20 閃き
本日二話目。今日の更新はこれで最後です。
ポイントが少しずつ増えて嬉しい今日この頃。
(どうしたものか……)
母親のマリアに呼び出されてから一週間。
ノードは現在、雪の中にいた。
正確には雪を掻き分けるようにして冬の山で蠢いていた。
『冬の寒さは魔物より怖い』
酒場の冒険者たちが口を揃えて言う言葉を信じ、ノードは先輩冒険者たちの助言を求めた。対価はいつもと同じく酒場の一杯である。
その助言を素直に聞き入れたノードの装備は、鱗鎧から再び硬革の鎧へと戻っていた。しかもその細部は普通の硬革の鎧とは異なっている。
鱗鎧を作った際、硬革の鎧は下取りにしようとしていたノードに対し、武具店の店主は「予備にとっておけ」と端的に告げた。
鎧も手入れは必要だ。もし大きく損壊した場合に備えて、別の鎧を持っておけと言うのである。
それもそうだ、とノードは下取りに出すのを止め、邸宅の自室に保管しておいたのだが、その硬革の鎧は、下地に濃密な暖かな冬毛を備えた冬季用の鎧へと姿を変えていた。
モフモフとした鎧内の毛皮は空気をたっぷりと蓄え、ノードの体温を鎧内へと保つ役割を果たす。
指先や足の先も同じ作りであり、上から毛皮のコートを被れるようにしたそれは、改造費に幾ばくかの金銭を必要としたものの、厳冬の環境下で活動するのに必要不可欠な装備だった。
その冬物鎧を纏ったノードは、汗を掻かないようゆっくりとした動きながらも、確実に雪を掻き分けて目的の物を見付け出した。
雪の降り積もる山肌の崖の側、険しい場所の雪の下から顔を出したそれは、曇天の隙間から僅かに射し込む陽の光を反射してキラリと妖しく輝いた。
ノードはその結晶──冬場にだけ取れる氷精石と呼ばれる天然の特殊な魔石──を粗方採取すると、氷精石を入れた背嚢を背負った。両手にも同じく氷精石入りの袋を持つ。
ズシリ、と重さがノードの鎧越しに肩へとかかり、足元がズブズブと沈み込みそうになる。
慌てて両手の棒──雪山登山用のステッキに体重を分散させる。
体勢をしっかり整え、採取の為に一度脱いでいた装着式の雪靴をつけ直すと、今度こそ雪の上を歩く。
ふと見下ろすとそこには、ノードが歩いてきた轍が麓まで続いていた。
§
雪の上を歩く。
──この氷精石で幾らになるだろうか
依頼書に書かれていた価格から、概算で弾き出した金額を頭に思い浮かべる。
──まあ、そんなものだろう
雪の上を歩く。
──まだまだ足りないな。
雪の上を歩く。
冬山はとても静かだ。
風が吹き、吹雪いている間は分からないが、風がやんで雲間が晴れたりすると一層強く思う。
遠くの山々の山頂で、雪の精が踊るようにしてその天険を白く染め上げ続けているのが見えるが、ノードのいる山は完全に凪いでいた。
ギュムギュムと、ノードの足元の雪が踏み固められる音だけが響く。
時折風が思い出したように雪の表面を撫でて、雪を中空に踊らせた。
ノードの耳にキラキラと何か結晶の様なものが擦り合わせたような音が届いた。
音の発生元はノードが今いる場所から離れたところだ。
(……氷の精霊か)
雪原の上を、青白い影が踊っているのが見える。
少女が踊っているようにも見えるその幻影は、冬場にあらわれる氷の精霊のものだった。
(……悪戯を掛けられないようにせねば)
危険な魔物では無いことに一安心し、ふぅーと溜め息を一つつく。
鎧の頭部、口元辺りをすっぽりと覆った毛糸で出来た半覆面からは、大気中の塵を氷結させた白い息が漏れた。
氷の精霊に限らずではあるが、精霊の類いは皆悪戯好きで、人間にちょっかいをかける。彼女たち(大抵が少女のように見える)には悪意はないが、その力は強く悪戯では済まされない被害がもたらされることもしばしばだ。
ましてや重たい氷精石を抱えた状態で、面白半分でスッ転ばされるなどごめん被る。
雪に埋もれて難儀するならまだましで、最悪は雪の斜面を高速で滑り落ち、壁面に激突するか崖から飛び降りるかだ。勿論その果てが肉片であるのはいうまでもない。
幸い、精霊たちは遊ぶのに夢中らしい。距離をとっているこの場所ならば、気付かれることもないだろう。
ノードはそう判断して、静寂なる雪の広野を降りて行った。
§
あともう少しで麓だというところで、ノードは災難に遭遇した。
「ギャオオオ──ッ!!」
下山中、雪山に響いたその声に、反射的にノードは地──雪原に伏せた。
滑り落ちないように雪に埋もれるよう、倒れ伏したノードは微動だにしない。
ボフリ、と若干の粉雪を巻き上げて伏せたノードの姿は、上から見れば雪に溶け込んで見えただろう。
ノードの鎧はともかく外套や背嚢などは白一色で染められているからである。
微動だにせず、雪に伏したノードには視界一杯に若干影を落とした雪の白が広がった。
雪の冷たい感触が顔の露出した箇所に当たり、冷たい。
だというのにノードはバクバクと音を立てる心臓とともに汗を掻いていた。運動による物ではない、冷や汗である。
ゴゥッ、一陣の強風がノードのいる雪原を通過した。
そこでようやくソロリ、とノードが顔を上げた。
辺り一面は埃だらけの倉庫をひっくり返したみたいに、雪が舞っていた。雪が降ったのではなく、大風──そしてそれを巻き起こしたある存在に因って引きおこされた現象だった。
白一面の大地を駆け抜けていった影の持ち主は既に上空高くを舞い、彼方へと飛び去っている。
「……通過したか」
その様子をノードは姿が見えなくなるまでじっと見つめてから声を出した。
起きあがり、パンパンと体にまとわりついた雪を払う。
咄嗟に手放した氷精石入りの袋を拾い上げ、再び上げる。
「飛竜か……」
ノードは、ポツリとその影の正体を口にした。
§
その後、採取に出向いた雪山から帰還したノードは、王都の酒場で管を巻いていた。
といっても酒は飲んでいない。そんな無駄使いは出来ないからだ。
それゆえ何も頼まずに酒場に居座るノードを、胸元を露出させた給仕の女性が冷たい目で見つめていたが、ノードは知ったことではないとばかりに嘆いていた。
理由は単純で、金が無いのである。
いや、正確には手持ちはある。
今しがた冒険者ギルドの帳場で納品を済ませ、規定量よりも多くの氷精石を納品したことによる超過報酬まで受け取ったところだ。
しかしその金──銀貨数枚は、とてもノードの目的の金額である『銀貨二百枚』には届きそうにもない。
「あー金が無ぇ……」
「また小僧が言ってら」
「あれ、エルザの嬢ちゃん居ねえな。珍しい」
「なんだ知らねえのか、徒党解散したらしいぞ」
「え、マジ? フラれたのか、あいつ」
「ちげーよ、嬢ちゃんがフラれ……」
ワイワイガヤガヤ。
ノードの様子をも勝手に酒の肴にした冒険者たちは、勝手に話を繰り広げる。何を勘違いしたのか、うちの一人が何故かノードに酒を一杯奢ってくれた。
(まあ、無料ならいいか)
グイッ、勘違いもそのままに一気にその酒杯を呷ったノードは「ップハァ」という音と共に酒精の雑ざった息を吐き出した。
堂々巡りの考えに行き詰まり、湯だりかけていた脳髄が冷やされる心地がした。
「──よしっ!」
気分転換をしよう。
そう考えたノードは席を立つと、酒飲みの喧騒を横目にツカツカと歩き、依頼掲示板の側へと移動する。
同じ姿勢で居たものだから、体がバキバキと音を立てるような気持ちがした。
背伸びをしながら、ノードは依頼書を眺める。
依頼掲示板の依頼は、毎朝新規の依頼が出されるが、それらは人気のあるものから消化されていく。
反面、不人気な依頼はその日には消化されずに何日もの間、依頼掲示板に張り出されたままになる。
場合によっては、それは一週間、二週間と続き、誰も引き請け手がない依頼は、そのまま取り下げられるか追加の報酬が上乗せされる。
冒険者ギルドは基本的に吝嗇なので、貢献度の上乗せしかされないが、先程ノードが達成してきたような『面倒な』採取依頼などであれば、依頼主が報酬の上乗せをしてくることがある。
その場合は、朝でなくとも依頼の更新がされるため、ノードはこうして毎晩割りが良くなっている依頼が無いかを確認していた。
「──て言ってもなあ」
当然、それらの報酬は悪くないものの、一度で銀貨が何枚か稼げるか、といった程度の金額に過ぎない。
いや、成人男性が銀貨四枚もあれば一年を過ごせることを考えれば、それはとてつもなく割りが良い仕事と言えるだろう。(勿論危険も相応なのだが)
しかしそれでもなお、ノードの必要とする金額を稼ぐのに長い時間が必要になる。
銀貨二百枚──それは小規模な領主の歳入に匹敵するほどの金額なのだ。
恐らくノードの母親であるマリアも、本当にノードが全額を稼げるなどとは考えてはいない筈だ。
それでもなお、自らの娘が二十歳を過ぎてようやく得た結婚の機会をなんとか成就させてやれないかと、恥を偲んで藁をも掴むつもりでノードに頼み込んだのだろう。
二百枚は無理でも──五十枚。それだけ稼いで、借金を一部返済、それで新郎側の理解を得る。
そこまで考えて、ノードは其れでさえも上手くいくのだろうかと考える。
母マリアの相談から後、既に二週間が経過している。
依頼には、往復の道程の移動時間なども必要だ。そのため、ノードがこの二週間で達成出来たのは二つに過ぎない。そのどちらも高額な報酬だったため(労力はともかく時間的には割りが良かった)、銀貨はすでに五枚近く稼いだが、冬場の割り増し報酬でもそこまで割りが良い依頼は珍しい。
現実的に、姉のハンナの結婚の時期的猶予である春先までに必要な銀貨を稼ぎ出すのは無理があった。
(せめてエルザがいれば……)
そこまで考えたところで、頭を振った。
エルザは既にいないし、居たところでどうにもならないだろう。水晶級冒険者はおろか、仮にノードが赤銅級冒険者であっても無理なのだ。
それほどまでに、フェリス家の借金は嵩み過ぎていた。
(……諦めるな!)
ノードはいつの間にか弱気になっていた自分の心に鞭を打った。
ことの話題は姉のハンナに関わることなのだ。
自身の、そしてフェリス家の姉として、優しく可愛がってくれた姉のハンナの幸せに関することなのだ。
ノードに必要なことは『どう実現するか』であって、諦めることではなかった。
思考を切り替えたノードは、再び思考を巡らせる。
水晶級冒険者としての依頼では無理ならば、じゃあどんな依頼でならば可能なのだろうか。
「一度の依頼で銀貨を何十枚、何百枚と稼ぐとなると……」
チラリ、とノードは視線を横へとずらす。
そこには水晶級冒険者より格上の階級の冒険者用の依頼掲示板があった。
ノードは気分転換の気持ちで、それらを眺めてみることにした。
まずは現実的な部類である赤銅級冒険者の依頼を見てみる。
依頼報酬はやはり水晶級冒険者よりも高い。そこに書かれている魔物の名前は、一癖も二癖もある厄介な魔物ばかりで、赤銅級冒険者という冒険者と現在の水晶級冒険者であるノードとの差を感じさせた。
採取の依頼に関しても、危険な場所や特殊な技術が無ければ採取が叶わない、貴重な素材の名前が並んでいる。
どれもこれも現在のノードには手が出せそうにない。
しかし、それらの報酬をもってしても、残念ながら目的の銀貨の枚数には届きそうもない。
溜め息を一つついて、ノードは更に横にずれた。
黒鉄級冒険者用の依頼掲示板である。
そこに書かれた依頼書には、もしもノードが出会えば、神に命乞いをしながら脱兎のごとき勢いで逃げることが必要な魔物ばかりが記載されている。とてもじゃないが敵わず、強化した自慢の愛剣も表皮を傷付けることが出来るか否か、といった所だ。
採取依頼の方は、名前くらいは聞いたことのある素材(大体が強力な魔物の素材だ)もあれば、反対に全く耳にしたことのない名前のものもある。
二つも階級が離れると、依頼達成の道筋を予想することすら困難だというのは、ノードにとって発見だった。
依頼報酬の金額は実に様々だが、中には銀貨何十枚という単位で報酬が掲げられているのもあり、黒鉄級冒険者であれば不可能ではないのか、とノードは考えた。
しかし、問題はノードには黒鉄級冒険者はおろか、現時点では赤銅級冒険者への昇格依頼の挑戦権すら持ち合わせていない、ということだった。
それなのにどうやって黒鉄級冒険者の依頼を請けるというのか。
(……いや、違うな)
ノードは自分の思い違いを即座に修正した。
正確には、黒鉄級冒険者向けの依頼は、『冒険者ギルドを通しては』受注が出来ない、である。
冒険者ギルドにとって、有用な冒険者が不相応な難易度の依頼を請けて命を落としたり、或いは達成できずに高額な違約金を支払う羽目になるのは避けたい事態だ。更に言えば依頼の失敗が続けば冒険者ギルドの信用にも関わるというのもあった。
それ故、冒険者ギルドは階位制度を取り入れて運用し、依頼の難易度に似合った冒険者が依頼を受注できるように取り計らっているのである。
そのため『ギルドを通さない依頼』であれば、冒険者は(それ以外の者も)自由に依頼を請けることが出来る。
ただしこの場合は依頼主、請負人共にギルドは関係がないため、一切の責任を負わない──つまり完全自己責任となるため、冒険者ギルドはこの仕事のやり方を推奨していなかった。
(まあ、仮に依頼を請けたとして、どうやってこんな凶悪な魔物を退治したらいいやら……見当もつかん)
ノードは再び頭を振る。
こうなると、やはりお手上げなのかも知れない。
フゥー、と溜め息を一つ漏らす。
と、そこで何となく足をその隣に向けた。
単純に興味が湧いたとも言える。
黒鉄級冒険者でこれなら、白銀級冒険者はどんな化け物を相手にしているのか、と──。
「……ははっ」
その白銀級冒険者用の依頼掲示板を見て、ノードは思わず笑ってしまった。
偶々目に入ったのが、つい最近目撃したばかりの魔物に関するものだったからだ。
「『飛竜素材求む! 一頭の報酬──銀貨八百枚』か……夢があるねぇ」
ノードは雪山で見たあの姿を思い出した。
鱗鎧とは格が違う、一枚一枚が鍛え上げられた鎧程の強さを持つ強靭な竜鱗。
分厚い城塞を思い起こさせる飛竜の甲殻。
一瞬でノードを真っ二つに食い千切るであろう強大な顎。
発達した肢に生えた凶悪な剛爪。
そして、大空を翔ける翼。
「あんなのと戦えるとは、白銀級冒険者は格が違うな……」
そう、ノードをして咆哮を聞いただけで竦んでしまうその怪物の中の怪物──飛竜を倒すのが、白銀級冒険者という階級の冒険者だった。
聞けば、水晶級冒険者を越え、赤銅級冒険者へと進み、そして黒鉄級冒険者にまで到達した精鋭冒険者の多くが、白銀級冒険者の壁を乗り越えられないという。
然もありなん──そう、ノードは理解する。
並みいる魔物の中でも、頂点に位置するのが『竜』なのだ。
例えそれが『最弱の竜種』だとしても、飛竜は竜なのである。
(飛竜を乗りこなして戦うんだから、王国の鉄竜騎士団は化け物揃いだよな)
ノードは、かつて父や兄から聞かされた王国の騎士団についての話を頭に浮かべた。
各地方の騎士団やハミル王国騎士団、そして近衛騎士団とも異なる完全実力主義の最強の騎士団。
飛竜を乗りこなし、戦場を自在に駆け回る彼らは、王国にあって身分など関係なしに高給で召し抱えられる。
(冒険者の中からも入団した者がいたはずだ。確かその冒険者も白銀級冒険者だった筈……?)
既視感を感じた。
確か最近も鉄竜騎士団に関する話題があった。何処で聞いたのだったか。ノードは記憶を探り、思い出した。
(そうそう、食事のときだ。兄さんが父上に『鉄竜騎士団に入れ!』って無茶言われてたっけ……)
思い出し、苦笑する。
子供に期待をかけるのは親の宿業とはいうが、よりによって鉄竜騎士団とは。そこはせめて近衛騎士団にしておけばいいものを……。
そこまで思い付いて、脳裡に閃くものがあった。
無茶苦茶ではあるが、まだ可能性はある。
銀貨二百枚を達成できるかもしれない、起死回生の一手だった。
はい、というわけでモ○ハンなら恒例のアレですね。作者は割りと好きなクエストでした。
ラ○ポスは絶滅すべし、慈悲はない。




