに切りそろえ、左目を星柄の眼帯で覆った少女だ。昼間に医療魔術について話してあげたキャシーとかいう幽霊屋敷に住む子であった。
キャシーはダリルが抱きかかえる院長の姿を見止めると途端に表情が曇る。
「むむっ……その方はたしか施療院の院長……なるほど。勤務体制に嫌気がさしてとうとうやってしまいましたか」
「んなわけあるかっ!俺がトイレから駆けつけた時には院長は襲われた後だったんだよ!」
「それは失礼しました。しかし……少しおかしい話ですね」
ダリルは眉を顰める。キャシーが言いたいことがわからない。
「医師さんが悲鳴を聞いて駆けつけたと。で、私も悲鳴を聞いて施療室から駆けつけました。施療室からここまで施療院の構造上、道は一本のみ。それはトイレの方からも同じことです」
なるほど。ようやく何を言わんとしているかがわかってきた。
「つまり、普通なら院長を襲った犯人は俺か君か、どちらかとすれ違っているはずだと」
「その通りです。ですが二人とも犯人とは遭遇していない。不思議な話です」
腕を組んで首をかしげるキャシー。
「明かりよ……」
ダリルが小さくつぶやくと同時に小さな光の玉が生まれた。握りこぶし程度の大きさだが暗い廊下の中では非常に頼もしくさえある。
その光を頼りにダリルは何か痕跡がないかと周囲を見渡す。
「窓から逃げたという線もあるかもしれない」
ダリルは木窓へと目を向けた。外から入ったはいいものの院長とかち合ったため襲い、そのまま外へと逃げたのではないかと。しかし、木窓は内側から鍵が閉められており、開いている窓は一つもない。
キャシーもダリルにならい木窓に近寄った。視線は鍵ではなく窓枠の方に向けられている。
「窓枠に足跡もありませんね。つまり外から侵入してきたわけでもなさそうです」
つづく




