29 混乱(上)
無駄に筆が乗ってしまった。話が全然進んでない。
時刻は夜半をとうに過ぎていた。
月明かりに照らし出された村の往来からは、人の気配が消え失せている。
通りを賑わせていた観光客や商人たちは、親類や友人宅、あるいは祭りの時期にだけ開かれる臨時の宿屋に泊まるなどして、明日の精霊祭本番に備え、ぐっすりと寝静まっていた。
そんなアルバ村の広場には、まだ幾人かの村人の姿が残っていた。
広場の中央には、精霊の火──精霊の道標になると言われている大きな営火──が設けられ、パチパチと薪の弾ける音が辺りに響いている。
この精霊の火は、祭りが終わるまではずっと絶やしてはならず、夜の間も村人たちが交代で番をすることになっていた。
何十年も前のことになるが、ある年の祭りで、ついうっかり精霊の火を絶やしてしまったことがあった。その翌年は、アルバ村は大凶作に襲われた。村では家族を生き残らせるために、娘たちが身売りして、それでも多くの餓死者を出すこととなった。
それ以降、アルバ村では精霊の火を絶やすことは、最早禁忌に近いこととして認識されている。
「お疲れさん、そろそろ交代だぞ」
「もうそんな時間か、次は誰だ?」
「ぼ、僕です! あとは、任せてくださいっ」
「おっ、ギュンターのところの倅じゃないか。そうか、お前も今年から火守なんだなあ」
「は、はいっ……!」
精霊の火を守る役割は、男たちが行う。寝入ってしまい、火が絶えてしまうのを防ぐために、四、五人が常に火の番についた。
火守と呼ばれるその役目に選ばれるのは、全て大人の男たちであり、アルバ村では、この火守をやり通すことが成人の儀となっていた。
「そんなに緊張するなよ。火守って言ったって、皆が居るんだからな、もっと肩の力を抜け」
「わ、わかりました……」
「しかし、お前は運がいいよな」男の一人が、若者に言った。「と、いうと?」
「今日は雨の心配がないからなあ。俺の時なんて結構降ってて、火を絶やさないようにするのが大変だったよ……」
「あー、あったあった」「俺のときは曇ってて、気が気じゃなかった」「最近は晴れの日が続いてるよなあ」
新しく火守を任された若者を見て、精霊の火を取り囲む男たちが、それぞれの思い出話に花を咲かせる。そして、そのうちの一人が夜空を見上げた。
「ま、ほとんど雲も出てないからな。通り雨もないだろうよ」
「確かになあ、今なんて真ん丸いお月様が……ん?」
「どうかしたか」
不意に言葉を途切れさせた男に、隣にいた男が声を掛ける。
「いや、いま月を見上げたとき、何かが見えて」
「あん? ……何もないじゃないか」
「あれ、おかしいな。確かに何かが」
男は目を凝らして夜空を探したが、そこには瞬く無数の星々と、満月の姿があるだけだった。
やがて、男は梟か何かが飛んでいたのだろうと一人で納得し、再び視線を地上へと下ろし、そしてそのことを直ぐに忘れ去った。
広場では、変わらずに精霊の火が、勢いよく燃え盛っていた。
§
ダンダンダンッ!!
突然、真夜中の静寂を引き裂いて、アルバ村の領主館に騒音が響いた。
「何だ? こんな夜更けに」
館の主、オブリエール家の主人であるヨハン・ド=オブリエール・フォン=アルバは、騒音に目を覚まして寝床から出た。
来訪者が誰かは知らないが、今頃、執事が応対している頃だろう。
もしかしたら、村で何か起きたのかもしれない。
そう考えて、夜着の上に、室内着を羽織ろうとした。
「キュイ! キューイ!!」
そのとき、ヨハンの耳に鳴き声が聞こえた。鳥や番犬の物とは違う甲高い鳴き声だった。屋敷の外から、ちょうど騒音に交じるようにして聞こえたその鳴き声には、聞き覚えがあった。
「ノードのやつが帰ってきたのか?」
年の離れた妹がニュートと名付けた、飛竜の鳴き声だった。
「どうしましたの?」
「いや、弟のようだ。お前はそのまま寝ていなさい」
「ふぁ……こんな夜更けに……?」
ヨハンの妻であるカティアが、もぞもぞと寝所の中でうごめいた。どうやら一緒に起きてしまったらしい。
「森の調査に行っていたらしいからな。今帰ってきたのだろう」
村の狩人であるロージからは、森で狩りを済ませた後に、ノードがそのまま森の中へ潜って行ったと報告を受けていた。
そう言えば、ロージはそのとき、森の様子が変だったとも証言していた。
(……何かあったのか? いや、だとしたら早すぎるか)
森の奥へと向かったのは、夕方だったと聞いている。
そして今は真夜中だ。となれば、一日もかからずに森の中から帰ってきたということになる。
ノードがいくら腕の立つ冒険者とはいえ、それだけで夜の森を調査出来るとは思えない。
おそらく、近場で魔物か何かの痕跡でも見つけて来たのだろう。
(やれやれ、出費が嵩むな)
ヨハンは頭の中の算盤で弾いて、その対処にかかる金額を思って頭を悩ませた。
夏季にも魔物の退治を依頼したときに、少なくはない謝礼をノードに支払った。実の弟であるがゆえに、相場よりはかなり格安で引き請けて貰うことが出来たが、それでもその金額は、安くはない。
凶作とは言えないまでも、ここ数年豊作に恵まれてこなかったアルバ村を治めるオブリエール家の財政は、決して豊かとは言えない。
とくに、ヨハンは実家であるフェリス家に、許される範囲内ではあるもののそれなりの金額を支援してきた。そのために、村の統治や他領との付き合い、オブリエール家に必要な金額を税収から差っ引くと、残りの金額──これが領主であるヨハンが自由に動かせる金となる──というのは、驚くほど少なかった。
魔物退治のような、予定外の出費というのは、大抵領主の財布から支払われる。
村や町を幾つも抱える大身の領主ならばいざ知らず、辺境に位置しているアルバ村を治めるだけのヨハンの財布は、前述の通り、必要最低限の金額しか残されていない。
何度も予定外の出費が重なると、領主であるヨハンは、その予算をどう捻出したものかと苦悩する羽目になるのだった。
(今回も、ノードに泣いてもらうしかないかな。まあ、帰るときに、お土産として麦や葡萄酒を渡してやればよいだろう)
現物で支給するほうが、銀貨で支払うよりも安くつく。
今年もまた、冷夏による不作気味の収穫しか得られなかったアルバ村では、その現物すら貴重ではあるのだが、それでも商人たちに手数料を支払って、ようやく手にする現金よりはましだった。
(せめて、フェリス家に貸し付けた金が、一部でも戻ってくれば楽になるのだがな)
ヨハンは寝室の扉に手をかけながら、内心で嘆息する。
ノードのお陰で、フェリス家の家計は黒字を達成して、少しずつだが借金も返せるようになったと聞く。だが、その返済の優先順位は、オブリエール家の場合それほど高くはない。
女子しか産まれなかったオブリエール家に、ヨハンが婿入りするための条件の一つが、借金関連だった。それまでにフェリス家が行っていた借入の減免と、追加支援、そして借金の無利子化。
利子といっても、元々縁続きだったフェリス家への貸し付けは、ほぼ善意からであり、利子など殆ど取っていなかった。
だが、僅かでも利子があるのと無いのとでは、話が違ってくる。特に借りてる側からすれば、その違いは大きい。
借金の返済は、理屈から言って、利子がかかる所から行う方が得だ。元本が残っていれば、時間が経つほど利子がかかるためだ。そして、おそらく有利子の借金を返した後は、まだ流れていない質を取り戻すだろう。
つまり、利子を取っていない──どころか今でも少しずつ支援をしている──オブリエール家の借金返済は、後回し。ヨハンが実の息子であることを考えると、最後になってもおかしくはなかった。
ヨハンはオブリエール家への婿入りの話があると両親から聞かされたとき、内心で狂喜乱舞した。次男であるヨハンにとっては、この上なく良い話だったからだ。
ハミル王国では、貴族の家督は長男が相続する。そのため、次男以降の男子は、長男が無事に家を継いだ場合、何とか自力で身を立てなければならない。
だが、王国の騎士団に勤めていても、得られる俸給などたかが知れている。騎士団の俸給とは、家督を相続して得られる家禄が有ることが前提の金額になっているからだ。平騎士の給料など、精々、一人が食って生きていけるだけの金額でしかない。
まともな待遇を得たければ、戦争に赴いて手柄を上げ出世するか、何処かの貴族家に婿入りするくらいしか方法がなかった。
ところが、その婿入りの話が出ているという。
しかも小さい村を一つ有するだけとはいえ、領主の家だ。産まれた子供が全て女子であったので、男子の跡取りが欲しいのだという。見合い話としては、願ってもない条件だった。
ヨハンはそのとき、『これでもう、金に悩む必要は無くなる』と考えていたものだった。だがどうやら、世の中そうは上手くいかないらしい。
(婿入りしても、金の遣り繰りに頭を悩ませるとは……まあそれでも、フェリス家に居続けるよりはよっぽどましだな)
アル兄は大変だろうなあ。そう考えながら、ヨハンは寝所の扉を潜り、玄関口へと向かった。
後編に続きます。本当は完成させて一話にしたかったけど、三日連続で休むと悪いかな、って。
追記
アース・スターノベル様より、コミカライズ企画が進行中だそうです! 公式ホームページでご確認頂けます。
これも全て、素敵なキャラデザとイラストを描いていただいたエナミカツミ様、そして、書籍をご購入いただいた読者の皆様のお陰でございます。
Thank you,sorry.ありがとう!
これからも、応援いただけるととても嬉しいです!
コミカライズの詳細は後日だそうですので、そのときに改めて活動報告あたりでご報告させていただきだいと思います。