憧れと現実
「沙羅ちゃんは、大学に行くん?」
七福神の恵比寿様みたいに、やわらかい笑みを浮かべる祖母に訊かれて。
「うん、そうだよ」
高校三年の正月。家族で母の実家に来ていた。
父と妹は先ほど、近所の神社へ初詣に出かけた。私はリビングでコタツに入って、正月の特別番組を見ていた。たくさんの芸人さんが、必死に笑いをとろうと、力いっぱい叫んでいる。たくさんの人を笑わせる仕事も大変だなぁ。そんなことを考えていたら、向かいに座る祖母に話しかけられたのだ。
「高校は女子校やったんやろ? 大学は共学なん?」
「そうよ、お母さん」
キッチンで、ココアを入れていた母がやってきた。ココアの入ったマグカップを二つ持って、母は「何度も言ったじゃない」と言いたそうな顔をする。持っていたマグカップを、祖母の前に一つ、もう一つは母自身の前に置いて、コタツの中に入ってきた。
「あんたに似てるなぁ。隆さんも男子校やったし」
“隆さん”とは私の父である。
「お父さんって男子校だったんだ」
「そうよー」
と母は言って、自分でいれたココアをすすった。祖母も母の入れたココアに口をつける。甘いチョコの香りが、こちらにも伝わってくる。やっぱり、私も入れてもらえばよかった。
「お母さんたちは、写真部で出会ったんでしょ?」
「ええ。七夕の日にお付き合いを始めたの」
短冊のぶら下がる笹のそばで、若い男女が、天の川を眺めている姿が目に浮かぶ。
「漫画みたーい」
「昔の隆さんはイケメンやったんよー。結婚してから、あない大きなお腹になってしもうてん」
と祖母は、残念と言わんばかりの口調で言う。
四十代後半の父に、そんな面影は感じ取れない。でも剥げてないし、白髪をいつも茶色に染めるけど、すぐに落ちちゃって、金髪みたいになる父。もうすぐ五十歳だとは思えないほど、生き生きとしている。
「そうやそうや。漫画みたいと言えば、隆さんが教育実習に行ったとこに、桜子がおってな~」
と、祖母が話し始める。桜子とは、母と五つ違いの妹。私にとって、おばさんにあたる人。
「ああ~、お弁当届けさせてた話でしょう。ほんと、あれこそ漫画みたいよねぇ」
と、母は両手でマグカップを持ち、テーブルに肘をついて微笑む。
「どういうこと? 届けさせてた?」
「桜子の学校に教育実習をしに、お父さんが行ってた頃にね。お父さんへのお弁当をおばあちゃん、桜子に持たせて、届けさせてたことがあるのよ」
「青春やろ~。教育実習に来てる先生が、お姉ちゃんの彼氏さんで、その彼氏さんにお弁当渡しに行くなんて」
「そんなことありえるんだ」
「うちの大学の教育実習は、附属の高校へ行く決まりだったから」
「へぇー……。ん? でも教育実習って……お父さんの職業カメラマンじゃん」
結婚式や七五三の写真を撮っている父。そんな父が教育実習?
「お父さんの方のおばあちゃんは、お父さんには公務員になってほしかったみたいよ。でもお父さん、それが嫌だったみたいで。大学に来た写真屋さんに色々聞いて、今の職場を紹介してもらったみたいよ」
「そうだったんだ。初耳」
一応、父は社会科の教員免許を取得しているらしい。
父は写真が好きで、学生時代写真部に入って、卒業後はカメラマンになったんだとばかり思っていた。
私は幼いことから大学に憧れていた。父と母からよく二人が所属していた写真部の話を聞かされていた。
大学に入ったら、階段状になっている机で講義を受けたり、サークル活動でたくさん友だちを作ったり。
推薦入試で、すでに進学が決まっている私の中には、そんな大学への期待が溢れていた。両親の学生時代の話は、興味津々。根掘り葉掘り聞きたくなった。
「ねぇ、昔の写真とかないの?」
「そうね~確か卒アルが一冊だけ、家に置いてあったはずよ」
「一冊? なんで一冊なの?」
「二人で一つ。結婚するなら一つでいいだろって、お父さんが」
「え、それって、卒業したら必ず結婚するって決めてたの?」
「そう」
嘘みたい……。そんなロマンチックなことが、現実で起こっているなんて。カップルって、そんなことも思いついちゃうんだ。だって、母たちが結婚したのって、卒業してから二年ぐらいしてから。その間に何かトラブったら、卒アル一つじゃ足りなくなっちゃう。
「いいなぁ~」
私も、二人みたいな恋愛ができたらいいな。共学に入ったら、すてきな出会いをすれば……それこそ、大好きな少女漫画みたいな。
妄想していて上の空だった私は、初詣から帰ってきていた父と妹に一時気づかなかった。
父がコタツに入って、テレビのチャンネルを変えたとき、初めて父が帰ってきていたのに気づいた。
「あ、おかえり!」
「んーただいまー」
チャンネルを変えている父に、そわそわしながら私は聞いてみた。
「ねぇ、家にあるお父さんたちの卒アルが、一冊しかないってホント? 二人で一つって意味で!」
めったに恥ずかしがらない、父の動揺した姿が見れると思った。だがしかし、父はキョトンとした顔をして言った。
「は? 二つあるぞ。俺と雪子(母)の分」
飲み終わったココアのマグカップを持って、立ち上がった母がすぐさまに叫んだ。
「え」
「え! だって、結婚するから一つでいいだろって! お父さん言ったじゃない」
「そんなこと言ってないぞ……。第一、まだ挨拶もしてないのに、何が起こるかもわかんねぇし」
「え、じゃあ……お母さんの勘違い」
「でも、周りには居たな。そういうことしてるやつ」
あ、居たのは居たんだ。二人はやらなかったけど。
両親の昔話に興奮していた私は、父から真実を聞いて、少し興奮が冷めた。
その日の晩。私たち家族は、母の実家に別れを告げた。父の仕事の都合で、早々に帰らないといけなかったから。
運転席に父が座り、後部座席には母と妹が寝ていた。隣の助手席に座って起きていた私は、昼間聞いた大学時代の話を父にした。すると父は、衝撃的な事実を口にした。
「俺、途中まで幽霊部員だったんだよ」
「え」
「友達が入るからって、つられて入って」
「写真が好きで、カメラマンになったんじゃ……」
「いや~、あの時は本当に公務員になるのが嫌でな~。身近なことで考えられるのが、カメラだったんだよ。サークルで知識はそこそこあったしな」
人から聞く思い出話は、事実よりも、五割……いや、八割ぐらいは盛られているのだと、この時学んだ。
午後十時台の高速道路は真っ暗で、前を走る車の赤いランプや信号機の光が強く目に残る。ラジオからは、父の好きなV系の音楽が流れていた。昔からそれを聞きながら、車窓の外を眺めていると
「はぁー……」
ため息をつきたくなる。