18 日常
王都に帰還したノードは、報告を手早く済ませ武具店へと足早に移動した。
冒険者としての生を歩みはじめてから、幾度となく通った武器店では、ノードは顔馴染みの客になっていた。
ガランガランと、武具店の木製の扉につけられた、来客を知らせる鈴が派手に音を立てる。
その音を聴き店の奥から出てきた店主は、ノードの顔を認識すると何時もの態度で接客してくる。
「なんだ? 何か用か」
客に向かって相変わらずの無愛想な言い種である。
店主が文字を習った際、使った辞書には『接客』の二文字が無かったに違いない。そう信じているノードは気にすることなく用件を告げた。
「こっちが指定の素材で、あとこれを見てくれ」
「あん?」
ノードが机の上に三つの袋を置いた。
うち二つ、事前に依頼していた鎧の素材とは別に、追加の袋を差し出す。
素材の具合を確かめようとしていた店主の親爺は、一体何だと怪訝な声を上げる。
その袋の中身を覗いた親爺は、一目でその正体を把握した。
「ふん……翆玉鉱か」
「精製したら、どれくらいの量になる」
当然だが、武器や防具に用いる金属は鉱石のままでは使用出来ない。鉱石の中に含まれた目的の金属を炉で鋳溶かして抽出し、純度の高い金属塊にしてから加工するのだ。
持ち込んだ翆玉鉱石は量でいうなら一抱えもあったが、実際にどの位の量が採れるのかはノードには分からなかった。
「そうさな……実際のところはやってみなければ分からんが、まあこの品位なら一人分の武器なら充分作れるだろうよ」
店主の親爺は袋から取り出した鉱石を手に取り、重さを確かめたり回転させて表面を観察したりした後、鉱石の一つを鉄槌で真っ二つに割って断面を見て、そう言った。
翆玉鉱に関しては、ノードは冒険者の掟に従いエルザと等分した内の、エルザの分を買い取りを済ませていた。
翆玉鉱から精製される翆玉鋼は、刀剣や槍の素材として人気の素材なのだが、エルザは翆玉鋼で武器を作る機会をノードに譲っていた。
エルザは現在の槍の代替として、金属ではなく魔物由来の素材を用いた槍を造ろうと考えていたらしい。
それゆえノードに翆玉鉱を譲り、ノードの素材集めを手伝った代わりとして、次回からはエルザの狙う素材を獲るための依頼を受けることが決まっていた。
「ふむ……おい小僧、腰のものを見せてみろ」
鎧の素材の質を検品し終わった店主の親爺は、顎に蓄えた髭を弄りながら何かを考える仕草をしたのち、徐にそう告げた。
ノードは素直に腰に差した剣を鞘ごと引き抜き、柄の方を店主の親爺に差し出す。
今までにも何度か研ぎに出して扱った剣を、店主の親爺は改めて品定めするように眺めた。
「次の武器を考えてるなら、この剣を強化したらどうだ」
今回の冒険では然程出番は無かったが、そろそろまた研ぎに出すか。そんなことを待っている間に考えていたノードは、店主の親爺の言葉に虚を突かれた。
ノードとしては、普通に翆玉鋼製の新しい武器を作るという考えしか無かったからである。
鞘に剣を戻しながら、店主の親爺は言葉を続ける。
「前に研磨したときにも思ったが、この剣は結構しっかりした作りだ。刃金こそ凡百な素材だが、打った奴の腕は決して悪くねぇ」
まあ、俺ほどじゃねえがな。
そう締めた親爺がノードに剣を返した。受け取ったそれを腰に再び差しながら、ノードはこの剣を買ったときのことを思い出していた。
今よりもまだ少し幼い頃だ。騎士を目指すであろう武家の子弟であるノードは、当然剣の手解きを師である父親から受けていた。
そしてあるとき、自分の剣を持ってもいい頃だと小遣いを貰ったのだ。剣は自分で選べ、武具の目利きも腕の内だと言われて、ノードは剣を買いに武具店へと赴いた。
その時はまだ、今よりも片手ほど弟妹の数が少なかったために、そのような仕儀になったが、やはり当時もフェリス家は貧乏だ。手渡された貨幣の数は少なく、数打ちの安物か、弟子の習作が手に入るかという金額でしかなかった。
帳場にいた店の者に、剣が欲しいと掌に乗せた小銭を見せると、その店員は黙って店の隅へと指を差したものだ。
そこには乱雑に突っ込まれた剣や槍が並ぶ樽が並んでいた。
二束三文で売られている刀剣の中から、幼いノードは一生懸命に一番良いものを選ぼうと目利きに励んだ。
小一時間、店員がノードの存在を半ば忘れかけた頃に、ノードは一本の剣を見出だした。
まじまじと、鞘から抜き出した剣身を眺めた。
その剣は他のものと比べて明らかに出来が違うと感じた。
たしかに、見た目は派手ではないし柄や拵えも安っぽいが、鈍く煌めく刃を見て、物が違うと感じた。
店員に声を掛けると、興味無さげに会計を済ませたので、ノードは店員の気が変わらないうちに足早に家へ帰った。
後日の訓練で、父親に悪くない剣だと誉められたのを覚えている。
それから既に何年も経っている。
当時のノードには大剣程に大きく感じられたものだが、今や盾を構えて片手で振るうのに丁度良い長さだった。
で、どうするんだ。
店主の親爺の問いかけに、ノードは二つ返事で剣の強化を依頼した。
§
鎧の作成と剣の強化を依頼したノードは、ぶらりと久しぶりに王都の街を練り歩いていた。
「手ぶらでは腰が寂しかろう」と代用の剣を借り受けていたが、残念ながら弟子が作ったというその作りは、お世辞にも出来が良いとは言えなかった。
鞘から少しだけ抜いてみたノードは、直ぐにそれが鈍だと分かった。護身ならばともかく魔物との戦闘をするには心許なかった。
故に装備が出来上がるまで、暫くは本格的な依頼を請けるのを避けて、王都周辺で自分の飯代だけを稼ごうとノードは割り切っていた。今も適当な依頼を達成して報酬を受け取った後だ。夕方間近の中途半端な時刻だったので、連続で他の依頼を受けるのは止めておいた。夜になれば城壁の外に閉め出されてしまうからだ。
幸い、港での釣り依頼は大成功に終わっていたので、超過報酬を支給され、装備の代金を支払ってもまだ余裕がある。
(お、この櫛いいな、リリアに似合いそうだ)
そんなノードが現在何をしているかといえば、商店通りで店先の商品を眺めていた。買う気はないので冷やかしである。正確には、弟妹たちへお土産などを買ってやりたいという気持ちは強いのだが、生憎とそこまでの余分な金は無かった。
とはいえ、
(……何時かは買ってやりたいものだ)
ノードが冒険者になってから、早くも半年以上が経過していた。季節も巡り、そろそろ冬になろうとしている。
それまでの時間を、ノードは全力で駆け抜けていた。
休みなく働き、無駄な金は使わない。
使うのは、全て装備や消耗品といった投資であり、それ以外は全て家計に入れていた。年頃であるノードの同世代の冒険者は、もっと色や恋、そして旨い飯や遊びに精と金を注いでいる。
それに比べたらノードの生活は余りにも質実剛健だった。
だがそのお陰か、冒険者としてのノードは、ようやっとのことで水晶級冒険者へ挑戦しようという段階でしかないにもかかわらず、最近は余裕が出てきたように思う。
相変わらずフェリス家の家計は火の車だし、岩狼の討伐以降も時折、ノードはアレクから金策の相談を受けていた。
しかし新たな借金は重ねることは無いし、僅かだが家計は黒字に転じていた。
水晶級冒険者に昇格すれば、更に収入は増えるし、そうすればやがて家の借金も減っていくだろう。
(アレクたちにも苦労させているからな、給料も増やしてやらないと……)
貴族の家に仕える使用人の取りまとめ、家の諸事を取り仕切る家令は、幅広い知識と高度な判断力を要する専門職である。
職種こそ違えど、仮に商家などであれば番頭や店主は軽く務まる優秀な人間にしか出来ない仕事であり、長年フェリス家に仕えるアレクなどは、本来厚遇をもって迎えられるべき存在だ。
しかしアレクは、家計が火の車であるフェリス家の事情を考え、敢えて自らの給与を最低に設定して家計の支出を抑えるようにしている。
満足に給与も払えないフェリス家を見限り、別の家で仕事をすることも許されるのに、アレクは職責を超えた忠誠心をフェリス家に示してくれていた。
そしてそれは他の使用人もそうだった。(メイドは当主の愛人であるという事情もあるが)
正規の、本来与えられる待遇を彼らに与えることも、ノードが冒険者として稼いでいけば充分に可能だろう。
他にも、貴族の子弟とは思えないような着古しの服を着た弟妹たち。特に三つ下の、年頃の少女であるリリアなどには、もっと美しく着飾る権利があるとノードは思っていた。
髪飾り、新品の衣服、美味しい食べ物。
王都の街中で石畳の道を歩きながら、ノードは夕刻の店じまい間近の賑わいを見せる道を、家族たちの顔を思い浮かべながら歩いた。
§
(……そろそろ帰るか)
日も大分傾き、王都の街並みは夕焼け色に染まっていた。
一般的な冒険者であれば、ギルドの酒場で一杯やって(大抵は稼ぎを吹き飛ばす勢いへと増していく)楽しもうかと算段をつける頃だが、ノードは無駄遣いは避けていた。
ゆえに直でフェリスの邸宅に帰り、夕食の時間になるまで自室で武具の手入れでもするか、あるいは弟妹に構って遊んでやるのが常であった。
この日も、誘惑を振り切って早めに帰ろうと家路を歩いていた。
(……ん?)
その途中である。
ノードにしては珍しく街中で遊んでいたため(金は小銅貨一枚とて使わなかったが)常とは異なる道程で帰路についていた。
偶々、その岐路は王城に近い場所を通るところだった。
王都には外から引いている川が流れている。その川がどこを通るかと言えば当然街中をであり、王都にはそれを利用した施設なども存在する。
中には民の憩いの場として愛されている場所もあり、ノードが通りがかったのも、そのうちの一つであった。
秋も深くなってきたが、夏場などは水気による涼を求めて人気のスポットである。
そこに、遠目ながら視界の中に見知った人物の影を認めた。
「……姉上?」
斥候や弓手ほどではないが、冒険者として危険を一早く察知するよう五感を研ぎ澄ましているノードの視力は高い部類にある。
その視力で視界の端に見えたのは、ノードの姉であるハンナの姿だった。
フェリス家の二番目の子弟、長女である彼女は現在他の貴族家へメイドとして仕事を得ていた。
今もその身に白黒の清潔な印象を与えるメイド服を身に付けていた。
王都では数多くの貴族の家や商人などが住んでいるため、街中でメイドや執事といった使用人に出会すことは別段珍しいことではない。
それゆえハンナ姉が外にいるのは可笑しなことではないはずなのだが。
(…………ふむ、)
どうやら、誰かと話をしているらしい。
相手はノードの場所からは、木が邪魔して窺い知れなかった。
姉と判っても、遠くゆえ表情までは具に観察出来たわけでもない。ノードのいる場所までは風に乗っても声も届かず、聞こえることはなかった。
(面倒事では無さそうだな)
家族としての贔屓目を除いても、姉のハンナは大層な美人である。金色の波打つ髪を腰まで伸ばした鼻筋通る整った容姿をしており、外見だけでなく貴族令嬢としての確かな教養に基づく美しい振る舞いをするハンナは、弟であるノードにもそれはそれは自慢の姉だった。
もしも破落戸の類いに絡まれでもしているのならば、その相手には産まれてきたことを後悔させてやろう。
腰の剣が鈍であることも忘れて内心息巻くノードだったが、どうやら知り合いと話をしているだけであるのを理解すると、一人安心して家路を再び歩くことにした。
§
フェリス家では、何時ものように家族の団欒が行われていた。
邸宅の一階、広間の階段の横にある食堂は、客人を招いての宴会も行えるよう設計された広い空間をもつ。
その食堂に置かれた大食卓は、二十人からが座れる大きさがある。
両親合わせると十四人家族であるフェリス家では、平時からその大食卓に据え付けられた椅子の大半が埋まっていた。
部屋の奥、上座には当主である父親のアルバートが、そしてその横には母──正妻であるマリアが座っている。
そこからは年齢順に並ぶのが普通の仕儀なのだが、フェリス家は小さい弟妹が多いので、大きい者が食事の面倒などを見れるようバラけて座っていた。
調度品こそ非常に少ないものの、食事をするには何の問題もない部屋に食事の音が響く。
冒険者たちが酒場でガヤガヤと騒ぐほどではないが、フェリスの家でも家族が互いに話をしたりとすれば、人数が多いので自然と賑やかになる。
ノードは弟のエレンと妹のヘレナを両隣に、挟まれるようにして座っていた。自分の食事を少し食べ、弟と妹の面倒を見ながら、溢しそうになったり、マナーの悪い行動をすれば優しく矯正したりしている。
今も妹のヘレナが、口を迎えるようにしてスープを啜ろうとしていたので、きちんと匙を口許に持ってくるよう教え直していた。ヘレナは「はい兄さま」と舌ったらずに返事をしながら、言われたようにスープを食している。
その姿をノードは優しい眼差しで眺めながら自分の食事を取った。
今でこそ貴族のマナーを確りと身に付けているノードだが、小さな頃はかなり悪童だった。
そんなノードに、優しく面倒を見てくれていたのが四つ上の姉のハンナだった。
「ああ、そういえば」
フェリス家では食事中にも会話を普通に行う。勿論口に物を入れたまま話したり下品な行動は慎むが、家族同士の関わり合いを大事にしているため、むしろ一堂に会する食事の時間には会話が推奨されているのだ。
現に今も、父親のアルバートと長兄のアルビレオが『軍が竜騎士の数をさらに拡大しようとしている』といった話題を口にしている。そして、アルバートが兄に対して『出世の機会だぞ!』と檄を飛ばしていた。
ハミル王国は東西南北のそれぞれの大領主が核となって編成される各地方騎士団に加え、王国が保有する戦力として『近衛騎士団』『ハミル王国騎士団』そして『鉄竜騎士団』が存在している。
『近衛騎士団』は王家の直轄戦力として護衛任務に付くのが主任務で、ハミル王国騎士団などから腕の立つ貴族を抜擢して編成されている。
『ハミル王国騎士団』はその名の通り国軍として編成されるハミル王国で最大規模を誇る騎士団であり、フェリス家のような武家に中央周辺の領地持ち貴族、そして『軍学校』とよばれる騎士の育成機関の卒業生らが中核となって騎士団が編成されていた。
父親のアルバートも兄のアルビレオもこのハミル王国騎士団に出仕していた。
そして最後が『鉄竜騎士団』である。
これは飛竜に騎乗する竜騎士たちで編成された騎士団であり、その人員は近衛騎士団と同じ、いやそれ以上に実力で抜擢される傾向があった。
父親のアルバートが言っているのは、飛竜の数を増やすのなら竜騎士の枠も増やされるので、そこに食い込めという話だろう。
ノードの三代前、つまりノードの曽祖父は近衛騎士団に出仕していたため、それと同じように出世を目論んでいるのだ。
近衛騎士は腕だけではなく、陛下にとって個人的に信用が出来るかという要素の方が大事だったりするので、純粋な腕だけならば鉄竜騎士団の方が望みがあるからだろう。現に曽祖父はそのときの国王陛下の学友であったから近衛になれたらしい。
「今日街中でハンナ姉さんを見かけたよ」
ノードがそう話すと皆が興味を示した。
「へえ、どうだった」
兄のアルビレオがそう聞いてくる。
ノードには敬愛する姉だが、長兄にとっては可愛い妹である。
「ハンナ姉さま元気だった!?」
妹のリリアが話題に飛びつく。ノードと同じく小さい頃から構ってくれるのは姉のハンナだったため、懐いているのだ。
「ねーさま?」
リリアより小さい弟妹たちには、誰なのかピンと来ていない者も多い。
長女のハンナは他家の貴族の家でメイドとして住み込みで仕事をしているので、今では年に何回か帰ってくるに過ぎない。幼い弟妹にとっては、彼女の記憶が薄いのだろう。
「直接話したわけじゃなくて遠目に見つけただけだからね。話をしようかと思ったけど、誰かと取り込み中だったみたいだから、遠慮しておいた」
元気そうだったよ、そう最後に付け足す。
冒険者になってからも、ノードは姉のハンナに一度も会っていなかった。フェリス家には顔を出していたようなのだが、運悪く依頼の遠征と被っていたのだ。
「なぁんだ」と、がっかりしたように妹のリリアが呟く。
その後も、家族の団欒は楽しく続いた。
大食卓の上の料理は決して豪華なものではないが、冒険者たちが酒場で食べるご馳走以上に満足したノードだった。
一話に書いてますが、父親のアルバートは衛兵長です。ハミル王国騎士団のどっかの施設警備とかしてるイメージ。
そして長兄のアルビレオは、フェリス家の跡継ぎとして同じくハミル王国騎士団所属で、下っ端は卒業して出世を目論んでいます。
ちなみに竜騎士団はめちゃくちゃ金がかかるが、人工迷宮産出の魔石のお陰で運営出来てる、という設定があります。
そして実はハミル王国はそのお陰で魔石産出国として金持ちになりつつあるという設定。
なお武家の俸録(貴族年金)は据え置き。世知辛い。