13.婚約者の視点
童話の解釈の仕方が違うと思いますが、ご容赦下さいませ。
なお、「童話の引用」が「二次創作」にあたるようでしたら、教えて頂ければ幸いでございます。
「……そしてラプンツェルと王子様は末永く幸せに暮らしました。お・わ・り。――あなたも王子様になるのよ。今からしっかりね」
幼い頃、繰り返し繰り返し、何度も母親にその物語を聞かされて育った自分。
ラプンツェル。
悪い魔女が高い塔に閉じこめた、かわいそうな髪長姫。
彼女は来る日も来る日も何の刺激もない世界に何を思って生きていたのだろうか。
そしてやがて愛しい王子と出会い恋に身を焦がし、それに怒った魔女に長い髪を切り落とされて地上に放置された時、最初に求めたものは何だったのだろう。
小さな世界でも自分の身を守ってくれていた安全な塔だったのか。
それとも求めて止まない愛しい王子だったのだろうか。
俺が婚約者である天野麗花に出会ったのは、五歳の頃だった。
すでに良家の子女礼義を叩き込まれた彼女は、慇懃無礼とも言える、それはそれは立派な挨拶を幼いながらもこなしてみせた。
俺の両親は頬を緩ませて誉めていたが、自分にはただ可愛げのない人形の様に映った。
だが、子供らしくないその礼儀正しいその姿を見て、彼女の父親が小さく頷いたとき、初めて頬を染め、子供らしい柔らかい笑顔に一変させたのを今でも覚えている。
やがて時が経ち、姿形が美しく成長しても、俺と接する彼女の心はやはり昔の彼女のままだった。
俺が他の女と一緒にいても、顔色一つ変えず、果てには口元だけの笑みさえ浮かべてくる。
従順すぎる彼女に苛立ちが募り、彼女を傷つける行為をすると、その時初めて俺に縋る言葉を発して見せた。
そして俺は歪んだ満足感を覚えることとなる。
そんな折、一人の少女が学園に転入してきた。
特別、これと言った目立った特徴もないが、なぜかいつの間にか自分の目に留まるようになった。
屈託無く笑う桜井琴美はまるで麗花と大違いだった。
好きな物は好き、嫌いな物は嫌いとはっきり言うその姿もやはり麗花と相反していた。
何かの目標を持った彼女はキラキラとしていた。
それでも桜井に特別な感情を抱くことはなかったが、彼女と一緒にいる時間が長いだけ、麗花が自分に縋る言葉の数が増え、その満足感だけで俺は桜井との時間を作るようになった。
だが、麗花を苦しめては満足する日常さえも次第に失われていく。
あれほど無機質で無感情に感じられた麗花の様子に少しずつ、ほんの少しずつ変化が見られたのだ。
従順だっただけの態度がためらいを見せ、無感情だったはずの瞳に小さな炎すらちらついた。
彼女を変えたものが何なのか、その後すぐに知ることとなる。
くせっ毛の明るい髪の男。
その男の前では、自分には見せたことがないような表情を浮かべてみせる。
怒りの表情、戸惑いの表情、恥じらいの表情、小さな小さな微笑み。
そして………縋る様な瞳。
ひどく自尊心を傷つけられた。
自分だけが彼女の心を動かせる人間だと、そう信じていたのに。
そして事件は起こる。
真っ白な顔をして立つ彼女は今にも倒れそうだった。
俺が真っ直ぐ見据えていると、怯えに揺れたその瞳は俺に助けを請うようだった。
そうだ。
俺に跪いて許しを請え。
そんな気持ちから、婚約破棄を高らかに宣言した。
崩れ落ちるかと思ったまさにその時、彼女は何かに気付いた。
その視線の先には、くせっ毛の明るい髪の男。
その瞬間、彼女の瞳に光が点るのが見えた気がした。
頬は血色を取り戻し、身体の震えが消えると、彼女はその男にだけに向ける小さな笑みを浮かべた。
そして。
凛とした立ち姿で俺を真っ直ぐ見据えて、透き通るような声で応えたのだ。
俺の気持ちを受け取ったと。
その言葉は俺にとって絶縁を告げられたも同然だった。
動揺を隠せずにはいられなかった。
彼女の言葉が信じられなかった。
いや、俺の言葉を信じていないのだろうか。
ここで俺が本気を見せれば、泣き崩れるだろうか。
泣き崩れて、いつかのように俺に縋る言葉を吐くだろうか。
俺が彼女の意思を変える事ができるだろうか。
……自分には彼女を傷つけるだけの選択肢しか残っていなかった。
望みどおりにしてやるよ、だって?
一体、誰の望みだと言うのか。
震える手を押し隠すために必死に携帯を握りしめて、電話をかける。
この後、彼女が縋るなら、まだ許してやろうと、そんな事すら思っていた。
だが…。
「紫堂拓巳さん」
静まりかえった場に高く澄んだ声を響かせた。
その涼やかな声音と共に周りの空気さえ変わった気がした。
彼女は長く抱えてきた重い髪を自ら切り落としてロープを下ろし、自分の力で地上へと降り立つ。
着の身着のまま、裸足で傷つくのも厭わずに。
全てを捨ててでも、素の自分を選んだのだ。
そこにはもはや、決意の揺るぎも恐れも感じられなかった。
彼女が地上に降り立った時、最初に求めたものは自分を守っていた塔ではなくて、愛しい王子でもなくて、きっと身体に満ちあふれる開放感だったのだろう。
彼女は晴れやかに笑って、丁寧なお辞儀をして見せた。
初めて出会った時の慇懃無礼な挨拶よりも、とても美しく華々しく輝いた姿で。
そして後は……王子様の登場だ。
彼は物語のように、彼女と幸せを築くために手を取って、自分の前から連れ去ってしまうのだ。
声をかけずにはいられなかった。
もう止められないのだとしても。
今頃、後悔しても遅いのだと分かっていても。
なりふり構わない無様な姿だったとしても。
だが、彼女は振り返って笑うと、決別の強い意志を告げる。
俺は伸ばしかけた手を下ろして、ただ握りしめた。
はは……。
どうやら泣き崩れ、縋り付くのは俺の方だったらしい。
そうして場に残されたのは、振られた自分と王子の言葉を噛みしめる人たちだけだった。
最近、彼女はよく柔らかい笑顔でいるところを見かける。
そして、その側にはあのくせっ毛の明るい髪の男。
自分は彼女にそんな笑顔にさせてやることはできなかった。
彼女を助けてやれなかった。
俺は……王子様なんかじゃなかった。
そう、俺は君を閉じこめる悪い魔女。
君を助ける王子様にはなれなかったけれど、本当は……好きだったよ。
俺だけのものだったラプンツェル。
俺は彼らに背を向けて歩き出した。
天野麗花。
悪い魔女が高い塔に閉じこめた、かわいそうな髪長姫。
大きな枷に囚われて身動きできなかったお姫様が重いしがらみを断ち切って、自らの足で地上へと降り立ちました。
だけどその枷をゆるめたのはやはり愛しい王子様だったのです。
そして地上に舞い降りたお姫様を迎えた王子様と末永く――。
「爆発しちまえ!!ばーーーかっ!!」
……めでたし、めでたし。
(終)