第83話:ヒーロー達の幻影魔人
「霧の中に“何か”がいるッ!」
映画『ミスト』より抜粋
一体自分は何をしているんだろうと思うことがある。
黄金の壁に囲まれた広間の中に立っていて、光の剣を構える。幻想的な揺らぎを持つ白煙を目の前にしながら、ニヤニヤと、ニタニタと、笑みを続けるクラスメイトと相対する。緊張感と焦燥感と高揚感と、そうしたあらゆる感情を身体に内含させながら、俺は戦っている。
一体何をしているんだろう。
あまりにも荒唐無稽。あまりにも絵空事。だが、これが現実であった。
俺の生きる世界であった。
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耳からは声が聞こえる。音が聞こえる。雄叫びのような声。何かが壊れる音。悲鳴に似た声。空気を薙ぐ音。見得を切る声。火花が散る音。
聞いていてわかるものもあれば、わからないものもある。言っている内容までわかるものもあれば、雑音として通り過ぎていくものもある。
「――――――…………」
それは戦場の音楽だ。
俺は耳を傾ける。あらゆる声、あらゆる音を、背景音楽として取り込むことで、全身に生まれた強張りをお湯に浸かるようにほぐしていく。
気負いを、力みを、適度な緊張に直していく。戦う前に必要な冷静さを取り戻す。
(…………さて)
俺はタイミングをうかがっていた。
夜、真っ暗な闇の中で、一筋の光を追うときのように。ゆっくりと、全身を落ち着かせながら、その時が来るのを待った。やがて、俺の頭の中に、一つの言葉が浮かんできた。
今だ。
今だ。
今だ。
そう発するシグナルが見えた。まるで、侍が剣を抜く時のように、陸上選手がスタートダッシュを決める時のように、然るべき、進むべき、タイミングが俺の中で浮かび上がってきた。
それが、見えた。
だから走りだした。
「“今”でしょっ……」
「フフフフフフフフフフフフ……」
深まる葉山との戦い。その戦いに終止符を打つべく、俺は足を強く踏み出した。
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俺はいろいろ考えるのが好きだ。馬鹿だが、馬鹿なりに思考の糸をめぐらしてみるのが大好きだ。
だから、戦闘というのは厄介だ。
思考の制限時間が設けられ、最適解を最速で出さなければいけない。
戦いは思考の連続だ。よく勝負は戦う前から決まっているとか言う奴がいるが、多分そいつは本当に戦ったことがないか、または自分で戦場に出たことはないお偉いさんなのだろう。
戦いは思考の連続。考えに考えを重ね、常に状況の変わる戦局の中で、数珠つなぎに思考の綱渡りを強いられる。必要以上の机上の論理は空論でしかない。次々と発生する任務を、次々とコンプリートしていかねばならない。
そこに思考の広がりはない。
考えを自由に広げるという余力がない。
俺は考えるのが好きだし、考えることを活かした戦い方をしてきた。
これからもそうしていくだろう。
だけど、戦いとは、もっと自由に考える時間があってもいい気がする。
謂わば、制限時間のない将棋を指すような。コンマ数秒の判断の連続を迫るのではなく、じっくりと熟考を重ねて戦い合う方法があってもいい気がする。
まあ、しかし、これはくだらない妄想だ。
現実の戦いは、最短で最高の働きをした者にのみ、勝利を与える。
そうなのだろう。
俺もそう思っていた。
「フフフフフフフフフフフフフフ……また、その剣か。本当に厄介だねぇ新島くんは……」
そう笑う葉山を俺は光の剣で一蹴する。これだけの数を相手にするとなると、一筋縄では行かない。常人ではその数に耐えられないだろう。しかし、そうした問題も、俺の光の剣なら対抗できる。
俺ならできる。俺の剣ならできる。葉山を、分身たちを、無駄なく、隙なく、最も優れた最良の手段で、殲滅することができる。
狙うべき“その時”を待ちながら。
「フフフフフフフ……怖い、怖い、怖いねぇ、こわ――――」喋る葉山は全て潰す。俺は鬼神の如き勢いで光の剣を振るう。
振るう。
振るう。
振るう。
だが、俺は待っていた。動作をあえて“単調にすることで”待っていた。
同じ動作を、意図的に繰り返すことで、俺は見極めた。
その時を、その一瞬を。
「――――――ッッッッッ!」
突如、俺は光の剣を振るうのを――――止めた。
目の前には葉山がいる。
今まさに斬られようとしていた葉山だ。
葉山は他の分身と同じようにフフフと笑みを浮かべる。しかし、その笑みはどこかぎこちない。
まるで賭けに失敗した名うてのギャンブラーのように、
名探偵にトリックを見破られた稀代の犯罪者のように、
焦りと戸惑いと驚きと感心と――いろんな感情を内側に織り交ぜながら、ポーカーフェイスの裏側に、隠しようのない強張りを表出させる。
葉山が口を開く。
「フフフッ…………よく、わかったね」
「気づいてはいたさ。あとはタイミングの問題だった」
俺は攻撃の準備に入る。剣ではない。拳だ。俺は強化済みの左腕を輝かせながら、眼前の葉山へと放つ。
「――変身名《限定救世主》! 俺の四肢は“強化”されるっ!」
俺の拳が葉山に沈む。
確かな手応え。拳に感じる質量。渾身の力を込めて振り抜く。
葉山は勢い良く吹き飛ばされた。
そして。
「――やはり、消えないな」
葉山は消えなかった。
煙のように消えなかった。
分身のように消えなかった。
殴っても殴っても終わりのない。永遠とも思える戦いの継続には――ならなかった。煙の魔人には確かな肉体があった。
「当然、それは、お前が“本体”だからだ」
俺はすぐさま追撃に入る。余計な時間など与えはしない。
地面を蹴り、走り抜ける。
最適解を、最速で――!
「これで最後だ。終われ―――葉山樹木」
俺の豪腕が葉山へと解き放たれる。
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俺が葉山の居場所に気づいたのは、光の剣が不自然な壊れ方をした時であった。
戦いの序盤。
俺は増殖する葉山を止めるために、光の剣を多用した。
切り刻み、刻み込み、分身全てを抹消しようと猛威を振るった。
その時、光の剣がいきなり壊れたのだ。
覚えているだろうか。
壊れた瞬間は、光の剣の耐久限界がきたのだと思った。あれだけの数の分身を相手にしているのだ。壊れてしまっても仕方ない。そう思った。
だが、本当は違った。
光の剣は壊れたのではない。壊されたのだ。
葉山の本体は、実際は隠れることなく、分身達の中に潜んでいたのだ。
木を隠すなら森の中。煙を隠すなら煙の中。まさしくその通りだ。
葉山は、分身達の一部としてその身を置き、機会を見計らって、俺の剣に突撃したのだ。
俺の光の剣は、ヒーローに直接ぶつかると壊れてしまう。
葉山は俺の能力に関して熟知している。
俺の弱点を突いたのだ。
(それにしても、なんちゅー大胆な戦法だよ……)
あれだけの分身を持ちながら、自分自身を俺の目の前に飛び出させるだなんて。
普通、考えても実行しないだろう。
しかし、あの時の葉山の戦法は、確かに俺に戸惑いを与えて、非常に追いつめられかけた。
コンボ機能の活用や、巨大葉山の弱点を見破ることができなければ、間違いなく敗北していただろう。
そういう意味では、葉山の特攻隊長じみた行動も、奴なりの最善策だったのだ。
(――しかし、二度目はない)
今回の俺は、罠を張った。
意図的に、光の剣で“単調な攻撃”を繰り返し、葉山の本体が現れるのを待った。
そして、現れた瞬間に合わせて斬るのを止め、強化済みの拳で殴るだけで良かった。
(――そうだ。そこまではよかった)
俺は“空っぽになった”壁際を見つめていた。
(葉山が……消えた)
そう消えた。葉山が消えていた。
確かに俺は殴った。殴った感触があった。
あれは本物の葉山だった。
体力ゲージはおそらくマックスだっただろう。おそらく6~7割は確実に削れたはず。そういう力で攻撃したのだ。
(……どこだ?)
周囲の気配を探るが……見当たらない。
葉山といえど、完全に姿を隠すことは不可能だ。
この広間では隠れるところもない。
さらに奇妙なのは、あれだけ増えていた葉山の分身達も、ぱったりと姿を消してしまったことだ。
葉山達は、文字通り、煙のように消えてしまった。
圧倒的な、謎であった。
狗山さん達も、赤井達も、葉山が消えたことに気づいたようだ。
激しい戦闘が収束しはじめる。喧騒が消えていく。
美月の声が、静かになった広間に反響した。
「終わったの? そーちゃん?」
「……いや、」
と、応えようとした瞬間――“ソレ”は起きた。
広間全体が――――視認不可能な白煙で覆われた。
あまりにも一瞬の出来事であった。誰も対応できなかった。狗山さんも。城ヶ崎さんも。見えない。何も見えなかった。
世界が完全にホワイトアウトした。
例えばそれは濃霧や豪雪のように。それを数段激しくしたように。俺たちの世界が認識不可能になる。
(な、な……っ!?)
自分の手足すら見えない。煙が濃すぎて。肉体が完全に白煙に包まれていた。
「――――な、何だこれは……っ!」
思わず声を出した。出してしまった。
それは、行動としては非常に軽率だった。言うなれば、マズかった。
なぜなら、俺が言葉を口にした瞬間、目の前から“巨大な拳”が飛んできたからだ。
「――――ッッッッッッッ!」
ガードするまでもなく吹き飛ばされる。受け身に失敗し、背中から地面に倒れる。
「ぐっ……」
うめき声をあげる。その声に反応してまたもや、拳が飛んでくる。
今度はガードするが、さらに追撃の蹴りが飛んでくる。
俺は力を逃がしながら、地面を滑りながら後退する。
次は、その滑べる音に反応して、拳が飛んでくる。
「……葉山、だな」
激しい殴打を防ぎながら、俺はあえてつぶやく。
いつもの不敵な笑い声は聞こえない。
代わりに、冷静なつぶやきが聞こえた。
「――――――――超変身《幻影魔人》」
超変身、……。葉山の、超変身だとっ……。
「……これは発動すれば僕にも止まらない。せいぜい、うまく生き残ることだね」
耳からは声が聞こえる。音が聞こえない。悲鳴のような声。拳の弾く音。焦りのような声。蹴りの飛ぶ音。怒号のような声。壁を叩く音。雄叫びのような声。風を切る音。
そのどれもが響き、やがて静寂が満ちた。
戦闘の音楽はもう鳴り止んだ。
音を出せば殺される。声を出せば殺される。
ヒーローたちはその事実を理解した。
(どうするつもりだ葉山樹木……)
俺たちは沈黙し、ただ時を待った。
1秒間が永遠のように感じられた。
やがて、一つの声が生まれた。
「――――……変身名《幻影魔人》種類『爆煙』」
「なっ!」
驚愕の声を出す間もなく、周囲の白煙が光を放ち始める。
聞こえるのは葉山の声のみ。
「――待て、しかして絶望せよ。勝利は我が手に降り注ぐ」
広間は輝きに包まれた。
――輝く光の最中、新島宗太は考える。そして解き放つ。思考の拡張を。可能性の発露を。強化の真骨頂を現すように。
次回「第84話:ヒーロー達の限定解除救世主」をお楽しみください。
掲載は4日以内を予定しています。