3.悪役令嬢の視点 03
「麗花ぁああああっ!!」
ガギューン。
脳髄に響くような大きな第一声に、私は頭がくらりとした。
誰これ。
私は携帯の画面を見ると、そこには確かに『お父さま』の文字。
…はて。
「あの…」
「麗花ぁぁああ。私が私がふがいないばっかりにー」
電話の奥で啜り泣くような声が聞こえて、私は戸惑った。
その声は父にそっくりだったからだ。
だが、私が知っている父の言葉は短く事務的で、声は冷たく無機質で、間違ってもまるで娘を溺愛している様な、このような腑抜けた情けない口調の人ではない。
断じてない。
「あの。おかけ間違いかと思―」
「すまない。本当にすまないっ。私が不甲斐ないばっかりにいつもいつもお前には苦労ばかりさせて」
「えっと…どちら様で」
私の頭は昏乱も昏乱。
いや完全に沸騰気味だ。
「分かっている。お前にとって私は父と呼べるような甲斐性のある立派な男ではないとは。だが、確かに不甲斐ないが、私は世界中の誰よりもお前を愛している事だけは分かって欲しいっ!!」
「えーっと………お父様、なのですか」
「そうだ。誰が何と言おうともお前を世界一愛する父なんだよっ!!」
いや、それはいいから。
ってか、お父様、キャラ変わってますから!!
と言うか、知らなかっただけで、本当はこんな性格の人だったのだろうか。
「えっと、とりあえず落ち着いてお父様。何があったのですか」
まだぐすぐす言っている父親と、そして何より自分自身を冷静にさせる。
「うむ。順を追って話そう。まずは紫堂拓巳君との婚約は破棄され、紫堂グループから共同経営を切られた」
「それは…」
本当に申し訳ないと思って―。
「いや何も言わないでくれ。私がお前の将来を勝手に決めたことだ。本当に申し訳ないことをしたと猛省している」
え。
猛省しているんですか。
「お前は私の為に好きでもない男との婚約を了承してくれたのにな。こんな結果になって、本当に申し訳ない」
この時私は頭が沸騰していて気付かなかったが、どうやら外部スピーカーになっていたらしく、父との会話が外に漏れていた。
そしてこの父の言葉に紫堂拓巳が目を見開いて怒りに震えていたとは知るよしもない。
「それで次だが、なないグループから提携の申し出があった」
「ないない…」
ってどこの会社だろう?
「いや、あるあ、…あるんだよ。しかもだ!麗花、お前との婚約の申し出があった」
「婚約…」
何か隣の男がそれらしき事を言っていたような。
「私はもう同じ轍を踏みたくない。お前の意思を尊重したい。幸い先方様も婚約に関しては了承されなくても、提携は行いたいとおっしゃって頂いている」
ちっ、親父のやつ勝手なことを、と舌打ちする彼の言葉は聞かなかったことにする。
「えっと私、ただいま、絶賛昏乱中でして…」
「そうだろうともっ!私もだよ!」
こんな元気で面白おかしい父親知らない。
これが父だと言うならば、私は誰だと言いたい。
ああ、誰か私の頬を抓って下さい、痛くないようにね。
「麗花?」
「…はっ!え、えーっと、そうですね。婚約の事はとりあえず横に置きまして、お言葉に甘えまして、提携はさせて頂いては?」
「そうだね。それに関してはうちにとってこの上なく勿体ないくらいのお話だ。進めさせてもらうことにするよ」
とりあえず父の電話を終わらせよう。
今私は頭が混乱しすぎている。
誰かを無差別物理攻撃してしまいそうだ。
こういう時はひたすら3ターン耐えるしかない。
「お父様、このお話はまた家に帰ってから改めて致しましょう」
「分かった。あ、麗花ぁぁぁ、愛し―」
「それでは」
まだ何か言っている父の言葉を遮って私は強制終了すると彼に向き直った。
「…一体どういう、事でしょうか。父から出た名前は『ないないグループ』という所だったんですけど」
「……『なない』ね、七に虹って書いて『なない』」
四宮慶一は苦笑する。
「なない…」
「そう、俺の父親の姓。七虹って珍しくて目立つ名前だから、学生中は母方の四宮姓を名乗ってたんだ」
「…はぁ、そうですか。……って、あれ、なないって。…え。あれ、え。え「えええぇーーーーーーーっ!!」」
私の驚きを引き継ぐように一際大きな声が上がった。
「な、七虹って、数十もの大企業を抱える、日本でも一、二を争う七虹財閥の事じゃあ!?」
ヒロインの驚愕の声に振り返る。
ま、まさ、まさかね。
そして四宮慶一に視線を戻すと、彼は何の気もなく、こくんと頷いた。
「そう、それ」
そうそれじゃないわーっ!!
「ど、どういう事っ!?」
あ。いつもの様に素の自分が出ちゃった。
まあ、そんな事はどうでもよろしい。
「どういう事って言われてもね…」
彼は肩をすくめた。
「まあ、生まれがたまたまそうだったとしか言えない」
そりゃそうだろう。
私とて、たまたま生まれが悪役令嬢だった訳で。
じゃ、なーくーてっ!
「どうして今まで黙っていたのですっ」
「やー。ほらさ、こういう家に生まれると、すり寄ってくる人間やら逆に敵視する人間が一杯出てくるわけだろ。学生中はせめてしがらみがなく、ただの一般学生として青春を謳歌できるようにって、父親からありがたーい温情を頂いた訳で」
分かる。
分かるけど。
何かうまくはぐらかされている気が果てしなくするっ!
「そ、そん、な…」
私より上を行く驚きおののいて身体を支えられているのはヒロイン。
「隠れキャラは彼だった、なんて…」
隠れキャラ。
そんな言葉を発するあなたは、…ええ、転生者ですね。
「どうしてよっ。どうして全ての攻略者を網羅したのに、隠れキャラとのイベントがなかったのよっ!!」
その時私は気付いた。
私は悪役令嬢。
婚約者との絡みしかない脇役だったのに、なぜ彼と頻繁に出会ったのか。
それは私が隠れキャラと接するイベントがある時間帯に、ヒロインに何度となく苦言を呈しに接触していたからだ。
結果、ヒロインは隠れキャラとのイベントが回避され、なぜか私との接触が多くなったのだ。
…いや、きっとそれだけではない。
転生者故の奢りか、ヒロインの選択にもミスがあったのだろう。
「隠れキャラとか、イベントとか何だかよく分からないけどさ」
四宮、改め七虹慶一がそう切り出して、自分の考えが中断された。
「要は自分の行動一つで人生が決まるもんだろ。自分がその時その時感じた直感や意思で道筋なんていくらでも変わる。決められたレールをただ辿るなんて甘い考えは、結局この世には通用しないんだよ」
ヒロインに向かって話す彼の言葉はまるで私に言われているようだった。
私は彼の言葉を反芻する。
決められたレールをただ辿るのは甘い考えなのだと。
辿らなかったから、今、ここに私があるのだと。
我知らず、今まで何度も何度もそう忠告してきてくれたのは七虹慶一、彼だった。
じわりと熱い物が瞳にこみ上げてくる。
彼は視線を私に戻すと、一瞬眼を見開いた。
そして、口元をくいっと持ち上げて不敵に笑うと、手を差し伸べた。
「それではレールを外れたお姫様、これからは私と愛の逃避行と参りましょうか」
いや、だが断―。
…の前に、「やっぱりまだ俺のターン」と呟くと、彼は半ば強引に手を取って歩き出した。
くいん、と引っ張られる力に私は自然と歩き出す。
そして誰もが動けない中、戸口間近に歩み寄った私たちに、勇者、紫堂拓巳が声をかける。
「お、おい!麗花!本当にこれでいいのかっ!!」
何を今更…。
私は小さく笑った。
「私が私の意思で道を決めたのです。何の後悔などありましょうか」
彼は振り返ると、誰に言うでもなく自分の言葉を伝える。
「お前たちもな、自分で考えて、悩んで、選択して、行動しろ。吉と出るか凶と出るかは分からないが、それが自分が決めたことならば納得もできるはずだ。この世は誰もが主役で誰もが脇役なんだからな。道は自分の意思で決めろ」
胸に熱く響き、思わず見惚れてしまった。
そう、ずっとそうやって私の心に何度も何度も語りかけてくれていたのだ。
教室にいる誰もが口を紡ぎ、彼の言葉を噛みしめているように思う。
彼の言葉が私と同じように皆の心に浸透することを願って、私たちは教室を後にした。