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「はぁ~い、それでは、今日から近代史についてのお勉強を始めますね~!」
担任である阿曽山溶子の声が響く。
この教師の担当は社会史。旧世代の大まかな歴史と、現在の社会になってからの詳細な歴史を教える教科となっているらしい。
もこうさであるオレにはなんの意味もない、とてつもなくつまらない授業だ。
もっとも、他のすべての教科だって、オレには聞く価値のない無駄な授業ばかりなのだが。
「歴史ってつまらないんだよね~」
うめ子がぼやき声を上げる。
前の時間には、数学ってつまらないんだよね~、と言っていた。
お前は全部の授業がつまらないんだろ、とツッコミを入れたいところだ。
学生というものは勉強するために生きているのだから、こんな態度じゃダメじゃないのか?
ぎゅうぎゅう。
うめ子はオレを胸の前に抱きかかえ、力を込めてくる。
両腕を回し、オレの胴体をもふもふと全身で包み込んでいる状態。
授業を受ける態勢じゃないのは明らかだった。
「もこうさ~、なんか楽しい話でもしてよ~」
「なんでオレが……」
いつものごとく、小声で会話を交わす。
こいつ、オレがうめ子を食うために来た死刑執行役だというのをすっかり忘れてないか?
とはいえ、オレにとっても授業はつまらない。
せっかくだから、うめ子をからかって遊ぶとしようか。
「それじゃあ、とっておきの話をしてやろう。あの担任の秘密だ」
「ほうほう。阿曽山先生に、どんな秘密が?」
「あの女はな、実は人間じゃない」
「え?」
「というか、教師はすべて人間じゃないがな。オレたち同様、コンピューター制御された存在、デジタリアンだ。
未成年の人間を学校という機関で育成するためだけに作られた、いわば教育用アプリケーションロボット、ということになる」
「ええええ~~~~!? そうだったの~~~~!?」
うめ子が叫ぶ。
このバカ。今が授業中だというのを完全に失念しやがった。
……オレの思惑どおり。
「花屋敷さん? どうしたんですか?」
担任がきょとんとした瞳を向けて問いかけてくる。
「い……いえ、あの……。すみませんっ! ちょっと寝ぼけてましたっ!」
うめ子は勢いよく椅子から立ち上がって頭を下げ、素直に謝る。
汗だくになってまで必死に謝罪しているのは、この教師が本気で怒って爆発したら大変だと悟っているからに他ならない。
全員で阿曽山大噴火を見る分にはいいが、自分だけが怒りの矛先となったら、どうなるかわかったもんじゃないからな。
なお、謝罪しながらも、うめ子の胸にはウサギのぬいぐみの姿をしたオレが抱えられたままだった。
だが教師もクラスメイトも、それがうめ子のデフォルト仕様だと認識しているため、すでに誰も気に留めていないようだ。
「まったく……暖かい陽気だからって、気を抜いてちゃいけませんよ?」
「はい……」
担任からお小言を頂戴して、うめ子は静かに着席する。
「ふっ、バカなやつめ。あんなの、真っ赤な嘘に決まってるじゃないか」
「ちょ……っ! あたしをからかったの!?」
「花屋敷さん? 授業中は静かにね?」
「すすすす、すみませんっ!」
またしても大声になっていて、担任から再度注意を受けるうめ子。
今度は座ったまま、謝罪の言葉を述べる。
なんとも学習能力のないやつだ。
「もこうさ……家に帰ったら連続ボディーブローをお見舞いしてやる……」
「むおっ!? す……すまなかった。それはやめてくれ。頼むから……」
不意打ちの反撃によって、オレのほうもまた、謝る羽目になってしまったのだが。
「さて、それじゃあ気を取り直して、近代史のお勉強を続けますよ~」
担任の声が響く。
これ以上うめ子をからかって邪魔しても悪いしな。
仕方がない。オレも黙って授業を聞いてやるとするか。
「小中学校で学んできていることの復習から入りますね~。
現在のこの世界は、なんと呼ばれていますか?
全員で声を揃えて答えてくださいね~。せ~の……」
『リビルドネットワーク~!』
「はぁ~い、正解! そうですね、リビルドネットワークです!」
ここは小学校か? と思えるような授業風景。
ま、これがあの阿曽山という教師のやり方、と言えるのだろう。
担任は改めて、社会の根幹を成しているリビルドネットワークについて語り始めた。
リビルドネットワークというのは、うめ子たちを含むすべての人間が生活しているこの世界全体のことを示す。
ネットワーク、という部分から想像がつくかもしれないが、コンピューター上に形作られた仮想現実空間、それがこの世界の本質だ。
今から百年以上前、旧世代と呼ばれていた時代に大規模な世界的改革が行われた。
それがネオビッグバンと名づけられた、新世代の始まりだった。
人間は本来、とても弱々しい存在。
簡単に……とまでは言えないかもしれないが、怪我や病気など、あらゆる原因で死んでしまうことも多かった。
それは人間だけに限らず、生物全般における摂理ではある。
だからこそ数を増やし、様々な個体を発生させることで、厳しい生存競争を乗り越えてきた。
しかし、個人個人に目を向けてみれば、それぞれ意思を持って行動している尊い命。
全体から見たらちっぽけなものだし、少数の犠牲はやむを得ない、などと割り切ることはできない。
そう考えた旧世代の人間は、怪我や病気や事件や事故や、あらゆる死の要因を取り払った平和な世界を、コンピューターネットワーク上に作り上げようと目論んだ。
そこで生み出されたのが、このリビルドネットワークだ。
世界を再構築する、といった意図で、『リビルド』というネーミングになったらしい。
コンピューター上に作り上げられた仮想現実。
ではあっても、実にリアルに構築されている。
死に至る要因がなくなり、怪我をすることさえなくなっている部分を除けば、ほとんど現実世界と変わらない生活を送れる。
当初の目的としては、世界全体をひとつのリビルドネットワークでつなぎ、地球人類全体が同じ空間で暮らせるようにするつもりだったようなのだが。
国の違いにより、文化や言語の壁はどうしても出てきてしまう。
言語に関しては自動翻訳にでもすればよさそうなものだが、どちらにしても文化の違いはどうにもならない。
そのため、今では国ごとに分かれたリビルドネットワーク空間を持つ形となっている。
なお、人間はリビルドネットワークの中で、生まれてから死ぬまで生活を続けることになる。
それを実現たらしめているのは、各国に作られた巨大な収容施設だ。
リビルドネットワークの外にある世界については、現在では極端に関心が薄れてしまっているせいで、これといった固有の名称は残っていないが。
そこには何階層にもわたる広大な施設内に全国民が集められており、それぞれ生命維持装置の中に入れられ、ロボットによって完全に管理されている。
施設はある程度の高地に厳重な地下建造物として作られていて、たとえ大地震が起こってもびくともしないし、その他の災害などで被害を受けることもない。
建物の老朽化が起こる可能性はあるが、施設を管理しているロボットたちによって修繕されるので問題ない。
そのロボットもまた高性能で、自ら考え、臨機応変な対応ができるようにプログラミングされている。ロボットが新たなロボットを開発することまで可能なのだとか。
地球そのものが消滅するような事態にでもならない限り、リビルドネットワークの存在は安泰と言えるだろう。
人間は生まれてすぐ施設内の装置に入れられ、一度も目覚めることなく一生を終える。
それが現在の人間の現実の姿だ。
人間の精神は常にリビルドネットワーク上にあり、五感をも完全に再現したこの世界でなんの疑問もなく生活しているため、本来の体の存在を意識することもない。
リビルドネットワーク上で怪我をすることがないのは、コンピューター上にある仮想現実だからだ。
ただ、なんでも自由にできる世界にしてしまうと、人間の脳は混乱を引き起こしてしまう。
そういった観点から、基本的にはもともとの世界を忠実に再現し、病気や怪我で命を落とすなど、人間にとって不利益な事象を問題が起こらない程度に排除することで、平和に暮らせる世界を実現させた。
人間を全員施設に集め、精神をリビルドネットワーク世界へと送り込むことに、当初は反発する人間もいた。
だが、一度リビルドネットワークに組み込まれた人間は、生まれた子供もリビルドネットワークの住人となる。
現実世界に住む人間が少なくなっていけば、生活できなくなるのは自明の理。
少数が山奥にこもって暮らしたりなど、抵抗する勢力は残っていたかもしれないが、それも長くは続かない。
開始から百年以上が経った今、世界中のすべての人間がリビルドネットネットワーク管理下にあると言っていいはずだ。
ところで、先ほども記したとおり、人間の本来の体は施設でロボットによって管理されている。
生命の維持には食事が必要になるが、施設にある装置から体内に栄養を送ることで生存を可能にしている。
本来の体が病気になることもない。医療ロボットたちが最適な治療を施すからだ。医療ミスもありえない。
だとしても、いくら技術が進歩したところで、老衰による死から免れることだけはできない。
日本の場合、死んだ人間は生命維持装置から出され、焼却処理される。
処理の方法は国や地域によってもまちまちだが、それは旧世代であっても同じだっただろう。
ここで少し疑問が浮かぶかもしれない。
リビルドネットワーク上にいる人間がどうやって生殖していくのか、ということだ。
結論から言えば、それもまったく問題ない。リアルに再現された仮想現実世界の中で、実際に生殖行為をすればいい。
その行為により、本人同士に子供を授かる意思があれば、施設内にあるそれぞれの体から精子と卵子が取り出され、人工的に受精処理がなされる。
受精卵は百パーセントの安全性を誇る受胎装置の中で育てられ、充分に成長した段階で生命維持装置のほうへと移され、ひとりの人間としてリビルドネットワークでの生活を始める。
それまでのあいだ、リビルドネットワーク上の母親は、現実での妊娠と同様、おなかが大きくなる。
といっても、生活に支障がない程度のサイズにしからならず、激しい痛みも伴わない。
そんな世界の中で、人間たちは日々の生活を営んでいる。
人間の意識の上では、リビルドネットワーク上で生まれてリビルドネットワーク上で老衰して死ぬ、という一生が完全に成り立っているのだ。
「それにしても……やはりつまらん授業だな……」
ついつい、つぶやきをこぼしてしまう。
オレはぬいぐるみのフリをしなくてはならない立場だというのに。
うめ子から文句が飛んできそうな場面だと思うが、そうはならなかった。
代わりに、頭の後ろ辺りに生温かい液体の感触が伝わってくる。
「ぐぅ~……」
「うめ子のやつ、寝てやがる……」
しかも、オレのもふもふな後頭部付近に顔をうずめ、たっぷりとヨダレを垂らしながら。
授業中に寝ていていいのだろうか?
無論、よくはなかった。
「花屋敷さん! 寝るんじゃありません! ちょっと、花屋敷さんってば!」
担任が怒鳴り声を上げながらツカツカと近寄ってくる。
熟睡中のうめ子がその程度で目を覚ますはずもない。
「私の授業で寝るとは、いい度胸じゃねぇか! 起きろってんだよ! しばき倒してやろうか、あぁん!?」
うめ子は首根っこをつかまれ、普段は優しいのに爆発するとヤンキーのように豹変する教師によって、激しく怒鳴りつけられていた。
ここまでされれば、さすがのうめ子でも一瞬で目を覚ます。
「にゃ……にゃふふふふ、阿蘇山先生、ごめんちゃい! 許してにゃん!」
「ふざけてると、マジで地獄に叩き落すぞ、ゴルァ!」
爆発中の担任には、うめ子のブリッ子キャラなど通用しない。
というか、当たり前だが火に油を注ぐ結果にしかならなかった。