31 避難
お久しぶりどすえ……
前の投稿が2月になっている作者がいるらしいですが、作者の風下にも置けませんね……
全く、面を拝んでやりたいてすよ!
というわけで、31話です
羊皮紙の上を、羽根筆が軽やかに踊っていた。
滑るように、流麗に、鋭くとがった筆先に蓄えられたインクが文字へと変わる。
もう何通目だろうか。何度も繰り返した儀礼的な文言を素早く、しかし確実に書き上げていく。羊皮紙の末尾に自らの署名を施し、余分なインクが滲みを作らないように紙面に細かい砂を塗す。少ししてからその砂を落とせば、手紙の完成だ。
「今、何通目だ」
羊皮紙が乾燥するまでの間にも、次の手紙を少しでも書き進めよう。そう思いヨハンは執事に質問しつつ、次の羊皮紙を催促して手を伸ばした。
だが、傍らに侍る執事は新しい羊皮紙はよこさずに、代わりに「これで最後の手紙でございます」と言葉を返した。
「む、そうか」
近隣の諸侯や都市、騎士団や冒険者ギルドに向けての手紙を合計すれば、それはかなりの数に上る。
短時間で書き上げるには骨が折れたが、なんとかやり遂げることができたらしい。
砂をきれいに落とした羊皮紙を、クルクルと丸め、専用の蝋燭を垂らし、ヨハンは固まりかけのそれに右手に填めた指輪を押し付けた。
指輪を離せば、そこにはくっきりとオブリエール家の紋章が刻印されていた。
「お疲れ様でございました」
「うむ……何だ?」
執事の労いの言葉に鷹揚に頷き返していたヨハンだったが、その耳に、突然大きな音が届いた。館の外からだ。
「外のようです……只今、見て参りますので、お待ちを」
「いや、いい。私も行こう」
そういって、ヨハンは執事と共に、館の外へと向かっていった。
「何事だ!」
館の外へと出たヨハンの目に映ったのは、まだ暗闇に支配された村の中に、煌々と輝く赤い光の群れであった。
その正体はすぐに分かった。松明である。
「ご当主様だぞ」「ご当主さま!」「一体どういうことなのか説明してくだされ」「避難なんてしたくねえ」
村人たちが、松明を手に持って館のある丘の麓に集まっていた。それと対峙するように、義父が集まった村人を前に説得を試みている。
ヨハンの姿を認めた村人たちが、声を上げる。各自がめいめいに声を上げるため、ヨハンはまず状況を知ろうと、義父へ話しかけた。
「一体どういう状況です」
「おお、ヨハン君。実は……」
義父である先代オブリエール卿の口から語られるのは、この様子を見て予想していたことと、ほぼ違わぬ内容だった。
ヨハンが手紙を書いている間に、先代のアルバ領主である義父が村人を集め、避難をするように指示を出した。しかし、夜中に突如「村を捨てて逃げろ」、と指示を出されても、素直にその指示を受け入れることは難しい。
村人たちは困惑、疑問、反発といった、三者三様の、あるいはそれらの入り混じった反応を示した。
粘り強く、義父は村人たちに避難をするように説得を試みたが、それに対し、特に強硬に反発する村人たちが松明をもって、避難指示の取り消しを求めて館までやってきた。それが、今の状況だった。
「避難の状況は!」
「あまり進んでいない。一部の村人は、既に行商人や旅客者と一緒に馬車へと乗り込んでくれたのだが……」
聞けば、どうやらそこでも、ひと悶着があったらしい。
村人たちには、持てるだけの身の回りの品だけで避難をするように指示を出したのだが、避難指示には従おうとしていても、自分の家財道具一式を持ち出そうという村人たちが後を絶えなかったらしい。
そこまでいかなくとも、できるだけ多くの荷物を、と考えた村人は多く、老人や子供を優先して乗せようと考えていた馬車に荷物を持ち込もうして、問題になっているという。
「その馬車は?」
「仕方がないので、荷物を持つものは馬車から降ろして、老人と子供だけで送り出したよ」
荷台や徒歩で避難を試みたものも合わせて、なんとか全体の三分の一ほどが避難に同意したという。
ヨハンはその報告を受けて、思ったよりも、というより、殆ど進んでいないにも等しい避難状況に愕然とした。
しかし一方で、無理もないと考えてしまう。
ヨハンは村人たちの顔を見た。
松明に赤く照らされた彼らの顔は、みな泥に塗れ、日に焼けていた。松明を持つその手は厚くなった皮膚に覆われ、ごつくなっている。みすぼらしい使い古しの古着に身を包んだその姿は、土と共に生きる農民の姿だった。
彼らはみなこの土地に生まれ、そして暮らしてきた人間だ。その村人たちが、家財道具を捨て、生まれ育った家を、そして土地を簡単に捨てることなど出来るはずがないのだ。
ヨハンは生まれも育ちも違うはずの彼らの気持ちがよく分かった。自分が彼らの立ち位置にいたのならば、同じ行動をしたとすら思った。
なぜなら自分も同じだからだ。
ヨハンは次男として生まれた。貴族の家の次男、三男というものは、畢竟、長男に何かあったときのスペアとしての価値しかない。
貧しいとはいえ、家を継ぐことができる兄のアルビレオのことを、どうしようもなく羨ましく、そして妬ましく思っていた時期もあった。だからこそ、オブリエール家への婿入りの話を両親から聞かされたときは、たまらなく嬉しかった。自分の未来に光が射し、本当の意味で生きることができると思ったものだった。
そして彼ら――そのほとんどが農民であるアルバ村の村民にとっては、田畑こそが、自分に取ってのオブリエール家に違いない。
先祖から受け継いできた、あるいは自ら開墾した田畑というのは、口を糊する糧である以上に、自らの存在理由なのだ。
それを危険があるから捨てろ、と言われても、頭では納得できても感情面で納得が出来ない。だからこそ、ここまで揉めている。
「ご当主様ァ、どうか考えなおしてくだせえ!」「もうじき雪が降るのに家捨てるなんて嫌ですよ」「家も畑も捨てたらどうやって生きていくんでさぁ!?」「家畜がみんな獣に食われちまう!」
「落ち着けい! みんな、落ち着くのだ!」「お前ら、ご当主様から離れんか!」
「蜘蛛ってったて大したことないに違いねえ」「そもそも来るとは限らねえべさ」「そうだそうだ!」
混乱の極みだった。村人たちにとっては切実な願いであっても、それは迫りくる大蜘蛛の脅威の前では許すわけにはいかない行動だ。
だが、ヨハンや義父がどれほど理を説こうとも、土地を捨てるという行動が、彼らにとっては死にも等しい選択である以上、受け入れられることはない。
(このままだと、時間切れだ……)
ヨハンは義父と共に村人たちを説得しながら、なんとかこの状況を切り開く方法がないかと思考を巡らせる。
問題の本質は、彼ら農民にとっては、土地を一時的にせよ離れるということが、本能的に拒否せざるを得ないことだということだ。
アルバ村から避難しても、アルバ村に残っても、どっちにせよ自分たちにとっては損であると考えてしまう。だからこそ、魔物の群れがやって来るというのは誤報で、そのまま今まで通りの生活が送れるのではないか、などという希望にも縋ってしまうのだ。
(この思考を、一時的にでも中断させられないだろうか……)
何でもいい。一瞬でも、『土地から離れても、構わない』と村人に思わせる何かが無いだろうか。
そう考えるヨハンの耳は、村人が上げたその声を、聞き逃さなかった。
「だいたい、今年だって収穫がぎりぎりだったのに……畑の世話せなんだら、来年は食ってけねえべさ!」
「そうだそうだ!」
大声で繰り返される問答に、だんだんと村人たちの熱気が上がってきたのだろう。村人たちの発言の内容は、最初は避難を取り消す要求だったのが、やがて避難したくない理由になり、そして今は、半ば自分たちの不安をぶつけるような内容へと変化していた。
ここ数年、アルバ村の収穫量は凶作とまではいかないものの、けして良いといえる結果ではなかった。
今年も例年通りの収穫であり、そこから領主であるオブリエール家が税を取り立てれば、なんとか自分たちが食っていけるという量しか残らない。
アルバ村の農民たちは、少しでも食べることができるものを増やすべく、毎年、冬の間でも育つ作物を育てているが、それを含めてギリギリだったのだ。
当然、いま村を離れてしまえば、作物は育たないか、あるいは獣に荒らされ、来年は飢えてしまう。
不安と焦燥と、そして恐怖で一杯の村人たちの陳情は、普段から抱えていた不満に混ざり合い、松明のように燃え上がった。それはもはや暴動寸前の勢いとなり、そして村人たちは、当初の目的を忘れたかのように、自分たちの不満をぶつけようと声を上げてしまった。
「大体、俺らがこんなに苦労してるのも、税が高えからだ!」「そんだのに、こんな無理強いをなさる!」「酷えベ!」「そうだ!」「き、貴様ら……」
最悪の形だった。
不満を貯めた農民たちによる、暴動、直訴。いわゆる、一揆の状態だ。
不味いことになったと考えているのだろう、血の気の引いた義父の顔がヨハンの横目に映った。
もう、こうなってしまえば、後は暴動となるまで時間の問題だ。普段は大人しい領民も、魔物のように怒り狂い、手が付けられなくなってしまう。領地を治める貴族にとっては、それは悪夢に等しい。
今のうちに無理にでも鎮圧するしかない。そう考えているのか、義父は腰に佩いた剣の柄に、そっと手を伸ばした。
それを、村人たちに気付かれないようにヨハンは制止した。
先代オブリエール卿は、驚いたようにヨハンの顔を見た。
ヨハンはそれを敢えて無視し、何事もなかったかのように冷静な口調で、村人たちに話しかけた。
「いいだろう」
落ち着いた、しかしはっきりと響く大きな声だった。
気炎を上げる村人たちの耳にもしっかりと届き、しかし、村人にはなんのことやら分からない。
何を言うのか、ヨハンに村人たちの意識が集まる。その一瞬を見逃さず、ヨハンは再びよく通る声でこう続けた。
「来年の税を無しにしてやる」
効果は、覿面だった。
まるで燃える焚火の上に、馬用の水桶をひっくり返したようだった。
先ほどまで上げていた気炎が嘘のように静まり、辺りに夜中の静寂が戻ってくる。
自分たちは今なんと言われたのか。耳に届いた言葉の意味を理解しようと、村人たちが必死で一瞬前の記憶を反芻する。
「あの……ご当主さま? いま、なんと」
集まった村人たち。その中の一人が、おずおずといった様子でヨハンに訊ねる。他の村人たちも、固唾を呑んで、ヨハンの口から語られる一言一句を聞き逃すまいと、じっと見守っている。
(上手くいったようだな)
つい先ほどまでとの落差に、変な嗤いがこみ上げてきそうなのをヨハンはオブリエール家当主として被った仮面の下に必死に押し殺しながら、再び声を発する。
「だから、私の指示通りに避難をすれば、来年は無税にしてやる、と言ったのだ」
二度聞いてなお、村人たちは、信じられない、という表情を浮かべていた。互いに顔を見合わせたり、中には夢ではないかと頬をつねっている者もいる。
まあそんな反応もするだろうな、とヨハンは思った。凶作になったときですら、領主という生き物は容赦なく税を取りたてるものであり、それはアルバ村でも例外ではない。無論、絞りすぎて農民が餓死してもらっては困るので、余程領主が阿呆ではない限り、税の取り立てを一部猶予してやったり、労役をすることで代わりとしてやったりと、様々な逃げ道を用意してやることはある。
だが、根本的なところでは、領主――いや、貴族という存在は、平民を搾取することに手を緩めることはないのだ。
なのに、その貴族である、アルバ村の領主が、税金を取らないと言ってきたのだ。村民にとり、これはもはや、天地がひっくり返ったというのに等しい。
「お、おい……ヨハン君、そんなこと言って大丈夫なのか?」
無論、大丈夫ではない。
だが、結局のところは、これは遅いか早いかの問題でしかないと、ヨハンは考えていた。
いくら貴族だ領主だといったところで、税を納めてくれるのは平民なのだ。その平民――アルバ村の農民たちが魔物の群れに襲われ、死に絶えてしまえば、残るのは耕すものがいない農地だけだ。
やがていつかは、移民などが定住し、領地が復興して税収は取れるようになるだろうが、それまではまともに税金など取れるわけがない。いや、下手をすれば領地の経営に失敗したということで、領地を剥奪される可能性だってある。
そうなるくらいならば、いっそ一年間無税にしてでも、村人たちを逃がす方が得なのだ。
パンッ!
ヨハンが手を叩くと、固まっていた村人たちが、ビクリと跳ね上がる。
「さあ、どうした避難するのかしないのか! 言っておくが、私は自分の指示に従わなかった奴にまで無税にしてやるほど、優しい男ではないぞ!」
村人たちは、互いに顔を見合わせた。
だが先ほどまでとは違い、自分たちがどうした方が良いのかは、彼らにはもう分かっていた。
活動報告の方でもお伝えしてると思いますが、拙作 貧乏貴族ノードの冒険譚がコミカライズされました。コミックアーススターのサイトでご覧頂けます。
漫画担当は瀬田U様で、魅力ある絵柄で作品を表現していただいております。
詳細(内容に余り変わりはありませんが)は、活動報告の コミカライズ! の記事をご覧下さい。




