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あさまづめ  作者: 塩満順
本編
3/11

三話 雲泥

日は高く、ようやく傾き始めるかという頃、二人の男が光秀を訪ねるべく、明智邸に入っていく。

一人は藤孝で、もう一人の男の付き添いとして来ているらしく、半歩後ろを歩いていた。

半歩前を行く男は扇子で口元を隠しつつ、藤孝に何やら話しかけている。

その振る舞いはまさしく公家といった様子だが、表情は硬く、眉間には軽く皺を寄せていた。

ただ、その顔に書いてある文字は不安というより煩わしいという言葉が似合うだろう、もちろん本人にそのつもりはない。


「やはり早く着きすぎだ、伝えていた程より随分と早い」

「遅いよりはいいだろう」


本来二人の来訪はもう少し後であったが片方が急かして早い時分の来訪になってしまったようだ。

藤孝が急かし、男が急かされた側である。


「明智には会いたいあまり気が急いて早く着いたとでも言えばいい」

「……さすがは藤孝殿、機転の良さにはいつも感心させられる」

「お前には負けるがな」


溜息を吐きながら言う男に、藤孝は舌を出して答える。


「……とは?」


どういう意味かと男は扇子を畳み、首をかしげる。

しらばっくれた様子に藤孝は横目でチラリと男を見て、また視線を前に戻した。


「着物や蚊帳を質に入れねば日々食うものにすら困るほど公家にとって生き辛いものはないこの戦乱の世で一人出世している男が何を言う」

「ああ」


藤孝の言葉を嫌味であると理解した男は扇子を再び開き、口元を隠した。


「いえいえ私など、長岡殿には敵いませぬよ」


自らの嫌味に対し、あからさまな世辞、と言うよりは同じ嫌味で返された。

そんな藤孝は一歩二歩と遅れ、男の背中に苦々しい顔を投げつける。

もう一人の男はそんな藤孝の様子には気付くことなく、表情を変えぬまま、淡々と話を続けた。


「だが確かにお前の言う通り、この戦乱の世において公家の立場は弱く脆いもの、それを訴えてはいるが織田様も明智殿も、分かっておられぬのか捨て置かれているのか……改善される見込みもない」


まだこの話が続くのかと、藤孝は首は動かさず、目線のみを上にした。


「いっそのこと、お前が天下人にでもなってくれれば我ら公家は安泰なのだがな」


振り返った兼和は、口は扇子で隠してはいるが、目元は微かに笑っていた。

それを見た藤孝は言いたいことは結局嫌味かと口は閉ざしたまま、手であしらう。

その手にはそんな器のない男で悪かったなという意を含んだ。


「ところで、今晩はうちに泊まるのに変わりないか?」

「……酒があるならな」

「ああ、良い酒を用意している」

「それは楽しみだな」

「積もる話があるのだからな、これくらい当然だ」


どうせ積もる話ではなく厄介な頼み事でもする気なのだろうから、酒だけ飲んでさっさと寝てやろう。

……と心で悪態をつきつつ、藤孝の足はさらに数歩遅れた。

庭の端に見知った者を見つけたからだ。









早い来訪者に気付いたのであろう、光秀はすでに玄関まで出てきていた。

その姿を見たとたん、男は無表情を崩し、公家らしい卑屈ともいえるような笑みを浮かべつつ早足で駆け寄った。


「これはこれは、明智様自ら出迎えてくださるとは……!」

「お前達の声が聞こえたのでな、久しいな兼和」

「まことに……こう世が乱れると中々お会いできる機会がなくて……それでも、今回何としても明智様にお会いしたい一心でこの吉田兼和(よしだ かねかず)、藤孝と共に参りました」

「ああ、俺も楽しみに待っていた……が、藤孝はどこだ?」

「は、藤孝はこちらに……!?」


振り返った男、吉田兼和はいつの間にか藤孝が消えていたことに全く気付かず、そのまま固まってしまう。


「ああ、これはなんと、私としたことが」


あまりの驚きに笑みは一瞬消えたが、再び向き直ったときにはすでに戻っていた。


「早く明智様にお会いしたい一心で彼奴を置いてきてしまいました、急いで探してきます故、少々お待ちを……」


兼和は光秀の方を向いたまま一二歩下がり、公家らしい優雅な振る舞いを残しつつ、急いでその場を後にした。






「枯れ葉がこんなにあるのに芋の一つも焼いていないとは気が利かぬやつだ」

「知りませんよ」


兼和が自身を探しに走っていることを知ってか知らずか、藤孝は庭を掃いていた柿に呑気に話しかけていた。


「俺もさすがに芋は持っていない……あるのは強飯くらいか」

「何でそんなもの持ってるんです」

「実はな、お前にやろうと思ったのだ」

「……いりませんよ」

「残った米を鳥にやっていると聞いたからな、取っておいた」

「だからいりませんって」


遠慮するなと藤孝は柿に強飯を無理やり持たせる。


「……藤孝っ」


要らぬと押し返す前に掛けられたその声に、藤孝も柿も振り返った。


「お前、そんなところで何を……」

「いや、違うのだこの女中が腹が減ってしょうがないと俺に食べ物を強請ってきてな……」

「はあっ!?」

「何でもいい、行くぞ」


藤孝が言い訳を始める前に男は着物の袖を引っ張り、藤孝を連れて行く。

おかげで柿は否定できぬまま片手はほうき、もう片手には強飯と両の手がふさがったままその場を立ち尽くす羽目になったのだった。





結局、強飯は鳥にやることにした。

そこに光秀はいなかったが、小鳥を眺めつつ屋敷からの笑い声に耳を傾ける。

いくつかの声の中から光秀のものを聞き分けては、柿は顔をほころばせた。

だがその声に覆いかぶさるかのように藤孝の笑い声が響き、表情は少し陰る。


(……帰りは会わないといいけど)


しばらく経って、屋敷から笑い声がしなくなったのを見計らい、柿は見つかりにくい敷地の隅の木や茂みが沢山ある場所に移動した。


それからさらに少し経って、柿が油断した頃、こちらに向かって来る足音に気付き柿は身を強張らせた。


「おい、そこの」


藤孝が来たと思い恐る恐る振り返った柿は、見えた相手が藤孝でないと気付き肩の力を抜く。


「どうなされました?」

「藤孝……じゃない、細川……いや、長岡殿がどこにいるか分かるか? 先程あいつに物乞いをしていたのはお前だろう」

「もっ……!?」


その言葉で柿はようやくこの男が先程藤孝を呼びに来た者であったと気が付いた。

にしても物乞いとはあんまりな言い方ではないだろうか。

そう言い返そうかとも思ったが明らかに身分の高そうな装いをしている兼和に藤孝の悪口など言えるはずもない。


「はい私ですが……しかしあれから長岡様はお見掛けしておりません」


柿は心で歯を食いしばりながら答えた。

それと、見かけていないという言葉の前に"幸いなことに"と柿は心の中で付け加えた。



「ならいい」


兼和は柿が役に立たぬと分かるとすぐに踵を返した。


「自分から泊めろと言っておきながらあいつはいつも……一体何を考えているんだ」


顔は平静を装ってはいるものの、狼狽えを隠せず去っていく兼和を柿は無表情で見つめる。


(まあ、これが私のようなものへの正しい扱いではあるな…………)


むしろあの男がおかしいのだと柿はため息を付いた。


「行ったか」

「ッ!?」


驚いて声がした方を振り返ると、すぐそばの茂みの陰に藤孝が隠れていた。

おかしいあの男とはもちろん、この男である。


「大きな声を立てるな、奴に気付かれる」


(どうしてこいつだけはこうなのだ……)


真剣な顔で口に指を立てる藤孝を、柿は嫌な顔で見つめた。

兼和の姿が見えなくなったのを確認して、藤孝は柿を呼び寄せる。

しぶしぶ応じた柿を、藤孝は自分と同様茂みの陰に潜ませる。


「なぜこのようなことを?」

「あれは吉田兼和と言ってな、洛外にある吉田郷の領主であり吉田神社の神主でもある」

「はあ」


答えになっていないと思いつつも柿は返事を返した。

洛外といえど京に所領があるということはやはり装い通り身分が高いものなのだろうか、と柿は思った。


「ただの一介の神主ではないぞ、堂上公家でもあるしな」

「堂上公家!?」


柿は驚き、悲鳴に近い声を上げた。

多くの地下人とは一線を画すもので、公家の中でも相当身分の高いものだ。

柿も忍びの世から離れしばらく経っているとはいえ、その身分の高さは分かる。

先程の態度に無礼は無かっただろうかと頭を抱える柿に構わず藤孝は続けた。


「昔はどこにでもいる地下人だったくせに、出世したものだ」


遠いが、まだ姿の見える兼和を見つめながら藤孝は呟いた。


「地下人が堂上公家になれるものなのですか?」

「あいつが異質なだけだ、並外れた才覚があったからな」

「並外れた……才覚……」

「気になるか?」


藤孝の意地の悪そうな顔に柿は反射的に首を横に振りそうになる。

が、それをこらえ、ゆっくりとうなずいた。

光秀の下を訪ねた者がどういう人間か気になったからだ。


「あいつはな……」

「…………」

「身分の高い武家に取り入るのがとても上手い」

「神主としての能力が買われたわけではないのですか!?」


柿の反応に、藤孝は満足そうにうなずいた。


「確かに神主としての影響力も高いが、あいつができることと言えば加持祈祷を行い荒ぶる神を鎮めるくらいだ」

(神主ならそれで十分ではないか……)


柿はそう思ったが、藤孝はそれを読んだ上で言葉をつづけた。


「それだけでこの戦乱の世を渡っていけるものではない、あいつはそれをむしろ足掛かりとして利用している節すらある、あいつが地下人から堂上公家に出世したのも織田信長に上手く取り入ったからだ」

「織田信長……」


その名前は当然、柿が忍びの頃から知っているものだった。

光秀の上司であるその男は、今や紛れもない天下人だ。

藤孝はさらに声を潜めて言った。


「使える者と見ては形振り構わず取り入り、確実に己に利を得ようとする奴だからな、色んなものに粉をかけている、この頃は明智にご執心のようだ」

「明智様も……利用しようというのですか」


だから今日も来たのだと言いたげな顔で藤孝は肩を竦めた。

渋い顔をする柿に、あいつ自身も武家と朝廷との橋渡し役として明智や他の武家に利用されているのだから気に病むなと藤孝は肩を叩いた。


「堂上公家といえどこの乱世、公家が生き延びるのも大変なのだ」


先の、信長によって追放された将軍を例に挙げつつ藤孝は柿を諭した。


「ま、せいぜいお前も利用されぬよう気を付け……る必要はないか」

「…………」


それはどういう意味だ、という言葉を柿は飲み込んだ。

どういう意味も何も、そのままの意味で、利用価値が無いと言いたいのだろうと柿はそう察したからだ。

言われずとも、先程の兼和の態度を見てそう思わぬ者はいないだろう。


(にしてもこの男、今日は随分口数が多いな)


いつも言葉が多くはあるが今回は殊更だ。

その姿に、柿はひとつの結論に行きつく。


「……吉田様を嫌っておられるのですか?」

「ん……なぜ?」

「だから隠れているのかと、先程もそうでしたので……」

「はっはっは違う違う」


藤孝は顔を下に向け、軽く笑いながら手で否定した。


「ではなぜ……」

「そんな男がわざわざ嫌っているであろう俺を探し、戸惑い、彷徨っている姿……面白いだろう」


口元を手で押さえ、兼和の去った方角を指差し、輝く目で藤孝はそう言った。

ここまでのまじめな話はこのための布石だったことに気付き、柿は無表情になった。


「あいつ、前に俺がわざわざ会いに行ったというのに、目が痛いだのなんだの言い訳付けて俺を追い返したからな! その仕返しだ! いい気味だ!! わはははははははは……」

(この人は……)


一体何をどうしたらこのようになるのか、年も身分もかなり上の者ではあるが、全くそうは思えない。


「お前、今何か無礼なことを考えなかったか?」

「いいえ、ならばどうして一緒に来られたのか疑問に思っただけです」


柿は素直に質問したが、藤孝は珍しく困ったように答えた。


「……従兄弟だからな」

「従兄弟なのですか!?」


とてもそうは見えないと柿は目を丸くした。


「お前、また無礼なことを考えなかったか?」

「いいえ……ただそうは見えないなと」


やはり無礼ではないかと藤孝は小さく笑った。


「あいつは身内の繋がりだなんだと言っては俺を利用するが、そうでなければ近づきもしないだろうな、俺としては面白いところはあるし気に入っている……むしろあいつの方が俺を嫌っているだろう」


柿は確かに、とまた無礼なことを考えたが、藤孝はそれに反応しなかった。


「ま、親兄弟といえど殺し合うこともあるこの乱世では血の繋がりに価値があるとは思えぬが」


藤孝は急に声を落とした。


「結局、あいつは俺のことを使い勝手のいい駒のようにしか思っておらんのだよ……だから、いい気味だ」

「…………」

「所詮、この戦乱の世では利用するかされるかだ……お前も忍びであったのならその辺りよく理解しているだろう?」


寂しさを含んだその目に、柿は返しようもなく口を噤む。

そして目を伏せるその姿に、やはり柿はどう返せばいいのか分からなかった。

ただ、普段からその様にしていれば嫌われることもないのではないかと柿はそう思った。


「さて、そろそろあいつの所へ行ってやるかな」


藤孝は急に立ち上がり、土や葉のついた着物を手で払う。

その姿は先程までの神妙な面持ちは消え失せていた。


「……いかん、こっちが見失ってしまったではないか!!」

「そういえば、お姿が見えなくなりましたね」

「この渋柿! どうしてくれる!!」

「し、渋……!? 見失ったのは私のせいではありません!」

「なんだと!? 俺に言い返すとは良い身分だな!! お前など渋が抜けるまで軒先に吊るしてくれる!!」


言い争う二人は背後からやってくるものの足音に気付かなかった。


「これはこれは……お見掛けせぬと思ったら随分と楽し気ですなあ?」

「「!」」


二人が振り返るとそこには扇子で口元を隠した兼和が立っていた。


「私との約束など忘れてしまったのございましょうか?  なあ、長岡殿?」


煌々と光る兼和の目には自分が映っていないことを察した柿は、一歩二歩とこっそりと下がった。

そして横目に、藤孝がどう対応するか見守ることにした。


「……おお兼和! 何処にいたのだ? 随分探したんだぞ!! さあ共に帰ろう!!!」


藤孝は少し間をおいて、唐突に明るい調子で兼和に寄っていく。

柿はその姿にあっけに取られたが、恐らく兼和はそれに慣れているのだろう、ため息を付きながら扇子と畳んだ。


「毎度毎度そうやって……一体どういう意図があるのかじっくり聞かせてもらいたいものだ」

「だーから! わざとではないと言ってるだろうがっ」


藤孝は兼和の背を叩き帰るぞと促す。

兼和も抵抗せず屋敷の門の方角へと身体を向けた。


「ただでさえ疲れているのだ……これ以上俺を迷惑させるな」

「はっはっはっこれしきの事に惑わされるなどお前もまだまだ修行がたりぬな!!」


暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏を唱えるような、藤孝の言葉に兼和は大きくため息をつき、遠くを見た。


「……ああ、それもそうだな、お前の言う通りだ」

「そーだそーだ精進しろー兼和! はっはっはっは……」


二人の姿はだんだんと遠くなりとうとう見えなくなるも、藤孝の声だけはしばらく柿の耳にも届いていた。


「あれは……私だけでなく皆にあのような振る舞いをしているのだな」


どれだけ身分が高かろうともあれが身内にいては大変だろうな、と柿は一度頷くと掃除を再開させた。

雲泥(うんでい):二つのものに大きな隔たりがあること

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