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うめ子の不安は現実のものとなっていく。
さくら子に対するいじめが、徐々にエスカレートしていったのだ。
「あ、さくら子ちゃん……スカートが切れてる……」
「え……ええ、ちょっと引っかけてしまって」
「じゃなくて、あの人にやられたんじゃないの?」
「それは……」
口ごもるさくら子。
もも子は『あの人』とぼかしていたが、さくら子のスカートを新生寺やまぶきが切ったのは間違いない。
「ですが、大丈夫ですので」
さくら子はキッパリと言い放つ。
意外と頑固な性格の持ち主だ。
「さくら子ちゃん……」
うめ子はそんな友人を、ずっと心配そうな眼差しで見つめている。
周囲に青猫がうごめいている状況は変わっていない。
自分だって狙われている可能性があるというのに、友人のことを優先的に考えてしまう。
中学までいじめられていて、高校に入ってようやくできた友達を、心から大切に思っているからに他ならない。
うめ子はそういうやつだ。
様々ないじめを受けながらも、さくら子は大丈夫の一点張り。
うめ子だけではなく、もも子も藤馬も心配しているのに、さくら子本人は落ち着き払った様子を崩さない。
そんなある日の放課後。
「もも子ちゃん、さくら子ちゃん、帰ろう~!」
カバンとぬいぐるみ姿のオレを抱え、うめ子が友人に駆け寄る。
うめ子は部活動には従事していない。友人たちも同じだ。学校が終わると、ふたりの友人と一緒に帰るのが常だった。
といっても、学校を出たあとは向かう方角が違うため、教室から校門までの短い道のりとなるのだが。
いつものように声をかけたうめ子に、珍しく否定の言葉が返ってくる。
「すみません。わたくし、今日はちょっと用事がありますので」
早口で言い残し、さくら子はさっさと教室から出ていってしまった。
「さくら子ちゃん……」
「あれは、明らかに怪しいよね」
「うん、そうだね」
いつの間にか、もも子と藤馬もうめ子の隣に並んでいた。
基本的に、藤馬はうめ子たちと一緒に帰ったりなどしないのだが、さっきのやり取りを見ていて気になったのだろう。
「こっそり追いかけましょう」
もも子の提案に、うめ子と藤馬は真面目な顔で頷いた。
廊下へと出たさくら子の姿は、すぐに見つけることができた。
いつもと変わらない落ち着いた足取りで、ゆったりと歩いていたからだ。
そのまま下駄箱へと向かっていく。
「帰るのかな? 用事があるのは、学校の外?」
「だったら、私たちと一緒に帰ってもよかったでしょ? どうせ校門までなんだから」
「それはそうだよね。だとすると、目的地は学校の敷地内のどこか……?」
藤馬の予測どおり、さくら子は校門とは別方面へと歩いていく。
特別教室棟の校舎の脇を抜けた、さらに先。校舎の裏手にあたる、背丈の高い木々が立つ薄暗い場所。
そこでさくら子は、ピタリと立ち止まった。
視線の先には、ひとりの女子生徒の姿がある。
言うまでもない。新生寺やまぶき、さくら子をいじめている張本人だ。
つまりこれは……。
「新生寺さんに、呼び出されたんだね」
藤馬がつぶやく。
校舎裏への呼び出し。
無論、愛の告白をする、といった話ではない。女同士なのだから当たり前だが。
さくら子を迎える新生寺の手には、鉄パイプのようなものが握られている。
「よく来たわね、微風ノ宮さん」
「新生寺さん、なんの用ですの?」
「ふふっ、見てわからない?」
「……そういう野蛮なことは、やめたほうがいいと思いますが」
「わかってるじゃないの。なら、話は早いわね」
「その鉄パイプで、わたくしを殴るつもりですのね」
「そうよ。殺すことも怪我を負わせることもできないけど、ある程度の痛みはあるんだから。思う存分殴らせてもらうわよ!」
「……それであなたの気が済むのでしたら……」
今にも飛びかかってきそうな勢いの新生寺に、さくら子は冷静な態度を覆すことなく対応する。
その様子もまた、相手の神経を逆撫でする結果となる。
「ええ、やらせてもらうわ! 泣いて謝ったって、許してあげないんだから!」
鉄パイプを振りかぶり、新生寺が殴りかかる。
さくら子は動かない。
先ほどの発言どおり、甘んじて受ける気でいるのだ。
リビルドネットワークの中では、人間が死ぬことなどありえない。怪我をすることすらない。
だからといって、痛みがまったくないわけじゃない。
日常生活において、痛覚は危険から自らの身を遠ざけるために必要なもの。
激しい痛みはシステム側で軽減され、ある程度弱められた信号として脳に伝わるようになっている。とはいえ、痛いものは痛い。
苦痛に歪む相手の顔を見て優越感に浸る。新生寺の行動は、そういった目的のための行為だと考えられる。
オレは成り行きを見守っていたのだが。
うめ子が感情を抑えられるはずもない。
「やめて、新生寺さん! さくら子ちゃんを殴らないで!」
今まさに殴られようとしていたさくら子の前に、うめ子は両手を広げて飛び出していた。
おかげでオレは地面に落下し、砂まみれになってしまったのだが。
うめ子の行動に続いて、もも子と藤馬も飛び出す。
突然三人が現れ、新生寺は驚いていた。動きが止まる。
「うめ子!? もも子に藤馬くんまで! どうしてここにおりますの!?」
さくら子も目を丸くしている。
しかし、答えは明白だろう。彼女たちは友人同士なのだから。
「くっ……! 仲間を潜ませていたとは、やるわね、微風ノ宮さん!」
「い……いえ、そんなつもりは……」
「問答無用! 全員まとめて、痛めつけてあげるわ!」
ヤケになっているのか、相手が四人に増えてもなお、新生寺は鉄パイプでの攻撃をやめようとしない。
微力ながら手を貸してやる。
オレはうめ子を安心させるため、そんな言葉をかけたこともあった。
ただ実際には、もも子やさくら子、藤馬までいる場面で、オレがでしゃばるわけにはいかない。
もこうさの存在は、一般市民には秘密となっているのだから、それは仕方がないと言える。
だが、うめ子の身に危険が迫っているとなれば、話は別だ。
うめ子はオレの獲物。オレが食ってやるまでは、五体満足で生きていてもらわなければならない。
そうでないと、もこうさとしての任務が遂行できなくなってしまうからな。
ならば、あの新生寺という女を、このオレが止めるのか?
否、そこまではしない。
というよりも、今回に限って言えば、なにも問題はないだろう。
たとえ鉄パイプで殴られたところで、この世界では痛みはあっても死にはしないのだから。
オレの発言は、青猫のやつらが企んでいる件に関して、なにかあったら手を貸してやる、という意味だった。
うめ子を始末すること。それがやつらの目的ではないかと考えられる。
警察である青猫が、いち高校生に過ぎないうめ子を始末する。そんな場面を他の人間に見られるわけにはいかないはずだ。
ここでやつらが出てくるとは思えない。
そう高をくくっていたのだが……。
「青猫だ! お前ら、なにをやっている!」
やつらが、うめ子たちの周囲を取り囲んだ。その数、十体ほど。
ちなみに、青猫はふよふよと空中に浮いている。やつらはもともと、そういう能力を有しているのだ。
普段はうめ子の腕に抱きかかえられているが、オレだって空中浮遊はできる。
「えっ? 警察!? どうして学校内に……」
もも子は困惑しているようだ。
青猫どもは警察機関に所属する存在。市民のいざこざの対処に当たることだってある。
だとしても、それは大人同士の争いの場合だけに限られる。
この世界では、オレたちもこうさによる処罰同様、青猫による介入もまた、学生は対象とならない。
以前うめ子が言っていたように、学校で激しいいじめがあったとしても、それは未成年の未熟な行動と見なされ、処罰されることはない。
しいて言えば、教師が注意する、といった対応くらいは取れるだろうか。
義務教育後、コンピューターによって導き出された適性職に就ける社会となっているため、生徒たちの教育に熱い情熱を注げる人間が教師になっている。
それでも、四六時中、全生徒に対して目を光らせておくことなど、どう考えても不可能だ。
新生寺の行動がエスカレートしていったのも、そういった社会になっているせいだと言えるのかもしれない。
そんなこの世界で、いじめの現場に青猫が介入してくるとは。
いささか不可解。
これはまさか、いじめへの介入は単なるフェイクで、やつらの本当の目的はうめ子にある!?
オレは地べたに転がった状態ながら、動向をつぶさに観察し、すぐにでも対応できるように構えていた。
青猫。
警察の制服を着た、青い猫のぬいぐるみ。
サイズ的にも、オレと大差ない。
数は十体。青猫は一体で人間を数十人相手に出来るとも言われている。
もし仮に戦うことになったら、オレひとりでは太刀打ちできない可能性が高い。
これは……マズいな。
背筋に嫌な汗が流れる。
無論、ぬいぐるみ風のオレは汗をかいたりしないのだが。比喩的な表現だ。
オレが見守る中、事態は動き出す。
「そこの娘、鉄パイプをその場に置き、速やかに投降――」
「うるさい! 邪魔するなら、相手が警察だって容赦しないんだから!」
新生寺が鉄パイプを振り回し、青猫に殴りかかった。
直撃を受け、青猫のうちの一体が、大きく弾き飛ばされる。
「この小娘、我々に手を上げるか! 取り押さえろ!」
青猫が一斉に新生寺に向けて飛びかかる。
警察である青猫相手に、普通の女子高生が勝てるはずはない。
どうやら、うめ子のことは眼中にないようだ。これなら、オレが手を出すまでもないな。
安堵したのも束の間、衝撃的な光景が映り込む。
「むっ!? 娘、邪魔立てするつもりか!?」
新生寺と青猫たちとのあいだに割って入った、ひとりの女子生徒。
「ええ、そうですわ! ……新生寺さん、ここはわたくしにお任せください!」
それは、さくら子だった。
新生寺からいじめられていた、ついさっきだって殴られかけていた、そのさくら子が、新生寺を庇って飛び出していた。
しかも、その手には武器が握られている。
「わたくし、薙刀の微風流において、免許皆伝を受けている身なんですのよ!」
「うわっ、さくら子ちゃん、そんな特技があったんだ!」
さくら子が颯爽と薙刀を振り回す姿を見て、うめ子が感嘆の声を上げている。
仮想現実であるこの世界。基本的には現実の世界を忠実に再現しているのだが。
アバターパーツを購入できるシステムなど、様々な部分で違いがある。
パフォーマンス技術に関する免許皆伝を受けていると、必要な物品をいつでも取り出せる能力が付与されたりするのも、その違いのひとつだ。
さくら子の薙刀は、そういった能力の一種なのだろう。
「もっとも、現在の微風流は、完全に舞踊としての技能になっておりますが」
そう言いながらも、さくら子は優雅に薙刀を操り、青猫どもを蹴散らしていく。
「ちょ……ちょっと、微風ノ宮さん! どうして……?」
「幼い頃はよく一緒に遊んだじゃないですか。わたくし、新生寺さんのことはお友達だと思ってますの。
お友達を守る。その行動に、疑問なんてないでしょう?」
「で……でもあたくしは、あなたを散々いじめて……」
「わたくしは、そんなふうに考えておりません。
新生寺さんがわたくしに対して、ほんの少し悪ふざけをした。お友達がしたことですから、笑って許せる。
ただそれだけのことですわ」
いや、実際にはかなり悩んでいた。それは間違いない。
しかし、さくら子はそのことを口にしない。
友達だと思っている、という言葉には、嘘偽りなどなにも含まれていないからだ。
「美しき友情、って感じかな」
藤馬がつぶやく。
ともあれ、マズい状況なのは変わらない。
相手は警察である青猫なのだ。
その青猫に手を上げてしまった。
これは明らかに罪となる行為。
まだ学生の身分であっても、笑い話で済まされるとは思えない。
さくら子はいまだ薙刀を振り回し、飛びかかってくる青猫に応戦している。
友達だと言われて困惑気味の新生寺も、鉄パイプで青猫を殴った事実は消えない。
ここはオレの力が必要か。
そう考えていた、まさにそのとき。
薄暗い校舎裏の一角に、唐突に新たな声が加わった。




