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「まったく……。もこうさのせいで、あたしは大変だよ。
なんでこんな薄汚いぬいぐるみを、あたしが抱えてなくちゃならないんだか!」
放課後となって帰宅したうめ子が、脱いだ制服をハンガーにかけながらぼやき声をぶつけてくる。
なお、オレは今、うめ子のベッドの上に転がっている。
うめ子が制服を脱ぐ前に、朝からずっと胸に抱きかかえたままだったオレを、ベッドに放り投げやがったのだ。
いつものことではあるのだが、なんともぞんざいな扱いだな。
どうでもいいが、さくら子がオレのことを薄汚れているとか言ったとき、うめ子は頬を膨らませて怒っていたというのに、手のひらを返すように薄汚いと言ってくるとは。
ま、こいつはこういうやつだ。
「文句を言うな。特例としてこうして処分を保留にしてやってるんだから、感謝してほしいくらいだぜ」
「そんなの、全然関係ない!
というか、処分の対象になってるってことからして、あたしは納得してないんだから!
もこうさがいるせいで、あたしはぬいぐるみを常に抱いてるブリッ子キャラを演じる羽目になってるんだし!」
今の発言のとおり、キューティーアイドルのアプリコットちゃんを名乗ったりするバカげた言動は、演じているだけの偽りの性格でしかない。
実際のうめ子は、意外と冷めた部分のある、真っ黒な……というほどでもないが、灰色くらいに濁った精神の持ち主だったりする。
学校ではオレのことを、『もこちゃん』と呼んで可愛がっているくせに、家では『もこうさ』と本来の名前で呼ぶのも、学校と家でのうめ子が別人のように変わり果てている証と言えよう。
「アイドルだとか言い出したのは、お前自身だろうが!」
「だって、しょうがないじゃない! それしか思いつかなかったんだから!
もこうさが四六時中ベタベタくっついてくるのが悪いんでしょ!?」
「ベタベタなんてしてない! オレはお前を監視してるだけだ!」
言い争いをしつつも、うめ子は部屋着に着替える。
オレの前で下着姿をさらしたりもしていたが、薄汚いぬいぐるみだとしか思われていないため、羞恥心など微塵も感じはしないのだろう。
当然ながらオレのほうだって、こんな人間の小娘にはなんの興味もない。
オレはこいつ――花屋敷うめ子を処分しにやってきた、いわば執行人。いや、執行もこうさだ。
執行内容は、うめ子を食うこと。
無論、比喩的な意味ではない。文字どおり、頭からガブリと食らってしまうことだった。
オレに与えられたその役割は、うめ子がこうして生きていることからも明白だろうが、現状ではまだ果たされていない。
保留中ということになる。
なぜそんな面倒な状況になっているかといえば、うめ子があまりの剣幕で執行を拒絶してきたからだった。
オレたちもこうさには、将来凶悪な事件を起こす人間を食う、という役割が与えられている。
まだ若いうちに芽を摘んでしまえば、凶悪事件が発生することもなくなる。
未来の事件を理由に処分してもいいものなのか、疑問に思われるかもしれないが。
この世界には、『確定未来理論』というものがある。
絶対に変わることのない、確定的な未来を予測する理論だ。
理論は徐々に洗練されていき、現在では数十年先のことまでが、確定未来として明確にわかるようになっている。
確定未来の情報は、中央コンピューターによって一括管理されている。
その膨大な情報の中から、重大な犯罪を引き起こす危険人物が判明した場合、もこうさを束ねる女王へと伝えられる。
女王はオレたちに指令を与え、将来の犯罪者たちを若いうちに処分することになっている。
それがもこうさシステムの実態。そうやって、世界から大きな犯罪をなくし、人間たちの住む社会を平穏に保っているのだ。
オレがうめ子のもとを訪れたのは、食ってしまうためだった。
言うなれば、死刑を執行しに来た処刑人……じゃなくて、処刑もこうさだ。
目の前に現れたウサギのぬいぐるみに首をかしげているうちに、何倍もの大きさになる口を開け、うめ子をガブリとひと呑み。
一瞬で仕事は終わる……はずだった。
「お前に恨みはないけれど、悪の種なら容赦はいらぬ。観客ゼロのショータイム。なにも言わずに死んでくれ!」
オレが決めゼリフを放つと、往生際の悪いうめ子は激しく抵抗してきやがった。
危機感のないこの世界では、突然目の前に死が迫ったとしても、普通の人間ならば反応できない。
それなのに、うめ子は必死になって言い返してきたのだ。
「やだよ! あたしは死にたくない! 生きたいの! あんたみたいなぬいぐるみ風情に、食われてたまるもんか!」
がるるるる、と獣みたいなうなり声を上げてまで、オレの口から逃れようとした。
「小中学校でのつらい時期を乗り越えて、やっとまともな高校生活を手に入れられたのに!
ここで死んでなるもんか、バッキャロ~~~!」
女の子らしからぬ叫び声に、非情な死刑執行役であるオレのほうがたじろいでしまった。
「確定未来だかなんだか知らないけど、そんなことで殺されても納得できない! 裁判のやり直しを要求する!」
わけのわからない主張まで飛び出した。
裁判なんて、旧世代にしかなかった制度だろうに。
この女、勉強はできないくせに、妙な知識だけは持っているようだ。
うめ子はさらにオレの両耳をがしっとつかみ、胴体を壁に押しやると、連続ボディーブローまで繰り出し始めやがった。
「あたしは、生きる! 生きて、やるんだ! 死んだような、過去は、捨てたんだ! 高校デビュー、成功、したんだ! 誰にも、邪魔なんて、させない!」
(ボスッ! ゴスッ! ゴドッ! ドムッ! バコッ! ドガッ! ガゴッ! ボフッ! ベホッ! ボゴッ! ズドッ! ドスッ! ズバッ!)
言葉を吐き出すたびに、オレの腹にこぶしがぶち込まれた。
結果。
オレは仕方なく、処分を保留してやることにした。
いや、断じてこの女の暴力に屈したわけではない。
これはあれだ、確定未来理論にだって穴はあるかもしれない、ということだ。
確定未来理論はあくまでも、コンピューターによるデータ上の計算結果でしかない。
百聞は一見にしかず。
目で見て確認できていない罪状によって死刑を執行する。それがもこうさの使命ではあるのだが。
言われてみれば、冤罪の可能性が絶対にないとは言えない。
そこで、『完全確定未来』になって映像として確認できるまで待ってやることに決めた。
確定未来はコンピューターによるデータ確認しかできないが、完全確定未来となれば未来の状況を映像として見ることが可能となる。
数十年先まで見通せる確定未来理論とは異なり、完全確定未来は数年後までの状況しかわからない。
技術は日々進化しているし、個人を特定できてさえいればかなり先まで映像として捉えられるらしいから、今後何年も待つ必要はないと思うが。
ともかく、オレはそれまでのあいだ、うめ子にウサギのぬいぐるみとしてくっつき、ひたすら監視し続けることになった。
当然ながら、女王にも報告済みだ。監視役は女王から特例として認められた任務でもある。
「まったく……こんな薄汚れたウサギのぬいぐるみなんかに、人間社会の平和が守られてるなんてね」
着替え終えたうめ子が、オレの両耳を片手でつかみ、じと~っとした目を向けてくる。
「ふんっ! 見た目は関係ないだろ!? あと、ぬいぐるみじゃなくて、もこうさだ!」
「それにしたって、ウサギって……ぷふっ!」
嘲笑。
オレが善意で生かしてやっているというのに、なんともムカつくやつだ。
ところで、もこうさシステムは一般の人間には明らかにされていない、陰の管理システムなのだが。
オレたちが死刑を執行する際には、相手の人間に対しての最低限の誠意として、詳しく説明する決まりとなっている。
そのため、オレはもこうさシステムや確定未来理論などについて、うめ子に向けて事細かに語ってしまっていた。
だというのに、特例措置として処分保留となり、監視態勢が取られることになった。
なんとも厄介な状況だ。
オレは常にうめ子のそばにいなければならない。
しかし、もこうさとしての存在を他の人間に知られてはいけない。
うめ子が友人たちの前でブリッ子キャラを演じているのは、オレを単なるぬいぐるみだと思い込ませるためでもある。
そういった意味では、うめ子の対応には感謝を示すべきなのだが……。
「思いっきり引っ張ったら、腕とか足とか、簡単に引きちぎれそうだよね~!」
「や……やめろ!」
「もしくは、おなかを切り裂くのもいいわね! ぐふふふふ、はらわたを引きずり出してやる~~~!」
「鬼っ! 悪魔っ! 本当に腹の中の綿が出ちまうだろうが!」
「やっぱり、ぬいぐるみじゃん!」
「違う! オレはもこうさだっての!」
どうしても反発してしまう。
それもひとえに、うめ子の性格に問題があるからだと言えるだろう。
ちなみに、もこうさというのはオレ個人につけられた名前ではない。
もこうさシステムにて死刑を執行する役割を与えられたオレたち全体の総称だ。
個別の名前なんて存在していない。うめ子はオレのことを、そのまま『もこうさ』と呼んでいる。
学校ではブリッ子キャラを演じているため、『もこちゃん』と呼ばれることになるのだが。
「だいたいさ、そのもこうさシステムってのからして、どう考えてもおかしいよね~。
処罰の対象となるのは、大人だけだって話だし」
オレたちもこうさは、処罰される対象を中央コンピューターによって発見されると、悪の芽を摘むため、その人が若いうちに食ってしまう、という任務をこなしている。
食われるのは学生、すなわち子供となるのだが。
うめ子が言いたいのは、子供の犯罪を処罰しないのはおかしい、ということなのだろう。
「当たり前だろ? この平和な世界で、精神的に未熟な子供なんかになにができるっていうんだ。
お前ら子供は、ただ黙って勉強して、義務教育後の社会人生活に必要な知識と教養を身につければいいんだ」
現在の日本では義務教育は高校までとなっており、十八歳で高校を卒業すると同時に成人として認められる。
その後、大学に進学する者以外は、コンピューターによって割り出された最適な職に就くことになる。
「だけどさ~、学生の中にだってひどいことをしてる人はいるんだよ?
あたし、小学生の頃も中学生の頃も、いじめを受けてたもん。ほんと、つらかったんだから。毎日死のうと思ってたし」
「そんなの、お前の精神が弱いだけだろ」
「う……。まぁ、否定はできないけど……」
「それ以前に、この世界じゃ死のうと思ったところで、死ねるわけでもない」
今現在、人間は死なない。
死は遥か遠い存在となっている。
この世界では、人間はほぼ必ず天寿をまっとうする。死と呼ばれるものは、老衰死か、もこうさの処罰によるものしかない。
もこうさの存在が秘匿されていることを考えれば、一般的な人間の認識では老衰以外の死はないと言える。
自殺はもとより、相手を傷つけて怪我を負わせることも、病気になって死ぬこともない。
「だとしても、あたしをいじめてた人たちの行為は、処罰に値するほどだったよ!
なのに、警察ですら手を貸してくれなかったし!」
「青猫のやつらか。あいつらの行動原理は、オレたちとはまた別だがな。
しかし、子供が捜査対象外なのは、確か同じだったはずだよな」
「そうなのよ! いじめなんて極悪非道なことをする人が、どうして処罰されないでのうのうと生きてるんだか!
あたしには信じられないわ!」
「どんなことをされていたかは知らないが、相手もまだ子供だったんだ。
どうせ過去のことなんだから、笑って許してやればいいだろうに」
「笑えるような状況じゃなかったのよ!
だからこそあたしは、今の高校に入って幸せな生活を送れるようになったのを喜んでたの!
それで、もこうさにも逆らったんだし!」
「そうだったな」
うめ子は小中学生の頃、ひどいいじめに遭っていた。
本人が語ったとおり、死にたいと思うほどにまで精神を病んでいた。
高校に入ったことで環境が変わり、もも子やさくら子といった友人を得て、日々を楽しめるようになった。
苦痛を乗り越えてようやく手に入れた高校生活。
それを壊されるのが嫌で、うめ子はオレに食われるのを拒んだのだ。
「なんにせよ、オレには関係ない。オレは指示を受けて任務をこなしているだけの身でしかないんだからな。
特例措置を取ってやったたけでもありがたいと思えよ」
「あたしには非がないんだから、食べられて消えちゃうなんて、そんなの我慢できないってば!」
うめ子は納得していない。
だが、それでも構わない。
オレはオレなりのやり方で任務を遂行するだけだ。
完全確定未来となって、うめ子が重大な犯罪を起こす人間だと確認されたら、頭からペロリと食ってやる。
それまで、友人たちと過ごす高校生活をせいぜい堪能するがいい。
そう考えながら、オレは翌日からも、うめ子の胸に抱きかかえられて学校へと赴くのだった。