12.番外編 : 悪役令嬢さまのヤンデレ論
麗花が屋上へと続く階段に上ろうとしていたまさにそんな時。
「天野!」
振り返る麗花の視線の先には、ゲームの攻略対象だった一人、青山怜二がそこにいた。
やや切羽詰まった表情をしている。
「何でしょう」
「こっちの方に桜井さんが来なかったか?」
「いいえ、見かけておりません」
「そうか、悪い。じゃあ!」
そう言うと彼は足早に立ち去ろうとしたが、振り返って麗花を見る。
視線に気付いた麗花は少し眉を上げた。
「まだ何か」
「……いや。君の彼氏に礼を言っておいて。じゃあね」
それだけ言うと、何の礼かも言わずに、彼はあっと言う間に駆けて行った。
麗花は彼の背中に問うように、つい姿が見えなくなるまで見送った。
そして小さくため息をつき、改めて、屋上へと向かおうとしたその時、後ろからガシッ!と冷たい指が麗花の手首を掴んだ。
ひっ!と小さく麗花が声を上げて肩を震わせた。
そして恐る恐る振り返ると、そこには青ざめた、ただならぬ雰囲気の桜井琴美が立っていた。
「麗花様!!」
「あ、あら、桜井さんでしたか、ごきげんよう。丁度良かったですわ。今あなたを探している青山さ―」
「ひぃぃっ!!」
「ど、どうなさったの?」
「麗花様~!助けて下さいっ!」
少し前までヒロインとそれを邪魔する悪役令嬢で対立?していたはずなのだが、何だろうか、この懐かれ方は。
しかし悲壮な表情で追い縋る腕を振り払う程、非情にもなれない麗花は琴美の話を聞くことにした。
「大変な事になってしまいました。私、言わば、逆ハーレムになってしまいましたでしょう?」
そう言えば、彼女が転生者であることを告げた時、自分も同じように伝えていた。
自分のせいで、何か不都合でも起こってしまったというのだろうか。
「ええ、そうですわね」
「その攻略対象者さんたち、皆が皆、ヤンデレだったのですっ!いえ、ヤンデレになってしまったのです!」
「……はい?そういう、設定でしたでしょうか」
思い返すも、それぞれ闇を抱えている事だけが描かれており、ヤンデレ設定ではなかったはず。
「いいえ。私は隠れキャラを除いて、全ての攻略対象を網羅しましたが、後日談でもその様な設定はありませんでした」
「それならば、なぜ……」
「もちろん今回のことでゲームの世界から外れてしまった事もあるのでしょうけど、おそらく七虹さんが」
「彼が何か?」
麗花は『慶一に礼を』と言っていた彼の言葉を思い返す。
「七虹さんが、自分の道を行け、と言った事で皆、覚醒してしまったようなのです」
「え……それ、は」
心の闇を持つ攻略対象者→自分の中のヤンデレに気付く→ヤンデレの自分に悩む→慶一の言葉→自分は主役だって!?→主役なら許されるよな→やっほーいヤンデレの道、オオカミまっしぐら~!
の構図が麗花の脳裏にカシャーン、カシャーンと軽快な音を鳴らしながら、瞬時に組み立てられた。
「私、決してゲームのヤンデレも嫌いではないのです。ですが、ですが当事者となると、そんな悠長な事を言っていられないのです」
「……まあ。心中お察し致します」
麗花は瞳に涙を浮かべて胸を痛めた様子を見せ、そして琴美の手を強く握った。
「私、私、何の力もございませんけど、ご相談ならいつでも乗りますわ。お気をしっかり!」
「麗花様ぁ~…」
「というお話をしましたの」
屋上にて、慶一とランチ中だ。
慶一に請われて、麗花がお弁当を作ってきたのだ。
「へー、そうなんだ。あ、この卵焼き、マジ最高」
「ふふ、ありがとうございます。――それでですが、このゲームの攻略対象者は『皆、暗い陰を持つ』のが人をとても魅力的にしていた訳でして……」
「そうだったっけ。本当に女性って、陰のある男に惹かれるものなんだ?」
「そうですわね。男性の弱さを知って支えるのも女性の喜びですから。慶一さんは…」
麗花はそう言うと、慶一のつやつやぷりぷりもちもち血色のいい頬を眺め、そして奥底に暗い陰がないかと覗き込む。
慶一は自分が吟味されていることに箸の手を止めると、思わずこくんと息をのむ。
そして。
……麗花はさりげなく視線をそらした。
「あ。お話は変わりますけど」
「いや変わんなよ!」
「私の温情を自ら無下にするとはいい度胸ですわ…ふふふ。それはもう私を満足させて頂ける程のさぞかし素晴らしい陰の魅力をお持ちなのでしょうね」
「ス、スィヤセン、でしたぁーっ!」
慶一は謝罪すると、一つ咳払いして流れを切る。
「……で、ところで。ヤンデレって何?ツンデレは知っているけど」
「あら、ご存じ無い?男性向けでもヤンデレのシミュレーションゲームはございますけど」
「あー、俺はそういうの、しないから。やっぱ男は黙ってアクションゲームかRPGでしょ」
「アナタは今、男は黙ってシミュレーションゲーム派の世の男性方を敵に回してしまってよ……」
「何か怖い!ごめんなさい」
「まあ、いいでしょう。それでヤンデレですけど、短く言えば『精神的に病んでいる人からのゆがんだ愛情』です」
麗花は何故か得意そうに言った。
「いや何それ。普通に怖いんですけど」
「ええ。あまりにも強大すぎる愛故の独占欲のため拉致監禁拘束、あ、男性がヤンデレの場合、主に女性―」
「何か分かったから言わなくて良いです。むしろ言うな」
「あらそうですか。さすが慶一さん、聡いですわね」
「……今、そこ褒めちゃう?」
愕然とした慶一をスルーして麗花は話に戻る。
「さてお話は戻りますが、そのヤンデレ様、果てには愛するあまり…」
麗花は柄を持つように手を重ね合わせ、慶一の胸に向けて手をぶつける。
「……可愛い可愛い君。誰にも渡さないよ。そう、もうこれで君は僕だけのものだね」
はは…ははははは!と麗花は高笑いする。
だが、慶一が顔を引きつらせているのに気付くと、麗花は少し頬を染めて、ごほんごほんと咳払いする。
「と、言う訳ですわ」
「……怖いです麗花さん」
「それはまだまだ序の口ですの。何故ならもっと酷いのは―」
突如、激しい悪寒が襲ってきた慶一は叫んだ。
「わーっ!それ以上何も言うな!紙にも書くな!身振り手振りするな!念波で送ろうとするな!とにかく動くな、何もするなー!ってか、R20になるわっ!」
「ですわよね。私も人の身体を傷つけるようなヤンデレは断固反対致しますわ!犯罪ですもの!第一、萌えませんわ!」
麗花は拳を作って青年の主張をする。
「いや、拉致監禁も十分れっきとした犯罪だからね」
「まあ、それもそうなのですけど、愛故だと許されるのですよ」
「許されません倫理的に!道徳的に!法的に!絶対にっ!!許されませんよ、麗花さんっ!」
「夢のない方ね。愛するあまり、自分以外の男を見て欲しくないという一途な想いなのですよ。女冥利に尽きるじゃありませんか」
「女冥利の前に、精神的ライフが尽きそうだよ…」
食事を摂ったにも関わらず、すでにエナジー切れの慶一が言う。
「そう。ヤンデレの醍醐味はそれですわっ!」
びしり!と人差し指を立てる。
「精神的にじりじりと追い詰められて自らも闇に堕され、やがて女性も男性の強大な愛の前に跪くのです。クスクスクス……」
「怖い!麗花さん怖い!見てこれこの鳥肌!」
本日のぽかぽか陽気にも関わらず、寒気で粟立つ肌を慶一は見せてくる。
「まあまあ。でも、女性も狂気に堕ちるとある種のハッピーエンドですわよ」
「理解出来ない…いや理解しなくていいわ俺」
「ですが!一番萌えますのは『ヤンデレ予備群』ですのよ」
「予備群なんてあるのか?あんまり、いや全然聞きたくな―」
そんな慶一を無視して、麗花は嬉々として続ける。
「そう、闇に堕ちるか否かのせめぎ合いをしている殿方が、ほんの一瞬狂気を煌めかせる時なのです!ああ!そんな瞳で見つめられたい!歓喜でゾクゾクしてしまいますわっ!」
自分の身を抱いて頬を紅潮させる麗花の瞳は潤んで爛々としている。
「奇偶だな。俺も恐怖でゾクゾクするわ」
一方、慶一は蒼い顔して両腕をさする。
「……で。とどのつまり何?麗花も俺に同じようにして欲しいって事?」
「何をおっしゃるのっ!?そんな訳ございませんでしょう!?」
麗花はすっかり血相を変えて身を乗り出すと、全力否定する。
「あ、そうなの?」
……良かった。そんな事俺に求められてもね。
慶一はほっと息をつく。
「ヤンデレ様の正しい愛で方とは、ヒロインがそれはそれは深く愛される様を、遠いところから眺めて、あるいは想像して、ゾクゾク感を堪能する事ですわ!」
「対岸の火事か!野次馬か!高みの見物か!今ちょっと引いたぞ俺は」
だが麗花は慶一の言葉は、もはや耳に全く入らないようで。
「慶一さん、本当にいいお仕事なさいましたわね。桜井さん、どの殿方に愛されるのかしら。…ふ、ふふ」
そう言うと、麗花は仄暗い妖艶な笑みを浮かべる。
「あー楽しみだ事。………ほほ。ほほほ。ぉ…おーっほっほほほほほっ!!」
「ああうん、麗花。やっぱり君は間違いなく悪役令嬢だわ…」
ちょっと遠い目をした彼のそんな呟きは、まだ自分の世界に浸っている彼女の耳に届いたかどうか…。
(終)