リャナン・シー ―小さな恋物語―
とある田舎町の少年、リックがその少女と出会ったのは空気爽やかな朝の湖畔での事だった。朝も早くから湖に釣り糸を垂らしている人影が一つ。
一人で釣りをしているリックだが、別に釣りが好きというわけではない。とある理由から、少年は町の子供たちと距離を置かれていたのだ。リックの体にはそこかしこに喧嘩傷があり、左目の青あざが一番目立つ。
昨日町のガキ大将、ジョアンと喧嘩した時につけられた傷だ。
僕は嘘なんかついてない。なのに、なんで皆わかってくれないんだ。じっとしていると、そんな考えばかりがぐるぐる回り、苛立ちは募るばかり。
リックはあー、と大きな声を出すと釣り竿を放り投げ、寝転がった。程よく冷たい地面が心地よく、まるで自分を慰めてくれているようにも感じられる。
「――何をしてるんですか?」
突然声をかけられ、リックは「うひゃあ」と言う情けない声を上げると、反射的に上体を起こした。
「あ、ごめんなさい」
謝る少女を見たリックは、思わず息をのんだ。薄紫色の長い髪に吸い込まれそうな漆黒の瞳。そして、頭を飾る黒いカチューシャ。可愛らしい顔の少女を、髪の色と黒いドレスが神秘的に仕立て上げている。
息をするのも忘れ、リックは少女に見入っていた。
「あの……」
金縛りにあったように動きを止めているリックをみて、少女が怪訝な顔をする。リックの顔の前で手をひらひらとふり、
「どうかしたんですか?」と声をかけた。
少女の言葉に、我にかえったリックは思わず顔を赤らめ、背を向ける。
「な、なんでもないよ!」
声が上ずりそうになるのを大声を出すことでなんとか食い止めた。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんです」
少女は不安げな顔でそう言うとリックの正面にまわった。
「あの、私お友達が欲しくて……それで……」
「そ、そう……」
と少女と目を合わせないようにしながらリック。
「君、見ない顔だね。……行商の人かなにか?」
「そうですね……」
リックの問いに、少女は困ったような顔をすると、
「そのようなものです」と小さな声で答えた。
「私……イシリアって言います。……あなたのお名前は?」
「……リック」
リックは目を伏せ、ぶっきらぼうに答えた。
「リック。いい名前ですね」
イリシアはリックの手を握り、
「あの、私とお友達になってくれませんか?」
とただ純粋に、願うようにそう言った。
「ひぇっ……い、いいよ」
握られた手を思わず振りはらい、リックは立ち上がった。
「本当ですか!」
と喜ぶ少女。それを見たリックの顔も自然と綻ぶ。
「そうだ、折角だから何か面白い事しようよ! ……そうだ、一回僕の家に行って色々持ってこよう。おいでよ、父さんと母さんにも君を紹介するよ!」
「え……でも……」
なぜか躊躇うイシリアに
「いいから! ついてきてね!」
そう声をかけるとリックは走り出した。心の奥から活力が湧き出てくるようだった。足は軽く、全身は喜びに満ち溢れている。
イシリアのような美しい少女と友達になれたのが、リックは嬉しかった。町では馬鹿にされ、いじめっ子達からは虫けらのような扱いをうけている自分が、である。
イシリアを連れている自分をみたら、ジョアンはどんな顔をするだろう。そう思っただけでもわくわくする。
森を出て町に戻ったリックは、イシリアがついてきているのを確認しつつ自分の家へと走って行った。リックの家は雑貨屋を営んでいて、今まさにジョアンが買い物をしている所だった。
「あら、おかえりなさいリック」
リックの母のソフィアは息子の姿を見つけると優しく声をかけた。
「ちょうど良かった。お友達に挨拶なさい」
ソフィアはリックがジョアンにいじめられている事を知らないのだ。知らせる気をさらさらない。いじめられているのを親に告げ口するのは弱虫がする事だ。そんな事をしては、自分は本当に町の子供たちから相手にされなくなってしまうだろう。
「ただいま母さん。ジョアン、こんにちは」
しれっとした顔で立っているジョアンに、リックは形ばかりの挨拶をすると、得意げに
「母さん、新しい友達を紹介するよ!」と胸を張って行った。
「友達? どこにいるんだよ?」とジョアン。
「リック……誰もいないようだけれど?」
と、二人に言われリックが後ろを振り向くとそこには誰もいなかった。
頭の中が軽いパニック状態になる。
「あれ……だって、さっきまで……」
戸惑うリックに、
「おいリック、“また”妖精でも見たんじゃないか?」
と小馬鹿にするような調子でそう言うと、ジョアンは店を出て行った。
「リック……あなた夢でもみたんじゃないの?」
心配そうにソフィアが尋ねる。
「違うよ! 本当にいたんだ、彼女は……」
「リック……」
ソフィアは息子を抱きしめると、悲しげに言った。
「リックわかって。妖精なんてどこにもいないのよ……」
母親の今にも泣き出しそうな声を聞いて、リックはそれ以上反論するのをやめた。なぜか自分まで悲しい気分になってくる。
「分ったよ……母さん……」
リックはそう言うと母親からゆっくり離れとぼとぼと家を後にした。
イシリアの姿は、どこを探しても見当たらなかった。
「……どうなってるんだよ……」
明日また馬鹿にされる事を思い、沈んだ気分でいたリックの肩を、
「馬鹿リック!」
声とともに叩いてきたのは幼馴染のリエッタだった。男の子のようなショートヘアに、快活そうな顔をした少女は、女でありながら男顔負けの運動神経をしているつわものだ。なぜだか女の子に絶大な人気がある。
「なんだ、リエッタか……」
「なんだとはなによ。失礼ね! それより……」
リックの頭にチョップを喰らわせ、リエッタは腕組みをした。
「あいでっ」
「あんた、また妖精がどうのって言ってるんだって? 一体どういう事よ」
「僕はそんな事言ってない……」
リックは小さな声でそう応えると、唇をかみしめた。
一年前、リックは森の中で小人達を見たのだ。彼等と遊んだ後、町に帰ったリックがその事を話すと誰も話を信じず、リックは嘘つきのレッテルを張られる事となった。
リエッタの説得もあって妖精の話はしなくなったリックだが、それでもジョアンを主としたいじめっ子達には未だに嘘つきといじめられている。
「森で、女の子にあったんだ」
「女の子? 誰?」
「……知らない子」
訝しげにリエッタが眉根を寄せた。
「へんねぇ、余所者の話なんてきかないけど。……夢でもみたんじゃないの?」
そこまで言って、リエッタはハッと気が付き、口を押さえる。
「いいよ。リエッタまで僕を嘘つきっていうんだろ?」
リックは泣きそうな声でそう言うと、肩を落として家へもどって行った。
翌日。どうにも納得できないリックが湖畔へ行へ行ってみると、昨日出会った場所にイリシアは立っていた。
「リック……」
もじもじしながら、リックを迎えたイシリアは、心配そうに
「あの……怒ってる?…」と尋ねた。
「なんで、途中で帰っちゃったのさ」
リックが怒り半分で質問を返す。
「だって……私は彼等の目にうつらないんだもの……」
イシリアは悲しげに目を伏せた。それを聞いて、まさかと思いつつリックが質問をする。
「君は……妖精なの?」
こくんと頷くイシリア。本当にすまなそうにしている彼女の姿をみて、リックは自分の心が痛むのを感じていた。自分はなんと醜い事を考えていたのだろうか。ジョアンを見返すためにイリシアを使おうとするなんて。リックは彼女の前から姿を消したい衝動に駆られた。
「お願いだから、私の事は誰にも言わないで。人間の友達が欲しかったの……」
「そっか……」
ばつが悪そうにリックは頭を掻くと、虚空をにらみ、
「わかったよ……誰にも言わない。その代り、毎日ここでまっててよ。僕、学校が終わったら必ずくるからさ」
と提案する。
「いいの?」
「もちろんだよ」
パアッと、イシリアの顔が明るくなった。それをみて、リックの顔が赤くなる。
それから、イシリアとリックは毎日のように遊ぶようになった。
学校が終わると、リックは誰より早く教室を出て湖畔へと駆けて行った。
イシリアとはよく気もあったし、なにもしらない彼女にパチンコで動物を撃ったり等の遊びを教えるのは気持ち良かった。
流石に動物を打つのは嫌がったイシリアだが、的を紙で作った物や、木に変えると彼女は初めてにしてはなかなかの腕前を披露した。
夜になると、二人は湖畔のやわらかな草の上に寝そべり、星を眺めた。
一人ではさびしいが、二人だととても温かく楽しい気分になる。
「ねぇ、イリシア」
声をかけてリックがイリシアに視線を移すと、彼女もリックを見た。
「僕たち、親友だよね?」
「そうですね……リックといるととっても楽しい。こんなの、初めてです」
そう言って笑うイリシアにつられ、リックも笑みをこぼす。
「僕たち、ずっと一緒にいようね」
「そうですね……」
夜空に視線を戻し、なぜか悲しげな顔をするイリシアは、
「……そうなれば、いいですね……」と曖昧な返事をした。
そうしてひと月が経っていったある日、町に修道士がやってきた。
皆が説教を聞きに行こうとしていたが、その日もリックはお構いなしに湖畔へ向かおうとしていた。
「リック!」
そんな少年をリエッタが呼び止める。両手を腰にあて、
「あんた、どこへいくのよ? ソフィアさんにあたしと学校が終わったら説教を聞きにくるようにって言われてたでしょ?」
と強い口調で詰問する。
「うるさいな、僕には用事があるんだよ」
構わず駆け出そうとするリックの腕を、
「待ちなさいよ!」
リエッタが掴んだ。
「あんた、最近毎日どこへ行ってるのよ!」
「リエッタには関係ないだろ!」
リエッタの力は意外に強く、なかなか振り払う事ができない。
「放せよ!」
リックが思いきり力を込めて振り払うと、リエッタは勢いよく後ろに倒れ、机にぶつかった。
「いたあ……」
やってしまってから自分のしてしまった事を悟り、リックはその場に立ち尽くした。
「ご、ごめん」
リエッタを助け起こすと、教室中から向けられる視線に耐えられなくなり駆け出していく。
いつもは心躍る湖畔までの道のりだが、罪悪感からか、今日は気が重かった。女の子を突き飛ばすなんて、自分は何て事をしてしまったのか。まとわりつくもやもやを振り払うようにリックは走った。
湖畔では、いつも通りイシリアが待っていた。
全身に汗をかき、息を乱しているリックをみて、
「どうかしたの?」
イシリアが顔を覗き込むようにして尋ねた。
「顔色が悪いけど……」
「ううん、なんでもないよ」
と心配気な表情を見せるイシリアに無理やり笑顔を見せるリック。
「でも……」
「さあ、今日は何をしてあそぼうか!」
空元気を見せるが、イシリアは目をふせたままもじもじと言いにくそうに、
「その事で、お話があるの……」
と切り出した。
「え?」
なぜだか、嫌な予感がする。イシリアの声の調子で、彼女がこれから話そうとしている事が楽しい事でないのだけはわかった。
「……私達……もう会わない方がいいと思う」
イシリアの言葉を聞いて、リックは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「は、はは……」
と乾いた笑い声を出す。
「何言ってんだよ、なんで……」
「リック、あなたの事は好きよ! 私の存在に気づいてくれて、気持ち悪がらずに遊んでくれる……でも、だからだめなの!」
両手を胸の前で固く握り、イシリアが初めて大きな声をだした。自分の意見を強く主張したのも、これが初めてだった。
「なんだよ、それ……わけわかんないよ!」
つられてリックも大きな声をだしてしまう。
「……ごめんなさい」
イシリアはそう言い残すと駆け出した。
「まって!」
とリックが離れてゆく背中に声をかける。
「僕、待ってるから! 明日もここで、待ってるから!」
イシリアの姿が見えなくなっても、リックはその場に立ち尽くし彼女の駆けて行った方をただ呆然と眺めていた。
心の中を、絶望が満たしている。ようやく手に入れた心休まる場所。楽しい場所。それは、いとも容易く壊れてしまった。
と、その時。サクっ……と、誰かが草を踏む音が聞こえた。
振り返ると、リエッタが立っている。
「あんた……一体誰と話してたの?」
「リエッタ……」
「ねぇ、一体誰と話してたのよ!」
リエッタはリックに駆けよると、その両腕を掴んだ。
「ねぇ、リック!」
そう言って強く揺さぶるが、リックは抵抗もせずまるで人形のように体を揺らすだけだった。
ぽつぽつと雨が降り出し、二人の体を濡らす。
すぐに雨は強くなっていったが、リックもリエッタも、それを気にする様子はなかった。
「……あんた、本当に妖精がみえるの?」
揺さぶるのをやめたリエッタは、腕を掴む手に力を込め、尋ねた。
こくん、と頷くリック。
「あの時言ってた女の子?」
リックはもうなにも答えなかった。
リエッタはリックの左腕を両手でつかみ、半ば引っ張るようにして歩きだす。
リックは、特に抵抗する様子もなくリエッタに引っ張られるがままに歩いた。
「……もう、こんな事やめて」
前を向いたままリエッタが泣きそうな声で言う。
「あんた、つれてかれちゃうわよ」
「イシリアは……そんな子じゃない」
リックが反論すると、リエッタは唇をかみしめた。
「そんな事、わかんないじゃない」
「わかる。イシリアは、僕の友達だ。そんな事しない」
「私は友達じゃないって言うの!」
リエッタは思わず大きな声をだした。自分はずっとリックを守ってきたつもりだった。いつだって心配してきた。それなのに、リックは自分より妖精などと言う訳の分からない女の子を友達だと言う。
自分とはいくら誘っても遊びもしなかったのに、いつも遊んでいたらしい。その子をかばうリックの言葉が胸に刺さり、いいしれぬ悲しみと怒りがわき上がってくるのをリエッタは感じていた。
「……私、リックがあそこに行くのをやめないのなら修道士様にこの事話すわ」
リエッタはそう言うとリックの腕を離した。リックと正面から向き合い、目をじっとみる。
「もうあそこにいかないって、約束して」
「……嫌だ」
リックは視線をそらすと、小さな声でそう言った。
「リック!」
「嫌だ、僕はあそこに行く。誰にも、止められない」
リックはそこで言葉を詰まらせると、
「だって、僕はあの子が……」
声を絞りだすようにしてそこまで言い、一目散に駆けだした。
「リック!」
リエッタの声にも構わず、リックは走った。目頭が熱くなり、涙がこぼれてくる。雨が体を濡らすのも、まったく気にならなかった。イシリアの事ばかりが頭に浮かぶ。
その日、ひとしきり走った後家に帰ったリックは父親から大目玉をくらった。
次の日、学校にリエッタの姿はなかった。
学校が終わると、リックの足は自然と湖畔の方へと向かった。
イシリアが湖畔で待っている姿を想像し、いつも通り待っている事を祈りながら歩を進める。
湖畔に、イシリアの姿はなかった。
肩を落とし、その場に座り込むリック。
「イシリア……なんでいないんだよ……」
「――リック……」
後ろから声をかけられ、リックは振り向いた。
イシリアが、眉根を寄せ、苦しそうな表情で立っている。
「なんで……こないでっていったのに……」
「はは……」
リックは立ち上がると、イシリアの目をしっかりと見据えた。
「言ったでしょ、来るって……」
リックが歩み寄り、イシリアの手を握ろうとしたその時、
「――そこまでだ!」
厳しい男の声が響き渡った。
みれば、十字杖を持ち、ドミノと言う頭巾とケープと呼ばれるマントを身につけた初老の修道士が立っていた。その横には、リエッタの姿がある。
「リエッタ!」
リックはきまずそうに立っているリエッタを睨んだ。
「なんでだよ……」
「少年、その者から離れなさい!」
修道士はそう強い声で言うと、十字杖をかざし、歩み寄る。
「――っ」
イシリアは、怯えた顔で後ずさった。
「やめろ!」
イシリアをかばうようにリックが前に立つ。
「イシリアに何をするつもりだ」
「少年、君は騙されている」
修道士は杖を油断なく構えながらそう告げた。
「その者は……君の命を奪うつもりだ」
「嘘を言うな!」
リックは修道士を睨みつけた。イシリアが、自分を殺す筈がない。
「嘘ではない」
修道士はイシリアを睨みながら、
「それは、リャナン・シーと言う魔物だ。人間の男をたぶらかし、その命を奪う」
「なんだって……」
振り返ると、イシリアはつらそうに視線をそらした。
「イシリア……本当なの?」
ゆっくりと、苦しげに頷くイシリア。
「そっか……」
不思議と、恐怖はなかった。確かにイリシアは人の命を奪う魔物なのかもしれない。しかし、彼女は自分の命を奪ったりはしない……いや、自分以外全ての命も奪ったりはしないだろう。他人を納得されられるだけの根拠はないが、リックは自信を持ってそう思えた。
そんなリックにイリシアは涙を浮かべながら、
「リック聞いて。私は、ただ私を見る力を持った人を見つけて嬉しかった。あなたと友達になりたいと思った。今だって、あなたの命を奪いたいだなんて、思ってない。それだけは……信じて欲しいの」
と、訴える。騙すつもりはなかった。最初は折角できた“友達”を失うのが怖かった。そのうち、リックに嫌われるのが怖くなって、いいだせないでいた。
リックにだけは嫌われたくない。誤解されたくない。解ってほしい。なのに、これ以上何を言っていいのかわからなかった。最後の審判を待つ罪びとのように目を閉じて俯き、ただ祈る。
「――イリシア」
そんなイリシアの頭に手を置き、リックは力強い声で、
「大丈夫、わかってるよ」
「リック……っ!」
その言葉を聞いたとたん、涙が堰を切ったように流れ出し、イリシアは涙を見られぬよう、さらに俯いた。
「少年、だまされるな!」
修道士が杖を構える。
「そこをどきなさい!」
「イシリア……」
リックは穏やかな声で言った。若葉のように柔らかく、たおやかで少しくすぐったいイリシアの髪の感触。そして、掌ごしに彼女の体温を感じていると、体の底から無尽蔵の力が湧いてくるような気がした。全力で、この子を守ろうと思った。
「ありがとう」
今にもイシリアに飛びかかって来そうな修道士から目を離さず、リックが彼女に述べたのは感謝の言葉。
「イシリアと友達になれて、僕とてもうれしかったんだ。いつも馬鹿にされて、友達もいなかったから君と遊べて本当にうれしかった。イリシアが何者かなんて関係ない。僕は、君と一緒にいたい」
「リック……」
イシリアは、思わずリックの背に顔をうずめると押し殺した嗚咽を漏らした。自分はリャナン・シー。人の命を奪わねばいきてゆけない存在。いままで命を奪うのが嫌で誰ともかかわってこなかった。それで自分の体が消えてなくなるとしても、それでいいと思っていた。
自分から人に姿を見せる事ができるのは人の命を奪おうとする時だけ。姿を見せたら、命を奪わなければ死んでしまう。
しかし、リックは違った。こちらから姿を現わさなくても、自分を見る力を持っていた。嬉しくて、思わず声を掛けてしまった。
リックと遊ぶのはとても楽しかった。
自分だって、できればリックとずっと一緒にいたい。
しかし、リャナン・シーにはもう一つの宿命があった。
「ごめんなさい……」
イシリアはそう言うと涙をぬぐい、一歩後ろへ下がった。
「やっぱり私はあなたといられない」
「イシリア……なんで――」
リックがイシリアに近づこうとすると、
「――こないでっ!」
大きな声でそれを拒絶する。戸惑いの表情を見せるリックに向かってほほ笑むと、
「リャナン・シーにはもう一つ秘密があるの……私達は、恋した相手の命を必ず奪ってしまう。だから、私はあなたといられない……」
と告げる。これ以上ここにいるとまた泣いてしまいそうだ。彼の目に写る最後の自分は、やはり笑顔がいい。
「イシリア、それって……」
パチン、と指を鳴らすイリシア。
「――さようなら」
リックの視界は、突然灯りを消したように闇に包まれた。
「――リック、リック!」
体をゆすぶられ、リックは目を覚ました。リエッタが心配そうな顔が目に入る。
「リエッタ、どうして……」
頭を押さえながら立ち上がると、ハッとしてリックは辺りを見回した。少し離れた場所で、修道士が気持ちよくいびきをかいている。目を凝らしてみても、イリシアの姿は見当たらない。
さようなら、と言う彼女の言葉が蘇った。彼女は行ってしまった。改めてそれを受け止めると、なんだか泣いてしまいそうになる。
「私達、どうやらここで寝てたみたいね。……一体なんで……」
「……なんだっていいだろ。……帰ろうぜ」
リックは思いを振り払うように立ち上がり、さっさと歩き始めた。
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
慌ててリエッタがその後を追う。
さようなら。彼女が最後に言った言葉を、リックは忘れないだろう。あの悲しげな笑顔も、なにもかも。
世界はなにごともなかったかのように動いてゆく。時が流れ、やがてはイリシアと過ごした日々も遠い過去の事になってしまうのだろう。そう思うと、少しさびしくて、胸がしめつけられる思いがした。
――リック
イリシアの声を聞いた気がして、リックはふと空を見上げた。
夜空には、いつも通り満天の星が輝いていた。
初めまして、片倉ゆうりです。
自分の拙い小説を読んで下さり、ありがとうございました。こんごともよろしくお願いします。