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もこうさ  作者: 沙φ亜竜
第3章 女王の懸念
15/23

-4-

「もこうさ、おはよう」


「ああ、おはよう」


 雪が降った翌日の朝。

 いつもどおりにうめ子との挨拶を交わし、オレの一日は始まった。


 昨日の雪は一時的なもので、しばらくしたら降り止み、すぐに青空が顔をのぞかせていたのだが。

 ニュースで確認してみたところ、どうやら雪が降っていたのはこの近辺だけではなかったらしい。

 かなりの広範囲で雪が確認され、それは大きな不具合として問題視された。

 現在はリビルドネットワーク管理委員会によって調査中とのこと。

 ただ、混乱は広がっている。リビルドネットワークは強固なシステムで、これまでに大規模な問題が起こったことなど一度もなかったからだ。


 先日の買い物できない不具合は局地的だった上、すぐに復旧したことで大きな実害を出さずに済んだが、人々の不安は増すばかりだった。

 なにせ現在は、すべての生活がリビルドネットワーク上で営まれていることになるのだから。

 もしリビルドネットワークが障害によって崩壊でもしようものなら、全世界の人間が一瞬にして絶滅してしまう危険性だってありえる。


 だからといって、もこうさであるオレがどうこうできる問題でもない。

 オレたちは人間社会には明かされていない、犯罪者の死刑を極秘裏に執行する陰の存在でしかない。

 リビルドネットワークの根幹部分を直接調査し修正する能力など、オレたちにはないのだ。


 表の存在と言える青猫たちであっても、今回の問題に対処できるわけではないはずだ。

 しいてできることがあるとすれば、混乱して暴動を起こすような人間が出ないようにパトロールを強化する程度だろうか。

 ここはリビルドネットワーク管理委員会に任せるしかない。

 もっとも、管理委員会に属する人間たちだって、リビルドネットワーク上で管理されている身になるわけだが。

 それを言ったら、オレたちもこうさや青猫たちも同じか。


 ともかく、オレはこれまでどおり、うめ子のそばについて監視の任務を続けていればいい。

 というよりも、それくらいしかできることはない。

 そう思っていたのだが……。


 不意に、窓のほうからなにかが連続的にぶつかるような音が響いてきた。


「あれ? なんだろ……」


 不審に思ったうめ子が、カーテンを開ける。

 するとそこには一羽の鳥がいた。

 空色の鳥。足の辺りに、紙らしきものがくくりつけられている。


「むっ、そいつは伝書バードだな」


「伝書バード……。ハトじゃないのね」


「空の色に紛れて見つかりにくいようになっている。曇っている日だと、白や灰色になったりもするんだがな」


 オレはそんな解説をしつつ、伝書バードの足にくくりつけられた紙を広げてみた。

 ぬいぐるみっぽい体だから細かい作業は苦手なのだが、まぁ、これくらいなら難なくこなせる。


「女王様からの伝令のようだ。相変わらず通信できない状態のままだから、鳥を使ったんだろうな」


「そんなことより、なにが書いてあるの?」


 うめ子に促され、オレは紙に書かれた文章を読み進めてみた。

 このあいだ女王から聞いた禍々しい気配、あれについての話のようだ。


 その禍々しい気配だが、詳しく観測してみた結果、オレのいるこの近辺でとくに強く感じられる、ということがわかったらしい。

 そこで、オレにお鉢が回ってきた。

 周辺を飛び回り、調査をしてほしい、との要請だった。


 もこうさであるオレが、なぜ調査しなければならないのか。

 不満はあるものの、女王の命令に背くわけにもいかない。

 なお、うめ子の監視よりも調査を優先するように、との記述もあった。


「どんな用件だったの?

 あっ、まさか……完全確定未来での確認ができて、あたしを処罰しろって命令が下ったとか……?」


 うめ子が少々怯え気味な顔になる。

 それも一瞬で、すぐにオレに向かって構えを取るような体勢になっていたが。

 食われてしまうのなら、最後まで徹底的に抵抗してやる、といった気持ちがありありと示されていた。


「安心しろ。お前に関する話じゃない」


 その言葉で、うめ子は構えを解く。


「オレは今後、調査に出かけることが多くなると思う。

 お前のそばから離れる時間が長くなるが、オレがいないからって逃げたりするなよ? お前はオレの獲物なんだからな」


「逃げないよ。っていうか、どこに逃げればいいかもわからないし。まぁ、獲物になる気なんてないけどね」


「はいはい、わかったよ。とりあえず行ってくる」


「うん、行ってらっしゃい」


 うめ子の見送りを受け、オレは窓から外に飛び出した。

 オレは姿を消すことができるわけじゃない。

 伝書バードのように体を空や雲の色に変えて擬態するような能力もない。

 だとしても、上空、それもある程度高い位置まで上れば、人間どもに見つかってしまう可能性などほぼゼロにできる。


 気象関連の不具合は完全に直っているのだろう、雪の降っていたような気配すら感じられない。

 もちろん、地面に雪が積もったりなどもしてない。

 今は爽やかな青空が頭上全体を覆い尽くしている。


 オレは青々とした大空を一気に上昇し、町並みが一望できる高度まで到達した。

 さて、ここからじっくりと眼下の風景を眺め、観察し続けるとしようか。


 女王は禍々しい気配を感じると言っていた。

 だが、オレはそれを感じることができていなかった。

 そんなオレが調査に出て、なにか見つけることができるのだろうか?


 疑問に思いつつも、命令には服従する。

 この近辺にいるもこうさはオレだけではないはずだ。ならば、他のもこうさにも同じ伝令が飛ばされていると見て間違いない。

 人海戦術。数で勝負。そういう作戦だと考えられる。

 ……もこうさだから、人海戦術というのはおかしいか。もこうさ海戦術……語呂が悪すぎだな。


 と、そんなことはどうでもいい。

 オレは神経を研ぎ澄まし、うめ子の家を中心とした広範囲にわたって目を光らせ続けた。




 心地よいそよ風が吹き抜けていく。

 実に平和だ。

 オレは上空から町並みを見つめていてそう感じた。


 じっと目を凝らし、豆粒ほどのサイズにしか見えない人々がビルの合間を行き交う様子なんかを、オレはただただ静かに眺めていた。

 混乱などなにもない、ごくごく普通の日常が展開されている。

 そうとしか思えなかった。


 コンピューター上に再現された、仮想的な空間でしかないリビルドネットワークであっても、そこに住む人間たちにとってはこの世界こそがすべて。

 システムになにが起ころうとも、与えられた世界の中で生きていくしかない。

 もっとも、それはオレたちもこうさであっても変わらないわけだが。


 何事もなく流れていく平穏な日常。

 そんな風景を少し離れた場所から眺めていると、自分がとてもちっぽけな存在に思えてくる。

 オレは昔から、もこうさとしての任務をひたすらこなしてきた。

 うめ子に関しては、特例措置として処分保留になり、監視する形になっているが。

 それ以前には、何人もの人間たちを確定未来理論により判明した罪で頭からガブリと食ってきた。


 無論、女王からの命令であり、オレには従う義務がある。

 この役割自体は平和な世界を構成する上で必要不可欠ということになっているし、そこに疑問は持っていない。

 それでも、果てなく続くようにも思える大空に身を委ねていると、オレたちがいようがいまいが人間たちは変わらず生活していけるのではないか、といった自己否定にも似た気持ちが芽生えてしまう。


 現にオレは今、もこうさとしての本来の任務には就いていない。

 ただうめ子の近くにいて、監視するだけの日々だ。

 しかも、こうして調査に出てくる際には、いとも簡単に監視業務の任から解かれた。

 この世界にとって不要な存在……とまで言うつもりはないが、本当に意味があることをしているのか、本当に役に立っているのか、

自信が揺らいでくる。


 ……いやいやいや、なにを考えているんだ、オレは。

 オレは女王から与えられた役目をただこなしていけばいい、そういう立場にある存在だ。

 余計な思考に没頭していては、任務の遂行に支障を来たしかねない。

 頭を切り替え、オレはこの近辺に感じられるという禍々しい気配の発見に向けて、全神経を集中させることにした。




 結局、なにも見つからないまま、時間だけが過ぎていった。

 もう真夜中になっている。そろそろ戻ったほうがいいだろう。


 うめ子は今日、普通に学校に行って、普通に生活していたはずだ。

 オレがいない生活。

 毎日のようにオレを抱きかかえていたうめ子ですら、問題なく一日を終えたと考えられる。


 うめ子にとっては、むしろ監視者であるオレがいなくて、のびのびと過ごせたのではないだろうか。

 このままオレは、どこかへ消えてしまったほうがいいのかもしれない。

 バカな考えまで浮かんでくるのは、長時間、ひたすら眺めるだけという退屈な任務に就いていたせいに違いない。


 オレが部屋に戻ると、うめ子は笑顔で出迎えてくれた。

 といっても、意外と歓迎されている……というわけではない。


「もこちゃん、お帰り~~~! でへへへへ♪」


 キモッ!

 それがオレの正直な感想だった。

 以前もこうさの国で女王に会い、戻ってきたときと同じ……いや、それ以上に、うめ子はにへらにへらとだらしない笑顔をさらしている。


「なんだ、うめ子。また藤馬とキスでもしたか?」


「にゅふふふふ♪ キスくらいじゃここまで喜ばないよ~!」


「いや、前は充分に喜んでただろ」


「そりゃあ、あれはファーストキスだったからね~!

 でも今日はもっとすごいの! エ・ッ・チ! しちゃったんだから! きゃ~~~~~~っ!」


 顔を真っ赤に染めながら、その事実を伝えてくるうめ子。

 なるほど、オレがいないのをいいことに、藤馬とそういう行為にまで及んでしまったのか。


「清く正しい交際が聞いて呆れるな」


「いいのよ! あ~ん、もう、すっごく幸せ!」


「もも子の気持ちは複雑なんじゃないのか?」


「いいんだもん! もも子ちゃんがどう思おうと、藤馬くんはあたしのものなんだもん!」


 オレがなにを言っても、ウザいほどに高揚したうめ子の気分が冷める気配は一向になかった。

 リビルドネットワークは仮想現実の世界ではあるが、不慮の事故による死など、明らかに不要なものが排除されてはいるものの、基本的には現実の世界で可能だったことはほぼ忠実に再現されている。

 性行為に関しても、それは同様だ。


 お互いに子供を授かる意思がなければ、赤ん坊ができることもない。

 そういった改変があることで、快楽を求める目的での行為は増え、初体験の低年齢化も極端に進んでいる。

 とはいえ、うめ子も藤馬も性格的に恥ずかしがり屋な部分があり、なかなかそこまでいく積極性はないと思っていた。

 藤馬の幼馴染みであるもも子にも、清く正しい交際をするように言われていた。

 それなのに、そういうことをしてしまうとは。


「あたしと藤馬くんはつき合ってるんだから。当然のことだよ!」


「……まぁ、そうかもしれないがな」


 もとより、こいつらの恋愛事情など、オレには関係のないことだ。

 ずっとそう考えていたはずなのだが。

 なぜかむしょうに気になる。

 オレがいないあいだに、そんな関係になってしまったことが、なにやらとても腹立たしい。


 これはいったい、どうしたことだ?


 オレはうめ子にずっとくっついていた。

 そのうめ子が、藤馬に奪われた。

 そんな嫉妬心が、もこうさであるオレの胸の中で渦巻いている、とでも言うのだろうか?

 わからない。

 わからないが、やけにムカムカとした気持ちにさいなまれる。


 モヤモヤとした思いを抱えるオレを気にすることなく、うめ子は喋り続ける。

 今日は藤馬の家にお邪魔して、藤馬の部屋で行為に及んだらしい。


「ご両親はいなかったんだけどね。

 藤馬くんのお母さんって、随分と忙しい人みたい。リビルドネットワークの管理委員として働いてるんだって。すごいよね~!

 あとね、藤馬くんの部屋もすごかったよ! パソコンが何台もあって、まるで未来の基地みたいだったの!

 藤馬くんの匂いがする部屋でお茶をいただいて、いろいろとお話して、それから……」


 と、うめ子は行為に至るまでの経緯を事細かに語り、その最中のことまでをオレに語って聞かせた。

 そんなの、べつに聞きたくもなかったのだが。

 ただ、さっきまでとはまた違った、不思議な感情が芽生えてくる。


 うめ子が心から喜んでいる。

 太陽よりも輝かしい笑顔を振りまいている。

 それが、なんだか嬉しい。

 完全確定未来になって凶悪犯罪が映像的に確認されたら、オレはこいつを食わなければならない死刑執行役だというのに。

 苦笑がこぼれる。


「ん? もこうさ、どうしたの?」


「いや、べつに……」


 素っ気ない答えを返したオレに、うめ子が両腕を伸ばしてくる。

 そのままオレを持ち上げると、ぎゅっと力を込めて抱きしめ始めた。

 普段は背後から抱きかかえられる格好になることが多いが、今日は前方からだった。

 まるで恋人同士のような抱擁――。


「もこうさ、寂しがってるのね! 可愛い!」


「そ……そんなんじゃねぇ!」


 文句を飛ばしたところで、うめ子が離してくれるわけではない。

 オレはそれからしばらくのあいだ、うめ子の腕に包み込まれたまま時間を過ごした。

 つい何時間か前には、恋人である藤馬を抱きしめていたであろう腕に包まれているというのは、なんとも複雑な気分だった。


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