2.悪役令嬢の視点 02
「あなたのお気持ち、確かに受け取りましたわ」
今の際、震え崩れそうだった私が目に力を取り戻し、はっきり通る様な声で応えた事に驚きを隠せなかったらしい。
彼らの瞳は動揺に揺れた。
とりわけ婚約者の紫堂拓巳が。
私は構わず続けた。
「ですがあなたもご存じの通り、これは親同士が決めた『契約』。私たちの一存で簡単に破棄できるものでもございませんわ」
一瞬怯んだ彼だったが、すぐに気持ちを立て直した。
「俺が父に婚約破棄を申し出れば、すぐに受理される」
「そうですか。ではすぐにそうなさいませ。私は一向に構いませんわよ」
その言葉に紫堂拓巳は驚きに目を見開く。
目の前の人間は自分に心底惚れた女では無かったのか、その瞳がそう言っているようだった。
「いいのか。破談になる事で、お前の父親の会社との共同経営が危うくなるかもしれないんだぞ」
「見くびらないで下さいませ。シドウコーポレーションとの共同経営が揺るぎを見せたところで、うちが傾くなんて思っていらしているのでしたら笑止千万ですわ」
そうだ。
本当は何を脅えていたのか、漸く分かった。
『あんな男のどこがいいんだ?』
どこがいいのか?
顔が良い、家柄が良い、文武両道、将来性がある。
だが私を愛していないどころか、冷酷で残酷で優しさなどカケラもない。
この婚約は親同士が決めた会社の為の契約。
そこに愛情など最初から含まれるはずなかったのだ。
そんなの分かっていた。
分かっていたからこそ。
私は愛情を求めた。
紫堂拓巳にではなく。
…そう。
真に求めたのは父の愛。
「そうですわね、ですが父には失望されるかもしれませんわね」
父に愛情を求めるのを止めたはずだったのに、本当は政略結婚を成功させることで、最後に一縷の望みを掛けていたのだ。
だからこそ、彼との婚約破棄を恐れていた。
「ですが、あなたの方から申し出て下さるのなら婚約破棄の慰謝料を出さなくて済みますもの。それだけは誉めて頂けるでしょう」
もし今扇を手にしていたなら、私はそれを広げて高笑いしていたに違いない。
それぐらい気分が昂揚している。
しがらみから漸く解放されて、素の自分に戻れた気がする。
彼は屈辱的なのだろうか。
顔を紅潮させ、睨み付けるようにこちらを見据えながら言う。
「だったら望みどおりにしてやるよ」
今まで自分の望みなんて一度たりとも聞いてもらえることはなかったのに、最後になって望みを叶えるだなんて、何て皮肉なことだろうか。
そして彼は携帯を取り出した。
「父さん、アマノコーポレーションとの共同経営の話だが、ああ、そうだよ。やっぱり見込み無しだ。早々に手を切る方がいい。麗花?彼女との婚約も破棄を宣言したよ。彼女も了承済みだ。ああ、すぐさまアマノコーポレーションの社長と共同経営と婚約破棄の連絡を取ってくれ」
そう言って電話を切ると、得意そうになってこちらを見た。
共同経営を『揺るがす』ではなく、『切る』が彼の選択だったか。
彼の父親は長男至上主義だ。
そして紫堂家は家よりも格が一つ上で、それこそ天野家と手を切っても経営上何の問題もない。
きっと彼の言う通りにするだろう。
私は心の中で小さくため息をついた。
結末はやっぱり絶縁状を叩きつけられ、家を追い出されるのだろう。
だが、会社経営にとっては、はした金かもしれないが、紫堂家から支払われる慰謝料は私が父にできるせめてもの詫びを勝ち取れたと思って今後の誇りにして行こう。
「紫堂拓巳さん」
私がそう声を掛けると、周りの人々はびくりと反応した。
「ご存じでした?私、どうやらあなたの事が好きではなかったようですのよ。こうなってすっきりしたんですもの。やっと自分を偽らないで済みますわ。それでも…」
私は晴れやかに笑うと、まるで舞台の終わりを示す三方礼のように紫堂拓巳に丁寧なお辞儀を示す。
「今までありがとうございました」
これで私の人生で、最初で最後の表舞台は幕を下ろした。
気位高く、最後まで決して人に跪かない悪役令嬢。
最高の役者だったじゃないか。
最後に心は満ち足りた。
…さあ、そろそろ破滅エンドと参りましょうか。
と、その時。
アンコールの拍手が鳴る。
何故その時アンコールの拍手と思ったのか分からない。
ただ、その拍手でもう一度私の幕が上げると確信したのだ。
私は、そして周りの人間はその音の方向に目をやった。
拍手をしていたのは、四宮慶一、彼だった。
彼は私と視線が合うとにやりと笑い、サムズアップした。
「サイッコー!さすが俺の未来の妻!」
……???
もしや私の背後に誰かいたのかとふり返る。
だが、そこは机があるだけで人気は無い。
自然と皆の視線が再び私に集まる。
わ、私ですか?
誰もが固唾を呑んでその成り行きを見守る中、彼は大股で私に近づくと、私の腰を引き寄せた。
「ファっっt!???」
何事だすって!?
そして心の中でまで噛んだ!
唖然として四宮慶一を見上げる私に対して、彼の視線は紫堂拓巳に向けられている。
「いやー、ありがとな。紫堂拓巳。あんたに女を見る目がなくて助かったよ。さすがに人の婚約者を奪略愛したとなると体裁悪いからさ。そっちから破棄してくれたのも助かる」
「「…は?」」
思わず元婚約者の彼と異口同音、共鳴してしまう。
誰を誰から奪略愛ですって。
四宮慶一は私に向き合うと言った。
「これで漸く二人の愛を貫けるね麗花」
輝くような笑顔を向けるが、私はひたすら頭の情報処理が追いつかない。
「は、は…、いぃぃ??」
間の抜けた疑問系で答える。
いつの間に私とあなたとが愛を貫く間柄になったのだ?
「いやー、いい返事をもらえて嬉しいよ。善は急げだ」
え。
待って待って下さい。
良い返事って言いました?
言ってませんよね。
言ってませんったら!
ぱくぱくする私を置いて、彼は携帯を手に取り電話をかける。
「あ、もしもし、俺だけどー。や、俺俺詐欺じゃない。あ?はいはい、あなたの可愛い息子、慶一ですよ慶一。え?人違い?可愛くないって?またまたーご冗談を」
私があなたの親でもこんな子はやだよ。
私は先ほどの訳の分からない情報処理を放棄して、目の前の話に心の中で突っ込みを入れる。
「アマノコーポレーションとの提携話だけど、決着ついた?―まだ?じゃあ、今すぐ提携して。え?何でってそりゃー、俺の愛しき人が天野麗花だからだよ。――婚約者がいるって?ああ、その点は大丈夫。彼女、たった今、婚約破棄されたから。―え?やだなー。俺は何もしてないよ。あなたの息子だ信じなさい。え?だから信じられない?言うよねー」
何で人の婚約破棄をあなたが嬉しそうに言うのだ。
何か私に個人的恨みでもあるのか?
そうなのか?
「なので、天野社長に麗花との婚約と提携話進めて。今すぐにね」
脳が先ほど放置した問題の処理を再び始めた。
今、私の婚約を進めてと言わなかったか。
「ちょっ、四宮さん、今―」
電話を切った彼に声をかける。
「やだなー。麗花、よそよそしいよ。俺と君との仲でしょ。慶一って呼んでよ」
誰がじゃ!
それこそ私と君の仲では、なれなれしいわっ。
じゃなくって。
「今―」
そう切りだそうとした時、電話のコール音がした。
皆、それぞれチェックし始めたが、私の着信音だった。
慌てて表示を見ると、そこには『お父さま』の文字。
「えー、何この電子音。もっと色気ある着信音入れなよ。愛の賛歌とかさ」
やーめーてー。
キャラに合わんわっ。
とりあえず彼をひと睨みすると、電話に出た。