第二十六話 屑拾いと飛脚 その五
田中はラーカーの咆哮を背中で聞いた。
キャシーがやられるなど万が一もないとは思うが、それでも本当なら援護射撃の一つでもしてやりたかった。
しかしそれをさせてくれる余裕などなかった。
――誰だ?
いつの間にか、まるで蜃気楼のようにゆるりと現れたそいつが、まっすぐ田中へと向かってくる。
溝さらい――ではない。そいつはとにかく異様な風貌であった。
白と灰のツートンカラーの戦闘服、その下に身に着けている鎧などは全て魔力強化されているらしく、歩くたびに服の裾から魔力の光が漏れている。男は目出し帽の上から艶消しされた黒い鉄製のフルフェイスマスクを着けており、威圧感の塊とでも表現するのが正しい。そして手には身の丈2/3くらいの金属製のシャベル。淡い魔力の光を灯したそれはもちろん農作業用などではない。立派な凶器だ。
面倒なことになったな、と田中は思う。
「すまんが今取り込み中でな。あとにしてくれないか?」
田中は軽い口調で言うが男は黙ったままだ。
無論、こんな威圧感たっぷりのやつに端っから話が通じるとは思ってもいないのだが。
そもそも話が通じるなら顔バレしないよう人相を隠す鉄仮面など付けるわけがない。
「ほんとうに今日は素顔を晒しているヤツのほうが少ないなあ」
田中はペストマスクの下で笑い、警告もなく腰だめで小銃をぶっ放した。
盾のように構えたシャベルに弾丸が当たり、あらぬ方向へ逸れる。そして鉄仮面は姿勢を低くしながら一気に距離を詰める。牽制の意味も込めて田中は立て続けに斉射する。
銃弾は当たっているのだが魔力強化された鎧を撃ち抜けない。
田中は知る由もないが鎧はもちろん戦闘服の下に強化された鉄片を縫い付けてあり、たかが銃弾で撃ち抜ける防御力ではなかった。
銃撃を止め、小銃に付けた銃剣で突っ込んでくる鉄仮面を逆に串刺しにしようと鋭い突きを繰り出した。鉄仮面は左手を添えたシャベルでその突きを反らす。お返しと言わんばかりに左の拳で殴りつける。
田中は半歩後ろに下がり殴打をかわすと無理やり銃剣を横に振るった。銃剣を持つ田中のほうが僅かにリーチで勝るのだから間合を離すに越したことはないし、何よりこの鉄仮面と至近距離で戦いたくなかった。
鉄仮面は狙い通りに後ろへ下がり、しかし間髪入れずシャベルによる突きをお見舞いしてきた。魔力の光が残像を残すほど素早い突きであった。田中は銃身で受け流す。前床がりがりと抉られる音が耳に残る。
武器に剣やメイスではなくシャベルなんか選ぶ変態のくせに、その体捌きや身のこなしが訓練を受けたプロのそれである。たしかに叩いて良し斬って良し掘って良しと万能には違いないが、どう考えてもメイン武器にシャベルを選ぶという感性がわからない。
「お前は何が狙いだ⁉」
田中はシャベルの殴打をかわしながら問う。その返事は体重をかけた重い蹴り。
まともに食らい体勢を崩した田中は後ろへよろめき、片膝をついてしまった。
鉄仮面はとどめを刺さんとシャベルを振り上げる。
田中は左腕を、正確には左手の籠手を鉄仮面に向けた。
新調したカーボン装甲製の籠手には、ばね仕掛けの仕込み弓が内蔵されている。ただの矢ではなく、比較的合法的な成分を配合して作った麻痺薬を塗り込んだ特性の矢である。相手の動きを崩すのが目的のため、速効、すぐ治るのが特徴だ。もちろん親切な野盗に協力してもらい実地試験済みで、その効力は折り紙つきである。
初めキャシーに話をしたとき、とても嫌そうな表情をしていたのは覚えている。
仕込み弓だけならまだしも、さらに即効性の麻痺薬を塗るなんて暗殺者くらいですよ――となじられたものだ。
実際田中もそう思う。倫理もクソもない世界とはいえさすがに使う相手と場所は選ぶ。だからまさに今が使い時に他ならない。
タイミングは完璧であった。人差し指ほどの長さの三本の仕込み弓は吸い込まれるように矢は鉄仮面へ撃ち込まれる。
鉄仮面の動きは常軌を逸していた。驚くべきことにシャベルを振り下ろすのを止め、無理やり上体を反らしたのだ。籠手から放たれた矢は虚しく空を射抜く。
思わず舌打ちしてしまう。まさかこんなあっさりと避けられるとは。わざと蹴りを受けて自分から態勢を崩し、一番かわしにくい状況へ誘い込んだというのに。
とはいえまだ焦るような状況ではない。
小銃のグリップを握りなおし、立ち上がりながら鉄仮面の胴へ向けて銃剣で刺突する。
鉄仮面は体を横に捻り、鎧を裂かれながらも銃剣を左腕とわき腹で挟みこんだ。がっちりとホールドされて小銃を引っ込めるどころか上下左右にも動かすことができない。
鉄仮面がシャベルを振り上げる。
――マズい。
田中は左手で鉄仮面の振り上げたその右肘を掴んだ。これでシャベルは振り下ろせまい。
自身のマスク越しに相手の息遣いが聞こえるほどの至近距離で二人はしばしにらみ合う。
五秒が過ぎ、十秒が過ぎた。
先に仕掛けたのは田中だった。
呆気なく小銃を離すと、自由になった右の拳で鉄仮面の腹部を殴りつけた。派手な音がした。右肘を掴まれているので鉄仮面は離れたくても離れられず、田中の二発目の殴打も甘んじて受ける。くぐもった声がマスクの向こうから聞こえ、シャベルが手から落ちた。田中は三度拳を振りかぶり、しかし鉄仮面の左拳が先に腹に叩きこまれた。
肺の空気が一気に抜け、体をくの字に折り曲げる。鉄仮面は自由になった右手をぷらぷらと振ると、ひねりを入れた右のパンチを放った。田中はなんとかガードする。反動でビリビリと腕が震える。
続けて左の拳が双方の頬を打った。
痛みと衝撃で視界がぐわんぐわんと揺れる。
酔っ払いのような足取りで一歩、二歩と離れる二人。
頭を数回振ってから鉄仮面がおもむろに両腕を振るった。
鍔のないダガーが二本。
田中は袖の下から同時に飛んできたダガーのうち一本は辛うじてかわした。しかしもう一本をかわすことができず、肩口に突き刺さった。
脳天を駆ける熱にも似た痛みに顔を歪める間もなく、シャベルを拾い上げた鉄仮面を見止める。
躊躇いはなかった。
ダガーが刺さったままの左腕は添えるだけ。地面を蹴った田中は鯉口を切ると引き抜きざまに一閃した。強い魔力の光を灯したルーン文字がまるで光の帯のような軌跡を描き、鎧をものともせず鉄仮面の胴を薙いだ。
シャベルが音をたてて地面に落ちた。
それと同時に鉄仮面が両ひざをつく。じわじわと赤く染まっていく。
ようやく息を吐いた。
田中は吸魔の剣を鞘に戻すと小銃を拾い上げた。そして鉄仮面の傍らに立つ。
「溝さらいを装ってそれなりの人数もかけて、それほどあの密書が欲しかったのか?」
返事はない。
もう事切れたのかもしれない。
密書狙いだったとして、自分を襲うなど常軌を逸している。普通は襲うならシグナスのほうだろう。まさか仮面つながりで間違えられたのだろうか。田中は肩をすくめた。
やっと口内に血の味が広がっていることに気が付いた。殴られたせいでどこかが切れたらしい。
ペストマスクを少しずらすとペッと血を吐き捨てた。
最期の隙だった。
鉄仮面はブーツに隠した細身のダガーを抜き放った。腹から広がる出血はとどまることを知らず、それでもなお田中へとダガーを突き立てんとする。
――それよりも早く銃口が鉄仮面に向けられた。
もはやピクリとも動かず血だまりの中に沈むラーカーの傍で、シグナスは瓦礫に腰を下ろしていた。郵袋はあちこち汚れているが破損はしておらず、中の密書も無事だろう。
キャシーは落ち着きなく、辺りを行ったり来たりしている。と、その足が急に止まり、次いで顔を上げる。
疲れ切った足取りで田中がビルの陰から出てきた。
「ご主人!どこに行ってたのですか!」
声を荒げるが、それほど怒った様子ではない。怒り半分心配半分よりやや優勢といった具合だ。
「野暮用だよ、野暮用。で、ラーカーは……聞くまでもないか」
キャシーは得意げな顔で胸を張る。
「もちろんぶっ倒してやりましたよ。アンデッドに盾を突いたらどうなるかその身でわからせてやりました。まあ右腕が千切れましたけど」
ちろっと舌を出してキャシーは背中に隠していた右腕をおずおずと突き出した。斬られたのではなく文字通り千切れたような傷口であった。
肘から先がない右腕を見るなり、田中は大きなため息をついた。
「どうせまた無茶なことしたんだろ?ちなみに殴り合いなんかしてないよな?」
「エエー、シテナイヨ!」
――目線が合わない。
田中はもう一度ため息をつくと、損壊部に千切れた右腕を添えて手をかざした。おどろおどろしい光とともに損壊部分が煽動する。肉や骨が求め合うかのように絡み合い、みるみるうちに接合していく。世にもスプラッタな光景だ。
「なあ、さっきからあいつ黙ってるけどどうしたんだ」
田中は声を落としてキャシーに訊いた。あいつというのはもちろんシグナスのことであり、瓦礫に腰掛け膝の上で腕を組み、じっと座り込んでいる。
「さあ?右腕が千切られた時からずっとあんな感じでしたよ」
腕を千切られた光景はさぞショッキングに映ったことだろう。
しかも痛がりもせず、普通に戦闘を続行できるヒトの姿を見た日には余計に頭の中が混乱するに違いない。
一応アンデッドとは伝えてはいたのだが理解しきれていなかったようだ。悪いことしたなと思うがそれを言葉にしては非を認めるも同然なので黙っておく。
「おい、大丈夫か?」
それでも一応は声をかけることにした。
やや間はあったがシグナスは此方を向くと「ああ」と一言返した。
「まあ初めて見たやつはたいがいそんな反応をする。修復シーンを見たやつはもっと面白い反応をする」
キャシーが軽く田中の背中を小突いた。カーボン装甲を伝わり衝撃で体が軋む音が聞こえた。
「なんや心配してくれてんのか?かまへんかまへん。別にショックを受けてるとかPTSDとかそんなんやないから」
力なく笑って見せるその様子で、よくもまあそんなことが言えたものである。
「たしかに。廃墟街の奥とか深淵部だともっとひどい光景を見れるもんな」
田中も笑ってみせる。
……自分で言っておいて嫌な光景を思い出しそうになった。
キャシーの腕は接合痕すらわからないくらいにきれいにくっ付いている。さっきまで千切れていたなんて思えないほどだ。
陽が傾きつつある。
明るいうちに廃墟街から出るのはもう無理だ。そろそろ野宿するところを探し始めたほうがいいだろう。そう思い付近を見渡すと――
そこにシグナスの姿はなかった。
田中は体が強張るのを感じた。キャシーも目をぱちくりとしている。
シグナスの姿が忽然と、まるで蜃気楼のように跡形もなく消え去っていた。
どこからともなく声が聞こえる。
「言うたやろ。密書の配達やって。追っ手は田中が始末してくれたからな、こっからはワイの仕事や。届け出先まで付いて来てもらうわけにもいかんしな」
近いようで遠く、遠いようで近い、そんな声の届き方で居場所が特定できない。
おそらく魔術で声だけを飛ばしているのだろう。
田中はペストマスクの下で薄く笑った。
「そうか。まあいい、報酬はちゃんと払えよ」
いや、特定する必要などない。
「もちろん同じ出身のよしみで、ちょっと色付けたるわ。ほな、また」
それっきり独特の訛りがある声は聞こえなくなった。
田中とキャシーは顔を見合わせ、どちらからともなく肩をすくめると、きびすを返して歩き始める。
荒れた幹線道度に並ぶビルの影が二人と重なるように倒れる。
二人はその間を歩いていく。
おわり




