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カカシになった親子

作者: 戒能靖十郎

昔、戦争がありました。

それはそれはとてもひどい戦争で、たくさんの人が死にました。

戦争はとっくに終わったけれど、帰ってこないものがたくさんあります。

おばあさんの息子も、その一人です。

「えらくなって、お母さんを楽にしてあげます」

そう云って、ずっと昔に戦争に行ったきり、帰ってこないのです。

おばあさんは息子が帰ってくるのをずっと待っていました。

近くには、だれも住んでいません。

「おばあさん、ここはもうダメだよ」

戦争で、このあたりの土地もダメにされてしまいました。

畑には、ほんの少ししか作物は実りません。

「だから、私たちと別のところへ行きましょう」

近くに住むみんながそう云ってくれましたが、おばあさんは断りました。

「わたしゃ、息子を待たなきゃならんから」

もう帰ってきませんよ、とは、誰も云えませんでした。

こうして、おばあさん一人を残して、みんなは去っていきました。

それからずっと、おばあさんはたった一人で息子を待ち続けました。

息子は帰ってきません。


本当はもう、おばあさんにもわかっていました。

息子はたぶん、戦争で死んだのだと。

ある日、おばあさんは大きなカカシをつくりました。

「これからは、おまえが私の息子だよ」

カカシは風に揺れて、うなづいているようでありました。


それからおばあさんは、長いことカカシと一緒にすごしました。

「今日は風が強いね」

カカシはうなづきます。

「からだを壊しちゃいけないよ」

(はい、お母さんも、からだをお大事に)

今ではもう、お母さんにはカカシの、いえ、息子の云っていることがわかります。

「うんうん、おまえは優しい子だね」

畑に実るわずかな作物を食べて、おばあさんはカカシと一緒に何年も待ちました。

でも、一体なにを待っていたというのでしょう?

「おかしいね、息子を待っている気がするよ。おまえはここにいるというのに」

(はい、お母さん、ぼくはどこにも行きません)

息子の答えに満足して、おばあさんは笑いました。

そうしてある寒さの厳しい年の冬、息子の隣で眠るように亡くなりました。

「お前のおかげで、わたしゃ幸せだったよ」

(はい、お母さん。ぼくもお母さんのおかげで幸せでした)

こうして、誰もいないやせた畑に、大きなカカシだけが残りました。


息子は、本当に戦争で死んだのでしょうか?

いいえ、息子は生きていました。

おばあさんの住む山から遠く離れた海のそばで、ひっそりと暮らしていました。

「お前はよく働くね」

村の人は、よそ者の息子に優しくしてくれました。

実際、息子はよく働きました。死に物狂いで働きました。

「家族はいないのかい? 両親は?」

息子は首をふって答えます。

「いいえ、もういないのです」

息子は、後悔していました。

「私にはもう、お母さんに会わせる顔がない」

えらくなりたくて、戦争へ行きました。

泣いて止める母親をふりきって、戦争へ行きました。

そこで、たくさんたくさん戦いました。たくさんたくさん、殺しました。

その意味に気づいたのは、戦争が終わってからでした。

えらくなんか、なれませんでした。後悔だけが、残りました。

「ああ、私の手は、汚れている」

一人の夜、息子はつぶやきます。

本当は、息子も母のいる故郷に帰りたいのです。ですが

「優しい母の教えに背いてしまった。どんな顔で、帰ることができるだろう」

会いたくて会いたくてたまらない母親に、二度と会うまいと、息子は決めていました。


息子は働きつづけました。

やがて村の人にほめられて、小さな畑をもらいました。

息子は、その畑のために、小さなカカシをつくりました。

「このカカシは、なんだか、お母さんに似ているな」

息子はカカシのことを、心の中だけでこっそりと「お母さん」と呼びました。


それからも息子は働きつづけました。

それが、奪ってしまった命への、唯一のつぐないだと思っていたのです。

結婚しないのかという周囲の誘いも断って、息子はひたすらに働きつづけました。

そうして、何年もが経ちました。

小さなカカシはぼろぼろになってしまったけれど、ずっと息子を見守ってくれました。

その役目も、もう終わりが近いようです。

「ああ、どうやらダメらしい」

息子は病気にかかってしまいました。はやりのうつり病です。

病気を治す方法はありません。

息子は世話になった人たちに迷惑をかけないよう、一人で村を出て行くことにしました。

「お母さん、一緒に行くかい」

小さなカカシだけを背に抱え、息子は旅立ちます。


行くあてなんて、ありません。

何日も何日も、ひとけのない場所を歩きつづけました。

しかし、からだが覚えていたのでしょうか。

やまいがいよいよひどくなり、意識が朦朧としはじめたころ、息子は見覚えのある場所に立っていました。

「ああ、なんだ。ここは、うちの山の近くじゃないか」

息子が生まれ育った、母親と過ごした家の近くでした。

「お母さん、おうちへ帰りましょうか」

ボロボロになった小さなカカシに、息子は話しかけます。

近頃では、もうカカシだってことも忘れてしまいがちです。

「ああ、お母さんのからだは軽いですね。心配になります」

(いいんだよ、おうちでゆっくり休もうじゃないか)

「そうですね、早くおうちへ帰りましょう」

何十年も昔に飛び出た村に、息子はやっと帰っていきました。


村にはもう、だれにもいません。

やせた土地は、荒れ野となって、だれからも見捨てられてしまいました。

ふらふらと歩きつづける息子は、その一画に、不思議な畑を見つけました。

なぜでしょうか、そこの畑だけ、豊かに作物が実っていたのです。

そして、作物の真ん中では、大きなカカシが、風に揺れて、たたずんでいました。

あたりを見回して、息子は気づきました

「おや、ここはうちの畑ですよ、お母さん」

(そうだね、やっとうちに帰ってきたね)

「これだけの作物があれば、お母さんも困りませんね。それに見てください。とても立派なカカシです。とても大きく、とても力強く、この畑を守ってくれています。ああ、私もこのカカシのようでありたかった。このカカシのように、ずっとここを守りたかった」

息子は背負ってきた小さなカカシを、大きなカカシの隣に並べて植えました。

「ここならとても安心ですよ、お母さん」

そうしてニッコリ笑って、二つのカカシの足元で、息子は眠りにつきました。


誰もいなくなってしまった山のふもとの小さな畑で、豊かな作物に囲まれて、お母さんのつくった息子のカカシと、息子のつくったお母さんのカカシが、いつまでもいつまでも、仲良く並んで風に揺れていました。


        

      了






十年くらい前、小川未明や野坂昭如にハマっていた頃「よし、俺も童話を書こう!」という勘違いをして書いた童話の一つです。野坂先生が亡くなったので存在を思い出しました。とりあえずみんな野坂先生の『戦争童話集』を読むべきだと思います。

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