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あさまづめ  作者: 塩満順
本編
6/11

六話 あさまずめ

夜明け前、出陣した光秀を筆頭に後ろに沢山の騎馬した兵、さらにその後ろをさらに沢山の足軽らが黙って続く。

その目的は、織田信長が滞在している本能寺に攻め入り、討つことだった。


「あの者らのほとんどは今から織田信長を討ち取りに行くとは知らぬのだろうな」


柿は列に加わることなく、その様子を木の上から見下ろしていた。

そして、光秀に続くほとんどの者が知らぬことを自分は知っているということに優越感を感じ、ほくそ笑んだ。







「いよいよ……いよいよだ…………」


光秀は本能寺を取り囲む軍を見回し呟いた。

数千もの兵が辺り一帯に大挙していたが、不自然なほど静まり返り、直前まで信長討伐について知らされていなかった兵らにはむしろ戸惑いすら感じられる様子だった。

それは無理もないことで、信長を殺すとは決めていたものの、今日この日に本能寺に討ち入ること自体はつい少し前に決定したものであり、知らされたのも兵らが出立してしばらくした後だったからだ。

光秀は当然以前から機会を伺い続けていたが、信長は他にも多数の者に命を狙われているためかとても注意深く中々隙を見せない。

それでもようやく本能寺に信長が少数の供廻りのみで滞在しており、付近には自分しか家臣がおらず、他の家臣らが自分に兵を挙げる前には信長を討ち取り辺りを平定できると確信し、決行に至ったのだ。

兵らの戸惑いも仕方のないことではあるが、彼らも信長の悪行は聞き及んでいるはずだからこれは決して謀反ではなく征伐であることは理解してくれるだろうと明智は考えた。


そうだ、織田信長という巨悪を討つという大業をおれは達成するのだ。


そう光秀は決意を固め、大きく息を吸った。

そして、采配を天に掲げ、強く振り下ろした。


「……かかれェー!!!」


光秀の声を聞き、門の前で待機していた兵は顔を見合わせ頷き合うと、門をこじ開け寺内に押し入った。

そのまま脇目も振らず信長の寝所である本堂横の主殿を目指し、兵はひた走って行く。

主殿はその周りの内堀を突破しなくてはならなかったが、警備も手薄でしかも大挙して押し寄せてくる一団に信長の小姓衆は何ら為す術もなく、容易に突破を許してしまった。




「さすが、明智様」


本能寺から少し離れた木の上から柿が様子を伺っている。

彼女の見たそれは、まさに電光石火の早業であった。

その様に見惚れていた柿だったが、勿論自身の役目は忘れていない。


「な、なんやあれ……」

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」


様子を見に来た近くの農民だろうか、丁度柿の隠れている木の下から様子を伺っている。

柿はその男二人の背後に飛び降りると、片方の男の首を切る。


「ぐぁっ」

「ん、どうし……は?」


突如倒れる隣の男を見て困惑の声を上げるもう一人の男の首にも柿は刀を突きたてた。

光秀の元に世話になってからこの日まで人を斬ることなど無かったため、一人目の切り口は不格好だったが二人目の時にはすでに勘を取り戻し、声を上げさせることなく死に至らしめた。

柿は二つの死体に目もくれず辺りを見回す、夜が明ける前で未だ闇に包まれているが、その中でも柿の目はよく利いた。

目の端にまた一人、目撃者を見つけた瞬間、柿は一直線に駆け出す。

相手も途中で柿に気付き、逃げようとするも忍びだった柿の足に敵うはずもなく、切られ斃れた。

その後も柿は次々に様子を見に来た者を見つけては切り殺していく。

辺りに情報が漏れ、織田信長の家臣らに報せが行くのをを少しでも遅らせるために、間近で詳細を見たものは全員殺せ、それが柿に下された命令だった。

忍びらしい仕事で光秀の役に立っていることに内心興奮しつつも、柿は淡々と任務をこなす。


また数人切り殺したところで柿は本能寺を振り返った。

寺の中心、恐らく主殿の辺りから煙が上がっている。

それは光秀の計画の成功を意味していた。


「それでいい、明智様の心を乱すものはすべて燃えてしまえばいい」


その有様と、本能寺から上がる悲鳴や何かが崩れる音に、柿は口角を挙げるとまた自分の役目をこなすため、辺りを見回した。





「大成功ですな、明智様」

「…………」

「明智様……?」


光秀の傍らで様子を見ていた男が声を掛けるも反応は無い。

不審に思った男は光秀の顔を見上げ驚いた。

歓びに満ちていると思われたその顔は暗く、目からは今にも涙が溢れそうだ。


「どうなされたのだ、明智様は……」

「分からんのか、きっと明智様はこのような手段を取るしかなかったことに心を痛めておられるのだ」

「なるほど、心の優しい御方だ、無理もない」


近くにいた足軽が納得したように頷きあう。

それは光秀の耳にも入っていただろうがそれでも黙ったまま、煌々と燃え高々と昇る煙を見上げ、目から一筋の涙を溢した。

しばらく止まることのない涙をそのままにしていたが、意を決し、着物で涙を拭うと男に振り返り聞いた。


「信長の死体はまだか?」




結局、焼け落ちた本能寺から信長の死体は見つかることは無かった。

光秀はどうしてもその死体を確認したがっていたが、それでもこれ以上ここに留まっておくわけにはいかぬ、それにこれではさすがに信長も生きてはおらぬでしょうとの周りの進言に耳を貸し、しぶしぶ本能寺を後にした。

その軍の次に向かう先は大津だった。

柿もこれ以降は人斬りは不要とのことで、その一行から少し離れた木々の間から様子を伺いつつ大人しく付いて行く。

その道中、まっすぐ大津へと向かうと思われていた軍は、粟田口で一度止まった。


(……皆、なぜ止まっている?)


不審に思った柿は先頭の光秀に少しでも近い位置に付き、目を凝らした。


(明智様と……あれは…………)


光秀達の前に、別の、少数の騎馬した者達が対面しているのが見えた。

その相手は下げている頭をゆっくりと戻す、微かに判別できたその顔は見覚えのある顔で、柿は目を見開いた。


(吉田の神主……!?)


柿の見間違いではなく、それは確かに吉田の神主、吉田兼和であった。

しかしやはりなぜこんな時間、こんな場所に彼がいるのか、当然すぐには理解できなかった。

慌てて耳をそばだてるもさすがに柿まで声は届かない。

もどかしい気持ちを抑えつつ、そのまま様子を伺うことにする。


「お待ちしておりました」


挨拶を終えた兼和は、いつもの晴れ晴れしい作り笑いを明智に見せる。

声は聞こえずとも、微かに見えたその笑みに柿はあることを察した。


(そうか、あの神主も明智様の織田の征伐を事前に知っていたのか……!)


光秀は兼和だけではなくきっといろんなものに根回しをしていたのだろうと柿は推測した。

だからここ数ヶ月、度々茶会を開いては公家や歌人らを招いていたのだろう。

本当に、此度の件は前々から事細かになされていた計画だったのだ。


(だから、どうしてそれを私は今の今まで気付かなかったのだ……!)


答えから逆算すればすぐに分かるこんな簡単なことを何一つ知らなかった自分の浅はかさを恥じる。

そんな柿の独り相撲を知るはずもなく、二人は会話を続ける。


「此度の偉業、真に感歎いたしました」


そんな言葉から始まり、次から次へと兼和は歯の浮くような美辞麗句を惜しげも恥ずかしげもなく並べるが、光秀も気分が高揚しているのだろう、やぶさかでもない様子でその言葉にうなずいた。


「くれぐれも、朝廷への言伝はどうぞ私にお任せを」

「ああ、そちらへの橋渡し役は全てお前に任せるつもりでいる」


柿に聞こえなかったそれは、お互い既についている話を改めて確認し合うものだった。

さらに、吉田社の修築に関する援助の件もくれぐれもよろしくと添えるのを兼和は忘れなかった。

抜け目のない兼和に光秀は苦笑しながらも了承する。


「此度の件、改めてまた話そう」

「かしこまりました、それではまた後ほど……」

「しばらく荒れる、道中気を付けよ」

「ええ、明智様もくれぐれもお気を付けて」


長居は無用と光秀はすぐにその場を発ち、兵達もそれに続く。

柿は少しの間呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我を取り戻し光秀に付いて行く。

その途中、少し距離が短くなったところで、改めて兼和の顔を確認した。

兼和は恭しく頭を下げ、最後の一人が通り過ぎるまで頭を上げることは無かった。


(……やはり、吉田の神主だった)


兼和は自分より前からこの計画を知っていた、いやむしろ当事者の一員であるのだろうという結論に柿は至った。

でなければあんな少人数でここに来られるはずがない、しかし堂上公家はいえ、この件に一人で関わっているとは考えにくい。


「もしや朝廷までもがこの件に関わっている……のか?」


柿は藤孝の言葉を思い返す。


『この頃は明智にご執心のようだ』


(長岡藤孝の言っていたことはこのことだろうか……)


あの言葉はまるで、朝廷が光秀を利用したかのようだが、それは無いと柿は首を振った。

それよりも、結局藤孝もこの件に関わっていたのだろう、でないと出るはずのない言葉がいくつもあった。


(私に気付かせるために、あの男はああ言ったのだろうか)


そう思い至った頃にはすでに辺りは明るくなっていた。

あさまづめ:夜明け前後の薄明るい時間帯で魚が沢山釣れやすい

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