5 長期休暇(中)
森の中に一頭の獣がいた。
頭には大きな角が生えていて、その角は槍のように真っ直ぐに伸びている。頭部に生えたその角槍は二つある。
姿は鹿によく似ており、その見た目から槍鹿と呼ばれる魔物であった。
その槍鹿は森の中を走っていた。
懸命に、破裂しそうな心臓の鼓動を感じながら、木々の合間を縫うようにして跳び跳ねていた。
現在、槍鹿は逃走している最中だった。
相手は人間である。
その存在に気が付いたときには自慢の角を二つとも半ばから折られてしまっていた。
狩られる──衝撃で地面に倒れこんだ槍鹿は本能で確信し、恐怖で動けなくなった。逃げなければ、しかし動けない。死への恐怖で一瞬だが身体が緊張して動けなくなってしまったのだ。
しかしなぜか、その人間は動けなくなった隙だらけの槍鹿に止めを刺さなかった。
片手に持った翠色の枝のような物を握り、そしてそれ以上何もしてこなかった。
一瞬後に、金縛りが解けたように、身体が自由に動かせるようになった。
何故と疑問を感じることもなく、槍鹿は逃走を図った。
槍鹿は逃げた、脇目もふらずにただひたすらに。
槍鹿は逃げた、折られた角のことなど頭にもなく。
槍鹿は逃げた、破裂しそうな心臓が悲鳴をあげるのも無視して。
そして、森を全速力でかけ、息も絶え絶えになったところで、槍鹿は足を止めた。
そして次の瞬間、ドンという衝撃を感じた。
首元に熱さを感じる。何かに攻撃されているのだと気が付いた。
「ブルルルッ」
「ギャウッ!!」
頭を振り、首元に噛み付いた何かを振り落とそうとするが、先程までの全力疾走で疲労し、力が入らない。
やがて、噛みつく何かの牙は槍鹿の大事なところを食い破り、槍鹿は首から暖かいものが噴き出すのを感じた。
全身から力が抜ける。自らの四肢で立っていられなくなった槍鹿は、自分の血だまりにドシャ、っと音を立てて倒れ伏し、やがてその黒い眼から光が失われた。
§
「よくやった」
目の前では、丁度槍鹿を仕留めたところだった。
槍鹿は石板級冒険者程度でも狩ることができる魔物の一種だ。頭部から伸びた鋭く尖った槍状の角は硬革の鎧くらいは貫いてしまうため、危険なのは角を使った攻撃であり、それ以外には見るべきところはない、低脅威の魔物だった。
槍鹿は繁殖力が強く、放っておくと人里近くの森の中を食い荒らす。そのため冒険者ギルドでは定期的に依頼がでることもあった。
「ぎゃう!」
槍鹿を仕留めたのはニュートだった。
ノードが槍鹿の危険部位──角を折り、追い立てて弱らせた上ではあるが、ニュートは槍鹿を助けがあったとはいえ狩ることに成功していた。
上方から槍鹿の背中に飛びかかったかと思うと、その四肢の先端から伸びた鋭い爪をたてて身体を固定し、そして首元に噛みつき、そのまま食い破った。
「もうこの強さの魔物じゃ相手にもならなくなってきたな」
「きゅい!」
ノードが合図を出すと、ニュートは槍鹿から離れる。
口元を血で真っ赤に染めたニュートの頭をぐりぐりと撫でてやると、ニュートは褒められて嬉しそうに鳴き声を上げた。
ニュートはノードの補助があるとはいえ、弱い魔物ならば簡単に倒すことが出来るようになっていた。
ノードは獲物である槍鹿を手早く解体する。
残った血抜きを済ませ、要領を得た手慣れた手付きで解体用の短剣を振るえば、あっという間に槍鹿がバラバラになった。
鹿皮は安価ではあるが、売れるために一応回収する。腿や肩など、部位ごとに分けられた肉は、今晩の晩飯となる。
「ほれ」
「きゃう♪」
狩りを成功させたご褒美に、その一部の肉塊をニュートへと投げ与える。
ニュートはそれを空中で器用に捕獲すると、美味しそうにその鹿肉を食べ始めた。
深緑の鱗を血で汚し、片足で保持した肉を啄む飛竜の子どもは、また一段と大きく成長を遂げていた。
身体はより一層大きくなり、四肢は以前よりガッチリと逞しくなり始めた。爪は獲物を捕らえるために一層鋭さを見せており、顎の力も強くなっているようである。
ペロリ、とあっという間に肉を平らげ、ノードにお代わりを要求して鳴く。ノードが追加して与えると、それも美味しそうに食べ始めた。結局、ニュートが腹を満たすのに鹿肉の三分の一を必要とした。
長期休暇の間にノードがニュートに施した狩猟訓練は、ノードの予想を遥かに上回る速度での成長を深緑の幼竜にもたらした。
初めは野うさぎや野鳥などから始めた狩猟訓練は、直ぐに小型の魔物へと対象を変え、そして今では中型の魔物を獲物として行われている。
念のために攻撃に使われる危険な部位はノードが排除してから行っているが、ニュートの身体を覆う鱗は幼竜のものとはいえ竜鱗である。下手な鎧よりは余程頑丈なことを考えると、そろそろ補助無しでも狩りが出来るだろう、ノードはそう考えた。
「ふむ……何体かいるな。よし、行くぞ」
「きゅっ!」
森の中、下草の生えた地面の様子から、近くに別の獲物がいることを見つけた。
ノードは傍らの幼竜へと合図を出すと、再び狩猟を再開し始めた。
§
「……とまあ、こんな感じです」
「へぇ、凄いじゃないか」
依頼から帰って来た後、達成報告を済ませたら毎回研究施設にいる“先生“の元を訪ねて報告する手筈になっていた。
その先生は、ノードが提出した日報を読みながら、興味深そうにニュートを観察している。
何でもノードが冒険に連れ出し始めてから、身体的な成長が顕著であり、その伸び具合は鉄竜騎士団での育成資料と比べても激しい差があるのだという。
「そんなに違うんですか?」
「全く違うね。鉄竜騎士団では普通に餌を与えていただけだけど、それと比べると、その飛竜は明らかに成長の度合いが異なるよ」
そのニュートはというと、先生の部屋の床でつまらなそうに丸まって寝ている。
この研究室に連れてきた当初こそ、部屋中にある『見たことの無いもの』に好奇心を刺激され、ふんふんと鼻を鳴らして興奮していたが、資料が纏められた文綴りであるとか、羽根筆や墨壺、あるいは飛竜の骨格の模型、自分が入ってたのと同じ卵の殻等々。毎回来る度に少しずつ慣れてしまい、現在では暇そうに部屋の中で会話する二人を見つめるだけである。
「これを見てくれ。ここが……こうで、ここは……こうだろ?」
「へえ……本当ですね。何が違うのかな」
「飛竜の育成方法は現状でも手探りだからね。ぱっと思い付くのは食べてるものの種類とかかな」
「あるいは強度上昇も関係しているかもしれませんね」
「成る程、その発想は無かった。ノード、君鉄竜騎士団じゃなくて研究室に来ないか!?」
「え、いや、その」
「ははは。冗談だよ。それより、資料が欲しいな。もっと強い敵との戦闘は出来るかい?」
「あーなら、今度依頼で適当な相手を探して受けてきます」
「是非とも頼む!」
ノードと先生の間では話が弾んでいるが、ニュートには内容は理解できない。ニュートが部屋の中に飽きてからは、ノードに抱っこされて待っていたが、身体が大きくなってからはそれも無理になった。ゆえに現在のニュートには、ノードが報告を済ませるまでの間、ただじっと床に伏せているしか無かった。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「了解です」
ノードが先生への報告を済ませると、席を立った音でニュートが目覚める。
ノードが「行くぞ」と軽く合図を出すと、ニュートは立ち上がり外に向かうノードのあとに続いた。
研究施設を出ると、既に日が沈んでいた。
ノードは研究施設の前に停めた馬車の荷台に、ニュートを乗り込ませた。幌つきの馬車で、垂れ幕があって外からは中を覗けないようになっている。
外套の中に隠すことが出来なくなるほどニュートが大きくなったことで、ノードは軍の馬車を一台借り受けることが出来ていたのだ。
冒険のときの移動も、その馬車を使って移動している。
御者はいないので、ノードが御者台に乗って馬を操る。
その引馬も、はじめはニュートの匂いに慣れるまでは、荷台にいる飛竜の存在に怯えて大変だった。
ノードが鞭で合図を出すと、馬が馬車を曳き始める。
ガラガラと石畳の上を車輪が回転する音を聞きながら、ノードは夜道で馬車を走らせた。
§
その後、ノードはニュートを連れて何度も冒険へ出掛けた。駆け足の早さで強くなっていく深緑の幼竜は、狩りの経験を積んだことで、既に玉石級の魔物を単独で相手取れるようになっていた。
長期休暇も終わりが見えてきた頃。
ノードはとうとうニュートを水晶級の依頼に連れていくことにした。
選んだ依頼は、群体型の魔物討伐だった。
群体型とは、複数の個体で群れをつくるタイプの魔物の分類で、例としては狼系や虫系の魔物などが挙げられる。
逆に、群れを作らずに単体で活動するタイプの魔物もいる。こちらは単独型とよばれ、例としては熊や飛竜などが挙げられる。
勿論これは傾向であり、たまに単独型でも番が夫婦で同じ範囲内に住み着くという事例が報告されている。
同じ階級の依頼であれば、群体型の魔物より単独型の魔物の方が手強い。群体型が数によって脅威を増すのに対し、単独型はその個体の戦闘力(または凶暴性)のみで脅威と認定されるからだ。
ノードは既に単独型の魔物を討伐することが出来るが、ニュートが狙われるとどうなるか分からなかったので、先ずは群体型の魔物を試金石として、ニュートに水晶級の魔物と戦わせてみることにしたのだ。
依頼の討伐対象は、陸鮫だった。
鮫のような見た目をした蜥蜴なのだが、海の殺し屋と渾名される鮫の魔物にも負けず劣らずの凶暴性があるので、そう呼ばれる。
陸鮫は獲物を求めてさ迷う性質があるため、北方の寒冷地を除けば割りと何処でも見かける魔物だ。
旅人や家畜に被害を齎すために、水晶級冒険者がもっともよく相手にする魔物である。
今回の依頼場所は王都を西に向かう主要街道を外れた辺りでの討伐だった。
街道警備は本来騎士団の仕事なのだが、優先されるべきは大都市間を繋ぐ主要街道であり、脇にそれた小さな街道などは後回しにされる傾向がある。
しかし、後回しになっている間にも行商などが襲われれば、その街道に接続している村などは干上がってしまう。
それゆえ陸鮫は確認されれば、直ぐに討伐依頼が冒険者ギルドに出されていた。
「いたか?」
ノードは騎士団から借り受けた馬車の中から、声をかける。
その相手は空にいた。
抜けるような青空、その中を自由に泳ぎ回る一つの影。
翼を広げて飛びまわる飛竜の子ども、ニュートである。
夏の日差しに緑の鱗を焦がしながら、ニュートは風を翼に受け、上空を旋回していた。
その金色の縦に裂けた瞳が、遠方で蠢く何かを捉えた。
じっと観察したそれは、ニュートがまだ見たことのない、鮫のような姿をしている。
「きゅーい!」
予めノードが教え込んだ、長い鳴き声をニュートは下に向けて叫んだ。
その声をノードが聞き届けたのを確認すると、ニュートはノードを先導するように、その方角へ向け飛んだ。
§
陸鮫単体の戦闘力は、それほど高くはない。
一体一体は、水晶級冒険者の相対する敵の中でも弱い位だ。
しかしそれが群れをつくり、鮫のように獰猛に次から次へと襲いかかれば、それは脅威となる。
特に武装をしているわけでもない行商人や旅人には、対抗手段がなければ骨までしゃぶられるのみであった。
その陸鮫が、複数同時に地面から跳び跳ねるようにしてノードに襲いかかる。
首、手、脚──それぞれの狙いを軌道から一瞬で把握したノードは、手に持った剣を振るう。
翠の閃光は宙に描かれ、そしてそれは中空に躍り出た陸鮫の身体をなぞり切断した。
二枚に卸された陸鮫の死体が地に落ちる前に、ノードは剣を戻してもう一度振るう。
別の陸鮫がまた一匹死体と化した。
そしてノードは、この近辺にいた陸鮫をほぼ片付けた。
残すは一体である。
ノードは剣を鞘に納剣し、その最後の一体を見た。
土色の鱗を纏った陸鮫が、警戒した様子を見せていた。
対象はノードではない。
──ヒュンッ! ヒュンッ!
陸鮫の上方、空中を自在に飛び回る緑の飛竜である。
8の字を描くようにして、陸鮫の上を飛行している。
陸鮫が届かない距離を保ちながら、隙を探しているのだった。
陸鮫もそれが分かるのだろう。頭を動かして飛竜を視界から外さないようにしている。
その様子は隙だらけで、ノードであれば横合いから仕留めるのは容易いことだったが、敢えてノードは静観していた。
ニュートに狩りの経験を積ませるためである。
暫く、ニュートと陸鮫が牽制をし合う。
そして、
決着は劇的だった。
旋回飛行を続けていたニュートは、突如その軌道をずらした。
それは動きになれていた陸鮫に一瞬の隙を作った。
上空から襲いかかれるニュートの速度は、速い。
旋回して保っていた速度に加えて、翼を折り畳み落下速度が合わさった緑の飛竜の一撃は、その一瞬の隙の間に決まった。
速度は衝突の瞬間、そのまま威力へと変貌する。鋭利な竜爪が土色の鱗を突き破り、肉に食い込む。
痛みに陸鮫が声を上げる暇もなく、地に押さえ付けられ、そしてニュートの顎は生え揃う凶悪な鋸牙で、陸鮫の急所を食い破った。
後は、それの繰り返しだった。
何度か遭遇する陸鮫の群れとの戦いを経て、ニュートの戦い方はこなれていく。
陸鮫を殲滅した頃には、ニュートは複数の陸鮫を単独で狩れていた。
戦闘終了後に甘える仕種で、ノードに褒めることを要求するところは、やはりまだ幼さを感じさせるが、ニュートは既に一人前の狩人として成長を遂げていた。
“飛竜“という天性の狩人の才能が、生後半年を経て華開こうとしていた。
次で長期休暇完結。
『飛竜のかんさつ日記』とか僕もやってみたい! 卵百貨店に売ってないかな?




