11 必要が求めるもの
(2019/8/2 内容差し替えました。前バージョンと内容が全く異なっております)
昇格依頼は、その時々で内容が変わる。常に丁度良い難易度の依頼があるとは限らないからだ。
自分と相性の悪い昇格依頼を無理に請けるよりも、無理なく達成できる依頼を待つというのは、むしろ賢い選択であるとされる。
自分自身の力量を把握して過信しないのは、一つしかない生命を資本にしている冒険者としては美徳だからだ。(とはいえ度が過ぎれば臆病者と嘲りの対象になるが)
ノードは昇格依頼の受注を見送ることにした。
玉石級冒険者に昇格すれば、実入りは良くなるが無茶を嫌ったのだ。仮に死なずとも怪我を負えば復帰までの間の稼ぎは減る。
受注しなかった理由はそれだけではない。
岩狼は昇格依頼に認定されている討伐対象の魔物の中でも、手強い部類に入る。
勿論、それでもノードには戦って勝つ自信はあった。
石板級冒険者になってからというものの、ノードは十分な経験を重ねた。
ゴブリン、森林狼討伐、大蛙に牙猪。飛行蜥蜴や大蜜蜂、角兎など様々な魔物を討伐した。
戦闘だけでなく採取依頼等も積極的に引き受けて依頼をこなしていったノードは大きく成長を遂げ、何度も強度上昇をしていた。
硬革の鎧の下には鎖帷子を着込み、強化された装甲は、敵の攻撃をそう易々とは貫通しない。
盾、鎧、剣。それぞれを巧みに操り戦うことができる今のノードであれば、岩狼相手でも難なく勝利を収めるだろう。
──数が少なければ。
狼は群れで行動し、狩を行う。
一匹狼という例外も存在はするが、それは特殊な事例であり、まずもって決闘とは成らないだろう。
上手く装甲の隙間を剣で突き、切り裂き、岩狼の攻撃は盾と装甲を上手く使って防ぐ。一体、また一体と数を減らせば、その度にノードが有利になる。
三、四頭までは完勝出来る自信があるし、それ以上の数──十頭前後なら、苦戦しつつも、まあ勝てるだろう。
しかし、狼の群れは最低でも十頭を超え、時には百を超えることもあるという。
昇格依頼には、『多数の岩狼が確認されている』と書かれていた。
二十頭から三十頭はいると思って良い。
頭数の差はそのまま手数の差になる。周囲をぐるりと囲まれて仕舞えば、流石のノードも自分では背中は守れない。
死角から飛びかかってきた岩狼に引き摺り倒され、強靭な顎で噛み殺されて終わりだろう。
装甲を持たない森林狼ならいざ知らず、岩狼を単独で攻略する自信は、ノードにはまだ無かった。
徒党で挑めば勝算は高まるが、生憎とそれは難しかった。
現在王都にいる石板級冒険者で昇格依頼の受注資格を満たしているのは、ノードだけだった。
何故かというと、少し前にタイミングが重なるようにして、複数の石板級冒険者の徒党が同時に昇格依頼を受注し、玉石級冒険者へと昇格したからだ。
彼らは示し合わせた訳ではなく、本当に偶々昇格依頼を同じタイミングで受けただけだったのだが、そのせいで簡単な昇格依頼が枯渇し、難易度の高い岩狼の討伐だけが残っていたというわけだ。
ジニアスの徒党が現在王都にいないのも巡り合わせが悪かった。
薬草採取の依頼で、ゴブリンと戦っていたジニアスたちに助太刀したのが切っ掛けとなり、それ以降もノードとジニアス一行の親交は続いていた。
何度か臨時の助っ人としてジニアスの徒党に参加して依頼をこなしたこともあり、ジニアスの徒党とはそれなりに息のあった連携を取ることも出来る。
だが残念ながら、彼らは現在遠方の採取依頼を受けて王都を離れていた。彼らはゴブリンの大集団との戦いで、防具の重要性が骨身に染みたらしく。徒党のみんなの装備を揃えることを優先していた。その金策の為の長期の採取依頼に出かけたばかりであるのだ。
ノードとジニアスたちの貢献度は、然程変わらなかったため、ジニアスたちもあと何回か依頼をこなせば昇格依頼を受けるはずだった。
そのときに一緒に受ければいいだろう──ノードはそう考え、石板級冒険者向けの依頼を受注することにした。
§
数日後。ノードはあることに頭を悩ませていた。
あることとは、件の昇格依頼である岩狼の討伐任務についてであった。
未だに新しく昇格依頼に認定された依頼が出ておらず、現状では玉石級冒険者に昇格するにはこの討伐依頼を受けるしかない。
しかし単独では荷が重いその依頼を、ノードは受注せざるを得ない状況にあったのだ。
「金が足りない?」
岩狼討伐任務の受注を見送った翌日。王都の一角──貴族の邸宅が並ぶ貴族街にあるフェリス騎士爵家邸宅で、ノードはその問題を知った。
冒険者として活動しながらも、ノードはフェリス家に引き続き住んでいた。一人暮らしをすれば余計に金がかかるからだ。
装備一式が用意出来たことで、ノードには当面大きな出費の予定が無くなったため、現在では冒険者としての稼ぎの大半をフェリス家へ家計の足しとして渡している。
何時ものように冒険者ギルドで依頼をこなし、達成報酬を受け取ったノードは、その稼ぎを酒場で浪費することもなくそのまま家路についた。フェリス家の歴史を感じさせる門扉を潜り抜け、屋敷の中に入る。質実剛健な趣の調度品が飾った内装が、ノードを出迎えた。
ノードの部屋は屋敷の二階にある。鎧を脱いで武具の手入れをするべく、歴史を感じさせる木製の階段を登ろうとしたとき、執事服に身を包んだ初老の男性──家令のアレクに声を掛けられた。
何でも相談があるとのことで、ノードは自室に戻り鎧姿から普段着に着替えると、武具の手入れは夜やることにしてアレクの元へ向かった。そこでは、アレクは机に向かって帳簿の整理をしていた。
アレクは長年──それこそノードが生まれる前からフェリス家に仕えており、家令としてフェリス家を差配している。
使用人への給料の支給から日用品の買い付け、その他買掛金の精算など、金銭にまつわることはアレクに一任されている。
ノードが声をかけると、アレクは帳簿と睨めっこをしていた頭をあげてノードに向き直った。
そして居住まいを正し、深刻な声色で語り始めた。
「ノード様も御存知だとは思いますが、改めて説明いたしますと、現在フェリス家の家計は火の車となっております」
そしてその理由の説明が続いた。
単純に収入に対しての支出が大きすぎるのだ。我が家は父君と母君、そしてメイドたちの仲が良く──というより良すぎて──ここ数年でポコポコと弟妹が産まれていった。彼らはまだ幼く、身体も小さいので大人に比べれば食費はかからない。しかし六歳以下の弟妹だけで “七人“ おり。塵も積もれば何とやらで、やはりそこそこの費用が掛かっていた。
妹である次女のリリアも、下の弟や妹の世話をよく見てくれているが、彼女自身年頃の娘として、将来嫁ぐための貴族の娘として相応しい教育を受けるため、今年から貴族の子女が通う学校へも通うことになっていた。ノードが冒険者になると決めたのは、自分が合わせて軍学校に入学するとなると、二人分の学費の追加支出にフェリス家の家計では耐えられないという事実も関係している。
「ただ、アルビレオ様のお給金や、ヨハン様からのお仕送り、ハンナ様のお助け。そして他ならぬノード様のお陰で、なんとか一息つくことが出来ております」
そう、フェリス家は子沢山ではあるが、上の子供はそれなりに自立が出来ている。長兄のアルビレオは既にフェリス家の後継者として平騎士として働いているし、次兄のヨハンは他家へと婿入りして、仕送りまでしてくれている。長女のハンナも他の貴族家でメイドとして働きながら、せっせと内職の刺繍で稼いだお金をフェリス家へ入れてくれているのだ。
そして、今年から冒険者となったノードが、依頼の報酬を無駄遣いすることなく(どうしても必要なため、装備の入手を優先させたが)家に入れ始めた。
これによってフェリス家の家計は、久方ぶりに赤字を脱出することが出来たのだ。(それでもトントンくらい)
また、それには使用人たち──他ならぬアレク含む──が本来なら与えられるべき待遇よりも、一段低い給与で、変わらずにフェリス家のために働いてくれているというのも関係している。そのため、フェリス家の人々は内心彼らに頭が上がらなかった。
「──ただ、どうしても来月中旬には纏まった額のお金が必要でして……」
力及ばず申し訳ない、という感じでアレクが説明を続けた。
これまでフェリス家は足りない分の支出を、借金という形で賄ってきた。貴族が借金するというのは風聞が悪いのだが、実際にはままある事だ。ただ、そういった一般的な事例の借金は、例えば領地を持つ貴族であれば収穫の時期に一気に返済だとか、返済の目処が立って行っているものだ。
しかしフェリス家は、貴族としての収入は貴族年金(俸録)と役務手当の二つのみ。財産も先祖代々受け継いできた屋敷のみであり、領地だの権益だのという裕福な話とは縁がない。
よって借金の返せる目処もなく、金を貸してくれたのは親戚やフェリス騎士爵家当主であるアルバートの友人の方々くらいである。それらの借金は未だに返せておらず、フェリス家の面々は大変心苦しい思いをしていた。
そんな状態のフェリス家であるから、来月に絶対に精算しなければならない支払い等のために纏まった金額が必要になったとき、不足している金額を何処からか借りようとしても貸し手がいなかった。
最後の手段として、質流れ覚悟で家にあるものを質草に入れる手もあるが、悲しいことにその“最後の手段“はこれまでに何度も行使されていた。(フェリス家の内装が【質実剛健】であるのはこれが理由)
これ以上質草に入れられるものといったら、それこそ剣や鎧ぐらいしか無いが、それをしてしまえば武家としてのフェリス家は終わりだった。これは貴族としての見栄などではなく、王家直轄の戦力として期待されているからこそ、貴族として──武家として(武家は王家直轄の軍人貴族だけがそう名乗れる)の待遇があるのだ。剣や鎧無しに、満足に戦えるわけもなく、そうなれば貴族としてのフェリス家は御取り潰しにあってしまう。
最後の手段を超えた、最後の最期の手段もあるにはあるが、それらは高利貸しに借りたり、評判の悪い高位貴族に借金をするなど、その“末路“が容易に分かる手段である。
そんな最終手段を避けるには、他の貴族家に婿入りしたヨハンに無心するしか無いのだが、ヨハンは婿入りした以上向こうの家の人間であり、返す当てのない借金を引き受けてしまえば向こうの貴族家の心象が最悪になり、良くて実権を取り上げられお飾り当主にさせられ、悪ければ当主としての資格なしとして離縁されて突っ返されるだろう──勿論借金も認められず。
他には使用人の給料を未払いにするか、土下座行脚して近隣住民に借金を申し込むか、あるいはフェリス家が衛兵であることを利用して物資の横流しや賄賂を要求するなど──まあ、どれもろくでもない対応しかなかったわけだ。これまでなら。
今は、石板級冒険者ではあるが、冒険者として稼いでいるノードがいる。
冒険者は安定している立場ではないが、命を対価に仕事を請け負う以上、それなりの報酬がある。(命に吊り合うかはともかく)それこそ、騎士たちが使う本格的な鎧とは比べものにならない安物とはいえ(当主であるアルバートが使っている先祖伝来の全身金属鎧など目玉が飛び出るほどの価値がある)、鎧一式を短期間で揃えることが可能なくらいだ。
故に、アレクから聞かされた金額──それなりに大金だった──を聞いても、ノードは『無理をすれば』稼げなくはないな、と感じた。
ノードはアレクに対して、「何とかしてみる」と返した。
アレクは安心したのかホッとしたようにため息をついた後、ハンカチで皺の刻まれた額を拭った。
ノードはアレクが、フェリス家を敬い、そしてノードたちフェリス家の子供達を、自分の子供のように──或いはそれ以上に大切に思ってくれているのを知っている。
だからこそ、アレクがノードに金銭を無心してきたこの一件は、本当にフェリス家が追い詰められている立場にあるのだということを示していて、ノードはその事実を重く受け止めた。
提示された金額は、石板級冒険者のままで稼ぐには厳しい金額だった。時間をかければ問題ないが、それだと支払い期限には間に合わない。
しかし、タイミングが良いのか悪いのかノードにはより稼ぐ方法が目の前に用意されていた。
「うーん」
その方法は、『岩狼を倒して玉石級冒険者に昇格し、その後玉石級冒険者向けの依頼を受けまくる』というものだった。
「──やっぱり無茶だよなあ」
ノードは冒険者の酒場で、うんうん唸り続けた。