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「うめ子はほんと、ギリギリの女王ですわよね~」
「ぶぅ~~~~~! 阿蘇山先生が来る前だったんだから、セーフだもん!」
「ギリギリだったのは間違いないじゃない」
「そ……それはそうかもしれないけど~……」
うめ子が例によって例のごとく、友人たちとの会話で頬を膨らませている。
毎度毎度、よくもまぁ、飽きないものだな。
「あたしはアイドルのアプリコットちゃんなんだもん! もし遅刻したって、笑って許してもらえるもん!」
「あの阿蘇山先生ですのに?」
「うっ……」
大爆発した担任の般若のような顔を思い出したのだろう、うめ子が言葉を詰まらせる。
「阿蘇山先生、容赦ないからね」
「でででで、でも~。あたしだったら、可愛いからきっと……」
「何度も本気のマグマを食らってるよね~?」
「ゲンコツをもらって涙目になってる姿、何度も目撃しておりますし」
「ううう……」
二対一でうめ子に勝ち目があるはずもない。
教師が生徒にゲンコツを食らわせるなんて、旧世代だったら体罰だとか言って騒がれそうなところだが……。
リビルドネットワーク上では子供は黙って大人に従うもの、という認識で統一されているため、問題になることはほとんどない。
「あっ、黄桃。またうめ子さんをいじめて。ダメじゃないか」
そこへ女子三人の会話に男子生徒が加わってくる。
祁答院藤馬。もも子の幼馴染みにして、現在ではうめ子の恋人。
「藤馬く~ん! みんなが意地悪なの~」
「ずっと見てたよ。うめ子さん、元気を出してね?」
「うんっ!」
恋人同士、いい雰囲気をかもし出す。
その様子を見ていい気分ではなくなるのは、友人であるもも子だった。
「なによ、藤馬! 私はべつに、うめ子をいじめてたわけじゃないわよ!」
「ええ、そうですわ。いつものようにいつものごとく、うめ子をからかって遊んでいただけですわ」
さくら子も一緒になって反論側に回る。
「だとしても、相手が嫌がることをするのはやめるべきだよ」
「ん……それは……まぁ、確かにそうだけど」
「黄桃も桜満開さんも、あまりうめ子さんをいじめちゃダメだからね?」
藤馬はそう言い残し、自分の席へと戻っていった。そろそろ授業の始まる時間だからだ。
「……藤馬のやつ、いじめだなんて。そんなこと、全然ないってのに。ねぇ~?」
もも子はため息まじりに主張するが。
対するうめ子は、
「え? あ……うん、そうだね」
アプリコットちゃんとしての明るさを完全に忘れ、なんだか曖昧な答えを返す。
いじめ。
その言葉で、小中学生の頃を思い出してしまったのだろう。
どんな状況だったのかオレは知らないが、死ぬことのない世界で死にたいとまで考えていたのだから、当時は相当気にしていたに違いない。
こういう場合、「アイドル設定はどうしたんですの?」と、さくら子がツッコミを入れてきそうなものだが。
今回はそのさくら子もまた、うめ子と同じようになにやらうつむき気味だった。
「ん? さくら子? あんたまで、どうしたのよ?」
「え……? い……いえ、なんでもありませんわ」
「ふ~ん?」
もも子に答えるさくら子の様子は、少々おかしく思えたが。
すぐにチャイムの音が鳴り響いたため、会話は強制的に終了となってしまった。
放課後、うめ子は友人のもも子とさくら子と喋りながら歩いていた。
だが、それも校門までとなる。
なぜなら、帰る方向がふたりと違うからだ。
友人たちと別れ、ひとりになったうめ子が、伸びをしながら声を響かせる。
「ん~、今日も疲れた~!」
「ブリッ子キャラを演じることにか?」
「それもあるけどね。でもやっぱり、授業って疲れるものだから」
「寝てることが多いくせに、なに言ってんだか」
「うるさいな~、もう。ボディーブローを食らいたいの?」
「そんなのいらん!」
胸の前に抱かれた状態のウサギのぬいぐるみ。
そんなオレと会話しながら歩くうめ子の姿は、かなり異様な光景だっただろう。
もっとも、この近辺ではすっかりお馴染みとなっている、と言ってもいいのかもしれないが。
「疲れたから、おなかすいちゃった! クレープでも食べていこう~っと!」
「ほとんど寝ていただけなのに、しっかり腹は減るんだな。だいたい、小遣いだって多くないだろうに」
「いいのよ~! 今日も一日お疲れ様、っていう自分へのご褒美なんだもん!」
「夕飯が食えなくなるぞ?」
「甘いものは別腹だもん!」
「太るぞ?」
「ぐっ……。でも、大丈夫だもん! あたしはアイドルなんだから!
それに、少しくらいぽっちゃりしてるくらいが、今はブームなんだよ!」
オレがなんと言おうと、買い食いをやめる気はないらしい。
なお、食べ過ぎると太るといった部分まで、リビルドネットワーク上では再現されている。
そんな必要はなさそうな気もするが、相撲取りなどもいるわけだし、太れない世界にはできなかったのだろう。
いくら太ったところで健康を害することはないが、少なくとも日本では肥満になっている人間は多くない。
国によっては、女性は太っていれば太っているほどいい、といった価値観が一般化している場合もあるみたいだが。
閑話休題。
うめ子は早速クレープを購入、片手にオレを抱えた状態でパクつき始める。
「ん~~~、美味しい♪」
全部ペロリとたいらげ、満面の笑み。
それはいいのだが、クリームが口の周りやらほっぺたやら鼻の頭やらおでこやらにくっついていた。
「どうやったら額にクリームがつくんだよ」
「はううう……」
うめ子は急いでティッシュを取り出し、クリームを拭き始める。
そこで、なにやら違和感を覚えた。
これは……視線か?
「こそこそと隠れて見てるやつがいるな」
小声でうめ子に伝える。
「えっ? ストーカー? あたしって可愛いから……」
「アホか。中の下程度のくせに」
「ひどいな~。アイドルなのにぃ~!」
うめ子がくねくねと腰を振って主張してくる。気色悪いっての。
オレはうめ子を無視し、周囲に視線を配ってみる。
すると、物陰の辺りに青い物体の存在が確認できた。
「あれは……青猫だな」
「ええっ? どうして? あたし、なにか悪いことしたのかな?」
「あいつらは子供のやることには不介入だと思うが」
「だったら、もこうさと同じ理由? あたし、処分されちゃうの?」
「お前が凶悪事件を起こすのは、何十年もあとの話だ。青猫のやつらが手を出してくるはずはない」
「ん~、だとしたら、いったいなんだろう……?」
答えは出ない。
青猫というのは、警察官のことだ。
オレたちと同様デジタリアンで、青い猫の姿をしている。青い猫のぬいぐるみ風の姿、と言ったほうがいいだろうか。
人間が人間を処罰するという世の中はおかしい。そんな考えから、この世界では人間の警察官はいなくなっている。
将来的に凶悪な事件を起こす人間に関しては、オレたちもこうさが事前に処分するわけだが、そこまでする必要のない犯罪は多い。
そのため、青猫が登場した。
平和な社会を保つため、青猫は常にパトロールしており、いざこざやら事件やらがあった場合には介入し、解決する任務をこなすことになっている。
だから、町の中で青猫の姿を見かけるのは不思議ではないのだが……。
明らかに隠れてこちらをうかがっている、というのは実に不可解だ。
ただ、青猫たちが近寄ってくる気配はない。
「あたしのあまりの可愛さが罪だとか……」
「お前、バカだろ?」
「バカじゃないよ~!」
「ま、あいつらの考えなど、オレにはわからんが。警察なんだから、人間に危害を加えたりはしないだろ。ほっとけ」
ピシャリと言い放つ。
うめ子はまだ納得していない様子だったが、気にしていても仕方がないと悟ったのだろう、オレの体を抱え直して自宅へと足を向けた。