二話 枉惑
自身が、忍びであったことを言い当てられた柿は目を見開き、口は開けたまま、顔は見る見るうちに青ざめた。
「やはりな、自身を偽ろうとする者の顔は見ればわかる、だが気にしなくて良い、誰にも言いふらしたりはせぬ」
男はそう言ったが柿の顔色は変わらない。
元とはいえ忍びであることがばれ、言いふらされてしまってはあらぬ噂が立ってもおかしくない。
そうなれば光秀の元から去ることになるのではと考えたからだ。
「まあそんなことはどうでもいい」
どうでもいいわけがない柿とは裏腹に、男は飄々とした雰囲気を変えずに続ける。
「お前の名のかきは……木に生る方か、海の方か?」
男は庭に扇子を向ける、その先にある木は柿の木ではない。
「……木に生る方の柿です」
質問の内容とは似つかわしくない、震える声で柿は言った。
だが男はお構いなしに納得したような顔を見せる。
「そっちか、柿……かき……なるほど……」
「あの、何か……」
「いや、気になっただけだ」
柿だけにな、と呟き男は別れの言葉もなしに去っていく。
"気になる"と"木に生る"を掛けた言葉だったが、当然柿がそれに気付くことなかった。
その後の仕事を上の空ながら何とかこなした柿は、光秀を探した。
幸いにも見つけた光秀は一人で、周りには誰もおらず、声を掛け易い状況だった。
恐る恐る声を掛け、柿は事のあらましを語る。
「ああ、藤孝に会ったのか相変わらずだな、あいつも」
光秀はくすくすと笑う。
思っていたのと違う反応が来た柿はどう返せばいいか分からず、ぽかんと口を開けたままその姿を見ていた。
その様子に気付いた光秀はすまないと笑うのを止めたが、表情は笑顔のまま藤孝について語った。
男の名は長岡藤孝と言い、その名字は領地の地名にちなんで最近改めたものであり元は細川であること。光秀と同じく武家の者であり、ああみえて力も強く暴れる牛を止めたほどであること、だが武だけではなく文芸などにも秀で公家らとも深い親交があること、以前は自分と同じく将軍に仕えていた時もあったが、今は共に織田信長の家臣であり自分の下についてはいるが自分と才が劣ることはないのだと。
光秀の口から藤孝への褒め言葉が次々に出てきて柿は圧倒された、それはあまりにも柿が抱いていた印象とは違っていたからで、正直、光秀の言葉とはいえ眉唾物と感じてしまう程だ。
「まあ心配しなくていい、このことでお前を手放すことにはならないだろう」
「ですが、もし他の方に言いふらされ、広まりでもしたら……」
珍しいことに、柿が光秀の言葉をすぐには受け入れなかった。
正直、柿は藤孝を言葉に芯が無く、軽薄だという印象を抱いていたからで、それを見た光秀は困ったようにため息を付いた。
「俺が、忍びのことは伏せたとはいえ、信頼していない相手に易々と屋敷の内情を話すと、そう思ったのか?」
「そ、そんなことは……私は……申し訳ありません」
自身が軽はずみな発言をしていたことに気付き柿は深く頭を下げた。
「気にすることはない、大方あいつにからかわれでもしたのだろう」
自身にも覚えがあるのか、光秀は苦笑した。
「冗談や言葉遊びが好きだからな、誤解されやすいところはある……だが、あいつなら大丈夫だ」
柿の肩を叩き、顔を上げるよう促す。
「しかし、そこまで深い話はしていなかったのに見破るとは、流石だな」
光秀は再び藤孝を褒めちぎりながらちらりと柿を見る。
その顔にはまだ不安の色が残っており、しょうがないなと軽く息を吐いた。
「分かった、藤孝に文を出そう」
「え?」
「お前が忍びであることを他に漏らさぬようにとな」
「こ、こんなことでわざわざ明智様の手を煩わせるわけにはいきません!」
柿は勢いよく反論したが、光秀はいい、いいと手で制した。
「お前のことだけではない、今日の集まりでは人の多さに積もる話もできなかったからな、その文はお前自身が届けてくれ」
「わ、私がですか……?」
柿は光秀と離れるのが嫌だということだけが頭を支配した。
「お前も忍びらしい仕事もしたかったのだろう?」
皆にとって丁度いいじゃないか、と光秀は笑った。
そしてそう言われては柿も断れない。
書き上げた文を渡すついでに光秀は言った。
「急ぐような内容ではないが、できれば返事が欲しいと伝えてくれ」
「勿論ですが……」
もしかして、と柿はあることに気付く。
そして違っていてほしいと内心願いつつ聞いた。
「あの、以前すごく楽しそうに文を読まれてたお姿を見たのですが……」
「ああそれは、恐らくあいつからの文だろうな」
あいつの文はなかなか面白いのだと笑顔で語る光秀とは対象に、柿は真顔になった。
「ふむ、ご苦労」
藤孝は柿が数日かけて届けた光秀からの手紙にざっと目を通すと、すぐに畳み、仕舞おうとした。
「あの、できればここでお返事をいただきたいのですが」
「急ぎの文ではないのだろう?」
「そうなのですけれど……」
柿の出過ぎた物言いに、気分を害した顔一つ見せず聞いた。
「構わんが、何故?」
何故と改めて聞かれ、柿はしどろもどろになる。
その問いは、手紙の内容から忍びとばれたことを気に病んでると察し、柿が返答に困るだろうと考えてのいじわるだった。
「それはその……あ、明智様は貴方様からの文を見られる時が一番……安らかな顔をされるので」
「…………ほおー、これはこれは」
思っていたのと少々違う答えではあるが、藤孝は柿の隠していた心の内を悟ると目を見開き、興味深げに眺めた。
柿はその視線とは裏腹に顔を赤く染め、下を向く。
「明智殿を慕っておられるとは……気付いてしまったからには協力してやらんとな」
「いえ、そんな……」
茶化す藤孝に余計なことはしないでほしい、という言葉をさすがに飲みこんだ。
「返事が欲しいのだろう? まあ座れ」
藤孝の手は縁側を示し、柿はそれに従い大人しく腰を掛ける。
その姿を見て熟れた柿のようだと藤孝は呟きながら筆を取った。
「お前のことをくれぐれもよろしくとのことだ、良かったな」
ここぞとばかりに楽しそうに言ってくる藤孝に柿は居心地の悪さを感じた。
「……お前は、明智の安らかな顔が見たいのだよな」
「見たいというか……」
「よいよい分かっておる分かっておる」
一通り柿の恋心を弄んだ藤孝は手に取ったまま遊ばせていた筆をようやく紙に走らせ始めた。
柿はしばらくその手の動きを見ていたがやがて飽き、庭を眺め始めた。
その庭は和歌を詠む者ならすぐ一つや二つ浮かびそうなほど風靡なもので、その手のことにはとんと疎い柿でも良い庭師がいるのだろうと目を細めた。
「……しかしその想い、表に出してはならんぞ」
筆がどれほど進んだのか、柿の背中に藤孝が声をかけた。
「ましては想いだけでも伝えようなどと……」
「もとよりそのつもりです」
「なら、よい」
藤孝は書き上げた手紙を柿に手渡した。
受け取った文を見て光秀はどんな顔をするのだろうと、それを想像するだけで柿の心は弾んだ。
その後、つつがなく光秀に文を手渡すことができた柿はほっと胸をなでおろした。
「では私はこれで」
「いや、待て」
役目が終わり、下がろうとする柿を光秀は止める。
「中身が気になるだろう?」
気になるのもあるがそれ以上に光秀様と一緒にいられることが柿は嬉しく、喜んで了承した。
藤孝の『その想い表に出してはならんぞ』という言葉を思い出しつつ分かっていると頭の中で払う。
「……ん? 何だこれは」
「…………?」
「最初に、お前はおかしいと書いてある」
「はぁ!?」
柿は光秀の前で素っ頓狂な声を出してしまい慌てて口を押える。
しかし、光秀はそれを意に介していないようでそれをつづけた。
「かきなのに夏には実を生さぬのはこれ如何に……
かきなのに火の気もなしとはこれ如何に……
かきなのに筆にもならず……」
「!?」
光秀が何を言ってるか分からず柿は目を丸くした。
「あ、あのそれは……?」
「ふむ、言葉遊びだなこれは」
夏季、火気など柿と音の同じものを挙げていると、一人納得したように光秀は続けた。
「かきなのに筆にもならず……
かきなのにどこか陰気臭く
かきなのに親もないので伝承もなし
……いくつか分からん部分はあるが、とにかくお前の名になぞらえてるようだ」
「なっ……!?」
「これはすごい、よくこんなに思いつくものだ……」
「あ、あの他には何を……」
「いや、最後までこの調子のようだな」
光秀は文を最後まで開き、答えた。
柿に読むかと目を向けて伺うも、柿は大きく首を振った。
(なんなのだあの男は……!!)
「……最後に、恐らくこの内容を柿も聞いていて、いま顔を熟れた柿の様に真っ赤にしているだろうと書いてある……その通りだな」
「~~~~~!!」
柿は気恥ずかしさに唇を噛む。
「……ふふっはははははは……本当に面白いなあいつは、はははは……」
「!」
柿は光秀に魅入った。
今まで大口を開けて笑う光秀の顔を見るのは初めてだったからだ。
光秀は笑いながら目をらんらんとさせ、また文を読み返し始める。
「随分と気に入られたようだな、これからも文を届けるのはお前に頼むか」
「……! ぜひ!」
柿は心から歓びが沸き立つのを感じると共に、藤孝に対する憤りは一旦どこかへ消え去っていた。
枉惑|(おうわく/わわく):人を欺き騙し惑わすこと




