9.攻略対象の視点 05
麗花が保健室から戻り、教室に足を踏み込んだ瞬間、一斉に敵意に満ちた視線が向けられた。
とりわけヒロインを守るヒーローの如く彼女の前に立ちふさがる攻略対象が。
そして麗花を矢継ぎ早に糾弾する。
まるで魔女狩りだ。
人とは弱いもの。
だからこそ厄災を取り除く為の生贄を作りたがる。
目に見える敵には立ち向かう覚悟や勇気は出ても、いつ自分が標的になるか分からない無差別的な敵には弱い。
だからこそ敵を『作って』排除するか、自分は標的になり得ない『自分とは無関係』の敵を見つけて線引きしたがるものだ。
それが真実でも、そうでなくても。
彼女の顔色は蒼白を通して、紙のように白くなっている。
身体は小刻みに震え、今にも崩れ落ちんばかりだ。
俺は強く手を握りしめた。
本当に俺がしてきた事は正しかったのだろうか。
彼女を誰よりも苦しめて、傷つけてしまったのは自分ではないのだろうか。
全ての責任を彼女に押しつけ、この世界の流れに身を委ねようとしたのは何よりも自分だったのではないのだろうか。
これでいいのか?
本当にこれが自分がしたかった事なのか?
…違う。
本当はどんな正論を振りかざしたって、結局は彼女を助けたかっただけだ。
一目見た瞬間から目が離せなくなった彼女を助ける言い訳をしていただけだ。
ぎゅっ、わずかに踏み出そうとした足音が鳴る。
その時、彼女の視線がこちらに向けられた。
かちりと視線が絡み合う。
彼女の脅えきったその瞳は見開かれ、徐々に冷静さを取り戻し、次第に力がこもった熱い瞳に変わって行くと、やがて彼女がかすかに微笑んだ。
きっと俺は余裕のない表情で彼女を見返していたと思う。
彼女の俯く視線の先は彼女の細くて白い手。
冷え切って血色を失った指に重ねた自分の掌を、彼女は思い起こしてくれているのだろうか。
そして彼女はおもむろに顔を上げ、視線を婚約者に戻すと、高らかに言った。
真っ直ぐに、全ての悪意を跳ね返すような凛とした佇まいで。
俺は踏み出そうとした足を止めた。
彼女は常日頃、俺に翻弄される感情の起伏に富んだ姿では無く、権高だが毅然とした姿でたった一人で周囲を圧倒していた。
そんな彼女を見ていると、俺がやってきた事は本当は必要なかったのかもしれない。
だけど少しでも彼女の心に自分の思いが伝わっていたのなら、そんなに嬉しいことはないだろう。
そして彼女は婚約者に向かって言う。
あなたの事が好きではなかったようだ、と。
俺は我知らず口元に笑みを作っていた。
だからと言って、俺の事が好きだと言う訳でもなかろうが。
それでもその言葉をずっと聞きたかったのだ。
さあ、ここからは俺のターンだ。
そう思い、彼女への賞賛、そして自分に関心の目を向けさせる為の拍手をした。
「サイッコー!さすが俺の未来の妻!」
マジで最高の気分だ。
そして唖然とした空気の中、足早に麗花に近づくと、彼女の腰を引き寄せた。
「ファっっt!???」
彼女は先ほどまでの気高さを消して、眼を白黒させている。
…やっぱり面白い。
自分にだけ翻弄される麗花に思わず笑みが浮かぶ。
そして俺は紫堂拓巳に視線を向けた。
「いやー、ありがとな。紫堂拓巳。あんたに女を見る目がなくて助かったよ。さすがに人の婚約者を奪略愛したとなると体裁悪いからさ。そっちから破棄してくれたのも助かる」
「「…は?」」
紫堂はぽかんとした表情になる。
俺は構わずに麗花を見下ろして、笑顔を向けた。
「これで漸く二人の愛を貫けるね麗花」
「は、は…、いぃぃ??」
よし。
言質を取った。
俺はにやりと笑う。
え?疑問系のハイだって?聞こえないな。
「いやー、いい返事をもらえて嬉しいよ。善は急げだ」
金魚の様に真っ赤になってぱくぱくする麗花を置いて、俺は携帯を手に取り、父親に電話をかける。
「あ、もしもし、俺だけどー」
『俺?俺とは誰だ。さては俺俺詐欺だな』
「や、俺俺詐欺じゃない」
『だったら名を名乗りなさい』
親父は不遜にそう言った。
携帯の名前表示に出ているだろうに、わざとか!
「あ?はいはい、あなたの可愛い息子、慶一ですよ慶一」
『だったら人違いだ。ウチには可愛い息子などいない』
「え?人違い?可愛くないって?またまたーご冗談を」
『いや、冗談ではないのだが。それより何だ、電話とは珍しい』
「アマノコーポレーションとの提携話、決着ついた?」
『まだだが』
「まだ?じゃあ、今すぐ提携して」
『突然なんだ?』
「え?何でってそりゃー、俺の愛しき人が天野麗花だからだよ」
『天野麗花って、天野社長のお嬢さんだろう。彼女には婚約者がいるはずだが、何だお前、片思いか?』
何だか楽しそうな親父の声がする。
そうか、俺が片思いなのがそんなに嬉しいか親父。
覚えてろよ。
…勝てる気はしないが。
「婚約者がいるって?ああ、その点は大丈夫。彼女、たった今、婚約破棄されたから」
『おい!まさかお前が何かしたんじゃないだろうな』
「え?やだなー。俺は何もしてないよ。あなたの息子だ信じなさい」
『だから信じられないんだ』
「え?だから信じられない?言うよねー」
『お前、さっきから何で会話を説明的に繰り返すんだ』
ギャラリーを飽きさせないように外に聞かせてんだよ、言わせんな。
内心呟く。
『まあいい。アマノコーポレーションとの提携は本腰を入れようと思っていたところだ。だが、共同経営の紫堂グループが我々の参入を快く思っていない』
…それで難航していたのか。
だとしたらまさに好都合だ。
「あ、そっちも破棄されたみたいだから問題なし!」
『何!?本当か!』
「なので、天野社長に麗花との婚約と提携話進めて。今すぐにね」
『お前、彼女まで奪う気か。彼女は了承しているんだろうな』
「ああ。もちろんあなたの息子だ信じなさい」
『………そうか。それではすぐ天野社長と連絡を取ろう』
何だか微妙な沈黙があったのは気のせいか。
「よろしくー!」
俺はそう言うと、電話を切った。
すると途端に麗花が俺の腕を取って狼狽えた瞳で上目遣いしてきた。
…襲ってほしいんですか。
「ちょっ、四宮さん、今―」
「やだなー。麗花、よそよそしいよ。俺と君との仲でしょ。慶一って呼んでよ」
麗花は眼をまん丸にするが、どうやら言葉が追いつかないらしい。
が、何とか立ち直って、話を切りだそうとした時、電話のコール音がする。
プリインストールされた今時古風な黒電話の音だ。
意外な選択を軽くからって、睨み付けてくる麗花に顎で電話を出るように促した。