7.攻略対象の視点 03
その後も何かと彼女との接触があった。
「何ですの。あなた私のストーカーですの?」
やたらと自分の視界に入る俺に彼女は腰に手をやって、やや気位高そうにそう言う。
そりゃあ、そうだろう。
何せ俺はヒロインの攻略対象の一人。
ヒロインとのイベントを発生させる為に自然とその場へ誘導されるのだ。
何かと彼女に絡むライバル令嬢である天野麗花と会うのもまた自然な事だ。
もっともヒロインを気にかけるべきところを、天野麗花に向けるのは『俺の意志』だが。
「逆だよ逆。俺がいる所に君が来るの。何もしかして俺に惚れちゃった?」
「なっ」
天野麗花は目を丸くし、頬を赤く染めたかと思うと、すぐに目をつり上げた。
「そん、な訳ないでしょうっ!わ、わた、しく、し」
動揺した彼女が噛んだ様に、俺は思わず吹き出した。
「ちょ、ちょっと間違えただけではありませんかっ。し、失礼ですわよっ!!」
更に耳まで紅潮させる彼女に、俺は笑いが止まらない。
「い、いや、いや、ごめんホント笑ってないかっっ、くっ、息、できねーっ」
「か、勝手に窒息なさるがいいですわっ!と、とにかく違いますからねっ。私には立派な許嫁が――」
その言葉に、俺はすっと頭が冷え込み、笑いが引っ込んでしまう。
「許嫁」
急に笑いを止めて、真剣な顔をした俺に彼女は戸惑いの表情を見せた。
「立派な許嫁?」
「そう、ですわ」
「君にふさわしい、立派な?」
「私にふさわ、しい……?」
「君に釣り合うような立派な?」
「わ、たくしに釣り合う…?私が、ではなく……?」
俺はそれには答えず、ただ黙って彼女を見つめる。
彼女はその問いかけに逡巡して、答えを求めて視線を彷徨せながら唇を噛んだ。
それを見た俺は思わず指を伸ばして、そっと唇に触れると下唇を押し下げた。そしてしっとり温かくて柔らかい唇をゆるりとなぞる。
「傷つくよ」
「っなっっ!!!?」
彼女は顔を真っ赤に染め上げた。
「何なさるのっ!」
「……あ。ごめん、つい」
そう言って指を離すと、彼女は、な、何ですのこの天然ナンパ男はっ!と小さく呟く。
「おいこら。自他とも認める硬派の俺に失礼だぞ」
……の設定のはずだ。
「どなたがそんな間違った認識をされているのですかっ!少なくとも私は認めませんわよっ!」
その言葉に俺は目を瞠り、そして、くいっと口元を上げて笑う。
「な、何ですの」
「へー。いいんじゃない、それで、と思って」
「へ?……へ、変な方」
彼女は俺を訝しげに見るが、俺は彼女の心に良い兆候が生まれ始めた事に満足した。
それにしても。
最近、意図しなくても頻繁に天野麗花(とヒロイン)を見かける機会が多い。
俺のポジションはいわゆる隠れキャラで、攻略対象全ての友達以上の好感度を高めつつ、一つ一つの行動の選択を間違えないようにしなければならない。しかも母方姓がランダムに変わるらしいのだ。
そのため難易度はかなり高く、『隠れキャラエンド』難民が続出した為、攻略本まで販売されたと聞く。一体消費者に何を求めていたのか……。
聞いて貰っていくらの声優の自分としては、なかなか辿り着けないキャラに起用されたのかと落胆すればいいのか、その難易度を超えて出会う最高のキャラに起用された事を誇りに思えばいいのかよく分からなかったものだ。
まあ、それはともかくだ。
ゲームで言うと、これは逆ハーあるいはラスボス(俺)狙いだと言うことだ。
確かにゲームの世界ではハーレムなどと羨まけしからんこともありうるだろう。
だが実際生きている世界で、それぞれがあまり接点のないスペックの高い人間達ばかりに『偶然に』出会い、高い好感度を持たれる事があるだろうか。
まあ、無いとは言い切れないが、ヒロインの生まれは一般家庭でハイスペック方々と家の繋がりもなさそうだし、顔立ちは平凡で、学校に一人くらいはいるようなマドンナ的存在でもない。特別な能力もなく、成績も中の下。
また、人から注目されるような目立った行動を起こしたわけでもなさそうだ。
大多数の人間のように、ただの一学生として学園に埋もれてもおかしくない存在とも言える。
とすると、確信はないが、おそらくヒロインは転生者だろう。
大人しそうな外見に反して、内心は意外と強かな女だと言うのが俺の見解だ。
良くも悪くも猪突猛進な天野麗花とは真逆にある。
そして今日も今日とて、俺は天野麗花(と略)が目に付く。
俺は略…じゃない、ヒロインが去った天野麗花の後ろ姿に声を掛ける。
「やたらと彼女と一緒のことが多いね。君の友達?」
天野麗花はいい加減慣れたのか、特に驚いた風もなく、肩をすくめながらこちらをふり返った。
「……そう見えるとしたらあなたの目は節穴ですわよ」
「そうだよね。良かった」
分かっているなら何で聞くの、とぶつぶつ呟く。
「……でも」
何か言葉が引っかかったようだ。
「良かったとは何です?」
ああ、それか。
「ああいう子が友達じゃなくて良かったね、という事」
「……え?言っている意味がよく分かりませんわ」
彼女は瞳を困惑の色に塗り替える。
「言葉通りだけど?」
ヒロインがそれこそ自分で選んだ道なのだから、軽薄だの、小悪魔だのとは言わないが、少なくとも彼女には近づきすぎて感化されて欲しくないとは思う。
彼女は一瞬黙り込むと、おずおずと言った。
「彼女、いい人なんですよね」
「ん?」
「いい人だと聞いているんですけど」
「んん?」
「いい人だと言われているんですけど」
「んんん?」
「……だから、いい人のはずですよね」
「一体何が言いたいの」
何の言葉遊びだ?
今度はこちらの方が、訳が分からなくなった。
「彼女がいい人ならどうして……あなたは友達じゃなくて良かったとおっしゃるの」
「それは俺がそう感じたから、だけど?」
「どうして?彼女、いい人らしいんですのよ」
「君はどう思うの、彼女のこと」
「私?」
彼女は思いもよらないことを聞かれたように、びっくりした表情を浮かべる。
「君はなぜいつも彼女に苦言を呈するのかな」
「それは……」
「彼女が何かしたからかな」
「……」
「彼女に君が何かされたからかな」
怯えたようにこちらを見上げる彼女に少し嗜虐心が煽られる。
じわりじわり彼女追い詰める自分は、あの紫堂拓巳と何が違うと言うのだろう。
「君の言葉には正当性があるの?」
「私は……」
「それとも理不尽な事を押しつけている?」
「ち、が…」
「君は彼女に不当な理由で意地悪しているのかな」
「っ!!違いますっ!!」
彼女は叫んだ後、はっとしたように表情を固めた。
「……だったらいいんじゃないの、それで」
「私は……正しいの?」
この世界の補正力で自分を信じられなくなっているのだろうか。
答えは与えたくない。
だけど不安に揺れる瞳を突き放せる程、俺は強い人間でもない。
見えない力で彼女の視界が曇っているのなら、少しは取り除いてやってもいいだろうか。
「君がそう感じているなら、それが君にとっての最良の答えだろ」
「っ」
結局、納得できる答えを得られなかった彼女は胸を痛めたようだ。
……しまった。
どうやら俺は言葉選びに失敗したらしい。
俺は自分の不甲斐なさにため息をつくと、彼女の頭に手をやって笑った。
「俺も君と同じ気持ちだって言ったら安心する?」
彼女は目を見開くと、少し目元を赤くした。
じわり……。
ヤバい。やっぱりなぜか嗜虐心が生まれる。
「……なんて事、やっぱり言わないでおこうっかなー」
「なっ」
途端に彼女は頬を紅潮させ、目をつり上げる。
「何て意地悪な方なのっ」
「だって君、サディストな彼が好きなんだよね?」
「ち、違いますったら!好きじゃありませんわ!サディストもあんな人――」
そこまで言って、彼女は茫然として固まった。
俺は眉を上げる。
「あんな人?」
「……いえ。何でも、ありませんわ」
彼女はそれだけ言うと表情を硬くして、口を噤んだ。
……ここまでか。
俺はがっかりした。
今日こそは彼女の口から婚約者への愛はないという言葉を聞き出せると思ったのに。
……あれ?
これが目的でいいのか?
いや、いい、んだよな。
彼女が婚約者に執着することが破滅ルートに繋がるんだから。
どうやら俺は自分の中で、わだかまりみたいなものを見つけ、もやもやした気持ちを抱えてしまっていた。
……いや。
この気持ちの正体は、本当はもうとっくに気付いている。
自覚しているからこそ、彼女との会話は楽しく、そして胸が痛む思いになる。
一方で、彼女の気持ちが揺らぎ始めているのを感じて、良い方向に進んでいるはずだと気持ちが軽くなっていた。
その時は……そう感じていた。
しかし……ゲームの世界の修正力がそれを許さなかったのだ。