第二話
俺は今町に向かって歩いている。俺が倒れていた場所から森に行く方向と逆、つまり草原をずっと歩くと町があるらしい。時間や距離はわからない。何時間とか、何キロメートルとか言っても彼らはわからなかった。
俺は今狼から助けてくれた人たちと一緒にいる。
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俺が助けてくれと叫んだあと、もう一匹にも矢が刺さった。
そして二人の男が木々の合間から姿を現すと、右手に持った剣で狼たちを切りつけたのだ。ちなみに左手には盾を持っていた。質感や色的に剣が鉄じゃない? 何でできてるんだろう。象牙とか?
男たちは瞬く間に射られていない三匹を切り伏せると、矢が刺さった二匹にとどめを刺した。
そうしているうちに、いつの間にか俺のそばに三人目の男がいた。弓を持っているので、狼を射ったのはこの人だろう。
「大丈夫かい?」
弓を持った男が話しかけてきた。金髪をざっくりと荒く切ったようなそれほど長くない髪で、金属の板がくっついた幅広の鉢巻のようなものを額にしている。額当てとか鉢金とかいうやつだろうか。体は剣を持った二人よりはふつう、とういか剣を持った二人がマッチョなのだ。もしかしたらこの人も見た目には筋肉が盛り上がっていないだけで、脱いだら引き締まった細マッチョかもしれない。
「え、ええ。ありがとうございます。助かりました」
近くに来られてちょっと、いやごめん嘘かなりビビってる。
弓の男はところどころを金属板で補強した服、いや鎧を着ている。剣を持った二人も同じような鎧を着ていて、頭はヘルムをかぶっている。
武器も持ってるし超怖いのだ。
剣の男たちもこっちに近づいてきた。おおこわいこわい。
「おお、大丈夫か? ってか何でそんな格好でこんなとこにいんだ?」
剣の男その一が話しかけてきた。
どうする? 自分でさえ今どんな状況かわかっていないのだ。何をどこまで話せばいい? 話したことのメリットデメリットは? ここは日本じゃなさそうだ。何か話したらやばいようなことはあるのか?
よく考えなければいけない。
「……助けていただきありがとうございます。俺は鈴木玄人といいます」
とりあえず話しても大丈夫そうなことを少しずつ出していこう。相手からも情報を得ながら、どこまで話すかは考えよう。
「俺はレグルド。こっちがレギルで、そいつがランダだ」
剣の男その一が紹介を返してきた。剣の男その一がレグルド、その二がレギルで、弓の男がランダというらしい。
レグルドとレギルはヘルムの面頬があって素顔が見えない。だが、声の調子が重いものではなかったので、少し気を抜くことができた。
「スズキクロト? あんまり聞かない名前だね」
「あ、玄人でいいです。鈴木は性なので」
ランダがそう言ってきた。見るからに日本人ではないし、そりゃあんまり聞かないだろう。やはりここは日本じゃないのか? 俺さっきから日本語でしゃべってるんだけどな。
レグルドがずいっと近づいてくる。圧迫感がすごい。
「でだ、クロトはこんなとこで何してんだ? 外に出る格好じゃないだろうそれは」
さて何と言おうか。さっきから俺の頭をある可能性がちらちらしているんだが、それを確かめるための質問をするべきか。
「……ここってどのあたりでしょうか? 皆目見当がつかなくて」
「あん? レイングリードの近くだろうが。どこから来たんだお前?」
……レイングリードという地名だけじゃわからないな。なら……
「ええと、今っていつ、いや何年でしたっけ?」
「そんなもん九百、えーとランダ」
「解放歴九百九十七年、いや八、九年だったかな? たぶんそのくらいだと思うけど」
レグルドがわからずにランダに聞く。でもランダもはっきりとは覚えてないか。この人たちがずぼらなのか、それともふつうそんなことは気にして生きるような暮らしじゃないのか。
……それにしても解放歴、ね。
これはひょっとするかもしれんな。
「それよりお前、何でこんなこと聞く? こんなとこで何してたんだ?」
表情は見えないがレグルドの声は訝しげに俺に問いかけてくる。
……疑われてるな。とりあえず確定しているであろう話しても大丈夫そうなことだけ真実を話すか。
「実を言うと自分もよくわからないんですよね。気づいたら草原で寝てまして、俺のいたところにはこんな狼はいなかったはずなんですが」
実際俺もよく分かってないから、ほとんど情報なんてない答えになっちまったな。こんな答え方で大丈夫だろうか。
まだ日本だとかは話さなくてもいいだろう。そこまではっきりしたことを言うとどうなるかわからないし、いざごまかしたいことが出てきたらごまかせなくなる。
……俺の頭に張り付いている考えが正しかった場合、俺の存在がどう扱われるかわからないしな。
「わからない、ね。どの街で探索者やってた? 探索者だよな、お前?」
やってません。
いや、なんだよ探索者って。冒険でもすんのかよ。なんで俺お前の中で探索者になってんだよ。
「いや、俺は探索者では……。ところで探索者って何です?」
特に深く考えずに言った直後に後悔した。今ちょっとランダが信じられないものを見た顔をしたぞ。探索者ってのは知ってないとおかしいものなのかもしれない。
これで俺が探索者だというごまかしはできなくなった。いや、それよりもっと最悪なのは、ここが探索者でなければ立ち入り禁止の区域だった場合だ。あんな狼がいるんだ。一般人はここに来れない、まあ探索者と一般人がどう違うのか知らないが、名前の感じ的に探索者はここに来れて一般人は立ち入り禁止などがあるかもしれない。
そうだった場合、今この場にいてしかも自分から探索者じゃないと言ってしまった俺の立場は……
「探索者じゃないの? ゴアラルフに噛まれたにしては傷が浅いけど」
ランダが俺の左腕を見ながらそう言う。
俺を噛んだのはあの狼どもしかいないから、たぶん狼の名前がゴアラルフなんだろう。それよりも、探索者だと傷が浅くなるような発言をしてるな。あれか、噛まれても深く噛まれないようにする対応の仕方とかを探索者なら知ってるとかか?
「俺はきっと運が良かったんでしょう。狼……、ゴアラルフどもが慎重に立ち回っていたおかげもあってまだ生きていられますよ」
ゴアラルフが俺の反撃なんて気にせずに一斉に襲ってきたらすぐに噛み殺されていただろう。俺なんかを必要以上に警戒してくれて助かった。
「うーん、普通の人なら五匹もいたらすぐに群がられて食べられちゃうんだけど……。鍛えてる探索者になら警戒して周りを回りながら隙を探すんだけど」
そう言われてもな。一応小中高とスイミングスクールに通ってたのと、学校の運動部には入ってたけど、大学に入ってからは何もやってないしな。ていうかレポートの提出いつまでだっけな。それどころじゃないけど。
……ここが俺が思うように異世界とかだとしたら、本当にそれどころじゃない、よな。
「とりあえず怪我を治療しちゃおっか。そんなに大した傷でもないし」
もしかして魔法的なものをかけて治されちゃうんだろうか。そんな期待をちょっとだけしたが、ランダはごそごそと腰に結んである袋をまさぐりだした。
薬だとして、ここの薬は俺が使っても問題ないのだろうか。もはや俺の頭の中ではここは異世界派が賛成多数で可決されそうだ。まだ最後の一線は超えてない可決はしてない。
「じゃあちょっと腕出して」
ランダが腰の袋から取り出したのはちょっとした瓶だった。ガラスじゃなくて陶器みたいな。そういえばここの通貨も持ってないし、高価な薬だとしたら俺は返せるものがない。
そう思って断ろうとしたが、時すでに遅し。俺の左腕には少しとろみのある緑色をした液体がパチャパチャと掛けられていた。ランダは瓶にコルクのようなもので栓をしてその辺に置くと、俺の左腕をとって刷り込むように俺の腕をさすった。
鼻がすっとするような、またはツーンとするような何とも言えない匂いの中、それは起こった。
……傷がふさがっていく。
俺はそれを唖然と見ていたが、ふと我に返る。これはやばい。俺の脳内が異世界派閥一色に染まったが、そんなことよりヤバい。この薬めっちゃ高価なんじゃないの?
「ちょっと、ちょっと待ってくれ! 今更過ぎるんだが、こんな薬使ってもらっても俺は何も返せるものがない。どうしたら……」
焦る俺。何かで読んだことがあるが、こういうのってたしか奴隷に落ちたりするパターンじゃないか?
そんなわたわたと慌てる俺にランダはちょっと笑うと話しかけてきた。
「いやいや、こんな薬で何か返してもらおうとは思わないよ。まあ瓶のほうはあげたりとかはちょっと困るけど」
瓶のほうは困る? 瓶は値段が高いのか? そしてこんな効果がある薬は高くない……?
「……この薬はかなり一般的に使われてるんだけど、知らないみたいだね?」
やばいな。また怪しまれるようなネタを提供してしまったぞ。さっきからランダばかり話してレグルドとレギルが無言で佇んでるのが心臓に悪すぎる。せめて剣は鞘に入れろよ……。
「この薬はしばらくして古くなったら、瓶の中身を捨てて新しいのを買って瓶に詰めてもらう感じだからね。どうせある程度の量は悪くなって捨てちゃうからね、クロトに少し使ったところで別に損になるわけでもない」
どうやら俺は奴隷にならずに済んだようだ。めでたしめでたし。
「でも、探索者でもそのくらいの怪我なら普通は治るのに半日から一日はかかるんだけどね? こんなにすぐにふさがるなんて、ね」
……めでたしめでたしで終わってほしかったなぁ。俺の体どうなってんだよ。怪しまれるよりそっちが心配だわ。ていうか普通の探索者も大概だろ。皮はぱっくりいってたんだが一日で治るのかよ。
「……俺もこんな傷がこんなにすぐに治るなんて思ってもみませんでした。薬がいいんじゃないんでしょうかね」
俺もわかんないんですよアピールと薬がいいんですよアピールで躱そうとする。なんだか白々しい感じになってしまったかもしれない。
「ふぅん? まあいいや。それよりこれからどうするの? ここがどこかもわからないんでしょ?」
「……そうですね。とりあえず街とかの方角を教えてくれるとありがたいのですが……」
こんなところにいつまでもいたら死んでしまう。とにかく人が集まってる場所に行きたい。帰る手段と、ここの金が必要なら稼ぐ手段とかも探さないとな……。
「レイングリードならこの草原を超えた先にあるよ。僕たちの狩りも終わってるし一緒に戻ろうか。荷物を取ってくるからちょっと待ってて」
そう言うとランダたち三人は森の中に入っていく。武具の装備だけでほとんど手ぶらだったが、俺を助けるときに狼と戦うのには邪魔だからおいてきたのか。
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「どう思う?」
「怪しい、その一言に尽きる。しかしものを知らなさすぎる。そこがまた引っかかる」
「レギルは?」
「……怪しいが、悪党独特の視線や雰囲気はまるでなかった。奴の気配は安全な街なかで暮らしてきた一般人のそれだ。ことさら警戒することもないかもしれない」
「そう? レギルがそう言うんなら大丈夫なのかな。気になることもあるし、恩だけ売っといてみようか」
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「お待たせ」
森の中から三人が戻ってくる。レグルドとレギルは口が巾着のように紐で閉じるリュックサックのようなものを右肩だけにかけて背負い、ランダはどでかい巾着のようなものを肩に紐をひっかけ担いでいる。レグルドとレギルは左手に盾があるから左手のほうは通せないんだろう。盾は持つ部分があり、さらにそこを放しても落とさないようにかベルトで腕に止めてある。丸い盾だ。
「ちょっと待ってね。ゴアラルフを剥ぎ取っちゃうから。あと別にそんなにかしこまった話し方なんてしなくてもいいよ」
そう言うと三人はゴアラルフの爪と牙だろうか? それをナイフを使って取り始めた。手馴れているようで素早く、手際がいい。
敬語は使わなくていいのか。うーん、いいって言われてるのに使ってたらうっとおしいかな? なんとなくだけど探索者って敬語とか使って話さないイメージあるし。いや、ゲームやラノベの荒くれ物的な知識からだから根拠はないが。ここはお言葉に甘える方針でいっておくか。
「皮なんかも本当なら取りたいけど、もう荷物がいっぱいだからね。今回はおいていくよ」
そう言ってランダがゴアラルフの爪と牙を薄い布に包んで巾着に入れていく。五匹分だと爪と牙だけでも思ったより多く見える。……というか爪と牙が普通の狼よりでかそうだ。まず狼なんて実際に見たことないが。
「ところで、レイングリードまでは何時間くらいかかるんだ?」
太陽を見てみると真上よりはちょっとずれた位置にある。昼になるところなのか、昼を過ぎたところなのか。
「何時間? えーと、どういう表現だいそれは?」
……まじか。時間の概念はあるよな? どうやって待ち合わせとかしてるんだろう?
「じゃあ、距離は? 何キロメートルくらいあるんだ?」
ランダがちょっと困った顔をしている。距離もなのか、勘弁してくれ。
「とりあえず街に戻りながら話そうか。君はちょっとその、街でも苦労しそうだね?」
俺、街で野垂れ死んだりしないよね?
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俺たちは今街に向かって歩いている。ランダに気になることを聞いてみることにする。
「なあ、待ち合わせとかってどうしてるんだ? 時間を知らせるものとかはあるのか?」
「ああ、普通の街では鐘がなるんだよ。日の出と真昼と日の入り、あと日の出と真昼の中間、真昼と日の入りの中間にね。待ち合わせはいつの鐘がなるときとか、鐘が鳴ってからしばらくしてとかが多いよ」
結構アバウトな感じなんだな。時計ってのはないのか、あっても高級なんだろうか。
「じゃあ距離ってのはどうやって伝えてるんだ? 必要なものだと思うんだが」
「うーんと、どれくらいかかるかでふつう言うかな。どこどこに行くには鐘二つ分とか、三日かかるとか」
紐の長さとかはさすがに何かしらの長さを測る単位があると思いたいが、この質問はやめておこう。不思議なものを見るような顔でこっちを見るな。
「そうか……。ところで話は変わるんだが、俺は話の通りこの辺に来たのは初めてなんだ。それで飯を食うにも先立つものは必要なわけで……。俺でもできる仕事とかはあるんだろうか?」
これだ。何にしても生きていくには金が要るだろう。コンビニのバイトとかはないだろうし、ここで稼ぐ手段に見当がつかない。何かあればいいんだが……。
「そうだね……。街中での普通に雇われるようなこと、パン屋の弟子とか、道具屋の下働きとか、そういったものは難しいと思う。言いたくないのか知らないけど君は身元がはっきりしてないし、ぽっと出で街の人に知り合いもいないからまるで信用がないから」
そっか。まあはぐらかすような感じで言ってるしな。でも、俺のことをどこまでいうのか正解かわからないんだよ。助けてもらったりいろいろよくしてもらって悪いけど、まだ詳しいことは……。
「君がなれるとしたら探索者くらいだと思う。探索者なら指名手配とかされてないなら来る者拒まずだし、命の危険がある分人が不足してるからね。ただ、最初のほうで受けられる依頼は報酬金が安いし、そもそも探索者として登録するにも手数料がかかる」
つまり俺は詰んでると。Tシャツって売ったらいくらになるんだろう? 持ってるもので売れそうなものっていうと……
「……えっと、これ、俺がいたところで使われてた通貨なんだけど、使えないよな?」
俺の持ち物は財布とその中にある小銭や札、カードくらいなものだ。財布くらいはもしかしたら売れるかもしれない。
「うん……、見たことがない通貨だね。この小さいのは何でできてるんだい?」
一円玉か。たしかアルミニウムって地球だと発見されるのが遅かったんだっけ? それとも製法がなかなかできなかったんだっけ? 覚えてはいないけどもしかしたらこの辺にはまだないのかもしれない。鎧着て剣とか持ってるところだし。
「アルミニウムっていう金属になんか混ぜてあるんだと思う。アルミニウムっているのは軽くて柔らかい金属だ。たぶん」
そのくらいしか知らない。小銭は五百円玉が二枚、百円玉が六枚、十円玉が四枚、五円玉が一枚、一円玉が三枚だ。五十円玉があればフルコンプだったのに。札も入ってるけど、どの程度価値があるやら。
「うーむ、意匠も見たことがないものだし、かなりきれいに整えられてるね。僕は専門家じゃないからわからないけれど、出るところに出せばもしかしたら高値がつくかもしれないよ」
そう言って眺めていたうちの百円玉を指ではじく。お金持ちの物好きに売る伝さえあれば一枚売るだけでもかなりの値になる、のか? まあ伝なんてないんだけど。
「このあたりのお金は持ってないんでしょ? とりあえず街に入るときの入市税は払ってあげるから、この一番多いやつを質に売りに行ってみようか」
そう言って百円玉を見せてくるランダ。
ああ、入市税とかあるんですね。この人たちに出会えてなかったら街にも入れなかったのか。その前にゴアラルフに食われてたか。拝んどこう。
「うまくすればそれで登録料も含めて稼げるかも、……何やってるんだい?」
「いや、ありがたいなと」
拝んでたら変な顔されたよ。ちらっとほかの二人と目を合わせるのやめてくれませんかね。怖いんで。
それにしてももうかなり歩いた気がする。結構なペースで。たぶん四、五キロくらいは歩いたんじゃないか?
それなのにあんまり疲れてないんだよな。整備なんてされてない草原を歩いてるんだけど。あんまりっていうか、身体はこのくらいじゃまるで疲れてない。心? 疲労困憊ですけど?
そんなことを考えていると、ランダが話しかけてきた。
「ああ、ほら。街が見えてきたよ。あと半分くらいだね」
「街? ……ああ、確かになんか先っぽみたいなのが見えるな」
よく見ると草原から何か線のようなものが這い出てきている。壁の先端だろうか。ゴアラルフみたいなのがいるんだし、街はむき出しじゃいろいろまずいんだろう。
半分ってことはあと五キロあるかどうかくらいってことか? この分ならさほど疲れることもなく街に着けそうだな。
そんなことを話して油断していたせいだろうか。そいつらに気付くのが遅れたのは。
「ゴルルルゥゥ!」
今まで伏せていたのだろう。そこにいることにまるで気づかなかった。二十五メートルから、三十メートルはないくらいの距離からゴアラルフどもが走ってきた。その数四匹。
「奇襲だ! 左前から四匹!」
ランダが鋭く叫ぶ。その時にはもうランダも剣を持つ二人も荷物をその場に投げ捨てるところだった。
はやい。探索者たちの行動も、ゴアラルフたちの突進も、だ。
二人が腰の剣を抜く。ランダは左手に持った弓を捨て、右腰にあるナイフ、それにしては長いので短剣といったほうがいいか、それを右手で逆手に構えた。
もう距離は五メートルもない。
「グラアァァアアア!」
叫びながら飛びかかってくるゴアラルフを盾で殴りつけ斬りつける、またはひらりと躱して斬りつける。それは素晴らしく早くゴアラルフたちを処理しているんだが、ゴアラルフは四匹いた。俺はゴアラルフが走ってきたのがわかった瞬間に三人より後ろに下がったんだが、三人が三匹を相手にしている間に四匹目が俺に来るわけで……。
「グルォォオオオ!」
「クロト!」
ゴアラルフが飛びかかってくる。ランダが叫ぶ。
いきなりのことで実感がわいていないのか割と頭は冷静だった。ゴアラルフの動きも見えないほど早いわけでもなかった。
飛びかかってきたゴアラルフは腰より少し高いくらいの位置だ。俺はそこに向かって脚を思いっきり……
「ぅおああああああ!」
「ガグッ!?」
ゴギュっという音とともに何かを折ってずらしたような、そんな感覚を右足に感じた。これはミドルキックというやつだろうか。思ったより体勢を崩さないのが不思議だった。
「クロト!」
すぐにランダが来てゴアラルフを確認する。膝をついてすぐにでも短剣を振り下ろせる姿勢だったが、まったく動きがないゴアラルフの首を少し撫でるようにすると立ち上がって短剣を鞘に戻した。
ほかの二人もこっちへ来た。ランダと目を合わせるとランダが軽くうなづく。死んでるんだよな、俺が蹴っ飛ばしたゴアラルフ。俺が殺したのか……。
「クロト、怪我は?」
「……ああ、いや、大丈夫みたいだ」
蹴った時にゴアラルフの頬のあたりにあたったのは俺の右足の甲だったはずだ。言われてから確認してみたが、特に甲にも足首にも痛みはなかった。アドレナリンが出ていて感じないだけかもしれないが。
「そうか、ならよかった。本当に探索者じゃないのかい? 一般人はふつうゴアラルフを蹴り殺せないけど」
探索者というものになったつもりはないが、傷がすぐに治ったり、いつもならあんなペースで歩いたら疲れる距離を歩いても全く疲れなかったり、でかい狼を蹴り殺したり。
もしかしなくても、俺の身体は日本にいたころより強靭になっているのだろうか。それ以外に思いつかないのだが。
「ゴアラルフみたいな雑魚でも、街ン中で暮らしてるやつは一匹倒すだけでもかなり大変だってのにやるじゃねぇか」
レグルドが褒めてきた。べ、べつにそんなこと言われたってうれしくなんてないんだからね! だめだ俺キモい。
ていうかこいつら雑魚なのか。そりゃ簡単に狩ってますしねあなたたちは。
「爪と牙だけでも入市税くらいにはなるよ。毛皮も剥げば、探索者の登録料には少し足りないくらいのお金は手に入ると思う」
足りないんだな。じゃあやっぱり日本円を売るしかないか。
ゴアラルフを蹴り殺したことで探索者としてやっていけるような気がしてきている。気が大きくなってるな。落ち着かないと。冷静になれアドレナリン。
「こいつの肉とか内臓とか骨、ってのはそのまま捨ててくのか?」
狼って食えたっけ? この辺のものは売れないんだろうか?
「毒ってわけじゃないから肉は食べられなくはないけど、おいしくないし。売れたとしても二束三文だろうね。骨はゴアラルフ程度のじゃ使い道はないかな。内臓なんかどうする気なの?」
ゴアラルフ程度のでなければ骨は使うこともあるのか。内臓の使い道は俺も知らん。モツ煮にするとか?
「いや、ちょっと何か売れば登録料に足りるのかなと」
日本円は俺が持ってるのしかないかもだし、あんまり売りたくない。
「登録料に足りたところでほかにも金はたくさん使うんだから、結局クロトの持ってる通貨は売らないといけないだろうね。食べ物は絶対に必要だし、どこかに泊まるならそのための金もいる。探索者になるなら装備だって整えないといけない」
よく考えてみれば思った以上に金が必要だった。これは売るしかないな。せめて小銭何枚かで足りるといいんだが。無理か?
「ところで俺はこの辺の金について知らないんだが、どういうのなんだ? どのくらいで何が買える?」
「ここで使ってるのはエメルディア王国の銅貨、銀貨、金貨だね。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚。銅貨一枚で安めのパンが二つ買えるし、銀貨一枚で探索者の宿舎に十日泊まれる。レイングリードならね」
菓子パン一個百円ちょっと、スーパーの安いので百円しないとして、銅貨一枚で二百円ないくらい? 一万五千から二万円で十日泊まれる? でも物価も日本とは違うだろうしなぁ。日本で安いものがこっちでは高かったり、逆もしかり。日本円に直しても意味はないのかもしれない。
「探索者の宿舎ってのはなんだ? 探索者はそこに泊まるのか?」
「だいたいそれなりの規模の街とか都市なら探索者用の宿舎があるよ。別にほかの宿にも泊まれるけど、探索者は武装してるからね。態々ほかの宿に泊まって一般客を威圧するようなことはふつうしないかな。買い物するだけのときとかも武装はしないし。狩場の近くに村があったら空き家か誰かの家にお邪魔させてもらうことはあるけど」
そうだよな。こんなごついのがいたらほかの客が心休まらんよな。俺もビビりまくってるもん。
そんなことを話しつつ、剥ぎ取りを終えて歩き出した。俺が倒した分のゴアラルフは爪、牙、皮を剥ぎ取ってもらった。お礼に爪は全部あげた。少しでも心象を良くしておかないと、唯一の知り合いだし。毛皮で牙を包むようにして巻いて抱えた。そんなに重く感じなかった。
それからは何事もなく歩き続け、街の周りを覆うようにある畑の間の道を通り、ついに俺は人の営みがある場所に到着した。