酔いどれレバリデーション
「正直言って音楽の事はさっぱりわからない」
数週間後のライブ後、近くの公園で俺は三人にそう告げた。
「さっぱりってどれくらい?」
「成瀬さんがボーカルというのがなんとかわかるくらい」
「じゃあそれぞれが持ってる楽器の名前は?」
俺は思い出す。確かあれは……
「彩音さんとハルさんはギターじゃなかった? 成瀬さんはタンバリン」
俺の言葉に三人が複雑そうな顔を浮かべる。
「私が持っていたのがギター。ハルはベースよ」
「う……ん?」
ギターとベース? 疑問符を浮かべた俺に彩音さんが「まあいいわ」と溜息をつく
「じゃあ率直に単純に聞くわ、今日の音はどうだったかしら」
「どうって言われてもなぁ……」
単純に言うなら変わりは無い、と言った所か。
その旨を伝えると彩音さんは興味なさそうに「そう」と言った後に鞄から飴を取り出した。
「……ま、今日の事は気にしない事ね」
口に飴を押し込まれた成瀬さんはまだ落ち込んだままだ。
「そうだよ、みのりん。あんな人の言う事はスルーしなきゃ」
ハルさんの励ましも意味をなさない。成瀬さんは皆にギリギリ聞こえるくらいの小さな声で「うん」と力無く肯定する。
全く……見ていられない。
成瀬さんがこんなになってしまった理由。それは昨日のライブでの事だった……
*
いつも通り土曜日に行われた路上ライブ。観客もそこそこ。変わりない光景だ。
『自分を被るな』
力強い声。
『仮面を外せよ』
サビに入り、彼女の声はより声量を増す。
『お前も一つの……』
そのまま終わりに入ろうとした時、その声は入り込んできた。
「うるせぇなぁ!」
楽器を操る手が止まり、歌も止まる。機械から流れるドラムだけが辺りに鳴り響く中、皆は声の主を見た。
「……なんだぁよ」
右手に酒の缶、左手に酒の入ったビニール袋。不機嫌そうなその顔は赤く染まっている。
いわゆる酔っぱらいである。
「大きいんだぁよ! むやみやたらに声を出すんじゃあねぇよ!」
酔っぱらいの怒鳴り声が辺りに広がる。周りで他のパフォーマンスをしていた人達もこちらを見ている。
「……なんだぁよ、文句あんのか?」
怒鳴る酔っぱらいの目を見つめる成瀬さん。いくら目元が見えないとはいえ、そんな事をしたら……
「なに見てんだぁよ! ふざけるな!」
酔っぱらいが成瀬さんに近づく。これはヤバイ!
二人の間に入ろうとしたが先に入り込んだのは彩音さんだった。
「すいません」
「あぁ?」
「うるさかったのはあやまります。どうか、お引き取りください」
淡々と告げる彩音さんに怖気ついた酔っぱらいは気まずそうにモゴモゴ言いながらゆっくりと歩いていった。
「…………」
三人、特に成瀬さんの顔が沈んでいるのが見えなくても分かる。
……再開できそうにない。それを感じたのかハルさんが成瀬さんを後ろにやり、彩音さんが観客の前に出て頭を下げる。
「……すいません。今日は中止と致します」
こうして、今回の路上ライブは不完全燃焼のままに終わったのだった。
回想、終。
*
「ね、今日は甘いモノでも食べよう?」
「私も今日は付き合うわ」
「わわ、アヤさんがくるなんて! ね、いこっ、みのりん」
アヤさんはやけにテンション高く、彩音さんはいつも通りだ。
しかし、やはり問題は成瀬さんで……
「……うん」と頷く事しかしない。
本音を言えば「俺も……」といいたい所だが……
「無粋、だよな」
俺は三人に手を振り、反対の方向に向かった。
*
「……うん」
何も考えずに反対方向に向かったが、俺の家は三人と同じ方向だった。
今から戻って鉢合わせてもなんだし……そういえば今日は親が用事だったな。
「なんか食べるか……」
俺は溜息をついて近くのファミレスに向かう事にした。
*
「…………」
俺はフレッシュチキンバーガーなるものを齧る。みずみずしい野菜が大きく音を鳴らし、俺は思わず身を屈める。
「…………」
噛むたびに音を出す野菜を流しこもうと炭酸をすする。
「うげっ、うっごほっ」
炭酸の刺激と思ったよりも大きかった野菜が喉を刺激して、思わずむせてしまった。
また身を屈めて、後ろに変化がない事を感じてから体制を戻す。
「……なんで」
「もう! とりあえず食べる!」
小さく呟いた俺の声に聞きなれた甲高い声が重なる。
「まあ、甘いモノではないけど」
更に重なるは冷静な声。
更に……
「…………」
重なりはしないがそこにいるのは間違いないもう一人。
そう、俺の後ろの席には黒服バンドの三人がいるのだ。
俺が先に座っていたからかまだバレてはいない。店から出たいところだが、三人の席の横を通らないと出られない。
ドリンクバーにすらいけないのがまた辛い。
「だからあんな酔っ払いの言葉なんて無視すればいいんだってば」
後ろから三人の声が聞こえる
「でも……」
少し間を置いて成瀬さんは絞り出すように声を発した。
「でも……あの人、あの人はちゃんと音楽を聞いてた!」
「……あの酔っ払いが?」
「酔い潰れている人の目なんてアテにはならないわよ、みのり」
「でも……あの人の言ってる事に意味があったらって考えたら……」
彩音さんが溜息をつく。
「もし意味があったとしても今のあなたでは気づけないわね」
「でも……」
「じゃあとりあえず練習しよ! みのりん」
「……それじゃいつもと同じだし」
自分の意見をハッキリと言う成瀬さん。中学時代はそんなところ見た事が無かった。
音楽が関わるとそうなるのか、それともこの二人の前だから……?
俺の思考は彩音さんの一言で遮られた。
「じゃ、マネージャーを呼んでいつもと違う練習にしましょうか」
「……!?」
マネージャーって俺だよな?
……って事は。
急いで携帯をポケットから取り出す。しかし……遅かった。
携帯から少し前に流行った音楽が大音量で流れる。
「えっと……」
とりあえず音を止める為に通話ボタンを押して携帯を耳にあてる。
「……はい」
携帯から聞こえるのは通話終了を知らせる音のみ。
「…………」
通話終了ボタンを押すと同時に後ろから肩を叩かれる。
「盗み聞きとはいい度胸ね」
「いや、これは偶然でして……」
「これで不問とするわ」
逆の肩に置かれたのは三人分の明細書。
「……わかったよ」
俺は明細書を受け取って立ち上がる。
「今日は俺が奢る」
「ありがとー」
「えっと、その……お願い…….するね?」
「さ、行きましょう」
「…………」
サラッと流すなぁ……彩音さん。
*
「さて、ついたわ」
「さー練習するよ、みのりん!」
「うん」
「……ちょっと待て、二人ともなんで普通の反応なんだ」
「えっと……その……驚くよね」
「でもあたしたちは慣れちゃったし」
「いや、慣れるとか……」
目の前にあるのは大きい……豪邸?
とりあえず凄い家だった。どうやらこれが彩音さんの家らしい。
「いくわよ、三人とも」
「えっ、ちょ、説明無し?」
彩音さんが不機嫌そうに振り向く。
「何について説明が必要だというのかしら?」
「いやいや、なんでこんな豪邸に……」
「アヤさんの両親は有名な作曲家と楽器販売店の社長なんだよー」
後ろからひょこりと顔を出したハルさんがそう説明をした。
「な、なるほど……」
彩音さんはご令嬢だったのか……
家の中もまた凄く、俺は圧倒されたのだがそれはまた別の話。
「お母様、練習部屋をお借り致します」
「……自由にどうぞ」
練習部屋と通されたのは防音設備が搭載されているという一室。
これが練習部屋かよ……普通の家庭なら二部屋……いや、二部屋半は入る大きさだぞ。
「さ、練習を始めるわよ」
「りょーかいです!」
「……うん」
「あの……やる気になってるところ悪いんだけどさ」
「……何かしら?」
「俺は何をすれば……?」
「聞いていて、いつもと違う箇所がないか。……あの酔っ払いの言ってた事も片隅に置いといて、ね」
「わかった」
俺は部屋の隅に置かれていたパイプ椅子を広げて座る。
酔っ払いの言葉、か。
俺には「うるさい、音が大きい」と言っているようにしか聞こえなかったけど……成瀬さんが気にしているんだ。音を聞きながら少し考えてみる事にした。
『人には見えない仮面の私』
今回は部屋の中だから少し違いはあるが、成瀬さんの歌は変わらない。
『仮面の私が語りかけてくる』
歌はいつものように進み、サビの部分にさしかかる。
ここで成瀬さんの声はガラッと変わる。力強さが増し、予想以上の声量となる。
『自分を被るな』
成瀬さんの声は……いつも通りだ。
『仮面を外せよ』
成瀬さんの声量が最高潮に達する。
『お前も一つの私なんだ……』
終わりに近づくと成瀬さんの声量は元に戻る。そして……演奏が終わる。
「……….…」
部屋には荒い息遣いと俺の拍手だけが鳴り響く。
「……どうだったかしら」
いち早く息を整えた彩音さんの質問に、俺は答える。
「いつも通りだった」
「そう、まあ……」
「でも」
彩音さんの言葉に重ねて、俺は続ける。
「でも、いつもより良かった」
「……どういう事?」
ハルさんが問いかける。成瀬さんも口に出さないが疑問を抱いているようだ。
「良かったのはサビの部分」
彩音さんがわかりやすく怪訝な顔をする。
「サビ?」
「サビの部分の演奏と歌がいつもよりうまく重なってた」
「でも、いつも通りって」
ようやく息が整った成瀬さんの言葉に、俺は頷く。
「演奏も歌もいつも通りだった。でも、こう……重なった時にはいい音になっていた……と、いうか……」
彩音さんの鋭い目つきに自信をなくしていく。
「とりあえず……重なってたんだよ」
「うーん……スピーカーの性能かな?」
「違うと思う。スピーカーはいつもと変わらないはず……だよね? 彩音」
「そうね。路上ライブの時と同じ種類の物を使っているわ」
三人が輪になって議論を始めた。
「演奏じゃないなら……歌?」
「私の歌、いつもと変わらなかったよね?」
「変わらないわ。いつもと同じよ」
「なら……」
「あの、ちょっと」
割り込んだ俺の声に三人が振り向く
三人の視線に一瞬躊躇したが、俺は続けた。
「今の話で気づいた事があるんだけど……」
「……どうぞ」
んなぞんざいな……まあいいか
「多分だけどさ、音量の問題だと思うんだ」
「音量?」
「そ、音量。多分スピーカーの音量が大きかったと思う」
ハルさんがスピーカーを調べる。
「ほんとだ! いつもと少し違う!」
「よくわかったわね」
「まあ……何度も聴いているからな」
特に今回の曲は多く聴いている。
部屋だから反響したという事も考えたが……部屋が広いから考えにくかった。
「楽器の音が大きい方が良かった……か。でも……」
成瀬さんが呟いて彩音さんを見る。視線に気づいた彩音さんが首を横に振る。
「あまり大きくするとあの場所でも迷惑になるわ、他のパフォーマンスの、ね」
「だよね……」
三人が路上ライブをしているのはそういうパフォーマンスが認められている……らしい場所だが、一応のマナーがあるのだろう。
「さ、今日はおしまいよ。解散」
彩音さんが時計を見て手を叩いた。
*
家の自室、課題をしながら鼻歌を歌う。
「良かったのになぁ……」
あの歌と演奏の重なり方が使えないのは残念だ。
成瀬さんの声量を下げるわけにも……
「ん?」
教科書を書き写していた手が止まる。
そういえばあの酔っ払いは声がうるさいと言っていた。
『音』ではなく『声』だと……
「もしかして……」
俺はペンを投げ捨てて、携帯を取り出した。
『何……今は夜よ』
電話の相手は彩音さん。他の二人の番号は知らないのだ。
「それはすまん」
不満気な彩音さんが愚痴をこぼす前に、俺は本題に入った。
「今度のライブで、やってみたいことがある」
*
「…………」
いつもの演奏。いつもの歌。
一週間後の土曜日。路上ライブは何事も無く進行していた。
幾つかの有名曲などが終わり、いつもの歌『仮面少女』が始まった。
「…………」
『仮面を私で覆い隠して……』
何事も無く進んでいく……と、その時。
「……ぁ」
視界の端にあの酔っ払いが入ってきた。酔っ払いは手品パフォーマンスの箱に上機嫌そうに小銭を入れ、キョロキョロと辺りを見回していた。
「…………」
『仮面の私が語りかけてくる』
曲がサビに入ろうとした時、酔っ払いがこちらに気づいた。
持っていたビール缶を一気に飲み干し、ゴミ箱に投げ入れてこちらに歩いてくる。
「…………」
ハルさんと彩音さんが酔っ払いに気づいた。彩音さんは一瞥して無視を決め込むようだ。ハルさんは気になってか少し演奏が弱くなっている。
一方の成瀬さんは……全く動じない。彩音さんのように無視を決め込むというよりは気づいてすらいない様子だ。
酔っ払いが見ている中、サビに入る。
『自分を被るな』
成瀬さんの声量が大きくなる。成瀬さんの持ち味だ。しかし……
『仮面を外せよ』
その声量はいつもよりは小さい。
「……よし」
うまくいった。俺は心の中でガッツポーズをとる。
成瀬さんの声量が少し小さいのは決して酔っ払いを意識したわけではなく、意図的なものだ。
俺が彩音さんにした提案、それがこの声量なのだ。
演奏を大きくできないのならば歌を小さくすればいい。酔っ払いも言っていたのだ。「むやみやたらに声を出すな」と。
『お前も一つの私なんだ……』
演奏が終わり、まばらな拍手を受けながら三人が頭を下げる。
「…………」
緊張しながら酔っ払いの近くに寄る。何かするのならば俺が止めないと……
「……ヒック」
酔っ払いは着古されたコートのポケットに両手を突っ込んでいる。
顔も上機嫌では無い……失敗か……?
「聞けるようにはなったなぁ!」
酔っ払いは酔いに任せてかそう叫んだ。
「ひゃ……え?」
成瀬さんが驚いて酔っ払いの方を向く。本当に気づいていなかったようだ。
「……ふん」
酔っ払いはなぜか俺の背中を軽く叩いて、は俺にしか聞こえないくらい小さな声
「その耳、大事にしな」
と言って去っていった。
「…………」
なんだ今の? カッコつけたつもりなのだろうか……?
俺が戸惑っていると成瀬さんが駆け寄ってきた。
「どうだった!?」
ライブ終わりで少し赤く上気した頬、サングラス越しでも眩しいくらいに純粋な目。やばい、クラっとする。
一歩下がって小さく息を吐き出す。平然を装って俺は答えた。
「良かったよ。今までよりダントツに」
「……ん」
成瀬さんが顔を近づけてきた。純粋な目が俺の目を捉えて離さない。
「……違う事考えてる」
「え?」
「目が泳いだ」
「えっと……」
平然を装えて無かったのか……? 改めて装う暇も与えないとばかりに成瀬さんは俺を追い詰める。
「何……考えてたの?」
「いや、それは、その……」
成瀬さんの事……なんて言えるか!
「はい、そこまでー! あんまりいじめちゃダメだよー」
目に涙を浮かべたハルさんが間に入ってきた。……これは散々笑った後だな。
「いじめて……無いよ?」
成瀬さんが傾げた首をハルさんが戻す。
「彼が何を考えてたかは聞かないであげて。笑い死にしちゃう」
「んー?」
成瀬さんは本当にわけがわからないといった顔をして首を傾げた。
「帰るわよ」
「はーい」
彩音さんの一言で三人は歩き出す。
数歩後ろから成瀬さんの揺れる髪を見て思う。
俺はまだ……成瀬さんに恋をしているのだ、と。




